第7話 名前をつけてください
五月。玄関から外へ踏み出すと、春の風が吹き抜けて、頬を撫でた。目新しかったはずの通学路も一ヶ月も通えば日常風景となっていた。
変わり映えはしないが、平穏な日常が続くと思っていたが、
「気持ちのいい朝ですね、黒田君!」
少女は笑顔でふわふわと浮遊しながら、俺の横にぴたりとついてくる。
「悪霊に取り憑かれてなければそう思えたけどな」
「ノンノン! 私のことは守護霊とでも思ってください。それに、こんな美少女と登校できるなんて君はついてますね」
少女は楽しそうにその場でくるっと回って見せた。
「よく自分で美少女なんて言えるよな」
「だって事実ですもん。制服、似合ってるでしょう?」
制服か。やっぱりこいつが着ている制服をどこかで見たような気がする。しかし、思い出せない。
「お前ってこの辺の学生だったのか?」
少女はむっとした表情を浮かべた。
「ちょっと! 私の質問を無視しないでくださいよ! 制服、似合っててかわいいでしょ? ねえ!?」
う、うざ……。かわいいのカツアゲじゃねえか。
「……いけない。急がないと遅刻する」
俺は棒読みでそう言った後、歩くスピードを速めた。
「ちょっ! 無視しないでくださいよ! 泣きますよ!?」
そんな無駄な言い争いをしているうちに、学校の校門まで一直線の通りに出た。一気に同じ学校の制服を着た生徒の数が増える。
「わあ! あれが君の通っている学校ですか! って! どこに行くんですか!」
他の生徒とは違う方向に歩く俺に、少女は驚いているようだった。
「お前には関係ねえだろ」
「ありますよ! あーーっ! まさかサボるつもりですか! この不良少年!」
「……うるさい」
少女を無視して、学校の校門の反対側に向かう。誰もいないことを確認してから、壁をよじ登り、地面に着地した。
「ほう、手慣れたものですね」
少女は感心したように俺を眺めていた。
「でも、なぜわざわざこちらから入るんですか?」
「会いたくない奴がいるんだよ」
「会いたくない人?」
「ああ」
俺はある人物を頭に思い浮かべる。あいつに見つかると色々面倒だし、口うるさいしな。まあ、今はこいつも厄介だが。
俺は少女に目線を向ける。
「というかお前、いつまでついてくるんだ」
「もちろん、私が成仏するまでですよ」
「お前が学校に来る必要はないだろ?」
「……」
少女は黙り込み、ムスッとした表情で俺を睨んでいる。
「何だよ。その顔は」
「一ついいですか?」
少女はビシッと俺を指差した。
「そのお前ってやめてください。見下されているようで不快です」
「人を指差すな」
俺は少女の手を払い除けようとして、空を切る。
クソ。むかつく。
「何で今さらそんなこと気にするんだよ」
「私は君の所有物ではないですから」
面倒くさい奴だ。
「じゃあ、名前教えろよ」
「嫌です」
「はあ? わがままか」
「知らない人に個人情報を教えちゃダメなんですよ? 学校で習ったでしょう?」
まるで俺が間違っているような物言いをする幽霊。こいつ、幽霊のくせに個人情報への意識高すぎだろ。というかこいつからお前呼びをやめろって言ったのに、なんで名前教えないんだ。バカか?
