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帝国歴百二十二年 八の月

 それは、たとえば西大陸の人が見たならば、異様と感じられることだろう。

 

 高い半円型の天井には、絵画はない。

 いくつもの円環形の大きな燭台も、どれも丈夫そうな鎖を何本も使って吊るされているだけで、特に豪奢な装飾はなされていない。

 厚い造りの壁には窓がたくさんあり、太陽の光は中まで明るく差しこんでいるが、どれも幅が狭く、開放的な雰囲気とは程遠い。

 長方形の広々としたその部屋は、時には百人以上の人間も受け入れる。そんな広大な空間を支えているのは、訪れた者を威圧するかのような太い柱だ。入り口の扉から奥へと敷かれた、深い青色の絨毯の両脇に沿うように並ぶその柱には、この帝国の御旗が下げられている。

 

 フェデルマ帝都城の玉座の間は、一見して質素だ。華やかという表現はまったく当てはまらず、頑丈な大空間、堅塞の広間のようだった。

 他国の要人が皇帝と謁見する際にも使われるのだから、通常ならば贅を凝らすものだろう。

 だが、戦乱が絶えなかったここ北大陸においては、見せかけの豪華さなど重視されてこなかった。

 この城は落とせない--訪れた者をそう圧倒する堅牢さこそが必要だったのだ。

 

 今、その玉座の間に、後ろ手に縛られた一人の男が引き出されてきた。

 騎士に腕を掴まれながら絨毯の上を歩き、玉座からは距離を取ったところで止められる。肩を上から押された男は、そこで両膝をついた。

 彼を迎えた何人かの人間は、立ったままその様子を冷たく見下ろしていた。彼らは中央政治を司るような、格の高い貴族たちだ。この国では貴族といえど、騎士の鍛錬を積んでいる。平時から帯剣しているが、今は皇帝の御前なので、剣帯から鞘ごと外し、簡単に抜けぬよう利き手に持つことで、忠誠を示している。

 

 玉座におわす皇帝が、長く息を吐く気配がした。

 家臣の貴族たちは左右に割れ、絨毯の中央を空けた。

 皇帝の目に、うなだれた赤毛の男の姿が入った。

 

「表を上げよ、コーディ」

 

 フェデルマ帝国皇帝リューベルト・グランエイドの、温度のない声が広い空間に響く。

 

 コーディは、つい先日まで子爵だった。中央政治とは関わりが薄いものの、警務官という大切な役目に従事していた。頻繁に城に上がるような職種ではなかったため、玉座の間となると、入る機会はもっと少なかった。

 床の間近まで頭を下げていたコーディの目は、青い絨毯のきれいな模様を映しながら、何もとらえてはいなかった。皇帝の声は、この部屋に仕掛けられた圧力よりも彼を圧していた。この国の君主に命令されているにも関わらず、背中も首も動かない。汗ばかりがあふれ出て、頭を上げられずにいた。

 

「表を、上げよ」

 

 再び皇帝の、抑揚のない声が響く。感情を乗せていない声でありながら、そこにいる誰もが、皇帝の胸の内に燃えたぎる激しい怒りを感じ取っていた。

 震えているだけで頭を上げられないコーディの肩を、見かねた騎士が掴んだ。ぐい、と上半身を持ち上げる。

 強制的に身体を起こされてもなお、コーディの目線は絨毯の模様に繋がれていた。

 

「かの魔法……いや、呪いか? 解呪しても無駄だと、そう申したそうだな。もう一人の魔導士の身元も、そなたたちは何も知らぬと」

「……存じません。顔もほとんど見せない男でした」

 

 コーディはどうにか声を絞り出した。

 騎士団に捕まった直後の取り調べでも、彼は同じことを答えた。


 コーディと彼の従者が協力した魔法陣を使って、中にいた人間もろとも大きな建物に、とんでもない魔法をかけた魔導士。その男は名乗らず、外套のフードでまともに顔も見せなかった。その奇妙な魔導士の素性について、コーディは本当に何も知らない。知ろうともしなかったのだ。その男が誰でも構わなかったから。

