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炎国の騎士と北の夜明け  作者: 紘麻 涼海
第七章 内乱時代
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六、再び

 部外者の目から見れば、カルツァ領都の街並みに、これといった戦いの爪痕は見当たらなかった。特に破壊された建物もなく、領主の館も健在で、武力制圧を受けた領地とは思えない。

 しかしそれは、建造物に限った話である。

 フェデルマ帝国の中では、ここは中規模な港町に分類される。大陸の南岸部に築かれた港はどこも、海の向こうにある西大陸との交易が盛んなので、国内だけでなく異国の商人の姿も多く見られ、活気に溢れている。

 ……そのはずだ。いつもならば。


 シンザとリューベルトは、外套のフードで顔を隠すようにして、黄昏色に染まる街を歩いていた。

 帝国騎士団が残っているかと警戒していたが、駐在することなく帝都へ引き上げたようだった。

 

「……静かだな」

 

 シンザが呟いた。

 彼は以前にもこの街に来たことがある。その時と今ではまるで様子が違っていた。

 まだ太陽の名残りを感じられる時間なのに、道行く人が少ない。港近くの商業通りも、時間によっては歩きにくいほど人がごった返す盛況ぶりを見せるはずだが、今日は夕食の買い物に来ている一般の客もちらほらで、一様に表情も乏しく見える。露店は屋根を畳んで閉店になっているところがほとんどだ。西大陸から来ている商人は、身体的特徴が異なるのですぐに見分けがつくのだが、一人として見かけなくなっていた。

 二人は宿に入った。


「こんな時に、よくこの街に来ましたねえ」


 対応した女主人は、ここのところは開店休業状態なのですよ、と肩をすくめた。笑ってみせようとしたのかもしれないが、その表情は疲れきったように歪んだだけだった。


「俺が何年か前にここへ立ち寄った時は、賑やかな街でしたが」

「国の制圧軍が来たことを知らないんですか? まだあまり広まってないのかしら。行商人たちは、潮が引くように他の街へ避難していったんですよ。おかげで色んなものが品薄で。もし巻き込まれれば命が危うかったんですから、彼らに文句も言えませんけど」

「制圧軍の噂は聞きましたが……その……本当に、戦いになったのですか?」

「なりましたよ」


 女主人は目を伏せた。


「あんなことになるなんて、きっと誰も思っていませんでした……。昔はよく北のほうで衝突があったと聞いたものですけど、正直なところ、他人事のようにしか感じたことがなかったんですけどね……。あのディーゼン様の娘である今の陛下が」


 リューベルトの身体がわずかにびくりとした。


「まさかここに、討伐隊を送り込むなんて……そんなひどいことをするなんて、思いもしませんでした。カルツァ伯爵様はそんなに悪いことをしたのでしょうか。国に討たれるくらいなら、誇りがどうこうよりも黙って言うことを聞いて、ザディーノ遠征に加わっていたほうが死者は少なく済んだでしょうに……。この街には騎士の家族がたくさんいますから、こんなこと外では言えませんけどね」


 たまりかねていた思いを客に対してこぼし過ぎたと思ったのか、女主人ははっと目を開くと鍵を手にし、どうぞと言って部屋へ案内するために歩き出した。

 そっと振り返ったシンザが見たのは、青い顔で足元を見つめるリューベルトの姿だった。






 翌朝は、灰色の空が広がる気温の低い日だった。

 今日も通りに人影はまばらだ。露店もなく、係留されている船も、この街のものしかないようだ。

 他の街へ行き先を変えた商人たちは、安全が確認されれば戻ってくるだろう。活気もいずれ取り戻すだろう。それはいつかは元通りになるのだろう。

 深刻なのは、商業面ではない。

 シンザとリューベルトは市街地を抜け、街を守る城壁の西門をくぐり抜けた。街の外をしばらく馬で駆けると、イゼルからカルツァ領都までとはまったく違うものが遠くに見えてきた。

 城壁から長々と続いていた畑は、どこでも見る景色である。その向こうが異様だった。黒いのだ。ボコボコと無数の窪みがあり、草が焼け焦げているようだ。

 

