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炎国の騎士と北の夜明け  作者: 紘麻 涼海
第四章 それぞれの道
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十四、早春の帝都

 アダンが帝都へ上がる申請は通った。ただし登城は控えるように、とのお達しだった。

 帝都のキュベリー邸へ行くことだけでも、許可が下りない可能性のほうが高いと思っていた。アダンは再申請を出す用意もしていたくらいだ。

 おそらくザナロたち商業協会が、貴族を動かしてくれた影響がここにも出たのだろう。キュベリー家への過剰な締め付けは、できなくなってきたのかもしれない。

 ザナロは、キュベリー家へのせめてもの恩返しだと、何よりも領民の怒りだと言ってくれたが、アダンにとっては本当にありがたい援護だった。この先何かをするとしても、少しも動けなくては始まらない。

 そして、子どもたちにも会える。

 

 


 

 

 ——待ちわびた萌芽の季節。

 先触れを受け取ったイーリオは、館の正面にある窓に張り付いて父を待った。庭の先の門が開くのを見つけた途端に廊下を駆け抜け、玄関を開け放って弾けるように外へ飛び出した。

 

「父上!」

 

 馬車から降りるやいなや飛びついてきた末っ子を、アダンは大きく腕を広げて抱きとめた。

 

「ただいま、イーリオ。本当に背が伸びたな」

「父上、おかえりなさい!」

 

 イーリオはうれしそうに父親を見上げていた。

 子どもたちを支えてくれている、執事を始めとした使用人たちが、アダンの迎えのために並んでいる。その真ん中の玄関から、エレリアとウィルドが歩み出てきた。

 

「おかえりなさい、父上。本当はイーリオも、挨拶は上達したんだよ」

 

 ウィルドがからかうように言うと、イーリオがふくれた。やめなさい、とウィルドを小突いたエレリアだったが、その顔は曇りのない笑顔だった。

 命令により子どもたちが領地を出発する時、エレリアはアダンに、任せてと言った。ウィルドとイーリオのことは、私がちゃんと見てるから——そう強がった長女は、実は誰よりもやつれて憔悴していた。

 あれから何ヶ月も経った。たくさん手紙をもらったが、アダンの記憶の中のエレリアはずっと、生気をなくした瞳をただ開いている顔で止まっていた。

 でも現実のエレリアは、明るく笑っている。十四歳を前に、きれいな娘に成長していた。

 そしてアダンはこの長女から、驚くべき秘密を明かされることになった。

 

 

 


 

 監視が軽減されたおかげで、家族だけで会話をできるようになっていた。

 夜、ウィルドとイーリオが湯殿へ行っている間、エレリアはアダンに、リューベルトが生きているという事実を打ち明けた。

 

「ティノーラがくれたその手紙は、間違いなく殿下の筆跡だったわ。殿下とわたくししか知らない内容だった……殿下は、イゼル城にいらっしゃるのよ」

 

 エレリアは廊下に声が漏れないよう注意しながら、驚きのあまりになかなか信じられない父を懸命に説得していた。

 

「ああ……。信じ難いのが本音だが……お前がそう言うなら、手紙は本物だと考えて……いいのだろうな」

 

 考えてみれば、国境の隣領であるグレッド家とリエフ家が、懇意にしていても不思議はない。そしてグレッド家のお方がエレリアを騙すはずもない。

 

 ——ダイル様がリューベルト殿下を、密かにお救いくださっていたということか……。あの方なら、充分にあり得る話だ。

 

 アダンは目頭を熱くした。

 リューベルトが信頼して救いを求めてくれたのに、お役に立てなかったと、心の底から悔いてきた。取り返しのつかない失敗を犯したと——

 ダイルが亡くなったことは、真冬のうちに国内に知れ渡っていた。アダンは幼い頃から目をかけてくれた彼の墓前で祈らせてもらいたかったが、現在の立場上遠慮していた。

 グレッド侯爵位は、嫡男ガレフが相続している。彼も年次報告にこの帝都に来るだろうが、接触は難しいだろう。お互いの館は見えるほど近いのに、アダンの外出には監視がつきまとうため、会えても挨拶程度が関の山である。

 それに、彼が本当にその背にリューベルトを隠しているのなら、アダンが近付くのは避けるべきである。

 本当はできることならば、ティノーラ・リエフを通してではなく、ガレフから直接リューベルトの無事を聞きたいものだが……

 

 ——殿下がご無事であられるとして……これからどうなさるおつもりだろうか。

 

 リューベルトとガレフは、ディーゼン陛下を弑した者へ蜂起するつもりなのだろうか。果たしてできるだろうか。証拠もなくリューベルトの証言だけで、そこまでするのは難しいはずだ。

 生前のダイルが大きな行動を起こさなかったことからも、グレッド家も動けない状況と見るのが妥当か。

 

「殿下はもう、十四歳になられたわ」

 

 エレリアの声が、アダンのまとまらない思考を一旦区切った。

 

