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炎国の騎士と北の夜明け  作者: 紘麻 涼海
第七章 内乱時代
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三、星夜の集い

 湯殿で少々のぼせた身体を冷ますために、リューベルトはバルコニーへ出た。

 今日の会合は長引き、晩餐も話し合いの場になったが、結局は今打てる手はほとんど見つからなかった。実際のところルイガンは、まだ大きな動きを見せていないからだ。彼が腰を上げたその時には、ガレフやフレイバルらが他国への侵略に反対する貴族たちと連携し、声を上げる。決まったのはそれくらいだった。

 

 ——また、私にできることは何もないのだろうか。

 

 前提が壊されそうになっている。リューベルトが身を引いた理由が、崩されてしまう。ルイガンを断罪することを目指すべきなのかもしれない。

 しかし五年以上も逃げ隠れていた元皇太子など、今さら国家が受け容れるものだろうか。そんな価値も、ルイガンの暴挙を打ち砕く力も、現状の自分にあると信じることはできなかった。

 

「結構冷たい風だな」

「……!」


 リューベルトは驚いて振り返った。


「……シンザか……」

「なんだよ。がっかりしたよな、今?」

「いや、驚いたんだ。似ていたから……ダイル殿に」

「そうか? 別に俺は父似ではないが」

 

 大柄なのに足音もさせない足取りで、シンザが扉をくぐって外へ下りてくる。

 イゼルで暮らしている間に、リューベルトもノルドレンに並ぶほど背が伸びていた。でもシンザには敵わない。

 

一階(した)で姉上がワインを開けてるぞ。ティノーラたちもいる。お前も来ないか」

 

 遅くまで話し合ったため、珍しくリエフ家も今夜はイゼル城に滞在することになった。晩餐のあと、ヴィオナたち若い女性陣は、いかにも女性らしいおしゃべりに花を咲かせていたのを見かけた。そのまま酒席に変わったらしい。

 

「ああ、邪魔にならないなら、行こうか」

「邪魔ではないだろうが、その物憂げな顔つきでは水を差してしまうかもな。やっぱりやめておくか」

「……お前は本当に、遠慮のない物言いをするな」

「遠慮なんかするかよ。弟に」

 

 シンザは唇の片側を引き上げた。なんだか力が抜けたように感じたリューベルトの表情も、自然と緩んでいた。

 

「リュートが悩むのは……わかるけどな」

 

 そう言ったシンザが、満天の星が輝きを競う、黒い夜空を見上げた。

 リューベルトは今まで、ダイルとシンザが似ていると思ったことはなかったのに、なぜかその仕草、その横顔が、あの日のダイルとそっくり重なって見えた。

 

「……五年前、ダイル殿が亡くなる前夜……ここで、貴重な話を聞かせてもらったんだ」

「ふうん? 何の話を?」

「父と祖父のことだ。私の小さな悩みも解決してくれたよ。宰相だったダイル殿が、祖父と喧嘩したという話もしてくれた」

「ああ……はは、戦場以外ではあんなに丸い父上なのにな。ベネレスト陛下と怒鳴り合ったらしいよな」

 

 その当時のシンザは赤子だった。両親は子どもたちにその話はしなかったのだが、大きくなってからアダンが逸話として聞かせてくれた。

 

「ダイル殿なら……今のこの状況をどう読んだだろうな」

「今を?」

 

 シンザは少し考えるように目線を上げてから、首を捻った。

 

「そうだな……もし今生きていたとしても、多分お前に簡潔な答えはくれないと思うぞ」

「そう……だろうか」

「そうだよ。確かに父上は国をよく見ていて、先のことまで考える人だったけど、未来が予知できたわけじゃないしな。もう大人のお前に、何かを押し付けるような人でもなかったはずだよ」

「押し付けられるとは思わない。何というか……道を照らしてみせてくれたのではと……思ったんだ」

「リュートはダイル・グレッドを偉人か何かのように思っているのかもしれないが、父上は意外と普通の人間だよ。ちょっと信念が強くて、時の皇帝陛下に噛み付いたりはしたけどな」

 

