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炎国の騎士と北の夜明け  作者: 紘麻 涼海
第三章 帝都の少女たち
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四、茶会

 レマもリーガも見ている前で、ティノーラは長椅子の上に、横向きにごろんと倒れ込んだ。

 

「どうしてもなのかしら……行かないとだめ?」

 

 おまけに膝を抱え込んで、顔を伏せている。それはまるで「イヤイヤ」と駄々をこねる子どもの姿そのものだ。

 

「お嬢様、みっともないですよ」

 

 レマが呆れ声で窘めた。言い方が強くないのは、ティノーラがこうしたくなる気持ちもわかるからだ。

 

「行きたくないなあ……」

 

 思わず見なかったことにしたくて、封筒の下に隠すように入れ込んだ紙を、少しだけめくり上げた。書面の一番上の部分には「招待」という文字が見える。ティノーラは手を引くとまたため息をついて、膝を抱え直した。

 

「リーガ、こんなもの受け取らないでくれれば良かったのに……」

「まさかそんなことを、できるわけがございません。お城からの使者だったのですよ、お嬢様」

 

 まったくその通りだ。城の使者が直接持参した書状を、受理しないという選択肢はない。そしてその書にあることを、正当な理由もなく拒むことは難しい。

 それは、城が催す茶会への招待状だった。城の広間を使うというのだから、茶会という表現では慎ましすぎるのではなかろうか。成人年齢が近い、十二歳から十四歳の貴族子女全員を招待しているらしい。せっかく帝都に集まったのだから、今のうちから同年代の者で親交を深められるようにと、初めて城が企画した茶会だそうだ。

 ほとんど領地で暮らしていた子女たちも、変化した生活に慣れてきた頃合いだ。確かに交友を広げる良い機会になるかもしれない。

 きっとティノーラはこの年代で一番といっていいほどの、帝都の社交に馴染んでいない子女だが、余計なお世話としか思えなかった。どうせ遠巻きにされるに決まっているのだから。

 すっかり落ち込んだ顔で横たわるティノーラに、リーガが慰めるように声をかけた。

 

「お嬢様、夜会に準じた形式で行われるようですから、おそらくレマも伴えると思いますよ」

「えっ、本当に?」

 

 ティノーラは、ぱっと身体を起こした。

 

「はい。大抵の夜会では、侍女も一人は会場に入れますからね」

「そうだったの? もう、早く教えてくれれば良かったのに。一人で退屈な時間をどう凌げばいいのって、ものすごく気が滅入っていたのよ」

 

 社交の場の予行練習の意味もあるようだから、きっと長い時間がかかる茶会だ。

 誰とも話せないで終わることなど気にしない。一人でどうやって時間を潰そうか、それがティノーラを悩ませていたのだ。

 

「それなら、レマとのおしゃべりの場所が、厳かなお城の広間になるってことじゃないの。それならむしろおもしろいわ! ああ、良かった!」

 

 心の底からほっとした様子で、ティノーラは令嬢らしく座り直した。

 

 

 


 

 ティノーラが帝都城に上がるのは初めてだった。城勤めではない家の子女は、大概同じだろう。

 今回はあくまでも茶会への招待だ。残念ながら城内の見学はできない。広間に一直線に案内された。

 それはこの城内では中規模の広さの広間だと説明されたが、ティノーラには驚くほど広い空間だった。

 エリガ城は九年前までは小国の王城だったはずだが、規模が違いすぎる。砦のようなイゼル城も大きいと思っていたが、帝都城はそのずっと上だ。そう設計されているのだろうが、堅牢そうな造りから感じる威圧感もすごい。

 フェデルマ帝国の栄華とは、他を圧する強さだ。強さがもたらす豊かさだ。それが城の内側でも表現されている。

 

 たくさん並んだテーブルの上に、様々なお茶とお茶菓子が大量に並んでいるのは、もはや圧巻だった。立食形式で行われるようだ。立食の茶会とは珍しいが、参加者がそれなりの大人数であり、夜会を模した形を取ったからなのだろう。

 

「それでは、ご令息ご令嬢のみなさま、存分にお楽しみください」

 

 城から主宰を任された伯爵夫妻が、夜会のように乾杯の音頭を取る。

 早速輪になって話す少女や少年の集まりが、いくつかでき上がっていった。そのうちに人が入れ替わったり、小さな集まりがくっついて大きくなったり、それが解けて作り直されたりと、自身の将来と家のために、子どもなりに繋がりを作ろうとしている。

 

 ——さすがは社交の場の予行ね。

 

 ティノーラは感心しながら紅茶を口にした。

 彼女が見たところ、一番大きな集団を作っているのは、主宰の娘がいるところだった。

 今のフェデルマには公爵家が存在せず、数少ない侯爵家には、この年齢の子どもはいないようだった。したがって参加者は伯爵家以下の子どもである。今日のこの茶会では、主宰の娘が一番優位な立場になるのだろう。

