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炎国の騎士と北の夜明け  作者: 紘麻 涼海
第四章 それぞれの道
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十五、裏付け

 エレリアを呼んだその声が誰のものかは、そちらを見る前にわかっていた。役人たちは慌てた様子を見せたが、下級貴族家出身の彼らにはどうしようもないのだろう。その場でただ頭を垂れた。

 

「リ……リミカ様……?」

 

 呼ばれたエレリアも、リミカの出現に驚きを隠せない。

 キュベリー家が彼女との接触を許されるはずがない。けれどリミカが自分から来てしまったものを、止められる者はここにいない。

 なぜ女帝リミカがこんなところにいるのか。

 

「あっ、ウィルドとイーリオもいるわ!」

 

 リミカはうれしそうに走り寄って来る。

 三年前から一年前まで、城へ招かれたキュベリー家の子どもたちは、リミカと一緒に遊ぶ機会も多くあった。彼女はエレリアを姉のように慕い、イーリオとは年も同じなため、ウィルドも一緒に上下関係なく友達の関係を築いていた。

 エレリアの腕に抱きついたリミカの後ろからは、以前から顔見知りの侍女と……かつてはリューベルトに仕えていた、侍従と近衛騎士が従っていた。彼らはアダンたちに一礼した。

 

「最初はウィルドたちのこと、わからなかったわ! 二人とも少し雰囲気が変わったのね。背が伸びたせいかしら。キュベリー様も、お久しぶりね!」

「お久しぶりで……ございます。どうなさったのですか。このようなところで……」

「ルーニーを追いかけていたら、みんなが歩いているのを見つけたの!」

「ルーニー……?」

「この子よ」

 

 イルゴが持った綱の先には、まだ成犬ではなさそうな白色のふわりとした毛並みの犬が繋がれている。大きくなっていたが、エレリアとティノーラが出会った城の茶会の会場から、二人がそれぞれ窓から垣間見た仔犬だと思われた。

 

「イルゴったら、走り出したルーニーの綱を放しちゃったのよ。ジグは後ろにいたから追いつけなくて、裏庭からこっちまで来ちゃったの。でもおかげでみんなと会えたから、ルーニーはお手柄だったわ!」

「申し訳ございませんでした。小動物でも見つけていたのでしょうか、急に強く引っ張られたもので」

 

 叱るでもなく、イルゴはまるで褒めるようにルーニーを撫でている。まだやんちゃな子どもの犬は、うれしそうに尻尾を揺らしてイルゴにじゃれついた。

 イルゴがリミカの側仕えになっていたとは、アダンもエレリアもこの時まで知らなかった。

 

「ねえみんな、帝都に来ていたなら、どうして遊びに来てくれないの!」

 

 少し怒ったように、リミカがキュベリー家の面々を見回した。ウィルドとイーリオは困惑して、父親と姉のほうをそっと見やる。

 帝都に来ていたなら、というリミカの言い回しは、未成年のエレリアたちが、命令通り帝都に住んでいることを知らされていない表れだ。それは彼女がこうして会いたがることを防ぐため、政権が決めたことだろう。

 アダンやエレリアとしては、どう答えるべきか。以前から懐かれていたのを利用して現皇帝に取り入り、政界に返り咲こうとしていると判断されれば、キュベリー家はまた締め付けを強化されてしまうかもしれない。最悪の場合また冤罪を仕込まれる。

 考えあぐねているうちに、役人の一人がどうにか接触をやめさせようと動いた。

 

「リミカ様……キュベリー様もご子息ご息女の皆様も、大変お忙しくていらっしゃるので——」

「でも、少しでも会いに来てほしかったわ。また前みたいに遊びたいの」

「申し訳……ございませんでした、リミカ様。でも、わたくしたちは——」

 

 エレリアは、腕に取り付くリミカに視線を合わせた。義妹になるはずだった、もう妹のように思っていた少女を振りほどかなければならないのは、本当に辛い。

 役人や侍女やイルゴがリミカを説得しようとするが、小さな女帝はエレリアの腕をなかなか離さない。涙目で駄々をこねる彼女に、大人たちが輪になって優しく取りなそうとする。

 もっとも関わるべきではないアダンは、その輪から少し外れていた。兄が生きていると知らないリミカは、どれだけ寂しい思いをしているだろうかと、ディーゼンの代わりに胸を痛めていた。

 だから、近衛騎士が気配を消して接近していたことにも、気がつかなかった。

 

「キュベリー卿。どうぞそのままでお聞きください」

「——!?」

 

 アダンのそばに立ちながら、近衛騎士ジグは、目ではリミカたちの騒動と周辺を注視している。アダンには目線ひとつ寄越さない。

 彼はリューベルトを五年間守っていた騎士だ。もちろんアダンもよく知っているが、無口な彼と直接会話をしたことはあまりなく、親しかったとはいえない。でもあのディーゼン陛下が、ご子息の安全を託していた近衛騎士である。

