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炎国の騎士と北の夜明け  作者: 紘麻 涼海
第六章 仕える者
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四、血筋

 ベネレストには兄弟がいない。ガリアデルには公爵となった弟がいたが、子に恵まれないまま亡くなり、断絶していた。グランエイドを名乗れる初代皇帝の直系男子は、ベネレストの他には二人の皇子しかいなかった。

 それが——同時の戦死。

 城内は激しく動揺した。皇子たちの急逝を悼む余裕さえもなかった。

 どうにか皇家の血統を存続させるためには、ガリアデルより前の第二代皇帝にまで遡って、降嫁した二人の妹皇女の血筋などを辿る以外になかった。そうすると皮肉なことに、何人もの人間が候補となってしまう。

 その中から皇太子を立てるとなると、極めて困難だった。公爵でもない、すでに皇家の姻族扱いもされていない中から、誰もが異を唱えず納得して選ばれる人物などいるはずがない。権力闘争や内部分裂は不可避と思われ、皇家の尊厳も失われかねない。


 突然の窮地に、ロニーは青ざめ、頭を抱えるばかりだった。なぜ皇子二人を戦地へ行かせてしまったのか、どれほど後悔したところで、もう遅い。


「陛下……ディーゼン様にお戻りいただく他には、この困難を乗り越えるすべは、おそらくございませんでしょう。名目上ディーゼン様は、グランエイド家を離脱なさってはいません。男児もお一人もうけておられるとのことでありますし——」


 古参の家臣がそう進言した。ベネレストは黙って眉間のしわを深くしていた。


 ——ディーゼン様……。陛下のご長男……


 かつて城を出ていったベネレストの長男のことは、誰も口にしないが、ある程度の年齢以上の者ならば誰もが承知している。若いロニーは父から聞いただけだが、その存在は認識していた。

 ディーゼンならば血筋としては正当であり、異論が出たとしても抑えられる程度だろう。しかし彼は、実の父や祖父と考え方が相容れず、皇太子の座を自ら棄てた人物のはずだ。ベネレストは認めるのだろうか。


「……仕方なかろう。……ロベーレへ遣いを出せ」


 親子の対立感情よりも、ベネレストは国家を優先した。今のフェデルマには、帝位を継承できる人間がどうしても必要だったのだ。






 ディーゼン・グランエイドは、実に十五年振りに帝都城へ戻ってきた。十六歳だった彼は三十一歳となり、三人の家族を伴っていた。


「お久しぶりですね、陛下(・・)

「……よく戻った」

「戻りたくなどありませんでしたよ。でもあなたの使者が、それはそれは執念深かったので」


 実の親子の再会とは思えぬ、笑顔のない入城挨拶だった。

 小さな皇女はいやいやと首を振って母親にしがみつき、一切顔を見せない。代々ロベーレの管理を担い、社交界にもほとんど現れない子爵家の娘で、皇太子妃に特例で承認されたレスカは、そんなリミカを抱いたまま、非礼を詫びつつ挨拶を済ませた。

 異様な空気が漂う式典の中、並んでその様子を見守る家臣たちが一番注目したのは、ディーゼンの脇に不安げな顔で立つ、七歳の少年であったろう。

 思わずロニーも、彼と主君をこっそりと見比べてしまったほどだ。


「リューベルトと申します。……ええと……よ、よろしくお願いいたします……皇帝陛下」


 その身も声も震えるほど気後れし、小さな声で短く挨拶の言葉を述べた少年は、ロニーは見たことのないベネレストの幼少期を、写し取ったような面立ちの持ち主だったのだ。

 ディーゼンのほうから手短に切り上げたこの挨拶以降、皇帝と皇太子が同じ空間にいる場面を見られたことは、ほとんどない。接触を避けていたのは互いに同じだったと、ロニーには感じられた。