「ああ、そうだな。……昨年は、両陛下が開いた祝賀会にお招きいただいたな」


 そしてその数日後、ディーゼン陛下から子どもたちの婚約を打診されたのだった。


「今年は、リエフ家のお手紙に、お祝いの言葉を添えさせていただいただけ」

「……まだ、これからどうなるかわからないが……お会いできる日が早く来るといいな」

 

 エレリアは言葉なく頷いた。その瞳の奥にあるものに、アダンの胸がズキリと痛んだ。

 大人たちの争いに巻き込まれ、互いに不安定で不自由な身となってしまったが、娘たちの気持ちは……変わっていないのだ。

 

 


 

 

 それは、瞬間を狙いすましたかのように起きた。

 登城を遠慮するよう言い渡されているアダンは、年次報告をまとめた書類を、城から来た役人に手渡した。その役人を、門まで出て見送っていた時だ。

 

「お久しぶりです。アダン様」

 

 何食わぬ顔で、侍従を連れたガレフが声をかけてきたのだ。

 その場にいた役人たちは一様に警戒心をあらわにしたが、アダンは内心で焦りを感じていた。話したいとは思っていたが、会わないほうが間違いなく得策だと思っていた。

 だが、ガレフのことだ。うっかり遭遇してしまったわけではあるまい。あえて接触してきたのだ。

 

「ご無沙汰をいたしております、ガレフ様。ダイル様のご訃報に接し、お悔やみ状をお送りすることしかできず、ご無礼をいたしました」

「いえ、仕方のないことです。真冬でしたしね。それよりも、私に対してそのような言葉遣いはおやめください。私にとってアダン様は、師の一人ですよ」

 

 子どもの頃のアダンがダイルに教えを請うたことがあるように、ガレフはアダンに様々なことを尋ね、教わった。両家は昔からそういう仲だ。

 それは隠していないことなのだから、せっかく同時期に帝都にいる間、ガレフがアダンに一度も声をかけないほうが、むしろ不自然に思われるものかもしれない。この行動はそういう計算だろうか。

 

「私が師であるなど……恐れ多いです。それに、ガレフ様はもう侯爵家ご当主、私は伯爵ですので」

「関係ありませんよ。以前のように『ガレフ殿、久しぶりだな』とおっしゃってくれたほうが、私としてはうれしいです」

 

 ガレフは何も含みを感じさせない、少年のような笑顔を見せた。今のはただの本音なのだろう。

 

「アダン様も、これから年次報告に上がるのですか」

「いいえ。私はここで書類を提出して終了です。今年は登城を控えるよう言い渡されておりますから」

「ああ……そうなのですか。では、皇家の墓所にだけでもご一緒しませんか」

「——?」

 

 あまりにもガレフが平然と誘うので、アダンは彼の意図を掴むことができず、咄嗟に返す言葉が出てこなかった。

 当然、皇家の墓所は城の敷地内にある。それも、城の中を通らないと行かれない場所だ。そこへ一緒に行こうとは、どういうつもりだろう。

 役人の貴族たちも、戸惑って顔を見合わせている。

 

「グレッド侯爵様……お話に割り込むようでご無礼をいたしますが……今ご本人がおっしゃっていた通り、キュベリー様には登城を見送っていただくことになっておりまして」

「何を堅いことを。お仕えした陛下に祈りを捧げに上がるだけだぞ? ちょっと城を通って墓所へ出るだけで登城とは、大袈裟じゃないか。何を咎めようというのか、私には理解できないが?」

 

 声音に脅すような調子はないが、帝国屈指の名家かつ最上級の騎士の侯爵に見下ろされると、役人たちは口ごもった。

 ガレフは腕組みし、役人たちから城へ目を移した。

 

「まあ、あなたたちに言っても困らせてしまうだけか。私が直接掛け合ってこよう」

 

 そう言ったガレフは、侍従を伴って悠然と城へ行ってしまった。半時ほど経つと、彼は監視の役人たちなどお構いなしに、キュベリー邸の門を叩いた。

 

「許可をいただいてきました」

 

 子どもたち三人の分の許可まで取ってきたという。エレリアが心配になって、ガレフに無理をしたのではないかと尋ねた。

 

「していませんよ。この国は目を掛けてくれた主君にご挨拶もさせないのか、と申し上げたら、それほど渋らずに折れてくれました」

 

 それは、彼がグレッド家のガレフだからだろう。彼自身もそれを自覚していて、掛け合いに行ったのだ。

 そして、ガレフの意図がアダンにもやっとわかった。いや、特別な裏の意図などなかったのだと気づいた。

 言葉通り、主君の墓標に祈る時間を作ってくれたのだ。アダンとエレリアは、国葬の時にリューベルトにしか花環を捧げることを許されず、ウィルドとイーリオはそれすらも許可されなかった。

 彼らもエレリアと一緒に、かつてリューベルトから城に招待されていた。両陛下の午餐会に出席させてもらったこともある。妻を亡くしたアダンの息子たちを、皇帝と皇后は気にかけてくれていたのだ。

