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炎国の騎士と北の夜明け  作者: 紘麻 涼海
第四章 それぞれの道
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五、昔話

 ザディーノが侵略戦の準備をしていることが判明すると、すぐにガレフがその地へと発った。ヴィオナもあとから出立し、シンザはダイルの遣いとして帝都へ向かった。

 その頃から、ノルドレンはより頻繁に、イゼルを訪れるようになっていた。リエフ領は今回の戦火に巻き込まれることはなさそうだが、同じ国境領の家として、情報交換は必要である。

 だがそれだけでなく、シンザもそばにいなくなってしまったリューベルトを、訪ねるためでもあった。

 

 その後帝都から帰ってきたシンザは、またすぐにヴィオナのあとを追って、戦場となる地へ行かなくてはならなかった。

 その出発前に、以前リーガに託したリューベルトの手紙が、やっとティノーラからエレリアに届き、信じてくれたという報せをくれた。それはリューベルトにとって本当にうれしい瞬間だった。自分が生きていることを、エレリアが知ってくれたのだ。

 

「ティノーラからの手紙です」

 

 ノルドレンが新しい手紙を差し出した。

 シンザが勝てないと評する騎士であるノルドレンが来ている時には、リューベルトからは護衛も外れる。

 手紙を受け取ったリューベルトは、これを読ませてもらうことをとても楽しみにしていた。体裁は妹から兄へ近況を知らせるものであるが、様々な報告であり、エレリアの様子も多く書いてくれているからだ。

 その中に「エレリアに借りた物語の台詞なの。もしお兄様なら、これに何て返事をするかしら」という部分があった。


『再びお会いできる日を、わたくしは何年でもお待ちしています。あなた様もそうでありますように』


 これはきっと、エレリアの言葉を代筆してくれているのだ。ノルドレンもそう考えていた。殿下のお返事は私が代筆いたします、と言ってくれた。

 城の茶会の話題になったともあった。あの時エレリアもリミカを目撃していたらしく、一緒にいた騎士は殿下の近衛だった方なのだと言っていた、という内容だった。ジグのことで間違いないだろう。彼はリミカの近衛を続けてくれているのだ。最後にリューベルトが頼んだことを守って。

 初めて届いた手紙から名があったターシャ・イェルムという少女が、エレリアともとても仲良くなったことも記されていた。

  

「三人ともずいぶん親しくなったようだな」

 

 このターシャという少女について、以前ティノーラは少し感情的に書いていた。イェルム家当主セルギの正式な養女でありながら、家族の情を与えられることなく、蔑ろにされているのだ、と。

 

「イェルム伯爵領は、こちらのほうであったな」

「そうですね。リエフ領とは北西で一部接していますが、特に関わりはありません。隣といっても急峻の向こう側で、領境には川もありますから、グレッド領からコーディ領なども経由しないと行かれませんし」

 

 今でもターシャは、毎日一人で外へ出ているようだった。だからティノーラも、毎日のように彼女がいる所へ行って、一緒に過ごしているらしい。

 

「……この当主は、感心できないな」

 

 ノルドレンも同意見だった。

 しかし、ターシャ本人が何も申し立てをすることなく、養子縁組の解消に同意しているのであると、他人にできることは何もない。

 

 それに正直なところ、何よりも心を悩ませるのは、やはりザディーノとの戦のほうだ。

 膠着状態だとダイルに報告があり、その次の伝令によれば、ガレフたちは奇襲を仕掛ける算段だとも聞いた。あれは実行されたのだろうか。

 

 ノルドレンを見送ったリューベルトは、城の二階の大きなバルコニーに出た。戦場が見えるはずもないけれど、南の方角を眺めるのが習慣のようになっていた。

 太陽は西の空を赤く染めている。

 続いていた雨は上がり、ここ数日の晴天ですっかり大地は乾いていた。この城から見下ろせるイゼルの街の一角では、街路樹が赤や黄色に変わりかけているのが見える。

 いずれ冬が来る。そして真冬のうちに今年という一年が終わり、新しい年が来る。

 