「あれは、なんだ……?」

「戦死者を……火葬した跡だろう」

 

 リューベルトは初めて見る光景だが、シンザはよく知っている。これと同じ儀式に、グレッド領で何度も立ち会ってきたのだから。

 

「ここで、帝国民同士の戦いが……」

 

 カルツァの騎士はおそらく街だけは死守しようとしていた。帝国騎士団とて領都を陥落するつもりまではなかったのだろう。これはあくまでも、命令を拒み、武力行使をした反逆の徒であるカルツァ家騎士団への制裁であり、他の領への見せしめだったのだ。

 街から離れたこの場所で、カルツァの騎士は国の制圧軍を迎え撃った。不条理な弾圧に屈せず、誇りを守るために。

 大きな焦げ跡は数え切れないほど点在して、一面が黒い地面に見えた。リューベルトは、その景色の中には入れなかった。手前で止まると、息苦しくなって、馬上で胸を押さえた。

 いくつかの動くものが目に入った。今まで気がつかなかったが、低く屈んで何らかの作業をしている人間が数人、あちらこちらに散らばっていた。

 

「あんたたち、自分で遺品を探しに来たのか」

 

 一番近くにいた一人が作業を中断して話しかけてきたが、リューベルトは答えるべき言葉を見つけられなかった。シンザがさっと進み出た。

 

「ああ、そうなんです。あなたたちは?」

「遺品回収をしている。生き残った仲間としてな」

 

 そう言ったカルツァの騎士服の男は、持っていた籠を持ち上げてみせた。

 

「今日はまだ何も見つけられてないけどな。拾えるものはもうだいたい拾ったと思うんだが……あんたたち、街の住人じゃなさそうだな。墓地の教会には行ってみたか? 今まで見つけたものは、あそこに集めてあるよ」

 

 どうやら旅服のシンザたちを、戦死した騎士の遺族か関係者だと思っている男は、親切にも墓地の場所を教えてくれた。


「墓地か……行ってみるのか、リュート」


 リューベルトは虚ろな瞳で、黙って頷いた。






 教わった通りに来た道を戻り、街の北側にある丘の上へと向かった。なだらかな上り坂を登っていくと、次第にすぐ右手にある街が眼下に望めるようになってきた。

 街と港と大海を一望できる、明媚なところだった。晴れた日ならば、輝くようなで絶景であったろう。

 リューベルトは街にも海にも背を向けていた。目に映っているのは、胸を刺すような世界。

 以前からあったのであろう墓地の横に、急ぎ造成されたような広い平地。そこにあるのは、墓石さえもない墓群。名を刻まれた大量の木板が、風に倒されることのないよう、深く土に突き立てられて整列している光景だった。

 墓石を彫ってもらうのを待っている、カルツァの騎士たちの仮の墓だ。その真新しい木板の前で祈る、女性や子どもの姿もある。

 馬から降りたリューベルトは、心許ない足取りで整地されたばかりの土の上を歩いた。刻まれるいくつもの名前を読み取りながら、のろのろと墓地の中心辺りに辿り着いた頃、引きずるようだった両足が動かなくなった。

 すぐ後ろでシンザも立ち止まった。

 誰も彼らに気を向けることはなかった。木版を愛しそうに撫でる中年の夫婦も、花を持って現れた若い女性も、それぞれが自分の想う人のことで、気持ちはいっぱいなのだろう。


 ——やがて空を覆う灰色の雲から、細かな雨粒が落ちてきた。木板の前で祈りや話をしていた人たちが、急いで古い墓地の隅に建つ教会の中へ入っていく。

 それでもリューベルトは、微動だにしなかった。

 そんな義弟を、シンザは黙って待った。

 

「……シンザ」

「なんだ?」

「ケイルトンやスリダに……行ったことはあるか」

 

 それはリューベルトがまだ城で皇太子教育を受けていた時、現代史で習った大きな出来事の舞台。あの祖父ベネレストが、粛清を行った二つの土地の領名である。教わった時には、すでにベネレストは故人だった。

