後編
翌日、アベルは王都から戻ったロートレック公爵夫妻に婚約解消の件とレベッカと新たに婚約を結ぶことを報告した。
そのままロートレック公爵家に泊まったレベッカをアベルが紹介した時には、ロートレック公爵夫妻は腰を抜かして驚いた。
息子の勝手な行動にロートレック公爵である父ブノワは激怒したが、最終的には浮気相手に夢中になったリーズからの申し出だというアベルの嘘を信じてしまった。
相手側の有責ならば、このまま穏便に互いの領地を守っていけるだろうとブノワは思っていたが、そのように上手く行くはずも無い。
「雲行きが怪しいな。 雨でも降るのか?」
ブノワが外の様子を窺っていると次第に窓がガタガタと風で揺れ出した。
風の精霊の加護によって生まれてから一度も嵐というものを経験したことがないブノワは、これからどのような事が起こるのか想像がつかなかった。
それからどんどん風は強くなり激しい雨も降りはじめ外はまさに嵐となる。
ビュオオオと音を轟かせながら吹き荒れる風は、まるで怒りをぶつけてくるかのように容赦がない。
屋敷の外壁や屋根の一部がしなり、バキバキと音を立てて飛ばされていくところが見えた。
このままでは作物が全て飛ばされる。
いや、作物どころか屋敷が飛ばされるかもしれない。
ロートレック領では、こんな嵐は随分と長い間経験していなかった。
「これは只事では無い。...アベル、お前本当は何をした?」
この嵐は風の精霊の加護を外されたからなのかブノワには分からなかったが、アベルの話が本当なら浮気をしておいて精霊の加護を外すなど不自然だった。
浮気が真実ならベルジュ公爵家から謝罪され、このことは内密に済ませるようお願いしてくるはず。
婚約者のいる令嬢が浮気をした噂が広まることは、公爵家の恥であるからだ。
「いや...それは...そのぉ...」
アベルの反応で全てを察したブノワは、アベルとレベッカを連れて嵐の中ベルジュ領へと馬車を走らせた。
30分程馬車を走らせてベルジュ領との境目にある川へ着くと、橋を隔てたこちら側とあちら側でまるで天気が違うことに気がつく。
橋を渡った所にベルジュ公爵邸が見えるが、ベルジュ領側は雲一つない快晴で川沿いの草原に寝そべって呑気に昼寝をしている青年までいる。
そのままベルジュ公爵邸まで行こうとするが、橋から先へ進もうとすると強風で馬が押し返され前へ進めない。
まるで風の壁が侵入を防いでいるかのように。
歩いていくしか無いとブノワに促され、アベルが渋々馬車から降りる。
レベッカは濡れるからと馬車に残った。
しかし歩いて行こうにもアベルは風圧で押し返されてしまうため、ブノワは一人でベルジュ領へ入る。
「ふざけんじゃねーぞ!! こっちだってすぐに、大地の精霊の加護を外してやる!!」
自分だけが入ることを拒まれていると分かったアベルが喚き散らすと、昼寝をしていた青年が迷惑そうに言った。
「おい、うるせーぞお前」
そう言った途端に強風がアベルの顔面に直撃し、風圧で顔の形が歪んで上手く喋ることが出来なくなる。
「ふがっ......〜〜〜〜〜!!!」
アベルが声にならない声を漏らし苦しむ姿を見た青年が腹を抱えて笑う。
馬車の中からレベッカが目を見開いてそれを見ていた。
そうしてしばらくアベルは風に弄ばれると、話が出来るようになった。
「〜〜〜っおいお前! 今すぐリーズを呼んでこい!! 風の精霊を使ってロートレックに嵐を起こしたことを問い詰めてやる!!」
「俺はそんな事してねーぞ。 ロートレック領を護ってやるのは辞めたが、わざと嵐を起こしたりなんかしてないぜ」
「おまっ——誰だ!?」
「俺はヴェストリ。 ベルジュ領の風の精霊だ。 隣の領地の次期当主だってのに俺のことも分からないなんてとんだアホだな。 全く仕事をしていないのが分かる」
「お前が風の精霊!? では、ロートレックに来ているこの嵐は何なんだ! 説明しろ!」
「お前本っ当に、何も知らねーんだな。 俺が加護してやる前までは、この時期はベルジュ領とロートレック領には元々こんくらいの嵐がバンバン来ていたんだよ。 そりゃ加護を外したらこうなるさ」
「何だと!? じゃあ、この嵐が過ぎ去るまで辛抱するしかないのか…」
嵐の被害を想像したアベルが青ざめる。
「ちなみに、これが過ぎてもまだまだ他の嵐が来るぜ」
二人の話を聞いていたブノワがヴェストリの方へ歩み寄る。
「風の精霊ヴェストリ様。 お久しぶりです、ロートレック・ブノワでございます。 今までロートレック領も嵐から護っていただきありがとうございました。 今回の婚約解消の件でベルジュ公爵がお怒りになっているのは分かります。 しかし、このままではロートレックの市民は甚大な被害を受けることになる。 私は現当主としてそれを放っておくことはできないのです。 どうか、再び我がロートレックを護っていただけませんか?」
「———だってよ? どうする、リーズ」
ブノワの話を聞いたヴェストリが呼び掛けると小さな風が渦を巻いて起こり、その中からリーズとベルジュ公爵である父クレマンが現れる。
クレマンの瞳は怒りで燃え、どうにか殴りかかりたい気持ちを抑えようと握った拳はぶるぶると震えていた。
