前編
公爵令嬢であるベルジュ・リーズは婚約者のロートレック・アベルに会うために馬車に乗り込もうとしていた。
手に持った籠にはロートレック公爵夫人へのお土産で、可愛らしい花の鉢植えが入っている。
その様子を見ていたヴェストリは銀灰色の髪を靡かせながら何処からともなく現れ、悪戯な笑みを向ける。
「おわっ、なんだよその格好は。ガキがおめかししてどこ行くんだ?」
「ヴェス! これからアベルに会いに行くから着替えたんだけど、やっぱり似合ってない!?」
リーズは漆黒の髪に深紫色の瞳で意志の強さを思わせる容姿をしている。
しかし18歳というには少々幼く見えるため、いつも実年齢よりも下に見られていた。
今日は久しぶりにアベルと会うので、大人の女性を意識して普段はしない化粧と他所行きのドレスでめかしこんでいるのだが、ヴェストリには見慣れない格好をしたリーズが何だか無理をしているように見える。
「——いや、似合ってないって訳じゃないけど……その、なんかいつもより大人っぽいなと思って。それよりアベルって、ロートレックのあのチャラチャラした奴だろ? あいつ仕事も勉強もろくにしないで遊び回ってるらしいじゃん。お前、本当にあんな奴と結婚すんの?」
リーズは大人っぽいという言葉に安堵するが、アベルの話題になると浮かない表情になる。
「……確かに、アベルはちょっと見た目は派手だけど、でも優しい人なのよ。それに遊び回っているわけじゃなくて貴族にとっては社交も立派なお仕事なのよ?本来なら婚約者の私が同伴してあげられれば良いのだけど、私はどうもパーティとか苦手で……」
実は過去に一度だけアベルと共に夜会へ出席したことがあった。
その時にどういう訳か、香水とパーマのキツいある一人のド派手な令嬢に目をつけられて、地味だの田舎者だの着ているドレスが流行遅れだのと陰口を言われたのだ。
アベルは金色の髪にエメラルドの瞳が魅力的で、まるで物語の中の王子様のような整った容姿をしている。
そのため令嬢の間で人気があり、婚約者のリーズのことを良く思わない者も多数存在していたらしい。
リーズは場の雰囲気を壊さぬように暫くは聞こえていないフリをしていたが、居心地が悪いため人目につかないバルコニーで過ごすことにした。
そしてアベルに体調が悪くなったので先に帰ると伝えたが、先に帰られては自分の面子が悪いのでもう少し待っていてくれと頼まれ、結局何時間も待たされた苦い記憶がある。
それ以来アベルに誘われても社交の場には顔を出さないようになった。
その代わり一緒に精霊樹の手入れをしたり農作物の研究を提案したが、どれも派手好きなアベルには退屈ですぐに飽きてしまい、次第に誘っても来なくなった。
そして二人が最後に会ってから半年が経とうとしている。
リーズは婚約者としてこのままではいけないと思っていた矢先の誘いだったので、アベルも同じ気持ちで居てくれたのだと嬉しかった。
「社交も仕事のうち——ねぇ。でも肝心な精霊樹の世話もほとんどリーズがやってるんだろ?あれは本来ならあいつの役割なのにリーズに押し付けるなんてとんだ怠け者だな。どんなに忙しくともちゃんと精霊と信頼関係を結べない奴には次期公爵は務まらないぞ」
「まあ、そうなんだけど……。でもそこは私がフォローしていくから大丈夫よ!」
この国では広大な領地を治める貴族達は代々その土地の精霊と契約を結ぶことでその土地を守り治めてきた。
ベルジュ公爵家の場合は領地が国の南に位置し頻繁に嵐の被害を受ける場所にあるが、風の精霊の力により嵐から土地や作物を護ってきた。
その北にあるロートレック公爵家の領地も同様に被害を受けていたが、近所のよしみでベルジュ領の風の精霊によって護られている。
その代わりにロートレック領の契約する大地の精霊の力でベルジュ領も豊作に導いてもらい、持ちつ持たれつの良好な関係を維持している。
そして精霊と契約する者は精霊樹という精霊が宿る樹木の世話をすることで、彼等と信頼関係を結んでいく必要がある。
精霊樹は非常に繊細な樹木のため毎日手入れをして労わらなければならない。
