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炎国の騎士と北の夜明け  作者: 紘麻 涼海
第四章 それぞれの道
34/107

四、西の闘い、東の戦い

 帝国西部にある帝都は、晴天のもと、今日も活気にあふれている。

 ドルトイの伯爵家の屋敷をあとにしたイルゴは、服のポケットに入っているものを指先で確かめた。間違いなく、目的のものだ。

 ジグに湧き上がった疑問が本当だったとしたら、これは非常に危険なものということになる。人を二人も死に至らしめたものなのだから——

 

 

 


 

 ドルトイは火災当日着ていた服を、当時のまま保管していた。家族は危篤状態の彼から治療のために脱がせたあと、処分しようと考えていたらしい。血とすすにまみれ、ところどころには穴があき、黒く焦げているその服は痛ましすぎて、本人の目に触れないようにしようとしたのだ。

 しかし彼がうわ言で、皇帝を捜す言葉を繰り返しているのを聞いて、思い直したのだそうだ。どんなに醜く汚れていようと、他人が見たら薄気味悪いものであろうと、これは本人以外が決めることではないと。

 回復し、落ち着きを取り戻した頃にドルトイに見せると、彼は残すことを選んだのだった。

 

 なぜそんなものを見たがるのかと、ドルトイは不思議がっていたが、イルゴは領地に帰る彼を巻き込まないため、本当の理由は話さないことにしていた。

 ディーゼンやレスカとの思い出話や、ドルトイのおかげで自分も現実を受け入れて進み出せそうだ、という話をしたあとだったから、どうにかそこまで訝まれることなく、彼に服を出してもらうことができた。

 

 それは、胸を打つほど惨い有様だった。よく見知っていなければ、これが元々は皇帝の侍従だけが着用する、格式高い制服だとはわからないだろう。

 火災当日は、とにかく城中が混乱していた。リューベルトがいつの間にか部屋から塔へ移り、転落して意識不明と知ったイルゴは、目を覚ますまで彼に付き添っていた。ドルトイがどれほど無残な状態になっていたのか、イルゴは少しもわかっていなかったのだ。

 

「本当に、よく生きていてくれた……ドルトイ」

「そう言ってくれるのは有り難いが、……今でも思っているよ。陛下の代わりに私が死んでいれば、と」

 

 それは、彼の本音だろう。

 イルゴには、首を横に振ることも、そんなことを言うなと言葉に出すこともできなかった。その願いは、彼の中にもあるものだったのだから。

 

「そうだ。姫様の侍従の話は、お前に行ったか?」

「ああ、打診を受けたよ。家族に話してから決めさせてほしいと、返事をした」

「前向きのようだな」

「そうだな。前向きに考えているよ」

 

 ドルトイは喜ぶように数回小さく頷いた。

 彼が廊下のメイドに用を言いつけている間、イルゴは素早く制服に手を伸ばした。焦げ付いたものを爪で削り取り、側面にあるポケットにも手を差し入れた。乾燥した細かいものに、指の先端が軽く埋まるような感触がした。イルゴはそれを摘み取ると、自分のポケットに入れ込んだ。

 

 

 


 

 ドルトイの服に残っていた、皇后レスカの茶葉。

 これをどうするか、イルゴとジグは迷った。

 もし毒が含まれていれば、弑逆の犯人が存在することになり、それはきっと城内にいる。表立って検査をして良いものだろうか。

 リューベルトは、リミカを守ってくれと言い残した。彼は犯人を皇家の敵と見ていたということであり、そう考えるのが自然であろう。今までそのような異変を感じたことはないが、少しでもリミカに危険が及ぶことはしたくない。

 

「やはり、帝都内では検査しないほうが良いのではないでしょうか」

「そうだな……今は姫様の安全がすべてに優先だ」

 

 ちょうどイルゴは、一旦領地へ帰る。リミカの侍従の件を父親たちに直接話すためだ。その時にどこかで、公に知られないように頼むしかない。

 ジグはイルゴに一任し、日常を過ごしていた。

 色々と考えてしまうことはあるが、ジグはなるべくそれらを打ち消して近衛の任に集中した。余計な先入観を持っていたら、何か事が起きた時に出遅れてしまう原因になりかねない。

 リミカの周囲の、特にディーゼンと意見の違った者への警戒は強めた。言動を注視し、皇家への忠誠心の持ち方を量ろうとした。

 言葉少なな上に気持ちが表情に出ない男なので、ジグの変化には誰も気がつかなかった。

 

