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第25話 崩壊

 数年後。俺は中学生になってから仕事が激減した。


「あの、何か仕事はありませんか? 僕、何だって……」

「うーん、誠太郎君くらいの年齢の子の仕事は今は特にないよ。それに君はイメージがね」


 そう言われて、仕事を断られることが多くなった。年齢と合わせて、子役時代についたイメージが強い俺は、業界関係者からは使いづらい存在になっていたのだ。


 活躍していた頃はたくさん届いていたファンからの手紙も減り、ネットには「媚びてる」「劣化してる」など誹謗中傷を目にするようになった。


 自分自身の存在を世界中から否定されているようで、辛く、苦しかった。


 それでも俺は見苦しくも芸能界でもがき続けた。


 芝居を俺から取り上げたら、また無価値な自分に戻ってしまう。その事実がとても恐ろしかったからだ。





 日曜の昼間。リビングで台本を読んでいると、頬を突かれた。振り返ると、兄さんがいたずらに成功した子どものような顔をしていた。


「よお、久しぶり」


 兄さんは大学生になり、一人暮らしを始めていたので、会うのは三ヶ月ぶりだった。


「何だ兄さんか」


 落胆した俺の言葉に、兄さんは眉間を寄せた。


「何だとは失礼だな。それが久しぶりに会う兄に言う弟のセリフか?」

「兄さんに愛想良くしても何もメリットがないからね」

「うわ、かわいくない。昔は素直でかわいかったのにな」


 遠いを目をしている兄さんに、俺はフンと鼻を鳴らした。


「かわいくなくて結構。それで、なんで帰ってきたの?」

「ちょっと忘れ物をとりにな」


 兄さんは医学部に合格した。もちろんストレート合格だ。医者である両親は大いに喜んでいた。


「大学はどう? 医学部はやっぱり忙しい?」

「まあな。分厚い教科書は読まないといけないし、テストは多いし」


 兄さんはうんざりとしたように顔をしかめた。


「兄さんなら余裕でしょ?」

「そんな訳ないだろ。もうクタクタよ。そんな疲弊した兄を癒してくれ、弟よ」


 兄さんが抱きつこうとしてきたので、俺はひょいっとかわす。


「気持ち悪いことしないでよ」


 俺が睨みつけると、兄さんは口を尖らせた。


「ちぇっ。ケチだな。それで、お前はリビングで何してたの?」

「次のドラマの台本読み」


 脚本を見せると、兄さんはニカっと笑顔になった。


「すごいじゃん! 流石だな」


 兄さんは自分のことのように喜んだ。


「端役だけどね」


 俺は顔を曇らせた。子役時代から比べると、小さな役だ。


「テレビに出られるだけでもすごいだろ」

「そんなことないよ」


「謙遜するなよ。いいよなお前は好きなことがあって。羨ましいよ」

「羨ましい?」


 その言葉が胸に突き刺さった。


「何でもできて、恋人もいて、兄さんはそれ以上何を望むの?」


 才能、両親の期待、恋人からの愛情。


 俺が手にできないものを全て持ってるくせに、羨ましいって何だそれ。ふざけるな。


「兄さんはずるいんだよ! 簡単に全部手に入れてさ! 僕には何もないのに!」


 気づけば怒りで声を荒げていた。


 ああ、なんて醜い。


 そう思っても、ドロっとした負の感情は次から次へと溢れ出てくる。


 兄さんは俺が怒鳴ったことに驚いたのか目を大きく見開いていた。


「何もないって……そんなことないだろ。誠太郎には芝居があるじゃん」

「あはは……それは昔の話だよ。中学生になってから仕事が減ってるんだ」


 俺の言葉に、兄さんがハッとした顔になった。


「どんなに努力をしても仕事がこないんだ。やっと見つけた僕の居場所なのに」

「誠太郎……」


 手を伸ばした兄さんの手を、俺はバッと振り払った。


「僕は……兄さんのことなんて大嫌いだ! ずっと嫌いだったんだよ!」


 俺はそう言い放つと、家を飛び出した。




 どれくらい歩いただろう。気がつくと辺りはもうほとんど日が暮れかかっていた。だんだん暗くなっていく空。まだ月は出ていない。


「ずっと嫌いだったんだよ!」


 俺は先程兄に投げつけた言葉を反芻していた。兄さんは今まで見たことのない悲しげな顔をしていた。


 何であんな酷いことを言ってしまったのだろう。完全な八つ当たりじゃないか。


 そのとき、ポツリと頬に雫が落ちる。一つ、二つ三つ。追い討ちをかけるようにザーッと雨が降り出す。


 なんて最悪な日なんだ。

 そう思っていたときだった。


「ねえ」


 不意に声を掛けられ、飛び上がりそうなくらい驚いた。声のした方向を振り向く。


