君は美しくないから
美人は得をする――それは至極当然のことだ。
「人は見かけじゃないよ、中身だよ」
幼い頃、兄であるルイの言葉を鵜呑みにしたこともあったけれど、それが真実でないことに、レリアはもうとっくに気づいている。
勝気な性格に見える狐のようなつり目は、くすんだ灰色。高すぎる鼻と薄い唇は、物語の中の悪い魔女のよう。ありきたりな薄茶の髪。それら一つ一つのパーツだけなら、別に悪くはないと思う。要するに、美とはバランスなのだ。
現に同じ灰色の瞳と薄茶の髪のルイは、社交界でも評判の美形だ。まっすぐ通った鼻筋と薄い唇は、怜悧に映るらしい。舞踏会ともなれば一曲だけでも踊りたいと令嬢たちが列をなす。
周囲からチヤホヤされる兄と、意地悪そうだからと一線を引かれてしまう妹。同じ親から生まれても、美しい者とそうでない者の差は歴然だ。
おまけにレリアの右手の甲には、幼少の頃に負った醜いやけどの痕がある。そのせいで夏でも手袋が欠かせないことは、周知の事実だった。
己が美しくないということを、レリアはよくわかっていた。だからといって悲しんだり、卑屈になったりしたことはない。なぜなら、それを補って余りある身分があるから。
レリア・ヨハンナ・フォン・シェルチェ。
シェルチェ家は、この大陸の半分を手中に収める名門である。エゼル帝国の皇帝はレリアの伯父に当たる人物で、母親は第三皇女だった。
レリアは今、婚約者に会うため従属国のトタリス王国に短期留学中だ。滞在中の後見人であるマヌエラ王妃は伯母であり、子は王子だけで王女はいない。つまりこの国の女性の中では、伯母に次いで二番目に身分が高いのだ。
選ばれるのではなく、選ぶ側。そこにレリアの美醜は関係ない。
「レリアは、どんな人と結婚したい? 伯父さんが叶えてあげよう。王妃になりたいなら、西のノルテワ王国の王太子なんてどうだい?」
三年前の十三歳の誕生日に、レリアは皇帝に尋ねられた。
「えーと、わたくし、のんびり暮らしたいんですの。王妃になって国民のために知略をめぐらすとか、暗殺の危険にさらされるなんて、まっぴらごめんです」
「ははは、大国の王妃の座は令嬢たちの憧れだろうに。私の姪っ子は欲がないな」
「そんなことありませんわ。見目麗しい殿方を伴侶にするのが夢ですもの。美しいものを愛でるなんて、最高の贅沢ではないですか」
「よし、美少年を集めてパーティを開いてやろう。好きな相手を選ぶといい。そうだな、トタリス王国のグランヒルあたりなら、のんびり暮らせるだろう」
こうして皇帝の気まぐれにより集められた令息たちの中から、一番の美男がレリアの婚約者に選ばれた。
それがトタリス王国の公爵令息、ジルベール・ルグランである。結婚後はエゼル帝国の直轄地グランヒルの総督に任命される予定だ。
政略結婚は便利だとレリアは思う。恋愛対象として見向きもされない容姿でも、結婚相手に不自由しない。それにあちらも自分と結婚すれば出世するのだし、互いに利がある。
ジルベールは容姿だけで総督になる権利を手に入れた。中身は関係ない。やはり美しい人は得をするのだ。
留学生活も終盤に入ったある日、学園主催のパーティが開かれた。
レリアはジルベールにエスコートされて会場入りする。
二人の仲は親密とは言えないまでも、決して悪くはない。ジルベールは、レリアに対して常に紳士的な態度であったし、親切だった。今も優しく手を取り、丁寧に接している。
これなら結婚しても穏やかに暮らせるだろう。レリアはジルベールの金髪碧眼の端正な顔を眺め、満足した。
「あら、ルグラン公爵家のジルベール様ですわ。いつ見ても眼福ですわね」
「お隣にいらっしゃるのは、コルネイユ公爵令嬢のレリア様ですわよ」
「お二人は婚約者同士なのですって! わたくし全然存じ上げなくて、てっきり留学中のお世話係だとばかり……」
「わたくしも。だって、ねぇ……?」
華やかなドレスを纏った令嬢たちが、寄り添うレリアとジルベールを見てヒソヒソと話す。
どうやら一緒にいても恋の噂が立たなかったのは、不美人のレリアでは眉目秀麗なジルベールと釣り合わず、ライバル視する価値もないと認識されているためらしい。
父親が複数持つ爵位の一つであるコルネイユ公爵を名乗っているため、レリアはコルネイユ公爵令嬢と呼ばれている。学園でもわざわざシェルチェの名を振りかざすような真似はしなかったので、皇帝の姪だと知る者は少ない。
