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炎国の騎士と北の夜明け  作者: 紘麻 涼海
第六章 仕える者
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ニ、二公

 新皇帝ベネレストが早急に取り掛からねばならないのは、国内の安定、すなわち内乱の終息だった。

 それぞれの領主に任せきりにしていては、同じことの繰り返し。ガリアデルと同じ轍を踏むことになる。ベネレストは帝国騎士団の大規模な派兵が必須と考えていた。

 その帝国騎士団で目を引く活躍をしていたのが、ダイル・グレッドである。領主から帝都城へ派兵要請が届くと、騎士団長が割り振りを決める。ダイルは激戦地を任されても、驚くほどの早さで沈静化させて帰還するのだ。

 

「あやつの戦況の分析能力、そして求心力の為せるわざであろう」

 

 ベネレストは大いに感心していた。

 国内を隅々まで掌握し、その後国土拡大戦を再開させるにも、騎士団とのより緊密な連携は肝要である。ダイルならば、うまく間を取り持てるだろうとお考えだった。

 ロニーは初めこそ、グレッド宰相に憧れてしまいそうになったものだ。

 ベネレストのお眼鏡にかなったのだから、それだけでも認めざるを得ないが、ダイルは騎士としても最上級であった。そしてさすが名門貴族の嫡男というべきなのだろうか。大きくて屈強な見た目からは不似合いに思われるほど、すべての動作に品位があった。バイディーが必死に身につけた所作とは何かが、どこかが違うのだ。余裕を持ってごく自然にこなすそれは、むしろベネレストに近いのかもしれない。

 

 ——陛下に近い……? なんて畏れ多いことを。

 

 ロニーはすぐにその感覚を打ち消した。ベネレストは唯一無二の皇帝だ。以前憧れた帝国騎士団で活躍していたからといって、並べて考えて良いはずがない。

 しかし優れていると感じるなら、それも手に入れれば良いのだ。身の周りで手本になるものは、すべて吸収していこう。ダイルのことも、利用する対象として観察すれば良い。

 

 グレッド家のように建国当時からあった貴族家は、皇家から信頼を得てきた。だからこそ併合した地域の領主を任されることが多く、反乱の矢面に立たされた結果、ガリアデルのせいで断絶となった家が多く出てしまった。

 むやみに取り潰しになることを防ぐため、ベネレストは女性でも爵位を相続可能とする案を打ち出した。眉をひそめる者も多かったが、バイディーとダイルは妙案ですと賛成した。特にダイルは強く賛同していたようだった。

 この画期的な法は、のちに他国にも模倣されることになる。

 

 ベネレストの即位から季節が反転した頃、またしても北部で戦が起きた。当該地の領主からの支援要請を待つことなく、ベネレストは大隊を送り込むと決めた。 

 ところが、この作戦の一番の反対者となったのが、他でもない騎士団出身のダイルだった。徹底的に反乱者とその関係者を殲滅せよ——ベネレストがそう命令したからだ。

 

「もう良い。お前は今回は関わるな。騎士団長と直接話を詰める」

 

 ベネレストはダイルを、会議からも作戦そのものからも外した。

 弾圧はだめだと何度も訴えに来たダイルとは、ついにベネレストは一度も接見することなく、出陣の日を迎えた。


 一度目の粛清が決行された。

 指揮は、ベネレストが取った。

 反乱に加わった者は無論のこと、その家族、手助けした者、事前に蜂起を知りながら報告しなかった者、さらには降伏しようとした者にまでも、容赦はなかった。広範囲の人々に誅伐が下された。領主が言葉を失うほどに、死体の山が築かれたという。

 

「余に逆らう者には死を与える」

 

 ベネレストが反乱の首謀者の胸に剣を突き立てながら言ったとされているが、本当かどうかはわからない。

 だが、粛清そのものは真実である。

 

「何ということを——」

 

