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炎国の騎士と北の夜明け  作者: 紘麻 涼海
第六章 仕える者
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五、静けさの裏側

 フェデルマを頼む——

 ベネレスト・グランエイドというお方らしい最期の言葉だった。彼は最期の一瞬までフェデルマ帝国皇帝であった。

 永遠に続いてくれればとロニーが願ったベネレストの御代は、たった十年で幕を下ろした。

 ロニーはこれからの身の振り方を、少しも考えていなかった。バイディーが盛り立てたルイガン家の今後のことも、どうでもよかった。


 第五代皇帝に即位したディーゼンは、ダイル・グレッドに宰相就任を要請した。ベネレストと袂を分かった男をわざわざ呼び寄せようとするとは、父親への反抗のつもりだろうか。

 国境を離れられないダイルは、旧知の友であるアダン・キュベリーを推薦し、結局彼が採用された。

 ニ公を置くつもりのディーゼンは、抜け殻のようになっていたロニーに宰相の続投を打診してきた。

 

「私は城へ来てまだ一年で、国政や人間関係に明るいとはいえない。中心にいたそなたが支えてくれると心強い」


 ベネレストとまったく違う方向に国の舵を切るつもりのくせに、ロニーに残れというのか。どれだけロニーがベネレストの方針に同調していたか、ディーゼンがわかっていないとは考えられない。

 どういうつもりかと煩わしく思ったが、少しだけディーゼンの立場になって考えれば、一人で宰相をやり遂げたロニーを懐に取り込むのは、確かに得策だと思い至った。政治に携わる家臣はベネレストの忠臣ばかり。味方がアダン一人では、皇帝といえど、国の進行方向を急転換するのは困難だろう。


 ディーゼンの宰相にやりがいを感じることはできなかった。ルイガン家のために受けるべきだと母に説得される中、ベネレストの遺言を思い出した。

 真の皇帝から最期に託されたフェデルマのために、宰相を続けることにした。

 

 予期した通り、ディーゼンがロニーに期待するのは、これまでの継続を望む家臣との仲立ちだった。根回しに来たロニーに対して彼らは、なぜベネレスト様の路線を継がぬのかと逆に問いただした。

 フェデルマ周辺にあった小国は、バーリン家が領主となった北東地域で併合し終えていた。これ以上帝国を広げるとなると、ついにネウルスなどの大きな国の国土に手を出すことになる。ベネレストでさえもしばらくは様子見にするとしていた。今は新皇帝ディーゼンの意向通り、国力を高める時とするのも悪くない策ではないか。

 ロニーには「旧派」の説得も難しくはなかった。


 皇帝が国を大きく変革しようとするのだから、人と人の間に摩擦が起きるのは必然だ。それをできるだけ小さく抑え、とにかくフェデルマが傾かないように、ロニーは素早く賢く立ち回った。それがベネレストの遺言を守ることだと信じて。

 隣国と友好を結ぼうなどと、この大陸で甘すぎる理想は、さすがのディーゼンもいずれ諦めると軽視していた。反対する家臣たちに強硬な態度で挑んでいたが、無謀を悟るのは時間の問題。家臣に押し負けた皇帝では貫録に欠けてしまうが、前線に行かせなければ士気にも関わるまい。

 ディーゼンの政策で国力が上がった頃には、騎士団にも東の三国のどこかの領土を削り取る体力も整うだろう。

 その程度に、ディーゼンを侮っていた。

 予測が大きく外れた原因は、ロニーが交流を持とうとしたこともない一般の民の反応だった。ディーゼンの施策は、民に大歓迎されたのだ。強きフェデルマの末端を支えるはずの一般騎士の家族でさえも、夫や息子が戦場に行かず、ともに暮らせることを喜んでいた。

 二年、三年と経つうちに民の生活水準は上がり、小さな反乱さえ起きず、帝国史で類を見ない静かで平穏な時代に入っていた。ディーゼンは歴代五人の皇帝の中で、もっとも民から支持され、愛される皇帝となっていく。

 こうなると領主たちにも、はっきりと皇帝を支持する者が増えてくる。城内でもディーゼンとアダンにつく「新派」の勢いが増してくる。

 他国を圧倒するはずのフェデルマが、強さよりも平和と友好を目指す。その方針は固まってしまいつつあった。旧派は徐々に発言力を弱めていく。

 

