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炎国の騎士と北の夜明け  作者: 紘麻 涼海
第一章 皇太子
3/107

ニ、記憶の断片

 少女が泣いている声がする。

 懐かしい声だな、リューベルトはついそう思った。以前はよく彼女を泣かせてしまった。

 いつだってそんなつもりはなかったのだが、リューベルトについて来られない彼女は、しゃがみ込んでいじけてしまったものだった。置いて行かないで、と泣いてしまうのだ。

 それもずいぶん前のことだと思う。ちゃんと気をつけて合わせるようにしたから、もうずっと、彼女を泣かせるようなことをした覚えはないのに。自分は一体、何をしてしまったのだったか――

 

「どうした、リミカ……」

 

 リューベルトの声は、ガサガサに枯れていた。何を言ったか、自分にも聞き取れないくらいだった。

 

「……起きたの? お兄様、起きたの!?」

 

 耳元で少女が叫ぶ。リューベルトの耳はキンとし、頭が痛い。

 

「姫様、大声はお控えくださいませ」

 

 妹の侍女の咎めるような声がする。どうしたのか、いつもしゃんとしている彼女の声も、少し震えているような気がする。

 

「でもっ、だって、お兄様が起きたんだもの」

 

 駄々をこねるリミカは寝台に上がって、リューベルトの顔をのぞき込んできた。ボサボサに乱れた麦色の髪先が、リューベルトの額や顎にかかる。

 うまく焦点が合わないが、青色の瞳を濡らした泣き顔なのがわかる。まったく身に覚えはないけれど、自分が泣かせたのだろうか。

 

「ごめ、ん……な。リミカ……」

 

 声がまともに出ない。妹の頭を撫でようとしたのに、腕を動かしたつもりなのに、できていない。

 いや、そもそも、なぜ妹にのぞき込まれているのだろう。

 ここは、どこだ。

 自分はどうしていたのか。

 ひどく体が重い気がする。頭も痛い。

 記憶を辿ろうとするリューベルトの腕に、誰かが触った。リミカとは反対側にも人がいた。

 

「失礼いたします、殿下。脈を診させていただきます」

 

 ——脈を……? なぜ?

 いいや、それより……

 

 考えなければいけないと思った。

 しかしリューベルトの意識は再び、暗い水底に沈みゆく石のように、落ちて行った。

 

 

 


 

 次に目覚めた時には、リミカはいなかった。

 寝台の周りにいたのは、リューベルトの侍従と近衛と、以前から皇家の人間を診てきた医師だった。

 

「リミカは……?」

「……殿下! ああ、良かった……!」

 

 侍従のイルゴは、ホッとしたような、それでいてまだ張り詰めているような声をもらした。

 リューベルトは、先ほどよりは頭がはっきりしていると感じた。声も出せる。膜がかかったようにぼやけていた視界も、立っている人の表情まで見て取れるようになった。

 上には見慣れない天蓋がある。ここはリューベルトの私室ではない。城内の客室かどこかか。

 イルゴはリューベルトを気遣いながらも、なんだか辛そうな顔をしている。

 

「姫様は、眠ってしまわれたので、お部屋にお連れいたしました」

「そうか……。なんで、私のところにいたんだ……? 泣いていたような気もするが……」

「……大丈夫です。あのあと、泣き止んでくださいましたから」

「私は、この部屋で眠っていたのか……?」

「まだしばらくはお休みください。お水をお持ちいたしましょう」

 

 イルゴは部屋を出て行った。彼の返答は何となく、ずれていた。はぐらかされたような。

 

 起き上がろうとしたリューベルトを押し留めて、侍医はひと通り診察した。

 その時リューベルトは初めて、自分が傷だらけなのを知った。いくつも包帯を巻かれ、細かな擦り傷や裂傷は無数にある。

 

「私は……どうしたんだ?」

「……」

「なぜ答えない」 

「--殿下、よろしいですか」

 

 侍医は答えず、戻って来たイルゴが口を挟んだ。

 

「キュベリー卿とエレリア様が、可能ならばお目通り願いたいとおっしゃっております。ご無理は禁物ですが……どうなさいますか」

「ああ、わかった。このままで良ければと伝えてくれ。でもその前に、私に状況の説明を――」

 

