メリザンドの月と太陽4
『私は……私を守るために、誰にも文句を言わせない完璧な令嬢になったの』
思い詰めた顔で告白するメリザンドを前に、アリエッタはぼりんと音をさせて、銜えたクッキーを噛み砕いた。
二人が向かい合っているのは、アリエッタの私室のテーブルセット。
お披露目から一月。
メリザンドから慰労のお茶会の誘いがあり、快く受け入れたアリエッタが彼女を自室に招待したのだ。
メリザンドが話したいことを察して、人払いの容易な自室を指定したのだが……そもそもお茶会などまどろっこしいことを言わずに、普通に部屋を訪ねてくれればいいのに、というのがアリエッタの本心だ。
自分達は五年も一緒に暮らしている家族なのだ。
部屋を訪ねるのに建て前などいらない。
と席に着いてすぐのメリザンドに言うと、彼女は少し驚いた顔をした。やがて、老いも若きも男女問わず虜にする花の顔容を綻ばせて、頬を赤らめる。
照れて俯くメリザンドの愛らしさは同性のアリエッタの胸まで無意味に騒がせた。
「そう……ね、ありがとう。……アリエッタ、おばあさま」
「呼び方も、おばあさまが難しいならアリエッタで構いませんよ」
「だけど、仮にも年上の方を呼び捨てる訳にはいかないわ」
「私は別に気にしませんけど、実家では問答無用にみんな呼び捨てでしたし……」
「……あの女、やはり性根が腐っているのね」
美しい眉を吊り上げて吐き捨てるメリザンドは嫌悪に歪んだ顔すら美しく、美人は得ねぇ……と心の中で呟いた。
「……では、遠慮なくアリエッタと呼ばせていただきますわ。貴女も、今後は公私問わず私を呼び捨て下さいませ」
「まあ私まで? 無理しなくていいんですよ」
「そもそもそちらの方が自然な年の差ですもの。これからもよろしくね、アリエッタ」
「仰せのままに、メリザンド」
互いの心の扉の鍵をようやく開けて、向かい合った二人は美しく微笑み合う。用意されたお茶やお菓子、あの日の感想をひとしきり話して、やがて出来た会話の隙間に差し込まれたのか、その言葉だった。
「私は……私を守るために、誰にも文句を言わせない完璧な令嬢になったの」
メリザンドの真剣な表情に、口の中のクッキーを慌てて紅茶で流し込んだアリエッタは自身も居住まいを正して、向かい合った。
そもそも今日はその話をするために設けられたのだ。
メリザンドにも、アリエッタにも、互いに話さなければならないことがある。
「存じております。ご両親のことを貴女が殊の外気にしていらっしゃると、閣下もおっしゃっていました」
「だからおじいさまは貴女を選んだのかしら?」
その問いには明確に答えず、曖昧に笑ったアリエッタは話の続きを促した。
「アリエッタは、私の両親のことはどのくらい知ってる?」
「親世代の出来事ですし、殆ど知りません。ただ、閣下から昔公子さまが連れてきたのも、私のような女だった、とだけ」
「そうね、確かに境遇は似てるわ。私の母も生家で父親の愛人だった後妻とその子供たちに虐げられて、正当な跡取りだというのに、下女のような生活をさせられていたそうよ」
悲しいかな、この手の話は良くある話、ではないが、稀にある話ではある。
政略婚の末、正当な跡取りをなした後、片方もしくは両方共が愛人を持ち。より多くの感情、愛情を抱く家族を優先することは……。
もちろん生まれた子供はたまったものではないが、それでも普通は感情面は抜きにして、前当主が教育に関わったり、不自由だけはさせなかったりと貴族としての体面だけは取り繕うものだ。
……だが、稀に、本当に稀に、感情に任せてしまうものがいる。
それがメリザンドの母の生家であり、アリエッタの生家であった。
どちらの家も偶然早くに女主人を失ってしまった。その結果、貴族としての心得のない女がその座を得て、正当な跡取りが不遇を託った。
本来ならあってはならないこと。
内情はどうであれ、正式に婚姻し家系図に名前が載った時点で、等しくその家門の人間になる。即ち、家名を背負うのだ。
その重みを、貴族は幼い頃から教え込まれ、常に自分が家に対してどういう影響を与えるのか考えることを要求される。それさえ判っていれば、家門に泥を塗る行為などしないはずなのだ。
後妻が継子を虐げているなど、本来なら真実でなくとも、社交界で噂になってだけで外を歩けなくなるくらいのとんでもない恥だ。
なのにそれを隠せなかったメリザンドの母の生家は、アリエッタの家より愚かだったのかもしれない。
そして、最も愚かだったのが、メリザンドの父だった。
「母と同級生だった父は、母の境遇を不憫に思って関わっているうちに、哀れな彼女と想い合うようになった。父には長年の婚約者もいたのに、婚約者からの忠告も嫉妬ゆえと無下にして……祖父達が気付いた時にはもう、火消しも間に合わないくらい二人の仲は学院で噂になっていた」
そこで言葉を切ったメリザンドは、瞬きの内に青い瞳に激しい怒りの炎を灯らせてから、吐き捨てた。
