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炎国の騎士と北の夜明け  作者: 紘麻 涼海
第七章 内乱時代
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一、風が運ぶもの

 レストランの厨房では、料理長が中心となって準備が進んでいた。料理人たちはいつも通り真剣に仕事をするのみだが、給仕係たちはテーブルを整えながら多少そわそわしていた。

 下級貴族の街区という立地上、普段から貴族の客を相手にしているとはいえ、名高い侯爵家の令嬢が開く午餐会会場に選ばれたのは初めてだったのだ。

 

「本当にたくさんの方がお集まりになるのですね」

 

 受け取った招待客名簿に目を通していたレマが、感心のため息つく。実にたくさんの貴族令嬢の名前が連なっていた。

 

「それはそうよ! ヴィオナ様が開く午餐会だもの。招待状をいただいて断る人なんていないわ」

 

 なぜかティノーラが得意げに胸を張る。

 ここは帝都においてリエフ家が乳製品を卸す、ただひとつのレストランである。ティノーラと経営者兄弟とは、時折彼らがノルドレンと打ち合わせをする時に、同席したことがあるので充分に顔見知りである。今回このレストランがヴィオナの午餐会を承ったということで、招待客の一人でもあるティノーラは、午前のうちに一度様子を見にやってきたのだった。


「リエフのチーズも出してもらう予定よ」

 

 飾り付けの監修などをしていたヴィオナは、料理長への最終確認も済ませ、身支度をするために屋敷へ帰るところだった。

 

「色々な立場の家の方を招いているから、もしかしたら少しぎくしゃくする場面もあるかもしれないわね。そのあたりは私が緩衝役をするつもりだけれど、ティノーラもさり気なく聞き取りをお願いね」

「はい! お役に立てるようにがんばります」


 ティノーラは息巻くが、実のところ彼女は十八歳という年齢の割に、社交の場の経験がかなり少ない。リエフ領の発展が認知され疎外されることがなくなった頃には、帝都から領地に帰ってしまったからだ。

 それでもこのヴィオナの午餐会では、しっかりと役割を果たすつもりでいた。子どもの頃から社交に慣れているエレリアにだって負けないくらいに。


 穏やかだった帝国に風が吹き始めた——ガレフやノルドレンがそう感じ取っていた。それは国土に影を落とす雲をも運んでいるのだろうか。

 それを知るために他領の様子を探る。それがこの会の本当の目的である。






 きっかけは夏にノルドレンへ届いた書状だった。

 リエフ領は、ディーゼン帝の時から継続して、国からの開拓資金援助を受けている。それを来年から打ち切るという通達書だった。

 酪農業が軌道に乗ってきた数年前から、リエフ家は援助額の一部を返納している。今年はそれほどの額を受け取っていないが、これはあまりにも突然で一方的な通達だった。

 話を聞いたシンザも、それはおかしいと首をひねった。


「私が毎年返納額を増やしていたから、もう不要と判断されたのかもしれないが」

「だからって、通達で終わりにするか? せめてノルドを城へ呼び出してでも、直接話し合って決定することだろう」


 リエフ家はグレッド家から受けていた個人的援助も、すでに遠慮している。一切の援助がなくなることをシンザは心配したが、ノルドレンは大丈夫だと笑った。実際のところ、リエフ領の黒字はほぼ安定してきた。国の援助を切られてもやっていけるだろうが。


「もしも、だ。これがリエフ家への個人攻撃の始まりだとしたらどうだ? 私はそれが不気味なんだ。グレッド家には何もないか」

「援助は受けていないが……これといって何かの通達も来ていないと思うぞ」

「それならば、リュート様に関わる何かを掴まれたわけではないようだな……。実はまさかと思って少し肝を冷やしていたんだよ。だがそうなると次に気になるのは、これはリエフだけなのかということだ」

「そうだな……もし他の領への援助も打ち切っているのなら」


 国家つまりルイガンらは、ディーゼン帝の政策を覆し始めた、ということかもしれない。

 シンザがイゼルに戻ると、この件を聞いたガレフも懸念を示した。ザディーノの政情不安が確認されているので、結びつけて考えることもできるからだ。他領のことも知りたいが、一方的な通達が個々になされているのでは、自領の金銭的なことは大っぴらにする話でもないのだから、各当主に直接聞く以外に知る方法がない。