 


 

 

 半月ほど経った日、イルゴが帝都に戻ってきた。

 この葉には猛毒が含まれている。それが検査結果だった。危険なのですぐに廃棄したほうが良いと、忠告されたほどだった。

 捨てることなどできるものか。これは、リューベルトが核心をついていた証拠なのだ。

 あの日のリューベルトの言葉は正しかった。間違っていたのは、彼以外の大人たち全員。

 あろうことか主の信頼を裏切っていたのだという事実は、イルゴとジグを苛んだ。あの日から抱え続けてきた後悔も、捧げてきた祈りさえも、見当違いの行為だったのだから。改めて墓標に許しを乞うことも、もはや身勝手なことに感じる。

 せめてリューベルトの名誉を回復させたい。そのためには、この証拠は慎重に扱わなければならない。

 

「しかし、どこへ……提出すれば良いのか——」

 

 ジグの躊躇いはイルゴも同じだった。

 提出先を間違えれば、揉み消される。最悪の場合、イルゴもジグも口を封じられ、すべてが無に帰す。皇帝と皇后を手にかけた相手は、おそらくそれくらいのことを簡単にする。

 リューベルトは、ルイガン侯爵に向かって剣を抜き、犯人だと断じていたが、その根拠が二人にはわからなかった。

 確かに「皇太子は心を病んでいる」と、はっきり言い出したのは彼だ。しかしあの頃は多くの人が、リューベルトの精神状態を心配し、同時に疑ってもいたという状況だった。毒の存在を誰も信じていなかったからだ。ルイガン侯爵だけが特別極端だったとも言えない。

 家臣を代表してその「言いにくい話」をリューベルト本人にしたことで、逆上されて犯人扱いを受けることになってしまった……あの時の彼のその説明にも、それほど無理やりな点はない気がする。


 そしてあの出来事の前後も今も、彼には皇家に対して不敬な態度など見られないのだ。旧派からは新しい皇家にと推されたが頑なに辞退し、宰相として国を中枢で支えている。

 ……そんなルイガン侯爵が本当に弑逆者だったならば、これほど恐ろしい筋書きはない。どこへ茶葉を提出しても無駄なのではないだろうか。女帝より権力が集中している彼は、イルゴたちが戦いを挑める相手ではない。

 

「とにかく……私はルイガン卿を、信用することはできなくなりました。最後に殿下が敵と見なした方なのですから」

「賛成だ。我々は殿下に従う。そうすると、間違いなく信用できるのは、……キュベリー卿だ」

 

 リューベルトが内密に調査を依頼した、アダン・キュベリー元宰相。彼ならリューベルトと、他の情報も共有していた可能性が高い。もっと何か知っているのではなかろうか。

 しかしアダンと接触するのは困難だ。娘のエレリアでさえ、あれほどの監視を受けているのだから、アダンはもっと厳しいに違いない。そして残念なことに、彼は力を失って領地へ送られてしまった。

 動く時ではないのか。今は……まだ……

 守るべきリミカを城から連れ出せない以上、早まった行動は慎まなくてはならない。

 ルイガン侯爵かはわからないが、犯人が何か動きを見せるか、キュベリー伯爵が国政に返り咲くのを待つしかないのだろうか。

 たった一人真実を叫んでいたリューベルトの無念を思うと、胸を掻きむしりたくなるほどに悔しくなる。早く世に事実を知らしめてやりたい。苦しいほどに気は急いている。

 ——けれど今は、主の無念を晴らすために、両陛下の仇を見つけ出すために……機を待つ。

 歯噛みする思いで、イルゴとジグはその道を採った。

 

 


 

 

 帝国最東部、グレッド領南部。

 その日は雨が降っていた。

 

「秋らしい雨だな」

 

 雨粒を眺めながら、ガレフが一人呟く。

 時折止みながら、しとしとと降る。この雨はもう三日目だ。

 戦に備えるため彼がこの地に着いた時には、まだ夏の盛りの暑さだったのに、すっかり季節は移ろった。

 

 ザディーノとの間に始まった戦は、ひと月に及んでいた。

 相手は短期決戦のつもりでいたと思われる。開戦当初のザディーノは、それだけの軍勢を一気に送り込んできた。勢いに任せて、この辺り一帯を奪い取るつもりでいたのだろう。

 南の隣領エドリッツ侯爵の騎士団と、帝国騎士団第三隊の援助を受けながら、ガレフたちはこれを退けた。グレッド領は、帝国の土地は、一部たりとも渡さない。

 ザディーノは一時撤退したが、まだ侵略を断念してはいない。土を盛って土塁を作り、櫓を築いて新しい砦としている。その中で次の攻撃に向けて、準備をしていることが確認されている。