だから見た目だけで軽率な判断をしてしまった令嬢たちの気持ちは理解できる。いちいち目くじらを立てるほどのことではない。
「あっ、マリアンヌ様よ!」
「相変わらず、お綺麗ねぇ。お近づきになりたいわ」
公爵家のカップルより、王太子とその婚約者に注目が集まるのは無理もないこと。それが皆の憧れのご令嬢ともなれば、なおさらだ。
つい先程まで矢のように突き刺さっていた彼女たちの視線が、急に興味を失ったようにマリアンヌへと移っていった。
ホッとしたレリアは、ジルベールに断ってから化粧室へと向かった。手袋を外し、緊張で汗ばんだ手のひらをハンカチで拭う。鏡の前で髪が乱れていないか念入りにチェックしてから再び会場へ戻ると――。
「マリアンヌ・ボーシャン、私は君との婚約を破棄する! 理由は、言わなくてもわかっているな?」
不穏なセリフが響き渡ると同時に、場が騒めいた。
アロイス王太子が婚約者のマリアンヌに婚約破棄を突きつけたのだ。
侯爵令嬢マリアンヌ・ボーシャンと言えば、くるくるカールしたハニーブロンドの髪を腰まで伸ばし、サファイアブルーの大きな瞳と陶器のような白い肌を持つ絶世の美女で、成績優秀なうえに絵や乗馬まで嗜む完璧な淑女である。
妃教育も真面目にこなしていると聞く。それなのにどうして――。
(アロイスったら、気でも狂ったのかしら?)
レリアは従兄の奇行にびっくりしながらも、ジルベールを探してキョロキョロと会場を見渡した。
「そ、そんな……わたくし、わたくしは……」
マリアンヌは狼狽え、今にも泣き出しそうに肩を震わせている。
しかし、アロイスはそんな婚約者を慮ることなく睨みつけた。
「言い訳は不要だ。今頃、国王陛下によって正式に手続きされていることだろう」
「なっ……」
公の場で見世物のように破談になるなんて、とんだ恥さらしだ。通常であれば、周りから憐れみの視線を向けられるか、嘲笑されるのだろう。
ところが美人というのは、どこからともなく救いの手が差し伸べられるものなのである。
ショックのあまり言葉を失うマリアンヌに庇護欲を掻き立てられたのか、一人の令息がスッと近づく気配がした。
「マリアンヌ嬢、婚約が破棄されるのであれば、私はあなたに結婚を申し込みたい。一目見た時からお慕いしておりました。どうかこの手をお取りください」
跪き、恭しく手が差し伸べられた。
令嬢たちの眼差しが、一瞬にして蔑みから羨望に変わる。
やはり美人は得だ、とレリアは感心する。だが、次のマリアンヌの一言で正気に返った。
「ジルベール様…………」
(え? ジルベール!? まさか……)
レリアは足早にホールの人混みを掻き分け、今まさに求婚中の令息の顔を確認する。手が震えた。まぎれもなく自分の婚約者だったからだ。
近づくとアロイスと目が合った。ジルベールの予想外の行動が不快なのか、顔をしかめている。
まずい展開になった、とレリアは焦った。
「お待ちください、ジルベール様!」
マリアンヌが縋るようにジルベールの手を取ろうとしているのを見て、慌てて割って入る。
ジルベールが振り返り、パートナーの存在を今思い出したかのように目を見開いた。
「レリア嬢……」
「今ならまだ間に合います。どうかこの手をお取りになってください」
右手の手袋を外し、キスを促すかのように手の甲を差し出す。
ジルベールは目前のやけどの痕に、反射的に顔を歪めた。そして、そっと目を背ける。
君は美しくないから――そう拒絶されているようで、さすがのレリアもツキンと胸が痛んだ。
「私たちの婚約は陛下の戯れで結ばれたものだ。あなたなら、この先も結婚相手に困ることはないでしょう。ならば私はマリアンヌ嬢を選びたいのです」
王族から婚約破棄されたマリアンヌに、新たな縁談は難しいだろう。条件を下げるか、修道院へ行くか……。
一方のレリアは、この縁談が壊れたとしても次がある。
ゆえにこれは想いを遂げるチャンスだと、ジルベールは咄嗟に考えたのかもしれない。
(そうじゃない、そうじゃないのよ! 戯れだろうがなんだろうが、この婚約は伯父様によって結ばれたものなの)
皇帝の顔に泥を塗ったことが問題なのだ。
レリアとて、嫌々自分と結婚してほしいわけではない。だからこそ最終的な見極めの機会として今回の交流期間が設けられたのだし、そのうえでお互いに合わないということであれば、円満に婚約解消できたはずなのだ。せめて、正直な気持ちを打ち明けてくれていたら――。