 魔法を成功させてくれれば良し。もし失敗してその男がどうなっても、館のほうに予期せぬ何かが起きても、どうでもよかった。

 コーディは、その館の中にいた一家に、何かしら危害が及んでくれたら幸運だと思っていた。

 本当に呪いがかけられたのを目の当たりにした時には、新月の暗闇の中で、笑いが止まらなくなった。

 

 

 

 


 玉座の間に罪人が上がることなど、普通はない。

 だがコーディは複数の罪を犯し、それは国家への反逆でもある重い咎だった。周囲の反対を黙殺し、皇帝自身がここへ呼び付けたのだ。

 

 玉座から人が立つ気配がした。

 敏感に反応したのは、皇帝とコーディの間に立つ家臣たちだ。彼らはコーディなどではなく、主君がゆっくりと足を踏み出す動きを見つめた。空気が一気に緊迫してくる。

 

「……父上、陛下は……」

 

 その中の一人、リエフ伯爵家の長男ゼクトは、傍らに立つ父親の横顔を見た。父親だけにしか聞こえないよう、小さくひそめたゼクトの声も、ひどく緊張していた。

 

「……大丈夫だ」

 

 リエフ伯爵はそう言って、まだ若い息子をなだめた。

 その時、もっとも皇帝のそば近くに立っていたキュベリー侯爵が、玉座の前に素早く進み出て、剣を置き、片膝と拳を床に付け、頭を垂れた。

 

「陛下。どうか……玉座にお戻りを」

「キュベリー……」

 

 皇帝は、自分より少し若い侯爵を見つめ、しばし足を止めた。しかし、ゆっくりと、玉座の据えてある壇上から下りた。

 跪いたまま頭を下げ続けるキュベリーの肩に、そっと手で触れる。

 

「心配には及ばぬ」

 

 キュベリーは一度ぐっと目を瞑ってから立ち上がり、皇帝の前の道を退いた。

 皇帝リューベルト自身も騎士であり、腰には剣がある。帝国の主たる皇家(こうけ)の御方の帯剣は、いつ何時も、国内の民の誰に対しても、礼を失することにはならない。

 家臣たちの前で、皇帝は絨毯の上を歩く。

 

 大丈夫だ――父親の言葉の真意を探っていたゼクトは、もう一度隣の横顔を見た。父は、キュベリーから皇帝に視線を移し、それからコーディを一瞥した。目元に苦々しさが浮かび、奥歯を噛み締めたのか、顎に力が入っているように見える。ぎゅ、と杖を握る手に血管が浮かび上がる。

 ――陛下は、剣を抜きかねない。

 やはり、父でもそう思っているのだ。

 

 ゼクトは父から、父の視線の先のコーディに目をやった。ゼクトの中にも、体の芯が熱くなるほどの憤りがある。しかし今は、それ以上に大切なことがある。

 ゼクトはもう一度、ひそめた声で父に囁いた。

 

「もしその時が来たら……俺が行くよ」

「……ゼクト」

 

 父は足が悪い。杖なしでは歩くのにも苦労する。そんな父に、皇帝は止められまい。

 呪いの被害に遭った一家の血縁者でもある自分が、身を挺してでも皇帝を止める。

 ゼクトは覚悟を決めた。

 

 皇帝が、コーディの前で止まる。

 

「コーディ。余の顔を見よ」

 

 見つめていた絨毯の模様を踏みつけた靴を見て、コーディから、ひっと小さな声がもれた。

 その靴を履いた足がわずかに揺れ、視界にその身体が入り込む。なんと、皇帝が罪人を前にして屈み込んだのだ。周囲の家臣たちも息を呑んだ。

 

「見よ」

 

 コーディは操り人形のように、不自然なほどかくかくと頭を持ち上げた。そこには、間近で見たことがなかった君主の顔があった。

 柔らかそうに輝く金髪は、遠くからしか見たことがなくても、よく知っていた。瞳がこんなに深く濃い青色だったのは知らなかった。年を重ねても品良く整うその顔に浮かんでいるのは――はっきりと、怒りだ。

 

