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炎国の騎士と北の夜明け  作者: 紘麻 涼海
第三章 帝都の少女たち
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ニ、囚われの決意

 帝国の将来を担う貴族の子どもたちは、帝都にて質の高い教育を受け、切磋琢磨することが望ましい。文書によれば、それが新しい御触れを出すに至った根拠とされている。

 主に帝都城内で働く職に就いている貴族の子女ならば、元よりほとんどの月日を帝都で過ごしている。だからこの御触れがあまり意味なく感じる者もいる。

 しかし領地で生活している家には、大きな影響を及ぼす。帝都に行ったこと自体が多くないティノーラにとっては、生活が激変する命令だった。

 

「しばらくは、私も帝都で過ごそうか」

 

 リエフ家に戻り、やはり母にも同じ御触れが届いていることを確認したノルドレンが、心配そうにティノーラに提案した。成人した者への命令は何もないのだから、ノルドレンが帝都で暮らすことに問題はない。

 

「だめよ。お兄様はお母様のお手伝いで忙しいでしょう。未成年といっても、私はそれほど子どもじゃないわよ」

「だが、帝都に友達の一人もいないだろう」

「そんなの、お兄様だってそうじゃない」

「ごめんなさいね、ティノーラ。もっと帝都で人脈を作っていれば」

 

 ユリアンネがティノーラの頬に手を添えながら、本当に心苦しそうな顔をした。

 九年前までのリエフ家は、帝都にいることも多かった。貴族として人付き合いもこなしていたから、それなりに人脈だって持っていた。

 しかしベネレスト帝との一件以来、それらの人々はみな去ってしまった。あの烈しい気性の皇帝に嫌われた者と、親しく付き合う貴族はいない。もし自分にまで飛び火すれば、家と領地が迷惑を被るのだ。ユリアンネもそれは理解できたので、彼らに恨みはなかったが、もう一度帝都で人脈を構築する気にはなれず、現実にはそんな時間的余裕もなかった。

 今になって、こんなことになろうとは。

 

「もう、お母様まで。別に城に寄宿するわけじゃないのよ。帝都の自分の館に住むだけなんだから、お友達がいなくたってひとりぼっちにはならないわ。レマだって来てくれるしね」

 

 そう言ってティノーラは、女性騎士の護衛兼侍女であるレマに視線を送った。

 レマは、はい、と胸に手を置いた。

 

「ユリアンネ様、ノルドレン様。私がしっかりとお嬢様をお守りいたします」

「レマがいれば、剣の稽古相手にもなってくれるから、腕が鈍ることはないわよ!」

「鍛錬不足の心配をしているわけじゃない……」

 

 ノルドレンは小さくため息をついた。

 国葬のために母が領地を離れていた間、普段から母を手伝うノルドレンが領主代行をしていたのだが、本当に忙しかった。色々なことが軌道に乗り始めたからこそなのだから、喜ばしいことではあるが、笑って無理をする性格の母を領地に一人残すのは心配だった。

 同じように考えているから、妹も兄の同行を拒否しているのだ。私は大丈夫だから母のそばにいて、と。

 それでもノルドレンには、妹への心がかりが拭えなかった。なぜならこの御触れの根拠が、教育のためではないことは明らかなのだから。

 

「お兄様、わかってるわ。私たち子どもは……人質。そうなんでしょう?」

 

 悔しそうな表情をする兄に、ティノーラの声にも普段より陰りがにじんだ。

 

 新派の者。一般の領主でも、ベネレストよりディーゼンの御代を好んでいた者。または現在、旧派が政権を独占する傾向に眉をひそめている者。

 それらの貴族にとって、子どもたちは帝都に集められた人質となる。子どもが小さければ、母親も一緒になって帝都に移住せざるを得ない。その場合は夫人までもが人質である。

 旧派は、反乱を許さない体制を築こうとしているのだ。

 

「大丈夫。私は覚悟を持って帝都へ行くわ。ちゃんと近況は報告するから、本当に心配しないで」

 

 もういつも通りの、どこかのんびりとした声に戻っていた。ティノーラは母と兄に、一人で行くことを宣言したのだった。

 

 


 

 

 御触れは、ひと月以内に移り住むようにと、期日を設けていた。大慌ての家が大半だろう。

 ティノーラは、期日間際までリエフ領に残った。贅沢な生活をしていない彼女の荷物は少なく、簡単に準備は終わってしまったが、なるべく長く領地に留まりたかった。

 

 ついに期日が迫った頃、ティノーラはグレッド家とリューベルトに、出発前の挨拶をしに行った。

 ダイルとナリーへの面会を終えたティノーラのために、大広間には使用人のみんなまで集まってくれていた。

 

「寂しくなるよ。身体に気をつけて」

「ありがとうございます。……ふふ、ガレフ様、なんだかお父様みたいです」

「そうだよ。娘か妹を送り出すような気分だ」

 

 ティノーラは努めて明るく笑い、ガレフやヴィオナと軽い抱擁を交わした。

 帝都で暮らさなくてはならないのが十五歳までなら、ティノーラの場合は二年もない。たったそれだけと自分に言い聞かせても、寂しさが顔に出てしまいそうだった。

 