 帝都城に置いて行かれたダイルは、奥歯を強く噛み締めていた。早馬が届けたこの惨劇の報告書が、手の中で握り潰されていた。

 騎士ではないバイディーが出陣に同行するはずはなく、ロニーはいつも通り父と城に上がっていた。

 

「グレッド様は、なぜそこまで反対なさるのですか」

 

 ロニーはそう聞いてみたことがある。

 多くの子どもに憧れを抱かせる高名な騎士は、じっとロニーを見返した。

 灰茶色の髪。長年浴びた日差しに焼けているが、おそらくもとの肌色は白いほうではないだろうか。静かな光を湛えるダイルの瞳は思いの外に美しかった。今までロニーは金色の瞳の持ち主になど会ったことがなく、そのせいか目の前の現実以上のものまで透かし見ているのではないかと、おかしな空想が頭をよぎった。漠然と湧き上がった不安感に、落ち着けなくなった。

 

「君は、正しいと思うのかい?」

 

 ダイルは、優しくも哀しい微笑を浮かべていた。

 一方的に気圧されそうになっていたロニーは、腹の底に淀んでいた怒りを使って足を踏んばった。

 

「他ならぬベネレスト陛下のなさることです。陛下は帝国の安寧秩序を願っておられます。それを正しくないとおっしゃるのは、それこそが思い違い……不敬と取られても致し方ないことではございませんか」 

「……君は、陛下の仰せになることは、すべてが正しいと思うのかい? それは父君の教えなのかな」

「違います! 私はまだ子どもで、家臣でもございませんが、皇帝陛下に忠誠を誓っております」

「そうか……」

 

 ダイルは結局、最初の質問に明確には答えなかったと思う。ロニーがまだ父親の付属品に過ぎない未成年だったからなのか、もしかしたら不敬罪を仄めかしてやったことで、沈黙をとったのかもしれない。

 凱旋した主君を出迎える式典でも、ダイルは賛辞も述べず、一人だけ賞賛の態度を見せなかった。

 ロニーはダイルのことが不快になっていた。

 

 

 


 

 八の月の末、生前のガリアデルが併合した地域で、領主が襲われる事件が起きた。その武力闘争は勢いに乗って、隣領にまで及ぼうとしていた。

 ベネレストは怒りもあらわに、再び直々に帝国騎士団を率いて素早く掃討することを決め、出陣準備を整えた。

 ちょうど父親が体調を崩し、一時的に国境領地に戻っていたダイルには、何ひとつ告げずに。

 

 これが二度目の粛清となった。

 一度目と同じ、大規模で凄惨な光景が繰り返された。

 東端の領地でそれを知ったダイルはすぐに出立し、帝都ではなくその現地へ向かったらしい。

 そして、名を彫った木の枝を立てられただけの、おびただしい墓群を目の当たりにした。女性や子どもも多数含まれていた。戦場となった場所に、まだ火葬さえ済んでいない遺体が積まれている様には、人の生命が持つはずの尊厳が一欠片も残っていない。

 蜂起に巻き込まれて被害に遭った民は、ほっとした顔を見せていたかもしれない。自身は反乱に関わりがなくとも、友人知人が騎士団に斬られた者はたくさんいただろう。その死者たちが本当に国に仇なす者だったのか、この時にはもう知りようもないことだ。

 石職人たちが、黙々と墓石を彫っていた。

 





 登城してきたダイルは、彼と皇帝の侍従たちが懸命に止めるのも聞かず、玉座の間のベネレストの元に現れた。

 

「また……民を手にかけたのですね……陛下」

「——何をおっしゃるのです、グレッド卿!」

 

 話し合いの最中だった貴族たちのうち、バイディーが真っ先に間に入り、ダイルの無礼千万な態度を諌めようとした。

 ルイガン家にグレッド家ほどの家格はないが、同じ侯爵家であり、並ぶニ公である。さらにバイディーは現当主で、ダイルより年齢も上だった。

 しかし、怒りを滾らすダイルの眼中に、バイディーはまるで入っていないようだった。

 大きなダイルの前に、内心では怯みながら懸命に立ちはだかる父親は、ロニーにはいつになく、か細くて弱々しい存在に見えた。

 