 一瞬ジグの横顔を見てしまったが、アダンもリミカたちに目を戻し、平静を装った。

 ジグは唇を少しだけ動かして、一方的にアダンに告げた。

 

「私たちは、殿下の無念を決して忘れません。……茶葉を、持っております。あの日、ドルトイ様の衣服に付着して、残されていた茶葉を」

 

 ——ドクン、と。アダンの心臓が揺れた。

 

「検査も済んでおります。……黒でした」

 

 感情を読み取らせないよう、表情を動かさずに保つのは、貴族社会や政治の世界では当たり前の日常だ。それがこの時ほど難しく感じたことはない。

 ドクドクと心臓が鳴る。どういうことだと、ジグに問いつめたくて仕方がない。失脚した日、アダンが探していた証拠を、彼は見つけたというのか——

 だが、尋ねることはできない。

 

「どうかお戻りを……キュベリー卿——」

 

 ジグが離れた。リミカがやっとエレリアの腕を解放し、裏庭に帰るようだった。

 

「絶対に遊びに来てね! 約束よ!」

 

 無理やり説得されたらしいリミカが、泣きべそで侍女に連れられていく。伏せていたルーニーを立たせながら、イルゴがまたアダンに黙って一礼をした。その目に、人を射抜くような光を宿して。

 

 ——ジグの言った「私たち」とは……きみのことか。イルゴ……

 

 キュベリー家が皇家の墓所を訪れることを知った彼らは、他の貴族が顔を合わせないように気を使う中、おそらく時を見計らって犬をわざと駆けさせて、リミカをここまで引っ張り出したのだ。現在仕える幼帝を利用する真似をしてまで、二度と望めないかもしれないアダンとの接触を画策したのだろう。

 ジグの言葉が本当だとして、なぜ力を失ったアダンを選んだのだろうか。

 その理由は……ひとつしかあるまい。リューベルトから信頼されていた人物だと判断されたのだ。

 彼らにとっての真の主は、まだリューベルトなのかもしれない。もうこの世界から去ってしまったと信じている、今でも。


 ——毒の証拠が、本当に残存していたとは。


 アダンの心臓は、まだ早鐘を打っていた。

 これは、リューベルトの生存を知っている他の者たちにも、衝撃を与えることになろう。

 しかしアダン自身は身動きが取れない。屋敷に帰ってからこの出来事をエレリアに聞かせ、機を見計らってティノーラ・リエフに密かに伝えさせる。彼女からグレッド家へ、そしてリューベルトに伝えてもらい、ジグたちの行動の信用性と今後の行動を判断してもらうしかない。

 

 

 


 

 国葬以来の帝都に到着するなり、ユリアンネは娘との再会を喜び合ったのも束の間、エレリアからもたらされた驚くべき情報を聞かされることになった。

 

「お母様、ガレフ様にお知らせしなくちゃ……!」

「ええ、でも待ってちょうだい……グレッド家のお屋敷はキュベリー家に近いのだから、私やあなたが訪問するのは避けなくては」

 

 アダンと行き違いにならないよう、早めに帝都に来たガレフは、いつかのシンザとセスのように、最初に屋敷に入る前に変装してティノーラの顔を見に来てくれた。きっとイゼルへ帰るまでに、もう一度リエフ家には来てくれない。

 

「マノエ、頼んでいいかしら」

「お任せくださいませ」

 

 リーガやレマは監視に顔をよく知られている。ユリアンネは自分の侍女に託した。ユリアンネがイゼルへ行く時にマノエは随行しているので、グレッド家の面々とは信頼関係がある。

 マノエはユリアンネの書簡を預かり、グレッド家の館へ向かった。

 

 


 

 

 城とキュベリー邸とグレッド邸はこれほど近いというのに、その情報は何人もの人間を伝って、ジグからガレフにまで届いた。

 

「これは……驚いたな……」

 

 レスカ皇后の茶葉から毒が見つかったなら、両陛下の死が反逆によるものである証拠となり、リューベルトの証言の大きな裏付けとなってくれるだろう。

 これが、本当なら、だ。

 十五年前にダイルが宰相を辞して以来、グレッド家と皇家はあまり関わりがなかった。だからジグという近衛騎士がどういう人物か、残念ながらガレフは知らない。イルゴという侍従も同様だ。アダンとエレリアは信用できると評したそうだが、どちらにしてもリューベルトに報告もせずに勝手な判断はできない。

 

「持ち帰り、殿下にお伺いを立てる。マノエ殿、ユリアンネ様には、またイゼルでお会いしましょうとお伝えしてください」

「かしこまりました」

 

 イルゴとジグの二人は、アダンに復権してもらい、リューベルトの名誉回復と、ディーゼンとレスカの仇討ちを果たす考えだと思われる。

 アダンが政界に戻るのは並大抵のことではないと、彼らにはよくわかっているはずだ。それでもリミカの元でその時を待つつもりなのだろうから、当分の間アダンの反応を得られなくても、彼らは証拠を守り、待ち続けてくれるだろう。

