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炎国の騎士と北の夜明け  作者: 紘麻 涼海
第二章 国境の地
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八、新しい出会い

 馬の蹄が力強く地を蹴り跳躍する。リューベルトは膝をぐっと締め、鞍から腰を浮かせたまま態勢を整え、着地に備えて手綱を握る手に力を入れる。

 帝都でも本格的な乗馬訓練を受けていたので、障害を越えることくらいはお手のものだ。

 

「よし、いい子だ」

 

 降りてからも、馬を存分に褒めた。この馬はシンザが育てたうちの一頭らしい。まだ二歳だが、人間の言うことをよく聞く良い馬だ。

 そのシンザは先ほど執事に呼ばれて、この訓練場にはいない。誰か客人が来たようだった。リューベルトは隠れたほうが良いかと聞いたが、シンザは少し考えてから大丈夫ですと答えた。あとでお迎えにきますのでと言って、執事とともに城へ入っていった。

 

「ふう……」

 

 休憩を取ることにし、騎士たちの邪魔にならないよう少し離れたところに座った。城をちらりと見やる。

 シンザはいいと言ったが、隠れ住んでいる身としては、来訪者はやはり気になる。皇太子リューベルトの顔を知っている一般の民は、この辺りにはまずいないと思うが、貴族となれば話は別だ。何かの行事の折に顔を覚えられている可能性がある。

 

 ——だが……貴族の客人が、訓練場や厩舎のほうに来ることはないか。

 

 きっとそれで、シンザも大丈夫だと判断したのだろう。

 リューベルトは訓練場の騎士たちを見守った。

 彼らは、リューベルトがこの城へ来た頃は大層戸惑っていたが、今は受け入れてくれている。グレッド家の一人のように扱ってくれる。失っていた居場所ができたように感じられ、穏やかな気持ちになれた。

 それでもやはり、こんなふうに一人で思考すると、リミカやエレリアやアダンのことが浮かび、気分が塞ぐ。ガレフの報告を聞いてからは殊更だ。

 今は動こうにも動きようがないのだと、頭では理解しているのだが——

 

 ぼんやりとしていたリューベルトの耳に、急に馬の足音が入ってきた。気がついた時にはかなり近くまで迫って聞こえ、慌てて後ろを振り返った。

 その馬に乗っているのは、騎士団員でも使用人でもない。見える服装が異なるし、どうも小柄な人物だ。

 誰なのかわからないが、すでに隠れるには間に合わないほどの距離まで、その馬は近付いてきていた。きっとすでに存在を視認されてしまった。

 リューベルトも、騎士団員には見えまい。どうしたらいいだろう。周囲を見回してもシンザは不在だし、団長のヒュリスも遠い。取るべき行動を決められないでいるうちに、その馬は目の前まで来てしまった。

 

「まあ、失礼いたしました。お客様でしたか」

 

 女性の声だった。いや、女性というより、どことなく無邪気な響きの少女の声だ。

 彼女は、足を止めた馬の首の向こう側から首を傾げて、リューベルトを見下ろしていた。

 不思議そうな表情はあどけなく、一見幼く見えるが、おそらくリューベルトと同じくらいの年齢だ。高いところで束ねた、赤毛と形容してもよさそうな茶色の髪が、ゆらゆらと揺れている。

 

「——あなた……は……?」

 

 少女は慣れた様子でさっと馬から降りた。

 反射的に立ち上がって対峙したリューベルトは、ぎくっとした。少女はドレスこそ着ていないが、その服は平民が着るものとは違う。まとっている雰囲気といい、きっと彼女は貴族の娘だ。

 それに、多分どこかで会ったことがある。

 少女のほうも何か思っているようで、榛色の大きな瞳を見開いて、まじまじとリューベルトの顔に見入っている。

 

 ——そうだ、彼女は、確か……

 

 思い出した。シンザたちと同じところだ。去年の模擬戦大会で、彼女を見た。四部門あるうち、グレッド家が唯一欠いていた未成年の少女の部で、十四歳までが出場できる中、十二歳で初出場した彼女が優勝した。シンザの次に、母に表彰されていた。

 そう、彼女はやはり貴族だった。伯爵家の娘のはずだ。名は、何だったか。

 

「——おいっ! ティノーラ!」

 

 少女の後ろのほうから、知らない若い男の声がした。

 

 ——ああ、そうだ……ティノーラ・リエフだ……!