「あなたも騎士として、何度も戦場にて剣を振るっておられましょうに! ご自分のことを棚に上げ、他ならぬ陛下になんたる暴言を!」

「良い。退いておれ、ルイガン」

 

 ベネレストはダイルと正面から対峙した。

 皇帝の御前に参じながら、未だ一度も膝を折ろうとしないダイルは、右手に持つ剣をすっとベネレストの侍従の目の前に突き出した。周囲にいた大人たちが息を呑んだ。

 剣を他人に預ける意味はロニーにもわかった。たとえ主君に手打ちにされても、無条件で受け入れるという覚悟の表れだ。

 剣を受け取った侍従がダイルから離れる様子を、ベネレストは表情ひとつ変えずに眺めていた。

 

「戻るなり、何を息巻いておるのだ、グレッド」

「帝国君主たるお方が、見境なく国民を虐殺したのです。主の目を覚まして差し上げることが、臣の務めと存じます」

「はっ! 余が微睡んでおるとでも?」

 

 ベネレストは笑い飛ばしたのかと思ったが、次の瞬間にはダイルを冷ややかに見下ろしていた。

 

「グレッド……民を手にかけた虐殺と申したか。あれらは我が国を乱す悪徒ぞ。余の民ではない」

「いいえ、彼らもこの国の民に違いありません。ガリアデル陛下がフェデルマと定めた土地の民でござりますれば」

「くだらぬ。そなたの詭弁にこれだけの者たちを付き合わせる暇はないぞ」

「帝国の土台を弱体化させているとしてもですか」

「なんだと?」

 

 玉座の皇帝が上体を動かしただけで、ロニーはぎくりとして身を固くした。バイディーたちも同様のようだった。

 

「暴力による恐怖を植え付けられた民が、国を敬うとでもお思いですか。そのような強硬な支配を、いつまでも受け入れるとでも?」

「民を脅かす暴力を根絶するための粛清だ。恐怖であろうと、余に楯突く輩の気力を奪ってやれば、結果フェデルマは安定する」

「そんなものは安定とは呼びません。民の奴隷化ではありませんか」

「それは皇家への侮辱か、グレッド! 我がフェデルマに奴隷はおらぬ!」

 

 かつては北大陸に当たり前にあった奴隷制度であるが、フェデルマでは初代皇帝が建国時に廃止とした。どの国よりも先んじて行われたそれは、グランエイド家の輝かしい功績のひとつである。

 

「虐殺を行う暴君を崇めさせられる民と、奴隷とに、一体どの程度の違いがあるというのです!」

「グレッド! 貴様……!」

 

 剥き出しの憤怒をぶつけ合う二人に、ロニーははっきりと恐怖した。

 

「それだけではありません。国家を守る帝国騎士たちをも、陛下は愚弄なさっている!」

 

 ダイルは一歩も引かない。 

 ベネレストは常に帯剣している。その柄に手が掛かる瞬間を恐れていないのは、当のダイルだけだったのではないだろうか。

 

「ルイガン卿のおっしゃる通り、私も侵略者や反逆の徒を斬ってまいりました。幾度もです。しかしそれは、覚悟を持って刃をかざす者たちのみ……武器を持たぬ者や、子どもや、投降の意思を示す者を手にかけたことはございません! 騎士団員の誰もがそうでした! それを陛下は、二度に渡って、彼らの矜持を踏みにじったのです!」

「主君の命を全うするのも矜持であろうが!」

「ええ、そうです! 奉じられた命に、彼らは従いました! 帝国騎士団員の誇りをかなぐり捨てて! 誇りを失った騎士団が、この大国を支え続けられると、真にお思いか!?」

「黙れ!! 国家が甘い顔なぞ覗かせれば、暴徒どもは再び付け上がろうが! 先帝とは違うと思い知らせてやることが、もっとも早き道であろう!!」

 