 一家を迎え入れた城内では、すぐさま変化が起こった。

 ディーゼンは廊下を磨くメイドにも「おはよう」と気さくに声をかける。最初は戸惑ったメイドたちも数日も経つと、皇家の方相手に笑顔で挨拶を交わすようになっていった。

 ディーゼンが未成年だった頃から城にいる者たちは、気軽に雑談をするような元通りの仲に、あっという間に巻き戻った。

 レスカは充分な教養を備えていたが、皇太子妃としての教育を真正直に受けていた。

 初めこそ、ほとんど見かけたこともなかった彼女に対して、城に出入りする貴族家の夫人たちは警戒心を抱いていた。けれど謙虚で朗らかなレスカは、その人柄が知られるに連れ、嫌われるどころか好まれることが多かった。突如表舞台に現れ、皇太子妃の座に収まったというのに、妬みを受けたのは最初の少しの間だけで、社交界にも受け入れられていった。


 そんな中でも一番空気の色を変えたのは、二人の子どもたちだ。

 元気に動き回る子どもを城内に抱えるのは、久しぶりのことだった。リミカにいたっては、実に初代皇帝の娘以来の皇女である。くるくると表情を変える二歳のリミカは何をしていても騒がしく、使用人たちを日々巻き込んでいった。

 七歳のリューベルトには早速皇子教育が始まったが、根を詰め過ぎていけないと、ディーゼンが毎日程々のところで迎えに行った。そこから兄妹で遊ぶ姿は愛らしく、大人たちをつい微笑ませてしまった。

 ある日城を走り回るリミカが、ベネレストと廊下で出くわしてしまったことがあった。祖父と目が合った彼女は、顔いっぱいに驚きと恐れを表した。


「やあーーーっ!」

「ひ、姫様!」


 悲鳴を上げながら来た道を逃げ帰るリミカを、侍女が慌てて追っていった。もう一人の侍女は、当時はまだ侍女頭ではないレナイだった。彼女はベネレストに対して、申し訳ございませんと、深く深く頭を下げた。


「……よい。傷の残るような怪我はさせぬようにな」


 ベネレストはレナイにそう言い置くと、再び静かな足取りで歩き始めた。


 妻と子どもたちはロベーレ以外をほとんど知らないのだと、ディーゼンは一家揃って様々な地域に視察へ出かけてしまうことがあった。

 ベネレストはそのことについて咎めはしなかった。皇子は次の皇太子なのだから、国を知るのは良いことだろうと、むしろ推奨するような様子だった。


 何度目かの視察の時、その視察団が事故に遭った。

 レスカと幼いリミカは宿泊地の街に滞在させ、ディーゼンはリューベルトを連れて果樹園の視察に出たらしい。その帰りに魔獣の襲撃と馬車の横転が重なってしまった。

 ディーゼンは腕を骨折したが、リューベルトは無傷との報せが届いた。


「……そうか」


 それだけ発して座り直したベネレストが、ロニーには一瞬狼狽していたように見えた。

 帝位継承者を二人も亡くしてから、まだ一年も経っていなかったのだから、皇帝がひやりとしたのも当然のこと……だったのだろう。


 帰城後から、リューベルトがよく話しかける騎士団員がいた。挨拶程度ではなく、にこにことうれしそうに立ち止まって、ほとんど一方的に喋っている。

 遠くから見かけたベネレストは、歩みを止めて侍従に問いかけた。


「皇子が気に入っているあの者は、カーダットの倅だったか」

「左様でございます。昨年の模擬戦大会で、陛下が称号を授与された青年です。今回の事故で殿下を直接お救いしたのは、彼の者だそうです」

「城の警備をしていたのか。……惜しいことよ」


 欠員となったリューベルトの近衛に、ジグ・カーダットを抜擢したのはこの二日後だった。 






 この頃、ロニーは不安にかられていた。

 城の雰囲気が変わったことや、皇太子家族と使用人の距離が縮まっていることは、ベネレストが黙認するのならば、気にかけないことにしていた。皇家の厳かな風格を自分からかき消すようにして、身分の低い者とも接してしまうディーゼンには幻滅していたが、それもその頃には些細なことになっていた。

 ベネレストが体調を崩すことが増えていたのだ。

 ロニーと侍従が見かねて心配を口にすると、ベネレストは、大事ない、余計なことを申すな、と話を打ち切ってしまった。


 逆らう者はフェデルマの民ではない——あの即位直後の二度の粛清があって、ベネレストの烈しい気性が国内外に強烈に印象づけられた。それはきっと直接指揮を取って全責任をその身に負うことで、そう思われるように彼が仕向けたことだったのだろう。