 リューベルトが言い終えるのを待たず、侍医は一礼すると、足早に部屋を出て行った。イルゴも、では、と言ってキュベリー侯爵の元へ行ってしまった。

 リューベルトは残った近衛騎士のジグを見やったが、もともと無口な彼は何も話しそうにない。

 身体を起こしたリューベルトは、少し目眩を覚えた。まだ頭は重い。それから傷を観察した。包帯に触れると、その下の傷は多少深いのか、痛んだ。

 

 ——なんだ、これは……

 

 火傷もあった。それも、たくさん。手のひらにも。

 それを見つけた途端、動悸がした。

 改めて記憶を探った。考えながら……なぜだろう、無性に考えるのをやめたくなった。

 それはきっと、予感だったのだ。まだ今は思い出すのをやめたほうがいい――

 

「……父上と……母上は……」

 

 震える声で、リューベルトが呟いた。それを耳にしたジグは主を見た。目が合った。

 

「父上と母上は? ……教えてくれ、ジグ」

「私は答える立場にございません」

「何がだ? 何を答えられない? どこにいるのかと聞いているだけじゃないか」

「殿下、お身体に障ります。もうすぐキュベリー卿もいらっしゃいますから」

「そんなことは聞いていないだろう! キュベリーじゃない! 私の父上と母上はどうしたのかと聞いているんだ!」

 

 リューベルトは、どちらかといえば穏やかな性格である。従者に怒鳴ったことなどない。まして癇癪を起こすなど、それこそ幼子の頃しかなかったのではないだろうか。

 口を結ぶジグに、リューベルトは腹が立ってたまらなかった。なぜか恐ろしくて、苛立ちが抑えられない。

 掛布をはねのけて大きな寝台を飛び出したが、着地することができなかった。膝ががくりと折れてしまい、咄嗟に身体を支えようとした腕も力が入らず、床に顔まで打って無様に転倒した。思わず歯の間から呻き声がもれた。

 

「殿下! いけません! 骨にも異常があるかもしれないのです!」

 

 ジグの大きな声など、初めて聞いたかもしれない。

 彼は伯爵家の三男で、長くリューベルトの近衛をしている。愚直に責務を果たし続ける忠義者だった。口数が少ない上に表情も乏しいので、誤解する者もいるようだが、皇家は彼の好ましい人柄と腕を買って、リューベルトの近衛騎士に任命した。

 そのジグが、追い詰められたような表情で立っている。床に這いつくばるリューベルトに、寄るなと言われた彼の両手は、助けたいのに触れ難そうに空中を掴んでいる。

 リューベルトは寝台に手をかけて立ち上がった。全身のあちこちが痛むがなんとか立てる。ふらふらと足を動かす彼に、ジグが耐え切れずに手を貸した。

 

「やめろ、いらない。一人で行かれる」

「……リューベルト殿下……陛下は……」

 

 ぎくりとして、リューベルトはジグを跳ね除けた。


「もういいんだ! 一人で行く!」


 怒鳴り散らして訊ねておいて、聞きたくない。ジグの支えを失った身体は、再び転倒してしまった。

 

「殿下! いかがなさいました!?」

 

 リューベルトの怒声は部屋の外までもれていた。事態を察したイルゴは、ノックを省略して入って来た。アダン・キュベリー侯爵と、娘のエレリアも一緒だった。

 

「いけません、お戻りを!」

「黙れ! 何なんだ、何を隠している!?」

「違います、……隠しているわけでは――」

 

 イルゴが口ごもる。

 

「私が父上たちのところへ行って、何が悪いんだ。何か問題があるのか? 言ってみろ!」

「リューベルト殿下」

 

 イルゴの代わりに、アダンが進み出た。

 一人で立つこともできずに当たり散らす、威厳も何もない幼稚な子どもの姿の皇太子に向かって、彼は片膝と拳を下に突く正式な臣下の礼をした。

 

「お話しいたしますので、今はお身体のために、どうか寝台へお戻りください」

 

 構わずアダンにも怒りをぶつけようとしたが、その肩の向こうで硬直するエレリアの姿が、初めてはっきりとリューベルトの目に入った。彼女の表情は怯えているように見えた。そして泣き腫らした目をしていた。それがリミカの顔と重なった。

