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炎国の騎士と北の夜明け  作者: 紘麻 涼海
第一章 皇太子
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四、少年の闘い

 エレリアが息を呑む気配がした。

 皇帝と皇后の最期の姿は、リューベルトしか見ていない。二人の身体は海の塔の中に埋もれてしまい、外壁も崩壊したあとには、何もかもすべてが焼けてしまった。

 地上階にある釜戸から出火した、悲惨な事故と判断されているらしい。

 

「そんな……両陛下が……まさか……」

 

 みるみる血の気が引いていくエレリアは、白い両手で口許を覆っていた。

 

「信じてくれるのか」

「そ、それは……もちろんです……。けれど、あのお優しい両陛下が、そんな……。それが、信じられません――」

 

 リューベルトから様々な招待を受けて城に上がるようになってから、エレリアは何度か皇帝と皇后からもお茶などのお誘いをいただいてきた。

 お二人は陽だまりのような方々だった。エレリアと裏庭で遊ぼうと手を繋ぐリミカにも、お姉さんができたみたいでうれしいね、と明るく冗談交じりに顔をほころばせ、リューベルトとエレリアの頬を赤くさせた。

 ――そんなお二人が、殺害されたというのか。

 

「誰がどう毒を仕込んだのか……敵は何人なのか、何もわからない。その者たちが、父上を裏切った者なのか、それともどこかの国から間者として入り込んでいた者なのか……何も。ただ」

 

 リューベルトは、ますます掛布を握りしめた。

 

「--次は、私かもしれない」

「……殿下……」

 

 恐ろしい話に衝撃を受け、慄然としていたエレリアは、はっとした。

 ディーゼン・グランエイドと妻のレスカを、ただの一個人として狙ったとは考えにくい。フェデルマの皇帝が狙われたことは明らかであろう。

 リューベルトはもうすぐ、その皇帝になるのだ。

 だから彼は、何も食べられなくなったのか。

 リミカにも、リューベルトのために作ったものと同じものは食べるなと、城内でも一人になるなと言い、エレリアのことは自分の元から遠ざけようとした。おそらく皇帝の巻き添えとなってしまった、皇后のようにしないために。

 エレリアは、リューベルトが悲しみと恐れを抱えながら、姿のない敵と戦っていたことを知り、胸が締め付けられた。

 

「……証言なさってみるのは、いかがですか?」

「証拠は何もないんだ。鵜呑みにしてもらえるとは思えない。敵も味方もわからないこの状況で、私が暗殺の事実を知っていると明かすのは……危険だと思ったんだ。相手はきっと身近に潜んでいる。それこそ私も消されるんじゃないかと」


 他国の間者だとしたら、リューベルトだけでは済まないかもしれない。あぶり出される前にどれだけのことをしでかすかわからない。それこそ玉砕覚悟で、国の中枢の人間たちをも、辺り構わず直接的に攻撃するかもしれない。それとも疑心暗鬼になった城内の人たちを巧みに操って、内部から国を崩そうとしてくるかもしれない。

 間者ではなく裏切り者による弑逆だったとしても、状況は似たようなものだ。その者はディーゼン帝が治めた今のフェデルマを嫌い、破壊したいと思っているのだろうから。

 

「ですが、わたくしたちだけで打ち勝てるとは――」

「わかっている……このまま私が籠って何も食べないでいたところで、毒を使われることさえなく勝手に死ぬだけだ。わかっているんだ。……だけど……」

 

 リューベルトは、くしゃくしゃの掛布を掴み上げて、顔を覆い隠した。

 

「こ、怖いんだ……。どうしたら……いいのか、わからないんだ……。誰を信じて良いのか、急に区別がつかなくなってしまって……父上たちは、信頼していた誰かの手に掛かったのかと思ったら……」

 

 リューベルトは震えていた。まるで怖い夢で起きてしまった小さな子どものように。でも彼は、この現実の悪夢から、目覚めて逃れることはできないのだ。

 エレリアは思わず立ち上がり、大きな寝台の上に膝をついた。座っていた椅子が、ガタンと倒れた。

 

「殿下……わたくしは味方です。誓って、この命の限り、殿下の味方です……!」

 

 小さくうずくまってしゃくり上げるリューベルトを、エレリアは包み込むように抱きしめていた。

 たかが小娘の自分に、皇太子を守る力がないことはわかっている。それでも、どんなに小さくても、彼を支える存在でありたい。力の限り、助けになりたい。

 エレリアの頬にも、涙が伝った。

 

 

 


 

「……すまない、エレリア……」

 

 しばらくして、リューベルトが身じろぎした。エレリアは腕をほどいて、今までになく近くにいる彼を見た。その横顔は、涙と、それを見られた動揺で赤くなっていた。

 

「ドレスが……汚れてしまったのではないか」

「先程も申しましたわ。そんなこと気にしません」

 

 エレリアも、仮にも異性の使う寝台に乗り上げている自分が、少し恥ずかしくなった。でもリューベルトに、孤独ではないのだと感じてほしくて、おずおずと彼の手を取った。床に下りても、その傷付いた手を包むように、両手でそっと握り続けた。

 

「まずは……殿下のお身体ですわ。とにかくご回復なさらなくては……このままでは、何事も起きなくても負けてしまいます」

「そう……だな」

 

 とはいえ、誰を信じていいのかわからない今、リューベルトにとっては、リミカに渡された水を飲むことさえ、命を懸けるような心地だったのだろう。心も体も、食物を受け付けるとは思えない。どうすれば彼が安心して食事を取れるのか、エレリアは考えを巡らせた。