「そんなの幽霊に関係ないだろ」
「とにかく名前は教えません! だから……」
幽霊は可愛らしく小首を傾げた。
「君が私に名前つけてください」
俺はうんざりとした。こいつ、またクソ面倒くさいことを言い始めやがった。
「なんで俺がそんなこと」
「なんでもいいですから! ほら、かわいいのお願いします!」
少女は手を合わせて、期待を込めたような目で俺を見つめている。俺は頭をガシガシとかきながら、パッと思いついた名前を言った。
「じゃあ……、ポチ」
「犬につける名前じゃないですか!」
早速文句をつけられた。俺の周りをチョロチョロついてくるあたりが似てるから、ピッタリだと思ったんだけどな。
「何でもいいって言ったじゃん」
「言いましたけど! もっと真剣に考えてくださいよ!」
「文句の多い奴だな」
「真面目に考えないと、呪い殺しますよ?」
黒い笑顔を浮かべた少女を見た俺は慌てた。
そうだった。俺は今こいつに逆らえないんだ。
「わ、わかったよ。ちゃんと考えるから」
こいつの特徴といえば、幽霊、黒髪、オタク。あとは……。頭の中でグルグルと考えた。そのとき、少女が着ているセーラ服が目に入った。
「それじゃあ、セーラは?」
うむ、我ながらいい名前だ。そう思い、少女を見ると、不満げな顔をしていた。
「もしかして、私がセーラー服を着てるから、なんて安直な考えからじゃないですよね?」
ジト目を向けられ、俺はドキリとした。
やばい。ばれてる。
「そ、そんな訳ないだろ」
俺が目を逸らすと、少女は俺に顔をぐいっと近づけた。
近い、近い、近い!
「じゃあ、理由教えて下さい」
「え、えっと……」
言いつぐむ俺に、少女は容疑者を尋問する刑事のような眼差し。
何かこいつを納得させられるような理由はないか!
脳をフル回転させたが、思うように動かない。
「……はあ」
盛大に大きなため息を吐く少女。
「まあ、君がせっかく考えてくれた名前ですし、セーラでいいですよ」
少女は諦めたように言った。
「そ、そうか」
俺はほっとした。よかった。とりあえずなんとかなった。
「あの……」
少女は急にモジモジし始めた。顔も少し赤い気がする。この感じ……そうか。あれだな。
「もしかしてトイレに行きたいのか?」
そう尋ねた瞬間、幽霊は般若のようにくわっと口を開いた。
「そんな訳ないでしょ!? 私、幽霊ですよ!?」
「す、すみません」
あまりの迫力に思わず俺は謝る。
そして、ハッとした。
いや、なんで俺は謝ってんだ! 何も悪いことしてないだろ!
自己嫌悪に陥っている俺に、少女はコホンと咳払いを一つした。
「名前、呼んでみて下さい」
少女の言葉に、俺は眉間を寄せた。
「はあ? 嫌だよ」
「……嫌って何ですか」
少女の声が急に冷たくなった。周りの温度が百度くらい下がったような気がする。
まずい。
「君がつけた名前でしょ?」
「いや……、だから……、あの」
「もしかして、自分が呼ぶのも嫌な名前を私につけたんですか?」
「それは……違うけど」
「じゃあ、名前呼んでください♡」
有無を言わせない少女の黒い笑顔に俺は根負けした。
「……はあ、わかったよ」
「ん? 不服そうに見えるのは気のせいですか?」
ギラリと光る少女の目に、俺はビクリと肩を震わせた。
「ぜひ! 呼ばせてください!」
「うふふ。それじゃあお願いします」
少女は満足そうに笑った。
くそ。いつか絶対祓ってやる。そう強く決意した後、俺は深く息を吸い込み、名前を呼ぶ。
「セーラ」
「……」
呼ばれた本人を見ると、そっぽを向いていた。顔を隠すように俺とは真反対の方向を向いている。
こいつ……せっかく呼んでやったのに。
「おいっ! その態度は何だよ!」
「ちょっ……、今こっち見ないでください!」
セーラは顔が真っ赤になっていた。耳まで赤く、まるでりんごのようだ。
「もしかして照れてるのか?」
「て、照れてませんよ!」
セーラの照れ具合に俺まで釣られて顔が熱くなってきた。
何だよこの感じ。
俺はムズムズとした空気に耐えきれなくなり、歩き出した。
「あっ! 待ってくださいよ!」
慌てたようなセーラの声が後から聞こえたが、無視して歩いた。
あー、調子が狂う。
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