 

 ザディーノの王も引くに引けない状況なのだろう。フェデルマが皇家の人間を三人も立て続けに失い、幼い女帝を担ぎ上げた混乱につけ込んだはずなのに、ひとつの戦果も得られずに撤退となれば、自国内の批判の的となってしまう。なんとしても結果を掴みとるため、もう一度力の限りの総攻撃を仕掛けてくるだろう。

 

 フェデルマ側では、防戦に徹してやり過ごし、冬を待つという作戦も検討された。ザディーノは山脈の関係でフェデルマよりも雪が少なく、冬期の戦を苦手としているのは、以前より明らかだったからだ。冬になれば、自ずから手を引くだろう。

 

 しかしガレフたちは、今のうちに決着をつけることを選んだ。春になってまた戦を仕掛けられるようでは、民は安心して暮らせない。ザディーノには今回ここで、はっきりと諦めてもらわなくてはならない。その後も当分フェデルマには手を出せなくなるよう、ザディーノ国王には苦杯をなめてもらう。

 そのために、こちらからザディーノ側の戦場へ乗り込み、砦を奇襲、破壊する。

 

 ザディーノが本腰を入れていただけに、この戦場は過酷を極めていた。いつだって戦は悲惨だが、ガレフが戦場に出るようになってからは、今回が一番敵味方ともに犠牲者が多い。

 長引かせれば、消耗は増すばかりだ。戦死する者も、精神をすり減らす者も、一人でも少なく抑えたい。

 だからこそ、この奇襲で終わらせる。

 

 夜明け前にフェデルマ側が拠点にしている古城を出ると、味方を三つに分割した。国境付近に急ごしらえされたザディーノの砦に、三方向から近付くのだ。

 そろそろ日の出の時刻と思われるが、雨を降らせる暗い雲は、陽の光をすっかり遮っている。林の中は真夜中のように暗いが、最小限の松明だけを灯して進んで行く。

 ガレフは西側から先陣を切る部隊だ。北ではシンザとヒュリスが、南ではヴィオナとエドリッツ騎士団の部隊長が指揮を執っている。帝国騎士団第三隊は、それぞれの後援や古城の守備をしてくれている。

 

 視界が少し明るくなる。林を抜けたのだ。

 過去の戦のせいで木々が焼かれ、ここは一度灰色の大地と化した。今は緑色の草に覆われ、幼木も育ちつつあるというのに、人はまたここで戦いを繰り広げる。

 騎士たちは林を出ると、できるだけ横に広く並んだ。三つの部隊に別れていると気取らせないため、こうして実際よりも人数を多く見せかけるのだ。

 

「——準備はいいか」

 

 ようやくわずかに白んできた空の下、ガレフは静かに剣を抜いて掲げた。此度の戦で何人ものザディーノの騎士を斬った剣が、冷たい雨を滴らせる。

 

「これで終わらせる!! 行くぞ!!」

 

 ガレフの短い命令に、騎士たちが鬨の声を上げる。前方の砦へ向けて振り下ろされたガレフの剣を合図に、馬たちが一斉に駆け出した。

 ザディーノの砦で見張りをしていた者たちが、西に現れたフェデルマの軍勢を発見し、鐘を打ち鳴らす。

 ガレフたちが早期に見つかるのは作戦のうちである。松明から火を移した矢を構えた者が先行し、木で作られた櫓へと放たれた。次々と、無差別に火矢を射っていく。

 この暗さと、雨音に蹄の音をかき消されてしまうことによって、こちらの人数の把握が難しいのだろう。ザディーノはこの襲撃を総攻撃と捉え、木柵の門を大きく開けて、一斉に応戦に出た。

 油で燃えている威嚇用の火矢は、雨のせいで火災を引き起こすには至っていないが、寝起きの彼らの判断力をさらに下げる効果を発揮していた。

 

 ザディーノとガレフの部隊が衝突する頃、北と南からも軍勢が現れる。シンザたちと、ヴィオナたちである。守りが薄くなった砦ごと、三方向からの挟み撃ちとするのだ。

 グレッド騎士団の先陣が敵をなぎ倒し、進路を開いてゆく。続く者たちは土塁を越え、囲いを斧で破壊して潜入していく。

 ——砦の内と外と、すべてが戦場となった。

 