 恐ろしかった。それが彼の最初の本音だ。雰囲気が怖くてあまり話せなかった祖父が、政治家としては慣習に縛られない優れた人だったと知り、印象を変えていたあとのことだったのだ。この出来事によってその後の暴動や、増え続けるはずだった犠牲者数も抑え込むことができたのです、と講師が評しても、少年にとってはやはり怖くて、なかなか納得もできなかった。

 ディーゼンがこのことについてどう捉えていたのかも、リューベルトは一度も聞かないままに、別れとなっていた。

 

「……粛清の地のことか? ……ああ、どちらにも行ったことがあるよ。父上が見ておくようにと言って、俺たち兄弟が子どもの頃に連れていったんだ」

「そうか……。私は……行ったことがない」

 

 フードを深く被った後ろ姿のリューベルトの様子は、シンザの目から窺うことはできなかった。

 

「そちらにも……こういう風景があるのか」

 

 シンザはすぐに答えず、一度ゆっくりと墓群を見渡した。

 彼の中に、子どもの頃に見た光景が蘇った。まったく同じ時期に造られた墓石が、無数に並んでいる様子が。その時の泣きそうになった感情とともに。

 この国の過去の傷痕のひとつだ——ダイルはそう言った。

 

「そうだな、似ている……。だが、ケイルトンとスリダは、……これ以上だ」

 

 この過去の二件は、実際に旧国の民だった騎士たちによる、領主への烈しい攻撃があった地で起きた。ベネレストが率いた帝国騎士団は、領主と帝国民を脅かした者たちへ徹底的な武力の鎮圧を——血の粛清を下していたのだ。

 国内の「動乱」を帝国騎士団が鎮めたという点では、その二つの地域とここで起きた出来事は似ている。

 

「……そうか……」

 

 フードの下で、リューベルトが顔を伏せた気配がした。


「皇家とは……悲劇を生む一族だな……。今回に至っては『反乱』が真実ですらないというのに……」

「おい、間違えるな、リュート! これは今の為政者たちがしたことだ」

「いいや……違う。イルゴが言っていただろう。リミカは署名したんだ。これに……皇帝が許可を与えた」


 一緒に暮らしてきた六年間、これほど暗く沈んだリューベルトの声を、シンザは知らない。


「リュート……、リミカ様はきっと、しっかり内容を教えられることなく、署名だけを求められたんだ」

「そうだろうな……。リミカはそれによって起こることを、知ろうとしなかったんだ。あの子……は……」


 耐え切れなくなったように、リューベルトが膝をついた。手の甲が白くなるほどほど握りしめられた両の拳が、雨を受け止める地面に叩きつけられた。その指は、まだ踏み固められるだけの時間も経っていない、柔らかい土にうずもれた。


「止められた……っのに……、皇帝には、これを……この悲劇を、止められたのにっ……!!」


 喉の奥から絞り出すようなその声は、溢れ出る感情に震えていた。


「私は……妹に……なんということをさせてしまったんだ……! 取り返しのつかぬことを……!」

 

 食いしばる歯の間から、リューベルトの嗚咽がもれる。


「……リュート……」

 

 雨の中で深い後悔にむせぶ義弟を、シンザはただ見ていることしかできなかった。

 

 ——リュートのせいじゃない。

 こんなことになると、誰も予想できなかった。

 帝位に就いていたのがリュートであったなら、これは起きなかったことなのかもしれない。

 でも、お前は望んで帝都を出たわけじゃない。家族の名であるグランエイドを、捨てたくて捨てたわけじゃない。

 俺はお前がどんな思いで仇討ちを諦め、身を引いたのかを知っている。どれほどの覚悟で、陰で生きることを選んだのかを知っている。

 お前はただ、民と妹の幸せを願っていた。

 そのはずなのに……この場所へ行き着いてしまった。あってはならないことが、繰り返された。

 でも、違う……リュート、お前のせいじゃない——

 

 どれほどシンザがそう思っていても。

 こんな言葉が、今のリューベルトに、なんの慰めになるだろう。

 

 シンザは雨を落とす天を仰いだ。

 降り注ぐ雫は、意志と誇りを守った騎士たちの墓標を濡らし、シンザの目尻からこぼれるものを流した。

 

 

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