 リューベルトとシンザは、同時に小さな声を上げて笑い出した。互いの祖父と父親が、国の頂といえる場で怒鳴り合いの大喧嘩をしたなんて、改めて考えるとなんだか可笑しくなった。

 

「偉人なら、ディーゼン陛下にこそ相応しい言葉だよ。この国どころか、この大陸の歴史や常識に挑まれたんだからな」

「私にとっては普通の優しい父だったよ。きっと自分の信念のために、常識に噛み付いたのだろうな」

「父上も、信じられないことだと言っていたよ、最初の頃は。でもアダン様を通じて、応援していた。国内だけでも変わったことを、本当に喜んでいた。賞賛していたよ。……だから両陛下の訃報が届いた時、体調を崩すほど衝撃を受けて……最悪の事態を想定して、俺たち三人を帝都へ送り出したんだ。本当は自分で行きたかったんだろうが」

 

 国防を考え、ダイルは自分の病気を国にまでも秘匿していた。弱った身体を見せないためにも、晩年は帝都に上がることは不可能になっていた。

 リューベルトを助けたのは、騎士として皇家に誓いを立てていたことだけが理由ではない。ディーゼン帝の御子に未来を期待したかったから——この国を元に戻さないでほしかったから。シンザはそう思っている。

 

「リュート……思い出話は終わりだ。この先をつくっていくのは、ディーゼン陛下でも父でもない。俺たちだろう?」

「……シンザ、私は……自分に何ができるのか、わからないんだ。何もできないのではないかとすら……思っている」

「そうだな、できないかもな」

 

 シンザは簡単に同調した。リューベルトの真剣な思いに対して、あまりにもあっさりと。

 

「今のお前は皇帝じゃないんだ。できることなんて、たかが知れてるさ。でも、一人じゃない。今日見ただろう。味方がいるんだよ。一緒に戦うだけじゃない、一緒に考える味方がな」

 

 今イゼルに集まっている五つの貴族家は、かけがえのないリューベルトの支えだ。名を捨て、何もない彼を、見返りなしに支えてくれる。


「気高き皇家の生まれだからといって、一人で背負って悩んで決める必要はない。俺や彼らを信じて、もっと……もっと、ちゃんと頼れよ。いいな?」


 なぜか急にシンザはイゼルの街へ顔を向けた。持ち上げた手で眉の辺りをさすり、その表情は窺えなくなったが、頬にも変な力が入っているように見えた。

 

「そなた……そんなに人を力づける言葉を吐いておいて、何を照れている?」

「は? 照れてなんかいない、別に」

「もしかして励ますことに慣れていないのか。ああそうか、あの二人の弟だと、励まされる立場だったか」

「勝手に分析をするんじゃない、弟が!」

 

 声を大きくしたところで、リューベルトは少しも怖くない。それどころか、図星だとわかって余計に笑えてくる。

 シンザは大人のようで子どもっぽいのだ。今やガレフにも比肩する豪胆で勇壮な騎士であるくせに、ことによっては小心者で照れ屋な一面を持っているのも知っている。リューベルトはもう四年も、シンザの弟をしているのだから。

 

「お前な……人がいいことを言ったあとに、吹き出すか、普通」

「あはは、……ああ、とてもうれしい言葉をもらったよ。本当にお前は良い『兄上』だ。ありがとう」

「……そういうところだよな。リュートには一生勝てないと思うのは」


 シンザはますます決まりが悪そうに顔をしかめる。

 その時、開けたままになっていた扉から、がやがやと明るい声が聞こえてきた。


「遅いじゃない、シンザ。みんなで来ちゃったわ。何よ、灯りのひとつもないじゃないの」

 

 ヴィオナを先頭に、エレリアやティノーラ、ターシャがバルコニーへ出てきた。後ろからメイドが進み出て、テーブルをさっと据え、ランタンを置き、ワインとグラスを並べる。


「……ここで夜会でもする気か、姉上」

「そうよ。簡易的な夜会。ちょっと涼しいけれど、こういうのもいいわ」


 リューベルトもシンザも、何か意見する間もなくワイングラスを掴まされていた。そこへヴィオナの侍女が、ガレフとノルドレンを案内してきた。

 まだ素面の男たちは顔を見合わせると、やれやれと肩をすくめつつも、赤いワインの注がれたグラス合わせて乾杯をした。

 