 もうひとつの予想外が、アダン・キュベリーという存在だ。

 彼が国政に関わるのは初めてであったため、その手腕をロニーは疑っていた。だが彼は充分に優秀な男だった。皇帝とともに着実に味方を増やしていった彼は、日和見の者どもも取り込んでいた。

 さらにディーゼンと年齢がほぼ同じで、仕事の合間には個人的に食事をともにするほど親しくなっていった。ガリアデルやベネレストだけでなく、これまでの皇家の人間では考えられないことだった。

 そしてアダンには、皇太子と同じ年の娘がいた。

 温かさの欠片もない家庭しか知らないロニーは、いずれ優れた養子でも取れば良いと、自分で家族を作る気がなかった。だから、想像できなかったのだ。

 リューベルトとエレリアが小さな愛情を育て、二年後に婚約を決めるとは。

 これでは、ますます皇家とキュベリー家の結びつきが強くなる。新派の勢いがさらに強まってしまう。

 フェデルマの変容が止められなくなる。ベネレストの帝国に戻らなくなってしまう——

 ロニーの心は追い詰められていた。





 

「そなたが父君に付いて政治を学び始めたのは、リューベルトくらいの年齢だったと聞いたのだが、そうなのか?」

「え……ええ、そうです。十三になる年でした」

「以前リューベルトを連れて行った視察では、実は国の良いところばかりを見せてきたのだ。まずはこの国を好きになってほしくてな。そろそろ国政を含めて現実を見せていく頃だろうか」


 ディーゼンはロニーとも気軽に話す。それ以上の付き合いにならないのは、ロニーのほうに君主と馴れ馴れしくする考えがないからだ。

 

「何があの子のために良いのか、親として手探りの状態なのだよ。私は先帝に直接何かを教わった覚えがなくてね。こういう時も参考に思い返すのは、グランエイドではなくウェイン家だ」


 何を言っているのだろうと思った。ベネレストの直系である、それだけで誇らしいではないか。ロニーは腹立たしくなり、いつもの平静な微笑み方をしてみせる気にもならなかった。


「そなた……ここのところ元気がないな。疲れているのか」

「い、いいえ——」

「そなたは若いが、私やキュベリーよりも政治経験が豊富だからな、つい頼ってしまう。負担をかけてしまっているだろう。良ければ、そなたの好きな者を補佐につけるぞ」

「いいえ……お心遣い痛み入ります。ですが、私は大丈夫ですので……。ただ本日は、これで下がらせていただきます、陛下」


 疲労や身体への負担など、どうということはない。

 顔色が冴えないと見えたのなら、その元凶は他でもないディーゼン本人だ。

 

 ——何をしてきたのだろう、私は……

 

 常識破りのはみ出し者が国を壊してしまうのを、防いでいるつもりでいた。失敗して諦めるまでの辛抱だと思っていた。

 実際には、彼の政策の成功を手助けしただけになっていた。ディーゼンの目標である隣国との和平は進んでいないが、内政は順調だ。

 

 ——ベネレスト陛下……

 

 あのお方のフェデルマ帝国は、もうすぐ跡形もなく消えてしまう。託されたのに、守ると決めていたのに、見知らぬ国に変えられてしまう。あのディーゼンという皇帝に。

 

「大丈夫か? 具合が悪いのか、ルイガン?」

 

 突然声をかけられ、少しドクンとした。

 目の前には、知るはずのない少年姿のベネレストが立っていた。——いいや、そうではなかった。現在の皇太子が心配そうに覗き込んできていた。

 ロニーは本当に驚いていた。城内でも日常の行動範囲が異なるので、こんなに近くで彼を見たのは久しぶりだった。大人に近付いているリューベルトは、よりはっきりと、祖父の容貌を引き継いでいたのだ。

 

「医師をお呼びしましょうか、ルイガン卿」


 皇太子の侍従イルゴの声に、ロニーは我に返った。


「失礼いたしました、殿下。少々考え事をしておりましただけですので、ご心配にはおよびません」

「そうか? それならば良いが……。少し、怖い顔をしていたぞ、ルイガン」


 リューベルトは、わずかに苦笑を浮かべた。


 ベネレストが少年のロニーを気遣ってくれた遠い日、心の底に抱えるものが似ていると知ったあの日に、一度だけ見せた表情。

 ロニーの目にはあの面影が重なって見えた。

 