 妹だけでなく、エレリアまで泣かせていたのか――

 罪悪感、後悔、恥ずかしさ。

 急にそんなものに襲われ、リューベルトの唇は開いたまま動かなくなった。エレリアの顔を見ていられなくなり、床に爪を立てている手元に目を落とした。

 おとなしくなった彼を、ジグが寝台に戻した。

 

「……私は、夢を見たんだ。嫌な夢だ。……とても、耐え難い夢だった」

 

 アダンは内心で、言葉を探していた。彼はイルゴから、リューベルトは記憶を失くしているかもしれないと聞いていたのだが、どうやらそうではない。

 肉体的にも弱っている少年に、どう説明すべきか。最適が見つけられずにいた。

 

「両陛下はご崩御なさいました」

 

 揺るぎのない声が、開いたままだった扉から入って来た。茶色い髪を短く揃えた、アダンよりずっと若い男がそこにいた。

 リューベルトのわめき声は、アダンとともに二公と呼ばれるもう一人の宰相、ロニー・ルイガン侯爵をも引き寄せていたようだ。

 

「今は国難に等しき事態……ご無礼を承知で申し上げます。殿下には、しっかりとお休みになり、ご回復に努めていただかなければ困ります。両陛下の国葬や、即位式が控えておられるのですから」

「ルイガン卿、何というおっしゃり方を――!」

「キュベリー卿、殿下にはご即位いただかなければならないのです。まだ未成年であられる、まだ傷付いておられるのに、などと先延ばしにしている余裕はありません」

「しかし……昨日の今日で――」

「帝都の民は揺らいでおります。他の町にもすぐに波及するでしょう。それが周辺諸国に伝わり、ザディーノあたりが攻めてきたら、いかがなさるおつもりか」

 

 アダンは厳しい顔でロニーを睨んだ。

 しかし、ロニーの言うことは正しい。フェデルマ帝国のあるこの北大陸は、ずっと戦乱状態だ。時に攻め込み、時に攻め込まれ、どの国も国境の線を書き換え続けている。国家が滅ぶところも、新しく生まれるところも見てきた。

 皇帝の突然の崩御が他国へ知れ渡る前に、国内の動揺を収め、立て直さなくてはならない。それには皇太子リューベルトの即位が必要だ。

 

「殿下、準備はすべて私どもが進めますゆえ、お一人でお立ちになれるくらいには、ご回復をお願いいたします。そうでなければ、民の前にお姿をお見せするのは、むしろ逆効果になりましょう。--それから、エレリア嬢」

 

 不安そうに胸の前で両手を握りしめていたエレリアは、急にロニーに顔を向けられ、びくっとした。

 

「あなた様もです。もうご成人までお待ちすることはできません。国家安泰のため、しっかりとお心をお決めください」

 

 呆然とするエレリアの反応を待たず、ロニーはそれぞれに礼をして去って行った。

 アダンはリューベルトに、説明しなければならないと思ってここへ来た。しかし、傷の上から容赦なく事実を叩きつけられてしまった彼に、今から何を言えば良いのだろう。


「私が……即位する?」


 リューベルトは自分の手の包帯に目をやったが、本当にそこを見ているのかわからない目をしている。


「……海の塔が……燃えていた……」

 

 リューベルトは呟いた。

 誰も彼もが、その姿を見つめることしかできなかった。

 

「父上と、母上は……」

 

 リューベルトの中には、炎の記憶が、そこで見たものが確かに残っていた。

 彼が塔に辿り着いた時には……まだ部屋には、炎も煙も、それほど届いてはいなかった。でも、すでに二人とも床に倒れていた。まぶたが閉じていなくて……唇や爪が変色して。


「……あれ……は」


 きっと原因は、煙ではなくて。

 煙が入ってきたのはそのすぐあとで。

 入ってきてからは、炎も瞬く間に広がって。

 熱くて、痛くて、苦しくて……辛かった。

 

 見つめていた手に、両親の腕を掴んだ感触が蘇る。

 バルコニーの手前。

 最後となった父。そして……母。

  

「うあああああ!」

 

 リューベルトが頭を抱え、絶叫した。

 そして意識は再び暗闇の底へと引きずり込まれ、彼の名を叫ぶイルゴやアダンの声も……もう何も聞こえなかった。


 

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