 まだまだ子どもであっても、ディーゼン陛下の皇家を敬愛する気持ちは、間違いなく強く持っているというのに。両陛下の崩御からもうすぐ一年、ウィルドたちはまだお別れのご挨拶をしていなかった。

 

「本当に、私たちもいいのですか、ガレフ様」

「ええ。一緒に参りましょう」

 

 憧れの騎士であるガレフに久しぶりに会えたというのに、ウィルドがただ無邪気にはしゃぐことはなかった。イーリオもそんな兄に倣っているようだ。

 いつの間にか息子たちは、一歩大人に近付いていた。

 

 

 


 

 アダンたちは城の一階の端の廊下を通った。庭園からずっと、貴族たちの姿は一人も見当たらなかった。おそらくキュベリー家が通るとの話が城内で広まり、避けられているのだろう。

 墓所にはリューベルトの墓標も立っていた。国中が彼の落命を信じているのだから当然だ。アダンでさえ娘から秘密を聞かされてなければ、ここで心からリューベルトの冥福を祈っていただろう。

 エレリアが秘密を明かしていないウィルドとイーリオは、実際に義兄になるはずだったお方の墓前で、心を込めて祈っている。

 ウィルドたちにはまだ当分真実は話さないと、エレリアがすでに決めていた。四六時中嘘をつくことになるのは酷なことであるし、彼らにはまだ大人を騙せないと判断したのだという。

 

 アダンとエレリアも、初めて対面した皇帝と皇后の墓を前に、最上の敬意を込めて祈った。

 監視の目があるので、リューベルトの空の墓に向かっても跪き、花を供えると、しっかりと指を組み目を瞑った。きっとエレリアが祈っているのは、ほんの少しでも早い再会であろう。

 最初に済ませていたガレフは、アダンたちが立ち上がるのを待っていた。エレリアが改めて今回のお礼を言った。

 

「ガレフ様、わたくしたちの分のお花まで用意していただいて、本当にありがとうございました」

「急なお誘いをしてしまいましたからね」

 

 ガレフの侍従は、あっという間にキュベリー家の分の供花まで準備してきた。事前に手配済みだったとしか思えない手際だった。

 

「……殿下がもしご存命であられたなら、先月にお誕生日を迎えておられたところでしょうか」

「ええ……そうですわね」

 

 ガレフはリューベルトの墓碑からアダンとエレリアに視線を移し、少し表情を明るくした。

 

「そうそう、ちょっと思い出したので、ご相談してもよろしいでしょうか。昨年からシンザと仲良くなった、身寄りのない騎士見習いの少年を城に引き取りましてね。その子もちょうど十四歳なのですよ」

「……!」

 

 アダンとエレリアは小さく息を呑んだ。大胆にもガレフは、この帝都城内でリューベルトの話をしている。

 一瞬驚きが顔に出てしまったが、役人たちは背後にいたので助かった。おそらくそこは、ガレフの計算のうちだったのだろうが。

 

「何か帝都土産を買ってやろうかと思っているのですが、お薦めはございませんか」

「帝都のお土産ですか……」

 

 墓碑に刻まれたリューベルトの名を見つめたエレリアは、思い出を振り返るように目を細めた。

 

「それなら、ハーブティーは……いかがですか」

「ハーブティー? 帝都では紅茶よりハーブティーが飲まれているのですか」

「そういうわけではないのですが……三年ほど前にハーブティーの専門店ができたのです。個々の好みや体調に合わせたブレンドもしてくれるのですよ。詰め合わせなら色々なものが楽しめますし、そこでしか買えないものも多いので、お土産になると思いますわ」

「なるほど、いいですね。……もしかして、リューベルト殿下とも召し上がったことが?」

「はい。殿下のお好みは、ミントとレモンヴァーベナとリンデンでしたわ。それにオレンジジャムを乗せたクラッカーを、よくお召し上がりでした」

 

 にこりと笑ったエレリアに、ではその殿下のお気に入りを真似させてもらいましょう、とガレフが返す。これはエレリアからリューベルトへの贈り物となる。

 娘とガレフのこのやり取りで、アダンはリューベルトがイゼルにいることを確信できた。きっとそれも、ガレフがこの話をこの墓所でした理由だったのだろう。

 

「では、今日のところは、私はここで失礼します」

 

 実はガレフはまだ、年次報告を済ませていないのだと言った。先ほど城に来た時は、本当に司法官に掛け合っただけで、すぐに下城してしまったらしい。

 

「はは、報告も終わらせておけば良かったのですが」

「旦那様はすっかりお忘れになられて」

 

 自分の失敗を明るく笑うガレフの横で、侍従はやや苦笑いしていた。

 配慮に感謝を伝え、ガレフとは別れた。


 役人に連れられたキュベリーの一家が城を出て、相変わらず見事な庭園に出た時。

 再び、まるで狙いすましたように、それは起きたのだ。

 

「エレリア!」

 

 響いたのは少女の声だった。

 

 

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