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炎国の騎士と北の夜明け  作者: 紘麻 涼海
第四章 それぞれの道
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十七、決断

 約ひと月ぶりにイゼル城へ帰還した三人は、ガレフやヴィオナの出迎えを受けた。彼らはお疲れでしょうと気遣うのみで、リューベルトに何も聞こうとしなかった。

 旅の最中のシンザとセスもそうだ。何を考えているのかとは一度も尋ねなかった。こんなにわがままな頼みに、ただ付き合ってくれた。

 グレッド家の者はずっと、リューベルトから何も引き出そうとしない。これ以上彼らの皇家への忠義を利用するのも、振り回すのもいけないことだと思った。今夜の晩餐の席、リューベルトは心の内を伝えようと決心した。

 伝えたら……どんな反応をされるだろう。

 

 


 

 

 グレッド家の四人は、いつも通り歓談しながら食事を進めていく。

 一番最後に食べ終わったリューベルトは、そっと食器を置くと、静かに息を吸い込んだ。少しでも先送りにして今の機を逃したら、言い出す勇気が失せてしまうと感じていた。

 

「みな、聞いてほしい話がある」

 

 緊張していた。初めてここへ来た時よりも緊張している。裏切るような気持ちだからだろうか。

 

「この一年……匿い、守ってくれたこと……本当に心から、感謝している」

 

 ガレフたちは冷静な目で、リューベルトが噛み締めるように紡ぐ言葉を聞いていた。

 

「それなのに、私は……そなたたちの期待には……応えられない。キュベリーと、イルゴとジグにも——」

 

 そこまで聞いてなお、全員が静かだった。

 リューベルトは膝の上の拳を握り、ぐっと目を閉じた。

 

「私は……帝都には戻らない」

 

 それは、決意の言葉。

 周囲から、驚くような気配は感じられなかった。彼らはどう感じているのだろうか。

 

「ザディーノとネウルスが撤退した今、フェデルマは平和だ。国内優先の父の政策も変わっていない。ルイガンには変えられなかった」

 

 夏の頃、ダイルが状況を分析していた。

 旧派が政策転換しないのは、様子を見ているわけでも、新派の貴族に配慮しているわけでもない。

 できなかったのだ。一般の民から上がった強い声によって。

 フェデルマの民は、ディーゼンの死を悲しんだ。そして彼がたった五年の御代で起こした変化、国にもたらした豊かさや太平の時代を称え、その継続を望んだ。その声は帝都城の支配者が無視できないほど大きかった。

 民は国土の拡大ではなく、平和を選び取った。国中を覆ったその思いに、ルイガンが打てる手などない。

 

「父と母は……ルイガンに命を奪われた。だが、民が選んだのは父だ。私の父上は……ルイガンに敗れてなどいない。父の想いのほうが勝ったんだ……!」

 

 亡きディーゼンに従わざるを得ないルイガンは、すでに敗北者だ。どれほど口惜しい思いをしているとしても、引き続き民の望む内政を行っている。

 そんな世に、リューベルトが出ていくことで何が起こるのか。起こすのはいらぬ混乱ではないのか。民が愛したディーゼンが殺害されていたと知らしめることで、内紛から反乱勃発のきっかけすら生みかねないのではないか。

 皇家と貴族による勝手な闘争で、民を苦しめるのではないのか。

 

「私は、国を乱すことを望まない。だから……復讐を望まない。父も母も、……きっと……許してくれる」

 

 リューベルトは目を上げた。ナリーとヴィオナと、シンザとガレフの顔を順に見つめた。

 

「そなたたちには申し訳なく思っている。ともに怒り、悲しんでくれたのに……私は一人で、引くと決めてしまった。キュベリーの名誉も……取り戻せないだろう。イルゴとジグにも、とても合わせる顔はない。だが、それでも……それでも、私は——」

「ご自分をお責めになる必要はございません、殿下。あなた様なら、その道をお選びになるかもしれないと、わたくしどもはお察し申し上げておりました」

 

 ナリーの落ち着いた声は、リューベルトの心を締め付ける負い目に優しく響いた。

 見れば、ガレフも頷いている。

 察していた——やはり、そうだったのか。証拠の存在を知っても、リューベルトは何も言えなかった。外に行きたいと頼んだあたりから、きっとガレフたちは薄々勘付いていたのだろう。

 

「殿下、我々は帝国の盾……国を守ることを使命としてきた家です。殿下が民のことをお想いになって、国の平穏を守るために下されたご決断に、不満を抱く理由などありません」

「ええ、私も殿下のお考えを尊重いたします。……ご決断まで、お辛かったでしょう」

 

 ガレフに続いて、ヴィオナも認めてくれた。

 シンザだけが、無言だった。みんなが察していたなら、旅に付き合ってくれた彼がこの中で一番、この結論に至っていることを見抜けていただろうに。

 

「しかし……殿下。ひとつだけ問わせていただきたいのです。リミカ様のことは……どうなさるのですか」

 

 ガレフの声は落ち着いていたが、その瞳には気遣わしげな表情が浮かんでいた。

 

「……リミカは……今はまだ、何もできないだろう。だが、これから学を修めていけば、名ばかりの皇帝でもなくなると……思う。それに」

 

 そこで一度、リューベルトは呼吸を整えた。ガレフが問いかけたのは、そういうことではないのはわかっている。

 帝都へ帰らず真実を暴かないということは、ルイガンをリミカの宰相の座に就かせたままにするということだ。そしてリミカに、兄の生存を知らせないということである。

 