 ガレフも首尾よくアダンと言葉を交わすことができたし、早めにイゼルへ帰り、思いがけず舞い込んだこの重大な件を、慎重に検討するべきだ。

 一人きりで考えに耽っていたガレフは、ふと執務室の窓から見える城の屋根を見上げた。

 

「リューベルト殿下こそが正統な皇帝……ご帰還なさるのが道理だ」

 

 リューベルトがルイガンへの報復を望むのならば、ともに行く。文字通りの盾ともなろう。

 彼が民を想う人間である限り、グレッド家は守り抜く覚悟である。フェデルマ建国の時代、隣国がセームダルでもザディーノでもなかったおよそ百年前から、国を守ってきた侯爵家の誇りにかけて。

 

 


 

 

 帰領したガレフは、帝都で購入してきた土産をリューベルトに手渡した。まだ何も伝えていないうちから、彼は物言いたげな顔でガレフを見返した。

 

「やはり、お気づきですか。それはエレリア嬢の代理で購入したものです。殿下のお好みだと」

「やはり、エレリアが……」

 

 リューベルトはうれしそうに、でも少し切なそうな瞳で、箱に描かれた店の意匠を見つめた。

 これは三年前に、初めてエレリアたちを城に招待した時、彼女が手土産として持参し、リューベルトが気に入ったと知ると、その後も時折持ってきてくれたものだ。田舎であるロベーレ育ちのリューベルトは、ハーブティーの専門店があるなんてまったく知らず、飲む人や効能を考えてブレンドするということさえも初めて知った。

 一年前まで飲んでいたものが、なんだか遠い思い出の品に感じられた。その大切な思い出を、エレリアと分かち合っているような気持ちになった。少し寂しくもあり、胸が温かくもなった。

 

「ありがとう……ガレフ殿」

「いいえ。それはエレリア嬢からですから」

 

 ガレフはにこりと笑った。

 それからユリアンネの封書を取り出すと、すっと目元を引き締め、仕切り直すように室内に揃っている家族を見回した。

 

「実は、大変な話があるんだ」

 

 手紙を開きながら、ガレフは例の証拠となるレスカ皇后の茶葉の話をみんなに聞かせた。

 

「ジグと、イルゴが……?」

 

 きっと一番衝撃を受けたリューベルトは、それきり言葉を発さなくなった。信じられない思いなのだろう。その後誰とも目を合わせなかった。

 部屋にいる家族のうち、ようやく驚きを飲み込んだヴィオナが口を開いた。

 

「茶葉の確認はできなかったの、お兄様」

「したかったが……彼らは常に城の中、リミカ殿下のおそばにいるんだ。アダン様は登城を許されていないし、俺も帝都城に入るだけで目立ってしまうから、なかなか難しいんだよ」

「確かに……兄上は目立つだろうなあ」

「そうよねえ。お兄様がこっそり行動するのは、無理のある話だったわ。二人と話せなくても仕方のないことよね」

「おい、俺だからじゃないからな? この家の人間は誰が行っても同じだからな?」

「別に、身体が大きくて目立つからとは言ってないわ。我が家が珍しがられるからでしょう?」

「そうだ。わかっているならいい」

「姉上。大きいから、ってわざわざ言うのは、なんとなく俺にも父上にも失礼だぞ」

「え? そうかしら。その体格で目立ちやすいのも事実ではあるわよ?」

「やめなさい。殿下の御前で」

 

 ナリーにぴしゃりと言われ、兄弟は座り直した。

 だが、いつもなら仲が良いなと笑うリューベルトが、今はまったくの無反応だ。ナリーはそっとその顔をのぞき込んだ。

 

「率直なご感想は……いかがですか」

「……ジグと、イルゴは……信用できる。私は、彼らの話は本当だと思う」

 

 ロベーレ行きが決まってしまったあの日に二人が味方ではなかったのは、リューベルトが愚かだったせいだ。ルイガンの手のひらで踊らされた結果、城内で剣を抜くという禁忌を犯した彼を止めるためだった。

 あの時の二人は、決して忠義を翻したわけではなかった。

 

「では……どうなさりたいとお思いですか」

「……」

 

 四人からの視線が集中したリューベルトは、じっと押し黙っていて、答えなかった。

 

「……これは、失礼を。急かすような物言いをいたしました。結論を急がれる必要はないと存じます。ごゆっくりお考えください」

「そうですよ、殿下。まだ私たちだって、びっくりしているところなんですから。ねえ、お兄様?」

「もちろん。母とヴィオナの言う通りです、殿下」

「ああ……ありがとう——」

 

 神妙な面持ちのリューベルトは、それ以降また発言をしなかった。

 シンザは、しっかり裏を取ってからになるが、帝都へ行くものだろうと思っていたので、彼が何を悩んでいるのか、よくわからなかった。

 

 

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