「そして父は自分が不貞を犯したくせに、まるで婚約者の方が悪いような言い草で、一方的な婚約破棄を突き付けたそうよ。もちろん彼女に瑕疵はない、公爵家はすぐに謝罪して、契約不履行の膨大な慰謝料を支払った。
でもっ、信頼していた相手からの心ない言葉に傷つけられた心が、お金だけで治せる訳ないじゃないっ。……何が真実の愛よ、その愛に踏み付けられる方の気持ちは考えられないのっ、嘆かわしい!」
我が身に起ったことのように憤慨するメリザンドにとって、この話は、両親の馴れ初めだなんて思いたくない、ただの愚かな男女の話。思い浮かべるだけではらわたが煮えくり返る。
もし自分の在学中に学院でこんなことがあったなら、絶対に自分が二人を制裁してやったのに、とまで思っていた。
「落ち着いて……。でも、結局メリザンドのご両親は結ばれたのでしょう?」
「ええ、渋々ね。何せ、その騒ぎの最中に母の妊娠が判ったのだもの」
「……それが貴女ですか?」
フルフルとメリザンドは首を横に振る。美しい巻き毛がドレスとこすれてシャリシャリと音を立てた。
この巻き毛も母親譲りなのだそうだが……メリザンドは母を知らない。
「最初の子がどうなったかは知らないけど、私はその後に出来た子。でも最初の妊娠をきっかけに、公爵家は母を跡継ぎの妻として迎えるしかなくなった。これ以上醜聞を広げる訳にはいかないもの」
公爵家の跡継ぎが、一方的な婚約解消までしておいて、婚前交渉の末に身ごもった女性を捨てたとなったら、公爵家は立ち直れない程のダメージを負う。
だから、やはりこれも父の作戦だったのだろうとメリザンドは思う。
真っ向から母を妻にしたいと願い出ても、認めて貰えない。ならば、既成事実を作るしかないと、愚かにも実行したのだ。
「一応身分は問題なかった。でも、マナーと教養は到底公爵家に釣り合うものではなかった。そうよね、幼い時からずっと下女のように扱われていて、令嬢としての嗜みなんて学院に通える最低限しか学ばせて貰えなかったそうだし。在学中の成績も下から数えた方が早かったそうよ。それでもいいとお父様は考えてらっしゃったのかしら? ……いいわけないのにね、本当に愚か」
泣いているような顔に浮かんでいるのは自嘲の笑み。
メリザンドがそんな顔をする必要はないのに、彼女は自らを責めるように笑う。
貴族社会は愛だけでなんとかなるような生温い世界ではない。それを父母は判っていなかった。
……否、覚悟はしていたのかもしれないが、現実は想像の何倍もの凄惨さで襲いかかってきた。
それでもまだ、母が未来の公爵夫人になる自覚を持って努力すれば違っただろう。
……けれど、残念ながら彼女はそういう女性ではなかった。
物語のように、虐げられていた自分を拾い上げてくれた王子様が、この先すべての煩わしさから自分を守ってくれると無条件に信じ、それに任せるだけの女だった。
自分はもう何もしなくていい。
愛する男にただ愛でられて、あるがまま過ごせばいい。
彼女は、愛されることに満足して、そこから先の未来へ思いを馳せることはしなかった。
夫は未来の公爵で、家は国の重鎮で、その妻に何が求められるのか……祖父母も口を酸っぱくして説いたのに、一切理解しない女だったそうだ。
彼女一人がそうだったなら、まだ修正も出来たろう。
もっと事態を悪化させたのは、同じく夢見がちだった夫である、メリザンドの父。
ずっと虐げられていた彼女に何故これ以上無理を強いるのかと、公爵夫人に相応しくあれと説く周囲に食ってかかって、親子の仲はかつてない程険悪になっていったそうだ。
誰の言葉も聞き入れず、甘言以外はすべてを敵と見定めて、妻だけを守る男になった跡取りに、一族すべてが危機感を持った。
そして公爵家一門は、祖父は……決断しなければならなくなった。
その時実際に何が行われたのか、メリザンドは未だ知らない。
しかし、近いうちに必ず知ることになる。名実共に公爵となるために、家の暗部にも触れなければならない。
そして、そこには必ず、父母の名前がある。
知りたいと気持ちと、知りたくない気持ちがぐちゃぐちゃに混ざって、一筋白皙の頬を伝った。
そっと拭ってくれたのは、爽やかな香りの手巾。
アリエッタが頬を拭ってくれていた。
こちらを見つめる瞳には、ただ労るようなに穏やかさだけがあり、大きく息を吸い込んだメリザンドは、その目を見つめて話し続けた。
「みんな私を見ると外見を褒めながら、目の奥で蔑むの。あの二人の娘、と。私を通して両親を見て、私を、嘲笑う。……だから私は証明し続けなければならない。私は二人の子だけど、私は二人とは違う。父と母も、おじいさま達も、失敗などしていない。そのために、私は強く正しく完璧で、ありたい」
決意の籠った青い目は、けれど、嵐の中一人で取り残された小動物のように震えていて、アリエッタは込み上げてきた涙を、唇を噛んで堪えた。
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