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炎国の騎士と北の夜明け  作者: 紘麻 涼海
第一章 皇太子
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一、燃える塔

 海の塔が燃えている。

 フェデルマ帝国の皇太子、十三歳のリューベルト・グランエイドは、その最上階で立ち尽くしていた。

 炎から生まれる熱は、服越しに彼の肌を激しく攻め立てる。頬も額も唇も焼けるように熱い。熱風に髪がちりちりと煽られる。呼吸も苦しい。

 それでも彼は、動けなかった。

 

「父上……母上……」

 

 リューベルトは、父と母を――この国の皇帝と皇后を助けに来たはずだった。

 

 

 


 

 簡素な造りの海の塔は、城と隣接しているが、繋がってはおらず独立している。城内で皇家(こうけ)の人間が私室として使う部屋は三階から四階にあり、リューベルトの部屋にはこの塔が望める窓があった。

 窓から煙を見つけた時、リューベルトはすぐにバルコニーへ飛び出した。塔にはこちらを向いた窓はなく、中の様子はわからなかった。

 塔の根元には、何人もの大人が泣き喚くような悲鳴を上げている、異常事態の光景があった。

 リューベルトが見つけた黒煙は、一階の入り口と窓から吹き出していた。その入り口から、真っ黒に汚れた人間が引きずり出されてくるのが見えた。それが誰なのかは、わからなかった。叫び声を聞くまでは。

 

「やめてくれ! 放してくれ! 陛下が!」

 

 それはリューベルトにとって、あまりに馴染みのある声だった。父の侍従をしている男だったのだ。

 ぞっと、総毛立った。

 父がそこにいるのだ。おそらく母も。

 リューベルトはバルコニーから、城の屋根に飛び降りた。屋根伝いに塔の最上階に一番近いところまで行ってみたが、飛び移るのが可能な距離ではなかった。

 

「何か――」

 

 自分と塔の間の空間を目で測りながら、必死に考えを巡らせる。何か渡る方法はないだろうか――

 

「……そうだ」

 

 リューベルトは傾斜のある屋根を走った。

 国の大きな行事の際、皇家が民に姿を見せる時などにも使う、城正面の大きなバルコニーに入り込むと、手すりの下にあった帝国旗用の旗竿を掴んだ。行事の時以外は旗を外し、支柱立てからも抜いて、旗竿は倒して置いてある。通常立てるときは大人二人でやるものだが、必死のリューベルトは一人でそれを引きずりながら、もといた場所まで屋根を登った。

 塔の窓は見えないが、バルコニーの手すりの端はぎりぎり見えている。

 歯を食いしばって旗竿を持ち上げると、先端で半円を描き、向こうの手すりに引っ掛けることに成功した。こちら側の先端も屋根に乗せたままで、特に固定もできないが、迷いはなかった。リューベルトは旗竿にぶら下がり、塔の最上階へと空中を渡り始めた。

 そんな皇太子の姿を誰かが見つけたのか、下から叫び声が上がったが、リューベルトの耳には入らなかった。

 なんとか無事に渡り切り、外からは開かない掃き出し窓を、持っていた護身用の短剣で叩き割った。

 

 しかし父と母は、息子の立てた、けたたましい音に応えなかった。

 二人とも、既に床に倒れていた。

 それを見つけた時、リューベルトは大声で呼びかけながら二人に取りすがった。

 その時にはまだ、炎は階下を焼いており、閉まっている扉の枠から煙は染み出していたが、この部屋に立ち込めているとまでは言えない程度だった。それでもリューベルトは、両親は煙の毒性に倒れてしまったのだと思い込んでいた。

 外気を吸わせるため、自分が入って来たバルコニーへ、二人を引きずってでも連れ出そうとした。

 そこで、びくりとして、手を引っ込めた。

 父の両目は、開いたままだった。まぶたは動かず、半開きの唇は青く、泡を吹いたような跡が残っている。指先の爪が青味を帯びているのが、不気味に目についた。母も苦しげに喉元を押さえ、顔が隠れるほど髪を振り乱した姿で動かなくなっている。


「父上……母上……」

 