「何かの折に、会いに行くわね」

「本当ですか、うれしいです!」

「私はティノーラの師匠だもの。様子を見に行かないと」

「はい、鍛錬は怠らないつもりですから」

 

 手を取り合って話すティノーラとヴィオナを、シンザとリューベルトは少し離れたところから眺めていた。

 

「せっかく友人になったのにな……」

 

 リューベルトは歯がゆい思いで呟いた。

 今回の御触れの本当の意味に気づいている貴族は、他にもいるだろう。自分たちへの締め付けではないかと勘付いた者、すなわちここ五年のディーゼンの政治を支持していた領主には、比較的若い者が多い。つまり、未成年の子を持つ者が多いということだ。この策は、効果的なものだった。

 

「ほら、シンザ。ふてくされてないで、ちゃんとティノーラに挨拶しておけよ」

「なんだよっ、兄上」

 

 いつの間にか近くにいたガレフに、ぽんぽんと背中を叩かれたシンザが、ずいぶんと大袈裟に反応している。そんな彼は、リューベルトにはいつもと違う様子に見えた。

 

「なんだよってお前……そりゃあ、婚約者に会えなくなったら寂しいだろう?」

「兄上!」

「えっ? そなたたちは婚約していたのか」

「違います! 兄上や姉上が、勝手に言っているだけで」

「いいや、父上も母上も賛成しているぞ。ティノーラを昔からかわいがっているからな。おまけにあの子は国境領のことをよくわかっている。我が家は全員大歓迎だよ」

「だから……みんなで勝手に盛り上がるなって——」

 

 ガレフはにこにことしながら、さらに弟の肩を叩いた。少し顔を赤らめたシンザはそれを払おうとしていたが、兄にかわされていた。

 ティノーラの元へ行こうとしないシンザに、顔をしかめたリューベルトが横から口を挟んだ。

 

「何をしている。そなたは腑抜けか、シンザ。婚約者殿は大切にしろ!」

 

 いつになく強い口調のリューベルトに、シンザが戸惑って動きを止めた。

 

「いえ、だから婚約者では——」

 

 言いかけて、シンザは口をつぐんだ。

 リューベルトとエレリアは、まだ正式な婚約はしていなかった。でも彼は今の状況でも——生きていると知ってもらうことさえできない今でも、エレリアを大切に想い続けている。

 引き裂かれる痛みの只中にいる彼の言葉は、シンザには重かった。

 

「言い訳はよい。ティノーラにきちんと挨拶を」

「……そうですね……」

 

 シンザが足を踏み出すと、ガレフがヴィオナを呼び、家人たちにもさり気なく二人から離れるよう目配せした。

 すうっと周りから人がいなくなり、みんなが何気ない態度を装って雑談を始めるのを横目にしながら、シンザはティノーラの前まで来た。

 

「……シンザ」

「ティノーラ……帝都に住まわされる意味は……わかってるんだよな」

「もちろんよ。お兄様にもずいぶん心配されたわ」

「それは……そうだよ。心配になるさ」

「人質なんだから、まさか取って食われるようなことはないでしょう? 都暮らしも思うほど悪くないかもしれないし」

 

 覚悟ができているティノーラの笑顔は、シンザには凛々しくさえ見えた。

 旧派やルイガンにしてみれば、帝都という手元に人質を出させることに意味があるのだから、子どもたちが危害を加えられる可能性は低いと考えられる。

 それでも、取られる側の精神的負担は大きい。

 

「俺も……会いに行くよ、帝都に」

「シンザが? あなたは殿下をお守りするのが使命じゃないの」

「そ、そうだけど——」

 

 シンザの肩程度の身長であるティノーラは、不思議そうな顔で彼を見上げた。ティノーラから目をそらし、眉の辺りを掻きながらしきりに瞬きをしているシンザは、困っているように見えたのだ。

 二人の間に、奇妙な沈黙が流れる。

 それはシンザにとっては居心地が悪かったのだが、ティノーラにとっては何だかおかしなものだった。

 ふふっと彼女は小さく笑い出した。

 

「ええ。帝都に来る用事があれば、ぜひリエフ家に寄ってね。お兄様にも言われたけど、私はお友達がいないから、きっと退屈な生活なのよ」

「……うん、……行くよ」

「シンザこそ、気をつけてね。ベネレスト陛下の御代のようになるとしたら、国境は危険が増すかもしれないでしょう。私にしてみれば、そちらのほうがよほど心配だわ」

「わかってるよ。リエフ家やエドリッツ家と協力しながら守る」

「それからお母様とお兄様のことだけど——」

 

 主にティノーラが話している様子を、リューベルトは不満げに眺めていた。二人の話の内容は聞こえないが、シンザの横顔から察するに、彼は気持ちを込めた言葉を口にできていない。

 ガレフが組んでいた腕を解き、首筋をさすった。

 

「……だめそうだな。あれは」

「ティノーラに嫌われているわけがないのにね。はっきりさせられないんだから、シンザは」

 

 ガレフとヴィオナは、やれやれと肩をすくめた。

 

 

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