「あんまり探って回るわけにもいかないよな。帝都で夜会でも開いてみるか……?」


 社交の場なら、何人もの当主と自然に情報交換ができる。特にグレッド家は政治から離れているので、旧派や新派の垣根なく人を集めることもできる。広い範囲の情報をまとめて得られるかもしれない。


「そうね、良い案なのだけれど……ガレフには少し難しいかもしれないわね」


 そう水を差したのはナリーだった。

 ガレフは侯爵として、それなりに社交もこなしている。ただ、子どもの頃から生活拠点が領地だったので、帝都に暮らす貴族と比べると踏んできた場数は多くない。


「母上。確かに俺はまだ、代替わりした家の人の顔も覚え切っていないし、父上ほどうまくできない自覚はあるけど、このくらいは聞き出してみせるよ」

「違うわ。ガレフの力量を疑っているのではないの。そうではなくて、あなたはここ一年、夜会を催していなかったでしょう」

「ん? ああ……今年の春はザディーノのことがあるから、すぐに帰ってきたしなあ」

「今のあなたが夜会を開けば、妙齢のお嬢様がおられるご当主方にとっては、勘違いの元になるわ。まともに情報収集ができるかしら」


 母に呆れられたガレフは、開いた口を閉じるのも忘れて、妹や弟へと目をやった。二人とも彼と同じように、母の意見に虚を突かれた顔で突っ立っていた。

 ガレフもヴィオナも、未だ結婚を決めていない。シンザはティノーラと婚約しているが、公表を控えている状態である。従って表向きには、揃って婚約者のいない名家の三人兄弟なのだ。

 二、三年くらい前までは、ぜひ娘に会ってほしいと言われる程度だったが、現在のガレフは結婚適齢期といえる。ついに相手を探し始めたと思われかねない。時代の政権に左右されない名家との婚姻は、貴族家当主にとっては望ましいものだ。招待客から本気で娘を売り込まれるかもしれない。


「ああ、なるほど……。そんな話ばかりされたら情報どころか……うん、面倒だな。やめておくか……」

「い、いいわよ、お兄様! 私が帝都でお茶会でも午餐会でも開くわ。ご令嬢方からでも結構情報は得られるんだから」


 ヴィオナも折に触れて帝都滞在中に、娘同士の交流の場を持っていた。ティノーラが帝都に住まわされていた二年間だけは、リューベルトやザディーノの侵攻のこともあり取り止めていたが、その後からは再開している。

 ガレフは妹の情報網を頼ることにしたのだった。

 





 午餐会での情報収集を終えたヴィオナやティノーラが、イゼルへ帰ってくる日に合わせ、ノルドレンはイゼル城を訪問することになっていた。ガレフが話し合いをしたいそうだ。


「ノルドレン様、本当に私も同行してよろしいのですか?」

「遠慮する必要はない、ターシャ。母上も行くのだし、エレリア様もいらっしゃるのだから」

 

 エリガに来て以来、秘密を共有しているターシャだが、今後についての話し合いにまで踏み入って良いのか、少し戸惑っていた。

 支度を終えて階段を下りてきたユリアンネが、ターシャの背中にそっと手を添える。

 

「さあ行きましょう。ノルドレンはデューに乗っていくの?」

「そうするよ。厩務員が言うには、最近放っておかれていると思って、拗ねているらしいんだ」

 

 外へ出ると、馬車の隣には艷のある黒鹿毛の馬が、使い込まれた鞍を乗せて待っていた。ノルドレンが慈しむようにその馬の頬を両手で包む。

 

「悪かったな、デュー。また乗せてくれ」

 

 その時ターシャは、馬にも表情があるということを、はっきりと感じ取った。目を細めてノルドレンに鼻をすり寄せる黒馬は、確かにうれしそうな顔をしていた。

 息子が愛馬にじゃれつかれている様子に、くすりと笑ったユリアンネは、目を丸くしていたターシャに教えてくれた。

 

「ノルドレンとデューはね、普通の人間と馬の関係よりも絆が強いのよ。あの子を本当に乗せられるのは、デューだけだから」

「どういうことですか……?」

「ノルドレンは少し変わった騎士でしょう?」

 