「まあ確かに、こういうのも悪くないな。主催のヴィオナはもう酔っているみたいだが」

「姉上は弱いくせに、どれだけ飲んでいたんだ」 

「ヴィオナ様なら、お持ちなのが二杯目よ」

 

 シンザの横にいたティノーラが、これも美味しいワインね、と言って、くっと傾けたグラスを空にした。勧められるままにメイドに注いでもらっているのはもう四杯目だというが、まだ顔色ひとつ変えていないし、ヴィオナの元へ向かうその足に危うさはない。

 考えてみればこれまで、ティノーラやターシャと酒席を囲んだことはなかった。婚約者が自分より酒に強いという事実を、シンザはここで初めて知った。


「人は見かけによらないな」

 

 リューベルトが妙に感心していると、そういえば初めてだったか、とノルドレンがシンザのことをおもしろそうに眺めていた。ヴィオナほど弱くはないが、大きな体格の割にはシンザも酒に強くないことを、親友も義弟も知っていた。

 

「ティノーラとターシャは、近頃ワインが気に入っているようなのです。いつかぶどうを育て、自分たちのワインを作ろうなどと野望を抱いています」

「リエフの新たな産業にするのか? 良さそうではないか」

「産業用のぶどう畑にできるような広大な土地は、リエフには余っておりませんので、二人の趣味程度になるでしょう。でも、そうですね、ターシャならそのような新事業を興せたかもしれませんね。残念なことです」

「ずいぶん……ターシャへの信頼は厚いのだな」

 

 はい、と微笑んだノルドレンが妹たちを目で追ったので、リューベルトもそちらを見やった。ティノーラとヴィオナが、エレリアとターシャに何ごとかを伝えられて、えーっ、と大声で盛り上がっているところだった。

 不思議なものだと、リューベルトは思った。彼自身もそうだが、ターシャは本来ならここにいる人間ではなかった。それがすっかり溶け込んで、初めは緊張から目も合わせられなかったガレフやヴィオナとも、こうしてワイングラスを合わせているのだから。

 イェルム領に埋もれようとしていたターシャを、雇用する形で引き取ったノルドレンの案は素晴らしかったと思う。彼女と周囲の表情がその証拠だ。


「リューベルト様はご覧になりましたか?」

「えっ……何をだ?」


 灯りから離れ、テーブルの端にいたリューベルトのもとへ、エレリアがやや高揚した様子で駆け寄ってきた。その頬はいつもより紅潮しているように見える。


「流れ星です! 今あの辺りを流れたのですよ」

「流れ星? 気がつかなかった」

「まあ、もったいないですわ。見られたのは、わたくしとターシャだけだったのかしら」


 その屈託のない笑顔はいつもより少女らしくて、帝都にいた頃を思い出させた。リミカも、ウィルドとイーリオも一緒に遊んでいた、あの頃を。

 ウィルドも十五歳になったが、父の支えには姉がいるので領地には帰らず、イーリオとともに帝都に残ることを選んだそうだ。アダンは次に帝都へ行った際、彼らにも真実を伝えると言っていた。

 空からリューベルトに移した目を、エレリアはいたずらっぽく細めた。


「それならば、願いが叶うのも、わたくしとターシャだけですわね」

「願いが……叶う?」

「ええ。流れ星を見た者は願いが叶うと、おとぎ話でありますでしょう?」

「そうなのか? 私が知っているのとは少し違うようだな。母には、物事が変わる予兆だと言われていた。良いほうにも悪いほうにも変わり得るから、良いほうに向かうよう努力なさいと言われたものだ」

「物事が、変わる……?」

「おいおいリュート、今のフェデルマの状況で聞くと、不気味に感じられる話だな」


 顔をしかめてみせたガレフは、メイドがテーブルに並べたばかりのチーズの焼き菓子に、手を伸ばしているところだった。ぱくりとひとつ口に放り込んだその手には、まだもうひとつ持っている。