 ——何という年だったことか。一の月……今年が始まった頃と今とでは、住んでいる場所も周囲にいる人もまったく変わった。新しく得たものはとても貴重なものばかりだが、持っていたものはほとんど失ってしまった。辿るはずだった道は、跡形もなく崩れ去った。

 何をすべきなのか、一体何をできるのか。

 今の自分は何者なのかさえ、リューベルトにはわからなくなっている。

 

「冷たい風ですね」

「……! ダイル殿」

 

 ダイルがバルコニーへ出てきた。ナリーはリューベルトに一礼して、城の中へ下がっていった。

 

「実は、この上にいたのですよ。そうしましたら、殿下がいらしたのが見えましたので、少しご一緒させていただこうかと」

 

 ダイルが軽く上を見上げた。三階にもバルコニーがあった。茶会もできそうなこの二階とは違って、ずいぶん小さなものだ。リューベルトは遠慮して三階には上がらないので、未だにそこの構造には詳しくない。

 

「戦況を気にかけてくださっているのですか」

「……勝利を、信じてはいるが」

 

 この大陸に生まれた一人として、戦というものをまるで知らないわけではない。みんな無事で、なんて無知なことは考えていない。でも、犠牲者や傷つく者が少なく済んでほしいと祈る自分は、きっと世間知らずで甘いのだろう。

 

「早く知らせが来ないかと、こうして南を見張りたくなってしまうんだ。仮にも皇帝になろうとしていた人間が、こんな落ち着きのないことを、すべきではないのだろうが」 

「もう、ガレフの作戦の結果は出ているはずです。明日か明後日にでも、伝令が来る頃でしょう」

 

 ダイルが両手で手すりを掴んだ。よろけたように感じたリューベルトは、思わず彼の身体に手をかけそうになった。それを察したダイルが微笑したが、それさえも少し苦しそうに見えた。

 

「若い頃は、想像もしませんでした。これほど自分が弱るところなど……。戦の中で死ぬものと思っていましたから」

 

 赤い陽光を右の頬に受け、ダイルは遠くを見つめた。

 

「そんな男が、今は戦場に送り出した子どものことが、心配でならないのです。母や妻はずっとこんな思いをしていたのかと、今さら身に染みています」

「……ダイル殿……」

 

 フェデルマ随一の騎士と賞賛され、宰相も経験し、他国にも名を馳せている、フェデルマ帝国の盾。

 そんな彼の、ただの父親としての言葉。

 

「私は……ディーゼン様が敵国に話し合いの使者を送り、戦の回避を試みたことを……失礼ながら、無駄なことだと思っていました。セームダルやザディーノと長年相対している、この地に生まれ育ちましたから。こちらが侵略をやめても、相手は信じない、やめない。むしろ見くびられて、侵攻される危険性が高まるのではないかと」

「……だから、父がもう一度宰相にと打診した時に、断ったのか」

「いいえ。それは本当に、アダン殿のほうが相応しいと思ったからです」

 

 そして五年前はまだガレフも成人しておらず、危険が増すかもしれないグレッド領を、当主のダイルが離れることはできなかった。もっとも大きかったのは、こちらの理由だった。

 ふいにダイルが、くっくっ、と笑いだした。

 

「それに、少し恥ずかしかったのですよ。また自分が帝都城で働くことが」

「は、恥ずかしかった?」

 

 リューベルトはきょとんとした。普通なら宰相に望まれるのは、この上なく名誉なことではないのか。この帝国で二番目の権力を得るのだから。

 

「殿下は、十五年前に私がベネレスト様の宰相を、一年だけ務めたことをご存知でしたか」

「もちろん知っている」

「では、辞任した理由はどうですか」

「当主であった父君が亡くなったから、だろう?」

 

 先代当主の父親の意向もあり、ダイルは若い頃から領地を離れ、帝国騎士団に入っていた。グレッド家は過去にも、宰相や帝国騎士団長を輩出している名家であり、彼は腕と人望もあって、副団長ともいわれる第一隊隊長まで出世していった。

 その活躍が目に止まり、ベネレストが即位に際して宰相にと、騎士団から引き抜いたのだ。

 ところが一年後に父が他界したことで、ダイルは爵位を相続することになり、国境の警備を優先して宰相は辞任し、早急に領地へ戻らざるを得なくなった——

 