 リューベルトは父母に触れることができなくなり、そこで立ち尽くしていた。

 二人の死は――おそらく、この火事のせいではなく。

 

 ——これは……毒……を……

 

 突然両親の死を目の当たりにした衝撃は、同時に誰かに毒を飲まされたのだという恐怖と合わさって、リューベルトから思考力を奪った。

 

 火は恐るべき勢いで、この部屋まで上ってきた。

 熱風を取り込んでいたせいで、喉も、その奥の体内までも、焦げ付くように熱く、痛い。目も開けていられないほどだ。ここに突っ立って煙を吸っていたら、きっと間もなく意識を失う。リューベルトは自分の身に絡みつく死の感触に、ようやく自我を取り戻した。

 すぐに動かなければ……この場で死ぬ。

 扉や壁や床が、天井が、いつの間にか激しく焼けている。このままでは、父と母も炎に飲まれてしまう。もう息がないと、目に映る現実は突きつけてきても、まだ信じられない。置いていけない。

 

「くっ……」

 

 リューベルトは左手で父の、右手で母の腕を掴み、ずるずるとバルコニーへ後退した。もう動くことのない父と母の体は、漠然と想像するよりも遥かに重い。それに加えて自分の体は、煙を吸ってしまったせいか思うように力が入らず、頭もくらくらする。

 炎の波は容赦なく、少年に襲いかかった。

 

「うわあっ」

 

 いつの間にか舞う火の粉によって服に引火していた。リューベルトは焦って素手で叩いて、どうにか消し止めた。急いでもう一度両親の腕を取ると、バルコニーを顧みた。

 メキメキと、彼の頭上で天井が軋む。

 それを皮切りに、右の、左の、奥の壁が次々と音を立てて、ひび割れ始める。

 

「ああっ――」

 

 ついに天井が割れた。

 轟音を立てて、目の前の部屋が消える。その寸前にリューベルトの体は、弾かれるようにバルコニーへ出ていた。


「母上っ……!」


 右手を伸ばしながら、しかしそこには戻れない。

 

「母上! 父上!」

「リューベルト殿下!」

 

 何も見えない――もしかしたらもう何もない――部屋の中へ向けて叫んだつもりだったが、自分の声も、地上から彼の名を呼ぶ声も、もう聞き取れなかった。天井が抜け、引きずり込まれるように次々と室内の壁も崩れた海の塔は、凄まじい音を響かせて、内部崩壊した。

 リューベルトのいる最上階のバルコニーは、塔の外壁から振るい落とされるように落下を始めた。原型を留めたままであったのは、幸運と言えたのかもしれない。彼は咄嗟に手すりを蹴って外へ飛び出した。

 

 ――バキバキと木の枝が折れる音。体中に突き立てられる痛み。自分のものではない悲鳴。

 それらを理解する余裕はなく、リューベルトの意識は闇の中へ落ちた。

 

 


 

 

 帝都で一番高い位置に鎮座する、皇帝の城。

 内部は四階建てだが、外から見ると何階まであるのかよくわからない。中心の大きな建物に、四角や六角、または円形の塔のようなものがいくつも結合したような外観をしており、その塔の屋根の高さもバラバラで、どことどこが繋がっているのか、どの辺りで階層が区切れているのか、中に入ったこともない者には判別しにくいのだ。

 複雑な造りだが、不思議とまとまっていて、人の目を引きつける美しい城。それは、この帝国の象徴。


 もしも帝都が侵略を受けた際、城を守るのは貴族である。彼らは城に近い土地に住まいを構え、平民の家々とは街区を分けられている。さらに城から離れ、都で一番外側にあるのが、もっとも賑やかな商業用街区である。

 その日城の間際から昇った黒煙は、遠いこの街区にいた市民たちからも見えていた。

 初めて見るものに不穏さを感じながらも、彼らにはその煙の下で何が起きているのか、まったく想像できていなかった。城の敷地内で何かの行事や訓練でも行われているのではないか、とあまり気にしていなかった人間も多かったくらいだ。


