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炎国の騎士と北の夜明け  作者: 紘麻 涼海
第二章 国境の地
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十、御触れ

 帝都のグレッド邸から、遣いがやってきた。携えてきたのは、キュベリー家に下った処分についての書簡だった。

 ダイルは読み終えると、ふう、と短く息をついた。

 

「まだ幾分はこの国に、良心が残っていると思える処分だったな。今はこれで済んで良かったと言うべきだろう」

 

 アダン・キュベリー候爵は、伯爵に降格した。政界引退も確定となったが、領地や財産についてはそのままに残された。

 新派への見せしめのために、アダンは貴族社会そのものから排斥されることもあり得るのではないか、と懸念していた。最悪の想定よりは、ずっと良いほうだといえる。

 アダンと中間派の関係が良好だったおかげか、旧派はこれ以上重い処分を下せなかったのだろう。

 

「これは、殿下にもお読みいただいてくれ」

「はい。ずっとお心を痛めておいででしょうから、すぐに」

 

 ナリーは書状を受け取ると、主寝室から退室した。

 妻の後ろ姿を見送ってから、ダイルは身体を横たえた。寝台に背中が深く沈み込む感触がする。このままどこまでも沈んでいって、母なる大地と溶け合ってゆく錯覚を覚える時もある。

 ずっと心を痛めている……それはナリーにも当てはまるだろう。夫がこんな状態なのだから。

 

 ——苦労をかけるな……

 

 ナリーと結婚したのは、ダイルが三十歳の頃だった。

 グレッド家の男は結婚が遅い傾向がある。隣国が好戦的であることと、地形的な理由もあって、フェデルマでもっとも侵攻を受けやすく危険といえる侯爵家だ。自身の家庭を築くことに、どうも疎くなりやすい。そんな家の男に、ナリーは強い意志を持って嫁いできた。

 ダイルが病を発症したのは、一年ほど前だ。最近は日に日に身体が重くなる。何十年も第一線の騎士として活躍してきた肉体は、見る影もなくなった。きっと命の炎も、やせ細ったかすかなものだろう。

 ガレフもヴィオナもシンザも、立派に成長してくれた。ダイル亡きあとも、グレッド領を守っていけるだろう。

 ——だが、ダイルも人の子で、子の親だった。

 戦がなければ、と思わずにはいられない。フェデルマが平和な国であれば……北大陸が穏やかな風の吹く大地であったなら。

 代々引き継いできたのは戦いだ。自分で終わりにしたかったと、きっとすべての親が心の中で願ってきたことだろう。我が子へ託すものは、違うものでありたかった。

 ダイルは両手を眺めた。フェデルマを守るために、境界を踏みにじったたくさんの命を奪ってきた。必要なことだった。後悔はしていない。

 しかし、多くの人生を断ち切った騎士を英雄と称える世の中は、永く続くべきではない。早く、どこかで終わるべきなのだ。

 

 


 

 

「キュベリーが、降格……」

 

 ナリーから書簡を読ませてもらったリューベルトが、怒りをにじませた声で呟いた。

 ガレフとシンザも書簡を受け取り、目を通した。

 

「殿下、想定のうちでは、かなり良いほうです。アダン様のお人柄によるものでしょう」

「そうかもしれないが……本当は、キュベリーに償う罪などないのに……」

「キュベリー家の皆様が領地への帰還を命じられたのならば、こちらから遣いを出してみましょう。帝都よりは接触できる機会があるかもしれません」

 

 悔しそうに唇を噛み締めたリューベルトを励ますように、ガレフが提案した。ナリーも賛成した。

 

「ならば、旦那様に手紙を書いていただきましょう。グレッド家がキュベリー家に見舞い文を送るのは、何ら不思議ではないはずです」

 

 むしろ古馴染みであるのに、何の接触もしないほうが不自然だ。踏み込んだことは書かず、一般的な見舞いを送り、キュベリー家の置かれた状況を確かめるのも必要なことであろう。

 

「……ダイル殿の負担にならないならば、よろしく頼む」

 