「ああ、いや……まさか、国家規模の大きなことを指す話ではないだろう。知っているかもしれないが、母のウェイン家はロベーレにあった旧国の王家の末裔なんだ。きっとその国の伝承だったんだな」


 この言い伝えが表す物事の変化とは、流れ星を見た個人の変化が対象だと思われる。その個人の日常や内面の問題であって、国家が動くような、大きな出来事を示しているとは思えない。

 エレリアが言うおとぎ話と同程度、子ども向けの戒めを兼ねた言い伝えだ。リューベルトも忘れかけていたくらいで、本気にしているものでもない。


「言い伝えなんていくつあってもいいわよ。滅多に見られない流れ星、私も見たかったわ」


 がっかりして口を尖らせるヴィオナが、夜空を仰いだ。みんながつられて星々を見上げたが、それらは静かに美しく輝くのみである。


 日中から晩餐まで深刻な話し合いをしていた反動だろうか。即席の、それもバルコニーで開催された夜会は、その後も笑顔の溢れる楽しいものになった。普通の若者のように他愛もない話題で笑い合った。この一時だけは、のしかかる暗い影のことも忘れられた。

 生まれも立場も超えて、みんながひとつの環で結ばれているような気持ちになる。友情とか、友の絆とか呼ばれるものとは、こういうものなのだろうか。

 リューベルトはワインよりも、そちらに酔った。なんと心地良い。すべてがこのままであれば良いのに。これからもずっと、このまま何も変わらずに——あってくれれば良いのに。


 やがてワインの瓶も菓子の皿もすべて空になり、そろそろ引き上げようと、テーブルにほとんどのグラスが戻された頃。


「ねえシンザ。思ったのだけれど、そろそろ婚約を発表したらどう?」


 結局二杯しか飲んでいないのに、すっかり頬が赤くなっているヴィオナが、シンザに向かって人差し指を軽く振った。


「えっ、でも、大丈夫か……?」

「もう大丈夫よ。私が午餐会にエレリア様とティノーラを招待したこと、誰も不思議に思っていなかったもの。充分ほとぼりは冷めているわ。ねえお兄様」

「そうだな。キュベリー家への圧力もやっと外れたんだし、もうリエフ家とグレッドが深く繋がっても問題ないな。あとはノルドレンが認めるかだ」

 

 ガレフがにやりとすると、ノルドレンも同じように笑った。

 

「認めますよ。恩あるグレッド家なのですから。シンザが義弟になるのも悪くありません」

「そうかそうか、良かったなあ、シンザ」

「リエフ家は上り調子で注目株の伯爵家でしょう? ティノーラに他の良いお話が来てしまったら、ノルドレンたちも断る理由付けが大変だものね。早くしましょうね、シンザ」

 

 三人がかりでからかわれ、シンザの顔がみるみる真っ赤になっていく。婚約を正式なものにできることはうれしいのに、素直に喜べない。

 

「お、俺のことばかり言ってる場合かよ。順番的には、兄上と姉上のほうが急ぐべきだろう!?」

「なっ……余計な話はいいのよ!」

 

 にこにことしていたヴィオナは、弟から思わぬ反撃に遭い、思い切り眉間にしわを寄せた。

 

「じ、順番と言うならお兄様でしょう!」

「いやあ、俺は今は結婚する気にはなれないな。情勢が不安定すぎて、家庭を顧みる余裕まではないよ。父上も母上と結婚したのは三十の頃だしな、まだしばらくはいいよ」

「もうっ、呑気ね、当主なのに」

「……だけど、シンザの言う通りだな。ヴィオナはそろそろ本気で考えろよ? 何度も話はあったのに、全部のらりくらりと躱してきただろう」

 

 兄の話に、シンザは少し驚いていた。過去に姉へ縁談が持ち込まれていたとは、一度も知らされていなかったのだ。

 この国では見目に限らず、騎士としての腕前や精神もその人の美しさとなる。シンザの目にはいつまでも男勝りな姉でしかないが、ヴィオナは妙齢の麗人なのだ。おまけにこの家のひとり娘である彼女に、縁談が来ないほうが不思議だったのだ。