 集団に入れず、大きな窓際に佇んでいる者も、戸惑いながら隣にいた同性に話しかける者もいる。ティノーラと同じく、帝都に慣れていない子女だと思われる。

 

「ご、ごきげんよう」

 

 そんな少女の一人に話しかけられ、ティノーラは少し驚いた。お互いに名乗ったが、彼女はリエフ家と知っても、これといって表情を変えなかった。

 もしかしたら、旧派と対立する立場の家の子どもなのだろうか。だとすれば、輪に入れない者同士か。

 そう思ったが、彼女は近くの集団から出てきた少女に声をかけられ、すぐにティノーラから引き離されていった。あの子はね、と何やら説明を受けた彼女は、ちらりとティノーラのほうを見た。その瞳に見下すような色はなく、ただただ困惑しているようだった。

 このくらいの年齢だと、大人から聞かされていなければ、九年前のことを知らなくても自然なことだった。彼女は今初めて、リエフ家の過去のいきさつを知ったのだろう。

 

「もし新派の家の子だとしても、あの主宰の前で、私に声をかけるべきではないわよね」

 

 椅子に腰を下ろし、主宰として全体の様子を見渡しているのは、クリーズ伯爵だ。彼は旧派の中でも、特にベネレスト帝を敬愛していた人物の一人だと、グレッド家で聞いた覚えがある。

 新派は皇帝と宰相を失い、急速に力を失くしている。家と領地と領民のためにも、身の振り方が難しい時だろう。

 

「そんな大事な時期に、ベネレスト陛下が嫌ったリエフ家の娘と交流を持つのは、何の得にもならないわよね」

「お嬢様……まるで他人事ですね」

「珍しい場所だもの。人間観察をしてみたのよ」

 

 屈託なく笑ったティノーラは、刻んだ蜜柑の皮が混ぜ込まれたクッキーをいただいた。初めて食べるが、爽やかな香りと甘みがおいしかった。これなら材料も難しくなさそうだし、リエフ領の農産物でも応用できるかもしれない。

 遠くのテーブルに、先日街で会った少女たちが歓談しているのが見えた。

 あの時の彼女たちのように、去年十二歳で大会を制したティノーラに見覚えがあり、興味を持った者もいた。でもやはりリエフ家ということで、結局誰も近寄っては来なかった。

 予想通りの遠巻き状態、腫れ物扱いだ。構うことなく、茶会終了までレマとのんびり過ごすことにしたティノーラは、空になったカップを返し、ハーブティーに手を伸ばした。りんごのような甘酸っぱい香りがする。

 

「ねえ見て。上から見る庭園は一層素敵ね」

 

 城門から城までの庭園は、真ん中に広い石畳の道があり、左右対称になっている。生け垣と花壇と水路が規則性のある模様を描いていて、とても美しい。

 そんな庭園の片隅に、何か白くて丸くて小さなものが勢いよく入りこんできた。仔犬のようだった。あの方向はおそらく、裏庭から走って出てきてしまったのだろう。

 

 ——お城で犬を飼っていたのね。

 

 ティノーラは窓に頬を寄せて、仔犬の行く先を目で追いかけた。何をしているのかとレマが訝しんだが、こうしないと庭園の隅は角度が悪くて、かわいい仔犬がよく見えないのだ。

 ふわふわとした毛並みをなびかせる仔犬は、自由気ままにぐるぐると走りまわり、勢い余って芝の上で転がっている。それを見ていたティノーラは、一人でにこにこ笑ってしまうのを我慢できなくなり、急いで口元に扇を広げた。

 仔犬の後ろで、もうひとつの小さなものが、裏庭から走り出てきた。小さいといっても、こちらは人間だった。

 

 ——女の子……?

 

 それは、ティノーラよりも何歳も年下と思われる、金髪の女の子だ。彼女は仔犬に駆け寄り、捕まえようとしているが、仔犬のほうが俊敏で逃げられてしまっている。

 さらに裏庭から走り出てきた大人の男女のうち、侍女の制服らしき装いの女性が、女の子を捕まえた。女の子は仔犬を指差して、女性に抵抗している。

 女性とともに現れた男性は騎士だ。纏っている服から、かなり格上の騎士に見える。騎士はあっという間に仔犬を抱き上げ、女の子の目の前に差し出した。

 三人は連れ立って裏庭へ戻っていった。

 

 見えなくなった三人を思い出しながら、ティノーラの胸は高鳴った。

 あの三人は親子という雰囲気には見えなかった。

 そして、城の敷地内で自由に走り回れる女の子。

 

 ——今のはまさか、リューベルト殿下の……

 

 リューベルトがずっと心を砕いている、大切な妹君。この国の、幼き女帝。

 

 ——きっと、リミカ殿下だわ……!