「解呪が無駄かどうかの判断は、貴様には許しておらぬ。聞くところによると、魔導士の死でも同様の効果になるそうだな。……よかろう、余の前で選ばせてやろうぞ」

 

 ゼクトは両手を握りしめた。自然と眉が吊り上がっていた。

 

「解呪し、その生涯を民のための労働に費すか……死か。好きなほうを選べ」

「——陛下……!」

 

 家臣の何人かが、思わず足を一歩踏み出した。

 しかし、皇帝は意に介さず続ける。

 

「それはできないはずだ……そう思っているな、コーディ。この国に死刑はないのだからと……その通りだ、確かにない。だが、貴様は特別だ、コーディ。特別に、余が自ら制定した法を……破ってやろうではないか」

 

 目を細めながら語りかけてくるその声は、容赦のない天よりの遣いの囁きのようだった。

 

「さあ……選べ。今、ここで」

 

 コーディは顎をガチガチと震えさせていた。答えようにも、おそらく声が出せない。

 もしも皇帝の右手の指が剣の柄に触れたなら、ゼクトは、向かい合う二人の間に割って入るつもりだった。もちろん、自分の剣は床に捨てて。たとえ皇帝の怒りがすべて自分に叩きつけられようとも、退かないと決めていた。

 

 周りの家臣たちにとっても、リエフ伯爵とゼクトにとっても、恐ろしいほど長い時間に感じられた。

 この間、皇帝の胸に去来していた思いがどんなものだったのか……それは旧知のリエフ伯爵にすら、すべてを察することはできなかった。

 

 ふいに、すっと、皇帝が立ち上がった。

 

「……解呪を命ずる。連れて行け」

 

 コーディを連れて来た騎士にそう伝えると、玉座のほうへと踵を返した。

 騎士は蒼白な顔をしているコーディを、速やかに扉の外へと連れ出した。

 扉の閉まる音のあと、しんと静まった空気を、皇帝の声が揺らした。

 

「どうやら、皆に心配をかけてしまったようだな」

「いいえ、我らこそ……出すぎた真似を致しました」

 

 キュベリーが代表して応えた。

 

「すまなかった。皆も、もう下がってよい」

 

 家臣たちは一礼して、扉から出て行った。一番若輩者のゼクトは最後尾から退室しようとしたが、父親が一歩も動いていなかった。

 

「……父上?」

 

 玉座の方向を見たまま佇んでいた皇帝が、ゼクトの声に顔を後ろへ向けた。リエフ伯爵と視線が交わると、苦い笑みを浮かべた。

 

「やり方が悪い……そう言いたいのか」

「いいえ……。大丈夫ですか、リューベルト陛下」

「それは、そなたこそだろう。家族ではないか」

「あなた様にとっても……家族でございましょう」

「ああ……」

 

 リューベルトは玉座に座らず、その前の段に力なく腰を下ろすと、リエフ家の親子にだけ本音を漏らした。

 

「……斬り捨ててやりたかったよ、本当に」

「陛下……」

「だが、無理だ。できるわけがない……。ゼクトにあんな顔をされてはな」

 

 リューベルトはゼクトに微笑んだ。今度は痛そうな笑顔だった。 

 

「命懸けになったとしても、私を止めるつもりでいたのだろう?」

「……はい」

「そなたとて、あの男は憎かろうに……私などより、よほど立派だな」

「……幼少の頃より、陛下は私やジェイをかわいがってくださいました。コーディへの憎しみなどとは、比ぶべくもないだけでございます」

「本当に……よい若者になったな……。ターシャが見たら、喜んでいただろうに——」

 

 目を細めたリューベルトは、玉座を仰ぎ見た。

 

「――あの日語り合った理想は……守らねばな」

 

 フェデルマ皇家の玉座は、即位した皇帝一人ひとりに合わせて誂えられる。黒い椅子に青い布張りの玉座は、この大空間の中で唯一、宝石や金を使った装飾が施されているものだった。

 即位式の日、真新しかったこの玉座の前で、リューベルトは君主の誓いを立てた。

 それは、義兄ともいえる存在、シンザと語り合った夢でもあった。

 

 

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