そう訴えたかったが、レリアは口を噤んだ。彼は、もう自分の運命を決めてしまったのだから。
「そうですか……残念です」
ゆっくりと踵を返し、本来マリアンヌに向けられるはずだった憐憫の眼差しを浴びながら会場を後にしたのだった。
後日、ジルベールは家から勘当され、マリアンヌは僻地の修道院へ送られた。
婚約破棄の原因は、マリアンヌの不貞によるものだった。学園に入学してからというもの、頻繁にジルベールとの逢瀬が目撃されていたのだ。
社交界では「やはり、あの二人はそういう関係だったのだ」と、王太子を裏切った愚か者の噂で持ちきりである。
実は、大勢の前で婚約破棄を言い渡したのはマリアンヌへの処罰の一環であった。その結果レリアに恥をかかせる事態となったことは、皇帝の逆鱗に触れた。
マリアンヌは予定していたよりもずっと北の極寒の地へ、平民となったジルベールは魔石採掘の重労働に就いている。
それでも命が助かっただけマシだと言えよう。
「わたくしの婚約者に選ばれたばかりに愛し合う二人が引き裂かれたみたいで、なんだか心苦しいです。美男と結婚したいなんて言わなければよかった」
「レリアのせいじゃないさ。あの二人が不誠実なだけだよ。愛し合っているからって、不貞を正当化する理由にはならない。添い遂げたいのなら、こうなる前に手立てはあったはずだ。やっぱり人は見かけだけじゃダメだな。大切なのは中身だよ」
しょんぼりするレリアをアロイスが慰めた。
「ルイお兄様と同じことをおっしゃるのね。わたくしも外見でジルベール様を選んだんです。ダメダメですね」
「レリアは、温情をかけたじゃないか。偉いよ」
「でも助けられませんでした。この醜いやけどの痕がいけなかったんでしょうか? でも、ああでもしないと伯父様は納得しないでしょうし……」
レリアは自分の右手の甲をじっと見つめた。
あの時、やけどの痕にキスしてレリアを選んでいれば、皇帝は渋々ながらも姪っ子の我がままを聞き入れ、このまま結婚させていただろう。それがジルベールが助かる唯一の道だった。
「君は優しいね。自分が裏切られたことよりも、相手の不幸に心を痛めるなんて。ジルベールを愛していたのかい?」
「わたくしがジルベール様を? いいえ、わたくしが伴侶に求めるのは美しさだけです。結婚してくれさえすれば、浮気しようが愛人を持とうが別に構わなかったんですよ? 自分が恋愛の対象にならないことはわかっていますから」
総督夫人として穏やかに過ごせるのなら、白い結婚でもよかった。子が必要ならば、愛人の子を養子にしてもいいとすら思っていたくらいだ。
「レリア……そんな悲しいことを言わないでおくれ」
「悲しい、ですか?」
キョトンとなるレリアの右手を、痛ましげな顔をしたアロイスの両手が包み込んだ。
「そうだよ。君は愛されるべき女性なんだ。いっそのこと、この国の王太子妃になるのはどうだい? 私だって、そこそこ美形だろう」
アロイスが、やけどの痕にキスを落とした。
「ん~、確かにアロイスは美形ですわね。けれど、わたくし、王妃の重責を担うよりも地方でのんびり暮らしたいんですの。それに次は美醜にこだわらず、伯父様のお決めになった縁談を受けるつもりです」
「ふうん、伯父上のねぇ」
ニヤニヤするアロイスに別れを告げ、レリアは翌日、予定を切り上げてエゼル帝国へ帰った。しかし――。
(どうして、こんなことになったのかしら?)
すぐにトタリス王国へ戻ることになってしまった。
皇帝の命により、嫁ぎ先が決まったからである。
「私が伯父上に頼んだんだ。ああ、レリアは隣に座っているだけでいいよ? 面倒なことは全部こちらでやるから」
王太子妃となった困り顔のレリアに、アロイスが悠然と微笑んだ。
その後、夫のおおらかな愛情に包まれたレリアは、二男一女を儲けることとなる。
『意地悪そう』『気が強そう』と言われたつり目の顔は、王妃の座に就くと『意志が強い』『威厳がある』と評価され一目置かれた。
(この顔が役に立つこともあるのねぇ)
美しくなくても得することはある――それは、新たな発見。
「わたくし、幸せですわ」
思わず零れた妻の一言に、アロイスは顔をほころばせた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
評価&誤字脱字報告、ありがとうございます。今後の励みになります。
6/13 総合ランキング2位、異世界恋愛ランキング1位をいただきました。