すぐさまブノワはリーズとクレマンに頭を下げ今回の無礼の謝罪をする。
「アベルっ!! お前もきちんと謝罪するんだ!! でなければ、お前の引き継ぐ頃にはロートレックは荒れ果てた土地になってしまうぞ! レベッカ嬢もだ!」
何時の間にかヴェストリが気を利かせて嵐を止めていた。
アベルとレベッカは不貞腐れた様子でやって来るが、頭を下げる様子はなく黙っている。
「——そうだ。 うちには大地の精霊が居るんだから、豊作は約束されているんだ。 嵐が来たって豊作になるなら問題ないだろ? 謝ってまで風の精霊に護って貰う必要なんかないさ! そうだろ、父さん?」
思い付いたようにアベルがブノワに問いかけるが、ブノワは息子がここまで自分勝手な考えをしていることに驚愕して、何と言ったら良いか分からない。
何も言えないブノワを見て考えを受け入れられたと勘違いしたアベルとレベッカは再び強気に戻る。
「そうね。 大地の精霊がついてるんだから作物が嵐に飛ばされようと、また作って貰えば良いだけよ。 こんな田舎貴族に頭を下げる必要なんてないわ」
「ねえ、誰がついてるって?」
突然花吹雪が舞ったかと思うと、レベッカの隣に若葉色のロングヘアをきらきら輝かせた吊り目の女性が現れた。
そして彼女の生命力を感じさせる新緑の瞳がアベルとレベッカを貫く。
「ロートレックの僕ちゃん、おひさー☆ 当然私のこと分かるわよね?」
「フローレンス様...」
軽い言動とは裏腹にフローレンスの表情に怒りが見える。
「せいかーい☆ ところでさぁ、私が大地の精霊としてあんた達のために土地を豊かにしてやるとでも思ってるの?」
精霊はその領地内で起きた事柄は全て把握しているので、当然婚約破棄の一連の行動もフローレンスには筒抜けなのだ。
「え? だって、あなた様はロートレック公爵と契約を結んでいるでしょう? 私が公爵を継いでも今までのように大地の精霊の力で土地を豊かにしてくれますよね?」
やってもらって当然とばかりに思っているアベルには、フローレンスがどうしてそんな事を聞くのか分からなかった。
「あはは☆ あんたって本当にどーしようもないね。 私は精霊樹の手入れを他人にやらせて、しかも花を踏み潰すような生命を粗末にする女と結婚する奴とは契約しないよ」
「アベル...お前はあれ程大事な仕事だと教えた精霊樹の手入れを他人にやらせていたのか...」
「ええ。 いつもリーズが丁寧にお世話してくれてたわ。 そっちの色気だけが取り柄のバカ女と違って彼女はとても優しいのよ。 それをあんな風に無下にするなんて、許せない」
ブノワはフローレンスの言葉を聞いてある決心をした。
「フローレンス様、息子が責務を怠慢していたことに気付けずに申し訳ありませんでした。 そしてクレマン殿、リーズ嬢にも大変なご迷惑と心労をおかけしたことをお詫び致します。 本当に馬鹿な息子が申し訳ございませんでした。 ...けじめとして、アベルは除籍し遠縁の元へ働きに出します。 二度とお二人の目に触れさせませんし、ロートレックの土地へも入らせません。 ですので、どうかっ•••どうかロートレック領を見捨てないでください...」
「じょっ...除籍って何だよ!? 冗談じゃねーよ! それに誰がロートレックを継ぐんだ!?」
除籍と言われ憤慨するアベルだったが、ブノワは全く聞き入れようとしなかった。
そしてそれまで黙っていたクレマンが重い口を開いた。
「そこまで仰るなら...これまで通りの持ちつ持たれつの関係に戻りましょう。 それに、はじめからリーズはロートレックの加護を外すことには反対でしたからね。 しかし私は父として娘のことを思えばこそ、怒りを抑えられなかった。 今回はブノワ殿の決意に免じて、和解としましょう」
こうしてロートレック公爵家とベルジュ公爵家は和解し、今までと代わりなく互いに協力し合っていくこととなった。
アベルは除籍され平民となり、ブノワの遠縁の商店で下働きをしているらしい。
レベッカは実家のデュシャン伯爵家に連れ戻され、リーズに働いた無礼を謝罪させられた。
そして今後はパーティへの参加を制限し、厳しく監視していくとデュシャン伯爵夫妻が約束してくれた。
ロートレック領はアベルの妹のジゼルが引き継ぐこととなり、精霊樹の手入れも熱心に行っているそうだ。
大地の精霊フローレンスはジゼルのことを気に入り、今まで通りロートレック領を豊作に導いている。
リーズは今まで通りベルジュ領で土に塗れながら畑仕事を満喫している。
「やっぱりドレスで着飾ってるより、こっちの方がリーズらしくて良いな」
「なによー! どうせ私は田舎臭くて子供っぽいよーだ」
むぅっと膨れっ面になったリーズの頬をヴェストリがつまみ、互いの目線が交わる。
距離の近さに驚いたリーズが思わずぎゅっと目を閉じると、一瞬おでこに柔らかなものが触れた気がした。
「もう変な男に捕まらないように、俺が見ていてやるよ」
ぶっきらぼうに言うその背中に、リーズはこのままお嫁に行かずベルジュ領を護っていくのも良いかもと思うのであった。
完結です!
最後までお読みいただきありがとうございました!
誤字脱字報告ありがとうございます!色々不慣れな点が多くてすみません。少しずつ確認していきたいと思います。