 リューベルトは、ダイルのことも気がかりだった。

 この城に来てから、ダイルには二度しか会っていない。リューベルトが使わせてもらっているのは二階にある部屋で、ダイルの主寝室は三階だが、いくらなんでも同じ城にいてこれほど会わないとは、心配になるし、不安になる。

 

「ご心配をおかけしてしまっているようで、申し訳ありません。ここのところ体調が芳しくなかったのは事実ですが、良くなって参りましたので」

 

 ナリーは落ち着いた様子で、お任せくださいと言った。

 

 

 


 

 キュベリー家の領地は、帝国の中央部にある。建国時からのフェデルマ領土ではなく、数十年前に小国を併合したところである。

 ダイルの手紙を持って出た使者が帰ってきた日、ダイルが応接間に現れた。杖をつき、ゆっくりとだが、ナリーにも支えられることなく、自分の足で歩いて入ってきたのだ。

 驚いたのは、リューベルトだけではなかった。

 

「父上……!?」

「大丈夫なの!? 手を貸すよ、父上!」

「はは、大丈夫だ、シンザ。大袈裟だな」

「大袈裟にもなるわ。お父様が一階にいること自体が、すごく久しぶりだもの——」

「そうか、それもそうだな」

 

 ダイルは笑った。無理をしているようには見えなかった。子どもたちの反応を楽しそうに笑っていた。

 

「少し話があってな。だが、それはあとにしよう。まずは報告を聞かせてくれ」

 

 座るところを手伝おうとしたシンザを、ダイルは軽く片手を上げて制した。みんなにも座るよう言い、使者に場を譲った。彼は大切にしまっていた手紙を、ダイルに手渡した。

 

「キュベリー家の皆様への監視は、大変厳しいものでした。屋敷の周りには、役人が常駐しています」

「変わっていないのか。帝都で軟禁状態だった時と」

 

 ガレフがため息まじりに言ったが、使者が言うには、今は外出や客人の来訪を、完全に遮られてはいないらしい。

 実際に、アダンと面会することはでき、手紙を直接渡すこともできた。しかし手紙の中身は検められ、始終会話も聞かれていた。常駐している役人が部屋の中にずっと立っていたのだ。

 

「あの様子ですと、キュベリー卿やご家族の皆様が外出なさる場合も、常にそばに付かれているのではないかと思われます」 

「何の権利があって、そんなことをするのよ」

 

 つり上がり気味の目尻をさらにつり上げて、ヴィオナが文句を言った。

 最近になって旧派は、アダンがわざとザディーノを、港まで引き入れたのではないかと言い出した。キュベリー家の力を奪い切ることができなかった彼らは、更なる濡れ衣を着せようと画策しているようだった。

 さすがに無理のある言い分だが、監視を続ける口実になればそれで良いのだろう。旧派の連中が国内で一番怖いのは、やはり今もアダンなのだ。

 

「無理やりなこじつけだが……ザディーノと協力していない証拠を出せと言われれば、それは難しいな」

「証拠なんて出せないとわかっていて……堂々と自由を奪い続ける気なんだね?」

 

 ダイルの言葉にシンザが納得し、表情を歪めた。

 使者は、もし可能なら、アダンにリューベルトのことを知らせるよう指示されていた。しかし、それはできなかった。役人はこちらの表情が窺える位置に立つので、小さな合図ひとつ送れなかった。

 報告を終えた使者は、退室する前に、あまり役に立てなかったと悔いを口にした。ダイルは、今は状況を掴めれば充分だと彼を労った。

 

「キュベリー家と手を携えるのは、保留にしておくしかないな」

 

 グレッド家五人とリューベルトだけになると、ダイルは使者から受け取った手紙の封を切った。これはもちろん、アダンからの返事の手紙だ。

 ダイルが送ったのは、失敗を犯した者に対する、年長者としてのごく一般的な励ましと見舞いの文だ。別の意味も含ませた文章にすることも考えたが、内容を検められるなら、そうしなくて正解だった。

 アダンからの返事も、一般的な礼状だった。含みのある言葉は見受けられない。これも監視されながら書いたのだとすれば、彼には何も書けないだろう。

 礼状を順番に全員が読み終えると、ナリーが預かった。

 