「今のルイガンの権力は、あくまでも皇家の力を借りているものなんだ。リミカに刃を向けることはできないだろう? それにあの子を排除しても、現状打破はできない。得るものがないのに、再び暗殺などという極めて危うい橋を渡るとは思えない。ジグとイルゴもいてくれる。私が出ていくほうが、ルイガンを追い詰めることになって、よほどリミカを危険にさらすだろう」

「それは、そうかもしれませんが——」 

「それから、真実だからといって……何も知らないあの子に、本当は両親は殺害されていたのだと教えるのは、とても残酷なことだ。私が黙っていることで、国も平和で、リミカもこれ以上傷つかないのなら……私はそれでいい」

「ご兄妹……再会が叶わなくなるのですよ」

「……ああ。だが……仕方のないことだ。私は遠くからでも、あの子を見守る。もしもリミカの身に何か起これば、その時はきっと駆けつける」

「そこまでのご覚悟ならば……もう何も申し上げることはありません」

「心遣いをありがとう……ガレフ殿」

 

 臆病者と蔑まれても仕方ないと思っていた。この騎士の国をまとめ上げる家系の者が——自らも騎士の道を志して歩む者が、両親の仇を見逃すのかと。敵前で目を背け、逃げるのかと。

 リューベルトがロニー・ルイガンを赦すことは、決してない。でも復讐というものに、帝国の民の暮らしと引き換えにする価値はない。そのはずだ。

 迷った。悩んだ。悔しかった。まだ八歳の妹と別れるのも、皇家の未来を彼女だけに押し付けてしまうのも辛かった。

 ——けれど、決めたのだ。

 これが、帝国の平和を目指したディーゼンとレスカの息子、リューベルト・グランエイドの決断だ。

 

「ガレフ殿……私を、騎士団に入れてくれないだろうか」

「えっ、……我が騎士団にですか?」

「ずっと、とは言わない。一人で生きる手段が身に付くまで、頼みたい」

 

 いつまでも皇太子気取りで、この城に置いてもらうわけにはいかない。自分という大変な秘密を、今後もずっと抱えてくれとは言えない。

 期限付きにしても、図々しい頼みであることは自覚している。しかし彼には、どこにも行く当てがない。正体を隠して一人で生きていく力をつける時間がほしい。自立の目処が立つまでだけでも、騎士見習いとして置いてもらえないだろうか。

 リューベルトは一人前の騎士にはまだ実力不足だが、たとえ微々たるものでも、ガレフたちが国を守護する手伝いをさせてもらえたら、と考えていた。

 ガレフは戸惑い顔で、こめかみを指で擦った。

 

「い、いえ、うーん……一般の騎士団員と横並びになっていただくのは少々——」

「無理です。団員がやりにくいでしょう」

 

 急にシンザが横から口を挟んだ。とても不機嫌そうな顔で。

 

「セスみたいに、誰もがみんな、リューベルト様をリュートと呼び捨てにできるものではないのです。騎士にとっては忠誠や誓いが、命のように大事であることは、ご存知でしょう」

「シンザ、あなたね——」

 

 ヴィオナが止めようとしたが、何かに驚いたような顔をして言葉を切った。

 

「だから……だから、この家に……加わればいい」

 

 まるで絞り出すような、シンザの声だった。

 

「家族になればいい。私の弟になればいいんです」

「……シンザ……」

「それで良いではないですか。何が、ずっととは言わない、ですか。なぜ今さら、そんな遠慮を……」

 

 シンザの声が小さくなって消え、一度部屋の中がしんと静まり返った。

 その空気を明るいものへ変えてしまったのは、小さく吹き出したガレフの声だ。

 

「お前、泣きそうになっているのか?」

「はぁっ!? 違うよっ!」

 

 顔を赤くして声を荒らげた弟に、ガレフが無邪気な子どものように口を開けて笑った。ヴィオナもナリーも口元を覆って笑っている。

 リューベルトだけは、目の奥が熱くて、笑顔になれなかった。

 

「——しかし、シンザの案……なかなか良い案です。いかがでしょう、殿下。もしよろしければ、このままこのイゼルで、私たちの末弟におなりいただきたく存じます」

「……このまま、ここで……」

 

 もちろん、正式な養子にはなれない。かつては行われていた、人身売買まがいの政略結婚を防ぐための法があるからだ。貴族家が養子を迎えるには国の許可が必要であり、身元の証明も求められる。リューベルトには不可能だ。

 シンザとガレフが言っているのは、このままイゼルでともに生きようということ。家族のように遠慮はいらないのだということ。

 居場所はここにある、ということ。

 

「私は……いるだけで、迷惑ではないのか」

「いいえ、まさか。もし殿下にどこかへ行かれてしまったら、それこそ心配で困ります」

「その時はシンザが、死に物狂いで探し回ってしまうでしょうしね」

「……姉上……」

 

 まだ顔を赤くして目の上を掻いているシンザと、リューベルトの目が合った。

 

「本当に、良いのか……ここにいて」

「当たり前です」

 

 照れ隠しか、シンザはまた怒ったように、顔中に力が入った表情になった。

 

「これからは、殿下とは呼びません。遠慮なく弟として扱いますよ。鍛錬だってもっと厳しくします。イゼルで暮らす以上、一人前の騎士になってもらわなくてはなりませんから。しっかり覚悟を決めてから、弟になってください」

「……ありがとう」

 

 リューベルトの紺碧の瞳から、ひと粒の涙がこぼれた。

 

「ありがとう……」

  

 ——国のためにと、ロベーレから帝都へ連れて行かれた。皇子にされ、皇太子に担がれた。

 裏切られ、追い出され、そして今、国のために生来の名を捨てる決意をした少年は、新しい「家族」に迎え入れられた。

 

 

第四章 終

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