「やはりそちらの理由しか、お耳に入っておりませんか」

「他にも理由があったのか?」

「はい。もうひとつ大きな理由があったのですよ。十四年前、父が亡くなる直前のことです。ベネレスト様と私は——大喧嘩をしたのです」

「おお、げんか……?」

 

 リューベルトはますます目を丸くした。このダイルと、あの祖父が、大喧嘩。……想像ができない。

 

「一体、何が理由で……?」

「意見の相違、と申しましょうか」

  

 ベネレストの父、ガリアデル帝の御代は、併合した元小国の民が反旗を翻すことが多い時代だった。

 即位したベネレストは、それらを治め、同じことが繰り返されないようにする必要があった。そのために彼は、反乱を徹底的に抑え込む方針を採ったのである。降伏にさえ耳を貸さなかった。

 反逆者はフェデルマの民にあらず——容赦のない粛清は北部で二度起きた。確かに反乱を収束させ、その後国内は静かになった。

 

「ああ……その件は、習った」

「私は最初から反対していました。強さを示して統治することと、見せしめや恐怖による弾圧は別物だと。しかし二度目、私を蚊帳の外にして同じことが行われたと知った時、頭に血が上った私は、ベネレスト様に猛抗議いたしましてね。当時のバイディー・ルイガン侯爵が青ざめるほどの言い合いになりました」

「ダイル殿……よく無事であったな……」

 

 リューベルトのほうが身震いしてしまいそうになった。孫である彼だが、ベネレストのことが怖かったのだ。同じ城で暮らした一年間、祖父の前で緊張が解けることはなかった。

 あの厳粛な皇帝に真っ向から意見できる人間がいたのかと、ダイルの顔をまじまじと見てしまった。彼は昔を思い出して笑っていた。

 

「私は次期グレッド家当主でしたからね。ベネレスト様は国家の損益を重視なさるお方でしたから、潰すのは思い止まってくださったのでしょう」

 

 さすがに何のお咎めもなしとはいかず、ダイルはしばらく謹慎となった。その間に父親の訃報が届いた。グレッド領に当主不在と隣国に知られる前に、ダイルが戻らなければ危険だった。侍従を使って密かにお伺いを立てると即刻謹慎は解除され、ダイルは城に上がることもなく帝都をあとにした。

 喧嘩別れのようになったベネレストとは、ほとんどそれきりだ。粛清を容認できなかったダイルは、抗議の意味を込めて、国土拡大の戦にもまったく参戦しなかった。

 加勢するよう皇帝の遣いが来ても「国境を守るしか能がありませぬゆえ」と返事をして、突っぱねてしまった。すぐ北の現リエフ領の攻略戦の時でさえもだ。

 けじめをつけて、グレッド家は守りに専念すると表明し、完全に中央政治から手を引いた。帝都にも城にも、必要以外参じることはなくなった。

 ベネレストの十年間の御代では、三度目の粛清は行われることはなかった。

 

「そのように城を去った私ですので、また宰相になるのは気が引けました。アダン殿が引き受けてくださって良かったと思っていましたよ」

「そうだな。父とキュベリーは、本当に信頼し合っていたと思う。……ルイガンは、違ったが……」

 

 ロニー・ルイガンが信じ、敬愛したのは、ベネレストただ一人だけだった。あの男は五年間、何を思いながらディーゼンの宰相を務めていたのだろう。ディーゼンという皇帝をどう思っていたのだろう。

 

「……」


 リューベルトはダイルに気づかれないように、そっと深く呼吸をした。

 六年間人知れず抱えてきたものが、頭をもたげていた。そんなはずがないと思いながら、心の奥から消えなかった小さな疑い。

 父も母もいない今、もうダイルにしか頼れないような気がした。

 

「……ダイル殿……そなたなら、教えてくれるだろうか。おかしなことを……聞いても良いか」

「どうなさいましたか、殿下。私で良ければなんなりと」

「父上……父は、本当に……ベネレストの子なのか」

 

 ダイルは意表を突かれた顔をして、リューベルトを見返していた。

 

 

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