 

「――わたくしもここで、ご一緒させていただくのはどうでしょうか」

「ここで、そなたが一緒に?」

「はい。イルゴさんが敵か味方かの話は別として、侍従というお立場なら、とにかく殿下がお食事を取られ、医師の診察を受けてくださることを望まれるはず。わたくしと一緒ならば食べる、とでもおっしゃっていただければ、そのくらいの配慮はくださるかと」

「……なんだか、とんでもない駄々っ子だな。私は」

「ええ。駄々っ子な皇太子様を演じてくださいませ」

 

 そんな状況ではないのに、ふふ、と笑い合ったのは、手を離さないお互いの照れ隠しでもあった。

 

「わたくしがともにお食事をいただくとなれば、キュベリーの者が調理場に入ります。毒見もするでしょう」

「そうか……キュベリーの人間が、見張りの役目を担ってくれるということだな」

 

 エレリアは、卵を口にすると発疹が出てしまうという、あまり例のない体質だ。幼い頃よりはずいぶん良くなったものの、体調にもよるし、まだまだ気にせずに食事はできない。

 そういった症例のことを知らない料理人も多いため、エレリアの食事は必ず専属の料理人が管理しているのだ。

 城内の人間ではないキュベリー家の者ならば、疑う必要はほとんどないと思われる。そしてもし毒の仕込みを企む者がいても、調理器具まで含めて、卵由来のものの混入に目を光らせる料理人の目を掻い潜るのは、相当難しいはずだ。

 

「そうだな……それならば……」

「その上で、わたくしが先に食べさせていただきますわ」

 

 リューベルトは苦笑して、小さく首を横に振った。まさかエレリアに毒見をさせようとは思わない。

 

「キュベリーの料理人のことはさすがに疑わない。大丈夫……食べるよ」

「では、イルゴさんをお呼びしてきます」

 

 そろそろイルゴも、こちらのことが気になっている頃のはずだ。

 エレリアはゆっくりと手を離した。なんだか体感温度が下がった。少しでも温度を逃すまいとするように、両手を胸の前で握ったまま右足を引いて腰を下げ、省略した淑女の礼をした。

 

「……エレリア」

 

 扉へ向かうエレリアの背に、リューベルトは声をかけずにいられなかった。

 

「ありがとう。……本当に、来てくれてありがとう」

「こちらこそ……ご信頼をくださってありがとうございます。どうかもう二度と、お一人で無理はなさらないでください。たとえわたくしのためとお考えになったのだとしても……もう二度と」

「わかった。……肝に銘じる」

 

 扉を開ける前に、もう一度二人は微笑みあった。

 実はリューベルトは、エレリアが本当にすすんで婚約の話を受けてくれたのか、これまで自信を持てずにいた。もしかしたら家のためだと、諦めてのことではないかと心配しながら、聞くに聞けずにいたのだ。

 今の事態の深刻さはわかっている。けれど、彼女と心が繋がっていると知れたことは、リューベルトにとって思いがけない出来事だった。それは彼に闘う勇気を奮い起こさせた。

 

 

 


 

 やっとリューベルトと話をできたイルゴは、もちろんエレリアが一緒でも構わないと歓迎した。むしろ、すぐにでもキュベリー家の料理人をお招きしたいと、エレリアを急かしてしまったくらいだ。

 忙しいアダンとは話せそうにないため事後報告するとして、エレリアはすぐに侍女と城を辞し、キュベリーの屋敷へ戻って家令にお願いすることにした。

 

「すまなかった、イルゴ。ジグにも迷惑をかけた」

 

 イルゴの他、追い出されてからもずっと扉の外で、近衛として警備に当たっていたジグも部屋に入れ、リューベルトは謝罪した。

 一人でいた間、この二人のことは信じたいと思っていた。でもそう思うたびに海の塔のことを思い出し、信じていいのか、判断できる状態にないとも思ってしまった。だからエレリアに話したことは、今はまだ言うことはできないし、扉はあえて開けたままにさせている。

 でも閉じこもっていても、決して事態は好転しない。見極めていくことが必要だ。エレリアのおかげでそう考え、行動する気力が湧いてきた。


「いいえ。私どもの、殿下のお気持ちへの配慮が足りておりませんでした。お許しください」

 

 イルゴとジグが深く頭を下げた。

 

「侍医も、呼んでよろしいですか」

「ああ、診察を受けるよ。……そのあとでいいから、頼みがあるんだ」

「なんでしょう」

「湯浴みをしても良いだろうか。その……エレリアが戻ってくる前に」

「……湯浴み、ですか」

 

 予想とまったく違う種の頼みだったのか、イルゴは虚をつかれたような顔をしてから、ふっと微笑んだ。ジグまでも目を細めていた。

 

「そうですね。確かに三日も着替えていない姿でご令嬢とお食事とは、紳士のすることではございませんね。侍医の許可が取れれば、すぐにご用意いたしましょう」

 

 イルゴはまるで、かわいらしいものを見るような目で、リューベルトを眺めてきた。そこには安堵の気持ちも垣間見える、そんな気がした。

 

「傷に沁みても、ご辛抱くださいね」

「もうほとんどの傷は乾いているから大丈夫だ。そこまで子ども扱いするな」

 

 リューベルトは少し怒った顔をしてみせたが、イルゴの表情は変わらなかった。かなりのわがまま発言をしたばかりなのだから、確かに説得力がないなと自分でも思った。

 

 

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