 

 思い出したのはいいが、ますます状況は悪くなった。後ろから走ってきて彼女を呼んだ男に見覚えはなかったが、ティノーラと呼び捨てにした彼もまた、貴族に決まっている。

 

「あら、お兄様。どうしたの。走ってきたの?」

 

 ティノーラが彼を振り返って、別に意外でもなさそうな声で平然と言う。

 

「走ってきたのじゃない。止まるよう言ったのが聞こえなかったのか」

 

 兄らしき青年は、ティノーラよりも二、三歳年上だろうか。赤みは薄い、落ち着いた茶色の髪で、瞳は妹と違って灰色や青が強い。彼はその目を少し細くして、呆れを表現していた。馬で走っていってしまったティノーラを、自分の足で走って追いかけてきたようだ。でも、ほとんど息は切れていない。

 

「ごめんなさい。聞こえなかったわ」

「ごめんなさいじゃないぞ、まったく。出迎えてくれたお屋敷の方が、今日は馬をお預かりしますとおっしゃっただろう」

「えっ、そうだった? 聞いてなかったわ」

「いくら懇意にしてくださっているグレッド家でも、失礼になるだろう。——きみ、妹が迷惑をかけてすまなかった」

 

 なるべく下を向いているリューベルトを見やりながら、青年が声をかけてきた。

 今の言葉からすると、彼は相手をこの城の使用人か何かだと思っている。リューベルトだとは気づいていない。

 わざわざこの程度のことで、貴族が「平民」に対して謝罪の言葉を口にするとは、丁寧な人間なのだな、とリューベルトは思った。中には平民に謝る行為は、貴族の威厳を損なうと考える者だっているというのに。

 

 リューベルトは青年の言葉に首を振るだけで、声を出して返事をしなかった。ティノーラとも表彰式以外で会ったことはないと思うので、こちらを覚えているとは限らない。この場をやり過ごせるかもしれないと思っていた。

 先走った妹に怒っているというより、やれやれという様子で肩をすくめる兄は、彼女に一緒に戻るよう促した。

 ティノーラは一瞬だけリューベルトに視線を向け、再び兄を見上げた。

 

「待って、お兄様。それどころじゃないの。大変なのよ」

 

 言葉の内容の割には、不思議なほどのんびりとした口調だった。ティノーラは、まるで兄にリューベルトを紹介するかのように、おしとやかに手のひらを差し出してきた。

 

「驚きすぎて驚けなかったくらいなの。だってここに、リューベルト殿下がいらっしゃるのよ」

「——は……?」

 

 兄は驚かなかった。妹の発言が飲み込めなかったようで、難解な顔をしている。


「えっ……あっ……」


 しかし、いきなり名指しされたリューベルトはびっくりして、顔を上げてしまった。否定さえできずに狼狽して、今さら逃げて隠れたい衝動に駆られたが、もう遅すぎる。

 兄は初めてリューベルトの顔を直視した。今まで騎士団か厩務員の見習い少年だと思っていたのだ。

 

「去年の大会の表彰式の時、間近でお目にかかったもの。リューベルト殿下であられますよね?」

「……表彰式……?」

 

 妹が皇后から称号を賜るところを、兄は客席から見守っていたのだ。その近くに皇家がお揃いだったと、確かに彼にも記憶があった。

 兄の顔が、みるみるうちに驚愕であふれる。

 

「ええっ……!? で、殿下……なぜ……えっ!?」

「い、いや——」

「じ、事故死されたと伺いましたが……!?」

「ちが……私は——」

「ノルド! ティノーラ!」

 

 シンザの声だった。リエフ兄妹が来たのと同じ方向から走ってくるのが、リューベルトから見えた。

 兄妹と向かい合って慌て顔のリューベルトを見つけると、シンザは走るのをやめ、とても大きなため息をついた。

 

「ティノーラ……まさか父上の思惑を最初から壊すなんて……大したやつだなあ……」

「思惑? ダイル様の? 何のことなの、シンザ?」

 

 本当に意味がわからない、という顔で、ティノーラはシンザとリューベルトを見比べていた。

 

 


 

 

 いきさつを聞いたガレフは、笑い出した。やられたなあ、と言って大笑いしている。

 ガレフたちがダイルから聞いていた計画では、リューベルトとティノーラたちを会わせるのは、今日ではなかった。それをすり抜けられてしまった。

 ティノーラとその兄ノルドレンは、グレッド家の北隣に領地があるリエフ伯爵家の子どもで、幼い頃からガレフたち兄弟と遊んできた仲である。子どもといっても、ノルドレンは十五歳で大人の一員だ。

 気づかずに無礼な言動を取ったことを、ノルドレンは何度もリューベルトに謝罪した。城内の応接間に移動してからも恐縮している。どうも堅く真面目な性格のようだ。

 

「でも、本当に驚きました。まさか、リューベルト殿下がこちらにいらっしゃったなんて」

 