 ヴィオナは声を立てて笑って、この話を早めに流そうとした。バルコニーの柵に背中を預けている兄も、多少酒がまわっての発言だろうと思っていた。

 でもガレフの表情は、今の話は本心からのことだと語っていた。途端にすっと酔いが醒めたように、ヴィオナは笑顔を作れず棒立ちになった。置こうとしていた空のグラスを両手でぎゅっと掴んでいる。

 

「兄としてはな、心配しているんだよ。父上からも頼まれた、大事な妹と弟なんだからな。お前たちには幸せになってもらわないと」

「や、やめてよ。お兄様だって婚約の話が来るのを避けているくせに……私もまだいいわよ。お父様だって、早く嫁げとは言わなかったわ」

「まあな。俺だって、妹がそばからいなくなるのを寂しく感じないわけではないよ。でもそれより、少しでも安全なところへ嫁いで、末永く元気でいてほしいと思うのが、父親や兄の本音なんだよ。ノルドレンだって、ティノーラは早く国境線から離れさせたいと、願ったことはあるだろう?」

 

 話を振られたノルドレンは、テーブルの向こうに立っているティノーラの顔を見た。彼女は少し戸惑った様子で、兄を見返している。

 

「ええ……そうですね。でも他ならぬティノーラ本人の望みですから、国境(グレッド)家に嫁ぐことに、私は反対はしませんよ」

「——そう! そうよ、私もなの! 私もまだ、生まれついた国境(ここ)にいることが望みなの。自分の結婚よりも、ここでフェデルマを守りたいのよ!」


 ティノーラが弾かれたように、熱弁を振るうヴィオナを見つめた。その顔からは戸惑いが去り、たった今はっきりと覚醒したかのように、大きく目を見開いている。

 その様子を見ていたノルドレンが、あっと声を漏らした。


「ヴィオナ様っ、すみません、それ以上は」

「貴族の娘が嫁ぐということは、実質的に騎士は引退になるでしょう? 本当に平和になるまでは、まだ嫌よ。どこだって安全といえるようになったら、結婚も、騎士の引退もするわ。子どもだって平和な時代に産んであげたいと思うしね」


 ノルドレンが引き止める声には気がつかなかった。ヴィオナは兄を説き伏せることしか考えていなかったのだ。

 ガレフが肩を下げ、小さく首を振った。


「無理をしてでも急げと言う気はないが、いつになるんだ、それは——」

「同感です! ヴィオナ様!」

 

 ティノーラの声がバルコニーに響く。

 ヴィオナとガレフが、えっと驚いて声のほうを振り向くと、そこには決意に満ちた表情で拳を胸に置くティノーラの姿があった。

 

「私もそれがいいと思います! 平和で安全になってから結婚して、子どもには安心して産まれてきてほしいです!」

「……えっ……ちょっと……待って、ティノーラはいいのよ。ぜひグレッドに来てちょうだい、ね?」

「はい! 平和になったら!」


 そうじゃないわ、とヴィオナが弁解するも、ティノーラは一人晴れ晴れとしている。心がすっきりと決まった人間の顔だ。

 エレリアやターシャがヴィオナを手助けしようとするが、ティノーラには通じていない。

 ノルドレンが片手で顔半分を覆ってため息をつく。

 リューベルトがシンザを見ると、土色の目からは表情が無くなっていた。

 

「あー……悪かった。本当に悪かった……シンザ」

 

 ガレフに謝られても、シンザは固まったように動かない。

 せっかく婚約が正式なものになっても、あのティノーラの様子では実際に実るのはいつになるのか……それを思うと不憫になるが、リューベルトはなぜかその騒ぎの中、何かに呼ばれたように天空を振り仰いだ。


 彼の上にある星々の間から、白く輝く細い線がさっと引かれて消えた。

 

 闇を割いた流れ星はあまりに儚く、声を上げる暇もなかった。リューベルトはみんなを見回したが、誰も見ていなかったようだ。彼が今のこの喧騒に加わっていないことにさえ、気づかれていない。

 リューベルトはもう一度夜空を見上げた。

 そして星が流れた軌跡を辿った。

 南寄りの西の空。その果ての星の下には——


「リミカ……、ルイガン……」


 フェデルマ帝都がある。

 

 

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