 ——陛下だ……


 それは、ふいに、心に浮かび上がった。

 リューベルトが面影以上に、ベネレストの思想までも引き継いでくれたなら……真の皇帝陛下が、この世界に蘇るのではないか——

 突飛すぎる発想だと、自覚がなかったわけではない。それでも、行き先を見失い、失意の中にあったロニーは、その発想の虜になった。

 リューベルトに知ってもらうのだ。本当のフェデルマ帝国を。それを率いた彼の祖父のことを。もっともそばでお仕えしたロニーが、歪めることなく正しく教えるのだ。そしてこの国をあるべき姿に戻し、ともに守っていけたなら。この夢を叶えられるのなら……

 実現するためには、どう動けば良いだろうか……






 その日のその場には、アダンも同席していた。


「リューベルトにも、そろそろ国政を教えることにしたよ。内定とはいえ婚約もしたのだから、少しは大人扱いをしてやろう」

 

 ディーゼンがにっと笑い、アダンも微笑した。子どもたちの未来の幸せでも思っていたのか。

 

「まずは、北部や東部の戦場跡を見せようかと思っている」

「北部と東部ですか。あちらは特に、荒れたまま放置された土地が多いですからね」

「ああ。多すぎてまだまだ手が回らないからな」

 

 二人の会話を聞き流しながら、ロニーは内心で焦りを覚えていた。

 なんてことだ……このままではリューベルトが、ディーゼンの異端な思想を刷り込まれ、すっかり染められてしまう。できるだけ早々にこの二人から引き離さなくてはならないと、頭を悩ませていたところだったのに。これほどすぐに、事が差し迫るとは……

 

「どこの地を候補になさっているのですか」

「まだ検討中だが、ニーザ辺りを考えている」


 そもそもディーゼンがいなければ、ベネレストの次代がリューベルトであれば、何にも妨げられることなく、ロニーがフェデルマの在り方を彼に教えることができたのに。

 

「ニーザですか。最後に武力衝突があったところですね」

「それから五年、何も起きていない。私も一度行かなくてはと思っていたのだ」

 

 ディーゼン……煩わしいだけでなく、ロニーの邪魔ばかりをしてくる存在。

 

「最初から過酷な景色を見せて、衝撃を受け過ぎても可哀想だからな……ケイルトンやスリダには、とても連れていけない」

「……粛清の地……ですか」

 

 思考を巡らせていたロニーが、急に現実に引き戻された。

 ケイルトン。スリダ。即位直後のベネレストが、内乱を抑え込むために粛清を決行した地である。

 

「自分の祖父が大量虐殺をした現場など……いつ連れていけば良いものか」

「あの当時なりの理由は……ございましたでしょう」

「キュベリー……虐殺を容認する理由など、いつの時代にもあってはならない。リューベルトにも史実として、すでに講師が教えてはいるだろうが、実際に現地を訪れるのは、私とて恐ろしい」

 

 ——あれは、必要なことだった。国のために、弱き民のために、ガリアデルが無責任に遺した負の連鎖を断ち切るために、ベネレストが決意し、御自ら先頭に立たれた作戦だったのだ。

 ……それを。

 

 ロニーの中で、何かの糸が切れた。

 偶然帝位を継いだ異端者が、フェデルマの価値を捻じ曲げた挙句、ベネレストを侮辱している。彼の功労を恥とし、虐殺と切り捨てた。

 ——到底赦せることではない。

 そうだ……同じことを言ったダイルも嫌いだった。

 いいや、違う……ディーゼンのことは初めから嫌いだった。ベネレストに反発した過去も、城に戻ってきてからの我流を押し通す態度も、そのくせ父親の内心を理解しているような口ぶりも。

 この世の誰よりも——バイディーよりも、この男のほうに憎悪を覚える。

 なぜ自分は仕えているのだろうか。五年間も利用され、手助けをしてしまった自分が呪わらしい。

 一刻も早く、この状況を打開せねば……国を取り戻さねば。できることなら、ベネレストの代行者として、リューベルトに皇帝の座に就いてもらうのだ。

 邪魔者は……早く死んでしまえばいい。

 天が助けてくれないことは、もう知っている。だから、この手で——

 

 

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