 ようやく笑いを収めてきたガレフに、ノルドレンたちの母親が改めて感想を述べる。

 ユリアンネ・リエフ——まだ社交界に出ていないリューベルトでも、彼女の顔と名前はよく知っている。ある意味で、帝国内では目立つ存在だからだ。

 ユリアンネは、リエフ伯爵夫人ではない。彼女が伯爵なのである。前リエフ伯爵の夫が亡くなった時、嫡男のノルドレンがまだ十歳に満たぬ子どもであったため、妻のユリアンネがリエフ家当主となったのだ。

 フェデルマは女性でも爵位を相続できる。そう法改正をしたのは、即位したばかりの頃のベネレストだ。

 その前の皇帝の御代では、帝国北部で反乱が多く起こり、当主が亡くなることも多発した時代だった。男児を授かっていなかったり、まだ幼子のため相続できなかったりと、貴族家が消滅してしまうことも多かった。

 新興貴族ばかりでは帝国内外から軽んじられる、とベネレストが危惧し、妻や娘でも相続を可能としたのだ。

 基本的には男系が継ぐ習慣までは変わらなかったが、この法のおかげで継続できた貴族家もずいぶんあった。現在ただ一人の女性当主であるリエフ家も、そのひとつである。

 

「ユリアンネ様。このことは」

「もちろん、口が裂けても外にはもらしませんわ」

 

 ユリアンネは、騎士の服を着ている胸元に手を当てて請け負った。

 ガレフは礼を言うと、詳しい事情を説明した。

 本当はこの話も、今日彼女に明かす予定ではなかった。ユリアンネは、帝都に滞在していた間のセームダルの動きについて、グレッド家と情報共有に来ただけだ。

 実はダイルはリューベルトに対して、リエフ家にも協力を依頼する提案をしようと考えていた。その前にまずは、ユリアンネたち親子を遠くからでも見てもらおうというのが、本来の今日の予定だった。ダイルとしては、ノルドレンたちとリューベルトは年も近いのでいずれ友人に、という親心のようなものもあった。

 

 真実を知らされたリエフ伯爵家の三人は、できる限りの協力を誓った。

 感謝の言葉を述べながらも、リューベルトの目には少し戸惑いの色が残っていることに、シンザが気づいた。

 

「殿下、ユリアンネ様たちは信用できます。我々と同じとお考えください」

「ああ。そなたたちやダイル殿がそう判断するのなら、もちろん信用する。ただ……そうじゃないんだ。リエフ家は確か、祖父に……理不尽な領地替えをされたのではなかったか」

「まあ、畏れ多いですわ。ですが……そんな昔の出来事をご存知だったのですね」

 

 ユリアンネは上品に口元を押さえながら、目を細めた。

 

「もう九年ほど前のことですのに」

「少しだけ、話に聞いたことがあるだけだが——」

「私どもがお恨みしているのではないかと、ご心配なのでしょうか。それならばどうぞご安心を。私も、亡き夫も、リエフ領を愛しております」

 

 ユリアンネの夫がリエフ伯爵だった頃、ベネレストの怒りを買ってしまったことがあった。降格こそ免れたが、帝都に近かった領地は没収され、今の領地をあてがわれたのだ。辺鄙、荒蕪地、不毛の山と揶揄される土地を。

 ディーゼンが即位した時に、リエフ家に西方の領地に移らないかと打診したことがあった。ところがユリアンネは、それを辞退したのだ。

 

「父上は、ご主人も亡くなってしまい、ユリアンネ殿は抗議の意味で断ったのだろうかと、気にしていた」

「まあ……ディーゼン陛下が……!?」

 

 ユリアンネは息を呑んだ。そんな行き違いがあったとは、初めて知ったことだった。

 申し訳なさそうに視線を落とすリューベルトに、ユリアンネは家臣として跪いた。

 

「それは違います……! あの時も申し上げました通り、私は夫と開拓を進めていたリエフ領を、道半ばで去りたくなかったのです。決して、虚勢でも、偽りでもございません。あの土地と民は、愛おしい我が子なのです。リエフはこの先も、領地を変わるつもりはございません」

「そうか……。すまなかった。父も私も、そなたたちを誤解していたようだ。……それから、改めて私からも、祖父の非礼を謝りたい」

「そんな、非礼だなんて……もったいないお言葉に存じます」

 

 ユリアンネは深く頭を下げた。ノルドレンやティノーラも、母に続いて頭を下げた。

 九年前のユリアンネなら、ベネレストへの恨みの気持ちがないとはいえなかった。人の良い夫は何を憎むこともなくこの世を去ったけれど、ユリアンネの胸の内にはずっとしこりが残っていた。

 だが五年前、ディーゼンは皇帝として詫びてくれた。夫は悪くなかったことを認めてくれた。それがどれだけ救いになったことか。


 そして今、ベネレストに面差しが似ているリューベルトと、こんな話をすることになろうとは、ユリアンネは不思議な巡り合わせを感じていた。

 

 

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