 


 

 

 内部攻略を主な任務としていたヴィオナの部隊は、馬を降りて中央の一番大きな櫓に迫っていた。

 指揮官を探しているのだが、今のところそれらしき人物は見つからない。立ち塞がる敵を次々と斬り伏せながら、ヴィオナを含む精鋭部隊は、櫓の最上部へ到達した。

 指揮官は上部から戦場を俯瞰しているものと思ったが、ここにもいない。どこかで自ら剣を振るっているのだろうか。

 櫓の上からは、砦の内外が見渡せた。

 

「戦況は……俺たちに優勢ですね」

「そのようね。作戦は有効だったわ」

 

 従ってきたセスの分析に、ヴィオナは同意した。

 セスの水魔法は、雨の戦場ではとてつもない威力を発揮してくれる。操る水の供給に不自由がないので、刃のように鋭く薄い形状に錬成した水を、いくつもの矢のように飛ばすことができる。当たりどころによっては致命傷を負わせ、腱を切れば武器が持てなくなり、足を狙えば歩行困難になり、多人数を脱落させてしまうことも可能なのだ。

 ここでも、これまでも、彼の魔法には助けられてきた。


「さて、どうしますか」

「そうね。私たちの役目は指揮官を押さえることだけど、下にいるのだとしたら、みんなの加勢に加わってもいいわね」


 途中、武器庫や食糧庫は焼き払った。ガレフの加勢に行き、一気に畳み掛けてしまおうか。

 

「ヴィオナ様、ご覧ください。ザディーノの国旗が」

 

 エドリッツの部隊長の言葉に振り返ると、人ふたり分くらいの高さの旗竿には、旗が掲げられたままになっていた。雨に濡れ、重たく垂れ下がっているが、間違いなくザディーノの国旗だった。

 


 

 

 

 シンザは、砦を守るための囲い付近で戦っていた。ガレフの部隊がおびき出したザディーノの軍勢が、北と南からの襲撃に気づき、砦に逆行してきたところを叩くのが、彼の部隊の役目だ。

 南側へ行ったヒュリスとは、連絡が滞っていた。伝令が来ないし、ガレフの部隊の状況も土塁に阻まれて見えない。シンザたちはひたすら目の前のザディーノ軍と戦うしかなかった。

 

「あれは……姉上?」

 

 小隊長らしき男を打ち破ったところで、シンザは櫓の上に立つ姉を見つけた。どうやら砦内部は姉の部隊が制圧を終えたようだ。他にも彼女の存在に気がついて、見上げているフェデルマの騎士がいる。

 国旗を掲げた旗竿を掴んで立っているヴィオナは、あたかも神話に描かれる勝利の女神のような姿だった。しかしこの女神の場合は、手にしている国旗を守る側の存在ではない。ザディーノの騎士たちに、勝利をもたらす微笑みを与えることはない。


 柵の向こう側にいるザディーノの騎士が、シンザと同じ方向に顔を上げて気色ばんだ。「あの女!」と怒声を上げたのが、雨音の中でもよく聞こえた。


 上ではエドリッツの騎士が一人、ヴィオナのそばに現れると、小振りな手斧を振り上げた。ヴィオナがひらりと旗竿から離れた。

 雨音や戦闘音、戦う者たちの声のほうが大きく、地上で見ていた者には、その音は少しも聞こえなかった。手斧は無慈悲にも旗竿を真っ二つに切り飛ばし、ザディーノの御旗はくるくると落ちていった。

 フェデルマの騎士たちからは歓声が上がり、ザディーノの騎士たちからは怒りの声が上がる。

 

 そんな中でシンザは焦ってぬかるみを駆け出した。

 先ほど怒声を上げていたあの男が、憤怒の表情で弓を引き絞っていてのだ。矢尻で狙い定めようとしている先は、間違いなくヴィオナだ。

 男の胸には、何かの勲章が下がっていた。

 

 ——あいつが指揮官か!

 

 砦を落とされ、国の御印まで折られた彼は、自身の周りの戦いよりも、フェデルマ軍の象徴のようになったヴィオナだけでも討つことに、最後の執念を燃やしている。

 シンザは弓を持っておらず、柵を越えて近付く暇などない。間に合わない。

 もの言わず倒れる騎士の手から剣をもぎ取ったシンザは、柵の隙間から力いっぱいにそれを投げた。

 剣が男の体に突き立った時——すでにその手に矢はなかった。

 

 

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