 城の門に近い上級貴族の街区に館を持つアダン・キュベリー侯爵は、明日にも領地へ向けて都を発つ予定でいた。帝都での仕事にひと区切りがついた今のうちに一旦帰領するつもりで、ゆったりと過ごしていた。

 城の敷地内で突如上がった煙の報告を受けた彼は、登城に相応しい服に着替えることなく城へ走った。城は石の城壁に囲われている。城門をくぐった先は、この緊急事態には不謹慎に見えるほど美しい庭園だ。

 真正面で庭園を見下ろしている城の、すぐ脇に建つ尖塔が焼けていた。

 

「火の魔導士は何をしているのだ!」

 

 アダンは、右往左往する城の使用人たちを怒鳴りつけた。

 城内の魔導士団に、火の魔導士くらいいるはずだ。城の裏手の敷地内にある、魔導士を育てる施設である修練所にだって、講師として火の魔導士が控えているはずだ。いかに魔導士が希少な存在とはいえ、城に一人もいないはずがない。

 しかしアダンは、はっとした。彼は、自身が放った叱責に対する返答を知っていた。

 

 ――いいや……今この帝都には、火の魔導士はいない……

 

 アダンの背に、感じたことのない悪寒が走る。

 

 城の両脇に立つ、目立たぬ外見の尖塔は、本来は見張り用の塔である。東に建つのが、帝都の北から東方面にある山にちなんで山の塔。西側は遠くに海が見えるので、海の塔と通称されている。

 現皇帝ディーゼンは、海の塔の上からの眺めを好んでいた。よく妻である皇后レスカと登っていた。従者や護衛は下で控えさせ、毎日のように二人きりで睦まじくお茶の時間を過ごしていた。ちょうどこのくらいの、午後の時間に。

 

「陛下はどうなさった!? まさかこの上におわすのではあるまいな!?」

 

 煤に汚れながら、慌ただしく水桶を運ぶ下男たちの一人を捕まえ、アダンは詰問した。

 この国の宰相に強く肩を掴まれた下男は、すぐに答えられず、口をぱくぱくとさせている。

 塔の中から、腹に響くような轟音が鳴った。

 

「リューベルト殿下!」

 

 その時、塔の足元からその声がした。アダンは瞬間的にそちらを向いた。

 声の主であろう城の騎士は、真上を見上げていた。アダンも上を見ると、中から崩れ始めたらしい塔の上部の小さなバルコニーに、まだ少年らしき人影が動いて見えた。

 

「殿下――!?」

 

 塔から剥がれ落ちたバルコニーから、少年は空中で飛び降りた。

 地上の人間たちから幾重もの悲鳴が上がる。

 アダンはいつ崩れ落ちるともしれない塔の横に、全力で駆け寄った。地面に叩きつけられてバラバラに破砕したバルコニーから逃れ、植え込みに落ちたリューベルトを抱え上げた。

 

「なぜ殿下が……陛下は……」

 

 傷だらけのリューベルトの意識はなかったが、呼吸は続いていた。煙の毒をどれだけ体に吸い込んでしまっているか定かではないが、命に別状はないとみて良いだろうか。

 アダンはもう一度上を見上げた。

 

「キュベリー様、お下がりください!」

 

 誰か複数の人間が、アダンの肩や服を掴み、塔のそばから引き剥がした。

 庭園の端まで避難したアダンは、リューベルトを抱きかかえたまま、皇帝の侍従がいないか辺りを見回した。もし皇帝が塔の上にいたのなら、侍従が周辺に待機していたはずだ。いないことを祈っていた。

 

 ……しかし、彼はアダンに走り寄ってきた。

 服はひどく焦げ、何かが焼き付き、全身は真っ黒に汚れていた。ガラスのような黒い破片がいくつか刺さったままだ。見慣れた顔は真っ赤な火傷で腫れ上がり、見たことがない歪んだ表情を浮かべていて、間近に寄られるまで誰だかわからなかったほどだった。

 彼は悲痛な声を上げた。

 

「キュベリー様! 陛下が……! 皇帝陛下と皇后陛下が、まだあの中に――!」

 

 アダンの顔から、血の気が失せた。

 

 

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