 

 即位式さえ内内で行われ、城内の人間以外リミカの姿を見ることもできないのが現状だ。それなら国葬以来初めて、彼女の動く様子を確認できたということだ。

 身体は健康に過ごしているようだった。それだけでも、リューベルトに知らせてあげたい。直に伝えるのは難しいから、すぐに手紙を書こう。旧派に属さない者の手紙は、検閲されている可能性も捨てきれないと、ヴィオナが言っていた。宛先をグレッド家にするのは、念のためにやめておいたほうが良いのだろうか。兄に送って、伝えてもらおうか。

 

「お嬢様?」

 

 急に難しい顔をして考え込むティノーラを、レマがのぞき込んだ。

 

「あ、ごめんなさい。大丈夫よ」

 

 あとで話すわ、と言いかけてやめた。レマの肩越しに人が数人いるのが見えたからだ。

 彼らは小声で何か話し合っている。顔は笑って見えるのに、刺々しい。ティノーラにはそれが、ずいぶんと意地の悪い笑顔に見えた。またリエフ家の悪口かと思ったが、彼らの視線はティノーラではなく、遠くへ向いていた。

 反射的にその視線を辿ると、窓に取り付いている少女を見つけた。ティノーラがしていたように、裏庭の入り口のほうを見つめたままじっと立っている。

 その少女は先程も、同じ場所に立っていたのを見たような気がした。茶会の開始からずいぶん経つが、お茶もお菓子もいただかず、初めからずっと窓際で、侍女と二人で佇んでいたのだろうか。

 ティノーラはそれとなく彼女に注目した。さらに時間が経過しても、彼女は動かない。ずっと外を眺めて会場に背を向け、侍女とぽつぽつ言葉を交わすだけで、まるきり誰とも交流を図らない。

 そしてそんな彼女に、時折様々な視線が向けられていることにも気がついた。

 

「ねえ、レマ。あの方、私なんかよりも……ひどく敬遠されているようだわ」

 

 ティノーラに囁かれたレマも、少女を観察し始めた。

 横顔は大人びていて、立ち姿も上品な、一人前の貴婦人と評して良いような少女だ。そんな可憐な少女に、疎ましそうな目を向ける者がいる。特にクリーズ家の娘とその取り巻きはあからさまだ。さらにはクリーズ伯爵夫妻までも、時折嘲笑うような冷たい視線を突き立てている。

 でもそれ以上に、憐れみや思い悩むような顔で彼女を見やる女の子を何人も見つけた。

 当の少女はそのすべてを、背中で拒絶しているかのようだった。

 

「本当ですね。どちらのご令嬢なのでしょうか」

「わからないわ。こういう時だけは、お友達がいないのが不便に感じるわね」

 

 周りの様子からして、ほとんどの人が彼女が何者だかわかっている。今さら彼らに話しかけて教えてもらうのも癪だし、彼女に対して失礼だとも感じる。

 少しの共感が生まれていたのも事実だった。ティノーラだってどんな相手とも、友人にならないと決めているわけではないのだ。少女に興味を引かれてきた。

 茶会の終わりも近付いている頃だろう。彼女のことがとても気になったティノーラは、レマに相談する前に決意した。

 

「私、あの方に声をかけてみるわ」

「えっ、お嬢様……!」

 

 ティノーラは彼女に近寄っていった。クリーズ伯爵がこちらを見たような気がしたが、構うことはない。

 

「ごきげんよう。少し、お話ししませんか」

 

 ティノーラは品良く微笑んだ。

 少女が窓の外からティノーラに視線を移す。

 ずっと横顔しか見えなかったが、正面を向いた彼女は、より大人の女性のような気品を漂わせる美しさだった。この広間にいる他の少女たちとは、一線を画す違いを感じさせる。

 彼女は少しの間、ティノーラをじっと見ていた。迷惑そうな表情ではなく、何か探っているような顔で。

 ティノーラは彼女の返事を待った。はしたなく急かすような真似はしたくない。

 

「……お話しになるお相手を、間違えておいでではありませんか」

 

 美しい少女は少し怪訝そうに、ティノーラに言葉を返した。それからさりげなく警告するように、クリーズ伯爵のほうへ青緑色の瞳を動かして見せた。

 

「いいえ、間違えてなどおりません。あなたさえご迷惑でなければ」

 

 ティノーラは明るく応え、改めて淑女の礼をした。

 

「私は、リエフ伯爵家長女、ティノーラと申します」

「……。わたくしは」

 

 彼女も淑女の礼を返した。後ろに引いた右足も、ドレスを少し持ち上げる両手のその細い指先までも、軸が曲がらない腰の下げ方も、すべての仕草がヴィオナのように優雅そのものだった。

 お辞儀をした時、茶色の髪のところどころに金色の細い房が混ざる、珍しくてきれいな髪が、さらさらと肩を流れた。

 

「キュベリー伯爵家長女、エレリアと申しますわ」

 

 

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