 ダイルとベネレストの怒声が、広い玉座の間の空気をビリビリと震わせる。皇帝と宰相が真っ向からぶつかり、おそらくどちらの信念も曲がらない。

 周りの大人たちは取りなすこともできず、目を泳がせ手をこまねくばかり。

 肘掛けの先を握るベネレストの手の甲には血管が浮いている。今にも立ち上がって、ダイルを不敬罪と断じて斬り捨てる光景が、目に見えるようだ。

 ロニーの視界の片隅で、父親がわずかによろけた。思わずそちらに目をやると、すっかり顔から血の気が引いてしまったバイディーの、かろうじて立っている姿がそこにあった。

 

 ——何を……しているんだ、この男は。

 

 ロニーの中で火が灯った。怒りの火が。

 

 ——お前も宰相だろう。何を青ざめて震えて縮こまっているんだ。無様にもほどがある。

 

 まったく見るに耐えない。父への怒りはロニーに恐れを忘れさせ、目の前の光景を違うものに見せた。この大男は本当に不快だ。言ってやらなければ——

 強い衝動は、まだ大人よりも怖いもの知らずである少年を突き動かした。怒鳴り合うベネレストとダイルの間に割って入ったのだ。


「おやめください、グレッド様! ここは帝国の中心、神聖なる玉座の間にございます!」

「ロニー」


 ベネレストを恐ろしい形相で睨んでいたダイルが、意外な出来事に困惑した表情に変わった。

 その場にいた大人たちの全員が、ロニーの行動に驚かされていたと思う。それを狙ったわけではなかったが、確かに空気ががらりと変わった。

 彼はさらにダイルに噛み付いた。


「ベネレスト陛下がフェデルマのために、騎士団長にお命じになったことです! 帝国騎士団とは国と民のためにあるのでしょう!?」

「や、やめなさい、ロニー!」

 

 バイディーはロニーの腕を掴んで引き戻した。

 ロニーはダイルから皇帝を庇う形で立っていた。こんな状況でも、皇帝の御前に無断で立つことは礼を失するのだろうか。武器を放棄していても、今のダイルは逆賊と同じではないか。大人たちが何もしないから、ロニーがやっているというのに。

 湧き上がる少年の怒りは、今やベネレスト以外のすべての大人へも向けられていた。

 ——しばしの沈黙が流れた。

 玉座で前のめりになっていたベネレストが、背もたれに身体を預けた。そして声を荒らげることなく言い渡した。


「下がれ、グレッド。貴様と話すことはない。……当面の間、登城を禁ずる」


 ダイルもまた、それ以上大声を出すことはなかった。彼は去る前に、黙って礼をした。それは正式な臣下の礼だった。

 バイディーたちは胸を撫で下ろしていた。

 





「驚いたが、結果的にはお前に救われたかもしれない」


 屋敷に帰ってから、バイディーはそう言って、珍しくロニーに笑いかけた。

 一度目の粛清後から、帝国騎士団では退団希望者数が跳ね上がっているのは事実なのだという。

 もし騎士たちから慕われているダイルが皇帝に手打ちにされていたら、退団者がさらに増えるだけでは済まず、国家と騎士団の間に取り返しがつかないほどの溝ができてしまっていたかもしれない。

 そんな話をされても、あの時のロニーは、ベネレストが剣を抜くのを止めるために動いたのではない。ダイルの首を救ってやるつもりなど、毛頭なかったのだ。痛みを伴っても早く安全な国にしようとする、ベネレストの崇高な考えを否定したあの男に、どうしようもなく腹が立っただけだ。






 謹慎していたダイルは、その後父親のグレッド侯爵が他界したため急遽国境の領地へ戻り、そのまま宰相の職を辞した。

 ベネレストに謝罪もせず、寛大な措置に感謝も伝えに来ないダイルは、ロニーにとって父親の次に嫌いな存在となった。

 

 

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