「それで、父上。話というのは?」

「ああ……。午前のことだ。実は帝都の館からも、また遣いが来ていたのだが——」

 

 ダイルは、問いかけたガレフではなく、リューベルトの顔に目を向けた。

 

「まだ正式な通達は出されていません。私の家の者が城で起きていることを掴み、知らせてきた内容です」

「……何か……城で何かあったのか」

 

 急に緊張感が高まり、動揺しそうになるリューベルトに、ダイルは静かな声で告げた。

 

「……リミカ様が、帝位に就かれます」

 

 その言葉に、ナリー以外の全員が息を呑んだ。それから、グレッドの兄弟の視線は、リューベルトに集中した。

 

「……リミカが……? リミカが皇帝に……!?」

 

 フェデルマに女帝が君臨したことは、これまで一度もない。それどころか、北大陸のどこにも、女王が存在した例さえない。家名というものは男系が継ぐことが当たり前だったのだから。

 おまけにリミカは、今年やっと八歳になる少女だ。政治学など少しも学んでおらず、他の勉学もまだまだ足りない。親が定めた後見人もいない。

 そんなリミカを、女帝に担ぎ上げる——

 リューベルトは怒りで震えそうだった。

 

 ——ルイガン……まさか、リミカの父親代わりにでもなるつもりなのか……!?

 

「そんなの……都合のいい傀儡の皇帝にしようとしているとしか思えないじゃない。そうでなければ、たった一人皇家の血を引いておられるからといって、まだお小さい女の子を帝位にお就かせするなんて——」

 

 ヴィオナの声にも怒りが表れている。

 ダイルは冷静に続けた。

 

「殿下、皇家の世襲については、規範を文章で記したものは存在しない……そうですね」

「そうだな……文書は特にない」

「そこを突かれたようですね」

 

 皇帝の嫡男が皇太子であり、帝位を継ぐ。それがこの国、この大陸での常識だった。だが実際にそう定めている法は、フェデルマにはないのだ。例外が起きたこともあるので、ただの慣習だといえば、そうとも取れてしまう。

 貴族家については、相続に関する法がある。その法をベネレストが改定して、女性による相続を認めたのが十五年ほど前のことだ。それを拡大解釈し、皇家にも同じことを認めれば、リミカは女帝になる権利がある。年齢については、ルイガンが後見人となることで押し通すのだろう。

 

 父母を殺した男が、妹の血筋を利用する。

 ——耐え難い。

 

「城に……戻る」

 

 リューベルトの目には、誰のことも映っていなかった。彼の目には、ルイガンが見えていた。

 

「私は城に戻る! 何も知らないリミカを、ルイガンに利用などさせない!」

「——いけません!」

 

 我を忘れかけるリューベルトを、誰よりも先に窘めたのはダイルだ。

 その強い声は、一瞬で部屋中の怒気を鎮めた。ガレフでさえも、表情を固くしている。

 

「殿下、冷静さを欠いてはなりません。口惜しいことですが、リミカ様は……殿下や我々にとって、この上ない人質なのです」

「……っ」

 

 状況を覆せないリューベルトは、城に戻っても、元の立場に戻れることはないだろう。新たな幼い皇帝の後見人ルイガンとは、さらに差がついた。

 リミカのそばに立たれている、それだけで無言の脅しをかけられることになる。こちらが何か動きを見せれば、彼女の身はすぐに安全ではなくなってしまうだろう。

 ルイガンは、今の皇家に取って変わることを、あえて選ばなかったのだ。グランエイド家を守るべきとした、新派の意見を取り入れてみせた。もう新派に文句は言わせまい。

 ルイガンの台頭を快く思わない者に対しても、アダンや新派に対しても、リミカは盾の役割をさせられてしまうのだ。

 

「私は……また、手も足も出せないのか……」

 

 私もロベーレへ行きたい——そう言って袖を掴んできたリミカの泣き顔を、何度も夢に見た。

 ルイガンの思惑通りに動いて、城を追い出されてしまった自分を、何度も悔いた。

 また何もできぬまま、敗北するのだ。

 

 

 


 

 リミカ・グランエイドが即位する。

 その御触れは決定事項として、その後すべての領地に届けられた。

 

 

第二章 終

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