 そこには男が立っていた。小太りで、分厚いレンズのメガネをかけている。


 誰だ? 知らない男だ。


 男が一歩、二歩と近づいてくる。俺は思わず身を硬くした。


「何ですか?」


 男はニヤリと笑みを浮かべた。


「子役の誠太郎くんだよね?」


 俺の頭は真っ白になった。男の手には包丁が握られていたからだ。


「ひっ……!」

「えへへ。大丈夫だよ。大人しくついてきてくれれば何もしないから」


 男が近づいてくる。逃げなければと思うが、体の震えが止まらず、動けない。


「僕、君のファンで、ずっと会いたかったんだ」

「……え?」


 ファンと聞いて、俺は呆然とした。

 今、俺のファンって言ったか?


「……何で、ファンならこんなことするんですか?」


 男はニターッと笑った。


「なぜって? そんなの決まってる。君のことが好きだから」

「……好きだから?」

「そう。好きだからこそ僕は君を独り占めしたい。ねえ、ずっと君を応援してきたんだから、少しくらいその見返りをくれてもいいでしょ」

「……」


 頭の中ではファンからの言葉が思い浮かんだ。


「ありがとう」

「元気が出た」

「ずっと応援してる」

「大好き」


 俺にとって宝物だった、勇気をくれた言葉たちがガラクタのようにガラガラと音を立てて壊れていくのを感じた。


 ファンのためにと思って頑張ってきた結果がこれか。


「……あはは、バカみたいだ」

 

 そう笑うしかなかった。

 ああ……なんて惨めなんだろう。


「お前! 誠太郎から離れろ!」


 そのとき、男の後ろに影が見えた。それは兄さんだった。兄さんはあっという間に男を押さえつけた。


「うわっ! だ、誰だお前は!」

「俺は誠太郎の兄貴だあぁ! クソデブ!」

「に、兄さん!」 


 俺が叫ぶと、兄さんは笑顔を向けた。


「大丈夫だ、誠太郎! 兄ちゃんがついてるからな!」

「うわあぁ! 離せえぇ!」

「この……大人しくしろ!」


 男はバタバタと暴れ回り、兄さんの手から逃れた。その拍子に、男が持っていた包丁が兄さんの腹にブスリと突き刺さった。


「ぐっ……」

「兄さん!!」


 俺はうずくまった兄さんに駆け寄った。


「ぼ、僕は悪くない。こ、こいつが邪魔したのがいけないんだ!」


 男はそう言うと、奇声を発しながら逃げていった。


「……どうして」


 苦しそうに顔を歪める兄さんを前に、俺は震えが止まらず、涙が溢れた。兄さんの腹部からは血が流れ続け、服が赤く染まっていく。


 俺は酷いことを言ったのに。大嫌いだって言ったのに。何で兄さんは俺なんかを助けたんだ。


「……誠太郎」


 兄さんが消え入りそうな声で俺の名を呼んだ。


「喋らないで! 血が!」


 俺を制して、兄さんは話し続けた。


「俺は……本当にお前が羨ましかったんだ。ただ言われることをこなしてる空っぽの俺と違って……お前は自分の好きなことを見つけて、努力してた。俺には……そんなものなかったから、嫉妬したよ」

「……嫉妬?」


 俺は唖然とした。自分が兄さんに向けていた薄暗い感情を、兄さんも抱いていたことが信じられなかった。


「あはは……俺たち似たもの兄弟だな。自分にないものをお互い嫉妬してるなんて」


 兄さんは自嘲したように笑った後、俺をじっと見つめた。


「誠太郎……お前は俺の自慢の弟だ。自信持てよ。役者だって……努力を続ければ、また前みたいに活躍できるよ」

「……兄さん」

「俺は……お前に嫌いだって言われても関係ねえんだよ。かわいい……弟なんだよ。だって俺は……お前の兄貴だから」


 兄さんは泣きそうな顔で笑った。


「誠太郎……大好きだ」


 そう言うと、兄さんは静かに目を閉じた。


「兄さん? ねえ?」


 声を掛けても、兄さんは答えなくなった。ピクリとも動かない。


 なぜこうなった? 

 誰のせいで兄さんは刺された? 


 いや、そんなことわかりきっている。

 俺が全部、兄さんから奪ったんだ。


 俺が芝居をしなければ。居場所を望まなければ。

 誰かに認めてもらいたいと思わなければ。

 そもそも俺がいなければ。

 きっと、こんなことにはならなかったんだ。


「あ、あああああーー!」


 声にならない絶叫が響き渡った。この日から俺の全てが止まり、色が消えた。


 暗闇に投げ捨てられたように、手を伸ばしても何も掴めない。生きているのか、死んでいるのかさえもわからない。


 俺はあの日からずっと、そんな世界を彷徨い続けている。

お読みくださり、ありがとうございます。


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