 だが本当のところは、世間が思うほどベネレストは激情家ではない。少なくともロニーから見れば、ガリアデルのほうがよほど、感情に任せて周囲を振り回す皇帝だったと思う。

 ベネレストは家臣をよく叱責するが、その怒りには真っ当な理由があり、理不尽ではない。いつも自分ではなく国のためであったからこそ、畏怖と尊敬をもって彼に仕えることができるのだ。


 ベネレストは自分の身体に起こる変化を、可能な限り隠していた。彼が体現する皇帝像は、決して周囲に弱さは見せないものだった。グランエイド家の男は、フェデルマを強く導く存在なのだから。

 

 とうとう床に臥したベネレストを、レスカとリューベルトとリミカは幾度も見舞った。ディーゼンだけは一度も顔を見せなかった。

 ロニーが言えた立場ではないが、見かけによらず薄情な男なのだなと思っていた。

 

「旦那様……。陛下のご容態が芳しくないと……侍医の方がおっしゃっていました。お会いにならなくて良いのですか」

 

 ある夜、テラスに佇んでいたディーゼンに、レスカが訴えた。

 ロニーがテラス近くの廊下を通りすがったのは偶然だったが、つい会話に聞き耳を立ててしまったのは、ベネレストに関する話だと感じたからだった。

 

「気にかけてくれてありがとう、レスカ。だが……私は陛下に会いには行かない」

「なぜですか? 申し上げるのも心苦しいことですが、もしかしたら……お顔を合わせることなく、お別れになってしまう可能性もあるのですよ……?」

「陛下は、私の見舞いなど望まないよ。私を再びこの城へ入れたことだけでも、きっと屈辱的だったのだろうからね」

「そんな……」

「ウェイン家は温かい家庭だから、きっと理解し難いだろうね。でも、私と陛下は、ずっと平行線……そういう親子なんだ。十六年前、二度と相見えないつもりで別れた。……あの人は、私に弱った姿なんか晒したくないはずだ。私からの気遣いの言葉なんか欲しくないはずだ。意固地で愚かな親子だと思うかもしれないが、会わないでおくことで、あの人の意地を通してやれると……私は思っているんだ」

「……旦那様は、それで後悔なさりませんか」

「しないよ。最後の親孝行だからね。リューベルトとリミカは、また君が会わせに連れて行ってやってくれるかな。息子(わたし)と孫とでは、どうやら違うようだから」

 

 はは、とディーゼンは笑っていた。

 ロニーはその場を立ち去った。それ以上そこに立っていられなかった。

 

 ——親孝行だと? なぜお前は、わかっていると思うんだ? 十五年も田舎に引き籠もっていたくせに、十五年も会っていなかったくせに、なぜ陛下のお気持ちがわかるような口を利くんだ!?


 真に受ける必要はない。ディーゼンの独りよがりだと、歯牙にもかけなければいい。

 しかし湧き上がる激しい苛立ちは、まるで敗北感のような苦い烙印をロニーの胸に焼き付けた。ベネレストを一番理解しているのは自分だと、揺るぎない自信を持っていた。心の奥底に抱えているものが似ていると思っていた。実父であったバイディー以上に分かり合える方だと……思っていた。

 ベネレストとディーゼンの父子関係に、その事実以上の関心を抱いていなかったし、嫉妬もしていなかった。とっくに見限られている息子は、どうしてもその血筋が必要だから呼び寄せられただけ、ただそれだけのはずだったからだ。

 だが……本物の血の繋がりを、反発し合っていてもどこかにある、切れることのない本当の親子の絆というものを、見せつけられた気分だった。


 ——お前はずっと、離れていても、陛下の心情を理解していたとでもいうのか……?


 バイディーとロニーの間には、理解はなかった。まして絆など。ベネレストとの間にあると感じていた理解も……錯覚だったのだろうか。

 どす黒い奔流が胸の奥でうねり、感じたことのない目眩がした。

 その感情は解けることのない塊となって、ロニーの心の内に堆積した。

 

 

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