 両手に剣を持ったノルドレンが騎乗する時には、手綱を持つことができない。下半身の筋力と体幹だけで鞍に身体を固定しつつ、手綱以外で馬に指示も出さなくてはならないのだ。

 ノルドレンが膝や踵、つま先で出す指示を、デューだけが正確に読み取り、実行できるのだという。

 

「すごい……。一心同体……なのですね」

「ふふ、まさにそうね。日常の訓練でも、デューはノルドレン以外の人間は乗せてくれないほどなのよ」

 

 ターシャが足を踏み込んだ馬車の向こう側では、まだデューから熱く歓迎されているノルドレンが、困ったように、でもとても楽しそうに笑っている。伯爵家当主としての立ち居振る舞いを忘れた、まるで平民の青年のようなあんな笑顔は、初めて見た。

 ターシャは急いで目をそらして椅子に座った。胸の奥が騒がしくて、少し体温が高くなったような感覚だった。

 





 昼下がり、馬車がイゼルへ向けて動き出してからしばらくした頃。雑談を楽しんでいたユリアンネは、ふとターシャのドレスから露出している、か細い腕や首元に目を留めた。

 

「ターシャは、宝飾品の類はつけないのね」

「えっ……あ……、もしかして……つけていないと失礼に当たりますか」

 

 話し合いの場にはもちろん、侯爵家当主ガレフや、リューベルトもいる。遊びに行くのではないのだから、女性としてはそれがマナーなのかもしれないと思い、ターシャは慌てた。

 

「いいえ。髪を結い上げるような公式の場でなければ、何もつけていなくても問題ないわよ」

「よ、良かった……私、持っていないので……」

 

 ターシャは胸を撫で下ろしたが、ユリアンネは肩を少しすくめてみせた。

 

「そう……やはり購入していないのね。給金が足りないかしら」

「い、いいえ、いいえ! ち、違います、そんな!」

 

 ユリアンネが浮かべた苦笑に、ターシャは懸命に否定した。

 

「わ、私は平民ですから……その、ティノーラと違って、身を飾る必要のある場面もありませんし……」

 

 それよりも他の欲しいものを購入しているのです、と必死に弁明するターシャを見て、ユリアンネはますます苦笑した。

 

「ごめんなさい。私ったら意地悪な切り出し方をしてしまったわね。欲しくもないのに買いなさいと言っているのではないのよ。ただね……もしあなたが構わなければ、私が最初の宝石を贈りたいなと、そう思っていたの」

「そん……そんな、ユリアンネ様」

 

 フェデルマでは、成人するまで宝石類を身に着けない。初代皇帝が娘に対して、この荒れた世にあって子どもが贅沢に着飾るものではない、と諭していたことに由来しているので、どんな身分の生まれでもこの習慣は自発的に守っている。

 貴族では成人の祝いに、母親が最初の宝石を贈ることが多いが、平民の場合はそれも裕福な家庭に限る。大抵は自分で貯めたお金で初めての大きな買い物をするか、夫となる男性から贈られるものが最初となり、どちらにしても二重の意味で特別な宝石となるのだ。

 ユリアンネは、ターシャの母の代わりになろうと出しゃばっているのではない。手薄だったリエフ領の孤児院整備に尽力し、ティノーラの良き親友でいてくれる彼女に、感謝を表したいのだ。でももし平民として結婚相手からいただくのを待っていたいのならば、ありがた迷惑になってしまう。

 

「いえ……私はきっと……結婚はしませんし……」

「あら、ターシャは素敵な女性なのに、今からそんなことを言ってはもったいないわ。でもそれを待っているのではないのなら、今度のお誕生日に一緒に選びましょうね。楽しみだわ、何色の石がいいかしら」

「ユ、ユリアンネ様……」

 

 両親もなく、身体の弱さから結婚も諦めているターシャは、誰かに宝飾品を贈られるなんて夢にも思っていなかった。

 買い物の約束を楽しみに笑うユリアンネは、伯爵まで務めた女性なのに、なんだか少女のようだった。その不意の無邪気さが先程のノルドレンを思い起こさせ、ターシャはまた身体がほんの少し火照るのを感じていた。

 

 

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