樹木が枯れてしまうと精霊の力も弱まり領地を守れなくなったり、或いは精霊に見限られてしまうこともあるため、領主達は自らの手で精霊樹を守り次の代へと継承してきたのである。
ヴェストリに別れを告げたリーズは、馬車に30分程揺られてロートレック公爵邸へと向かう。
「あ〜肩が凝るぅ。ドレスもお化粧も久々だからなんだか落ち着かないわ」
リーズは慣れないドレスアップのせいか久しぶりに婚約者と会うせいか、ソワソワしていた。
ロートレック公爵邸に着くとメイドに応接室へと案内され、促されるままソファに腰を下ろす。
まずロートレック公爵夫妻に挨拶をと思ったが、昨日から仕事で王都まで行っているらしい。
ここから王都まで馬車で1日はかかるため、一日で用事が済んだとしても戻ってくるには最短でも2日はかかる。
(公爵様にもご挨拶したかったのになぁ。 昨日急に話があるって連絡が来たもんだから、てっきり公爵様も交えて結婚の儀の打ち合わせかと思ってたんだけど)
暫くして応接室にアベルが入ってくるが、何だか様子がおかしい。
リーズが久しぶりの再会に喜びアベルに微笑みかけても、アベルは冷めた表情を少しも崩さない。
「アベル、久しぶりね。お招きいただき嬉しいわ。これ綺麗なお花が咲いたから公爵夫人にと思って持ってきたの。お花、お好きだったわよね?」
沈黙に耐えかねたリーズがアベルへ花の鉢植えを差し出すと、手で跳ね返された。
がしゃんっという音と共に鉢植えが割れ、床に花と土が散らばる。
そしてそれを気にする様子も見せずにアベルが言う。
「お前との婚約は解消だ」
「———え?」
リーズは突然予想もしないことを言われ、しばらく理解が追いつかない。
「今日この場をもって、お前との婚約は解消だ。社交の場に慣れようとも出席しようともしない奴は、今後の貴族社会で上手くやっていけないだろう。そんな奴は我がロートレック公爵家には相応しくない。———それにこんな事は言いたくないが、お前には女性としての魅力を感じないんだ。親同士が決めた婚約だから無下にはできなかったが、どう考えたって俺とお前では不釣り合いだろう?それに、聞けばお前は毎日畑で特定の男と密会してるそうじゃないか。お前も浮気していたんならおあいこだな」
(畑で密会? それってヴェストリのこと? というか、お前もってどういうこと?)
リーズは困惑しながらも、どうにか状況を整理しようと頭を働かせる。気がつくと咄嗟にアベルの腕を掴んでいた。
「アベル、それは勘違いだわ。ヴェス———ヴェストリとはそんな関係ではないし、あなたもロートレック公爵家なら彼のことは知っているわよね?パーティの参加を断っていた件については謝るわ。これからは頑張って社交に参加できるようにする。だから、婚約破棄だなんて———」
「あーもうっ、はっきり言わなきゃ分からないのか?俺には他に結婚したい女が居るんだ。だからお前とは結婚できない。その……ヴェストリ?とか何とか言う奴のことなんて知らないし、正直どうでも良いんだよ。領地もこんな田舎だし、婚約者も芋臭いガキンチョ令嬢で俺はずっっっと退屈していたんだ。お前は畑や肥料の話ばかりで色気もないしうんざりなんだよ。だから俺を自由にしてくれ」
「そうよ、リーズ様。早くその田舎臭ぁーい手からアベル様を解放してあげて?」
アベルの後ろから女性が入ってきたかと思えば、なんとあの夜会でリーズに悪口を言ってきた香水とパーマのキツい令嬢だった。
彼女はレベッカ・デュシャン伯爵令嬢。
以前からアベルを気に入り、パーティの度に人目を憚らず彼に猛アプローチをしていたらしい。
(———この人、前に夜会で悪口を言って来た人だわ)
動揺しているリーズに対しレベッカが余裕の笑みを溢す。
「———あら?前にあなたとお会いした時と雰囲気が違うけれど、今日はアベル様の為に頑張って着飾って来たのかしら?でも可哀想に……アベル様はあなたのことなんて眼中にないのよ。私の事を愛しているんですって。これ以上惨めにならない為にも、さっさと婚約解消の書類にサインしてくださいな」
レベッカは床に散らばった花をぐしゃりと踏み潰すと、くすっと不敵な笑みを浮かべ、見せつけるようにアベルの腕にしな垂れる。
「お前が誘いを断ったパーティでレベッカと親しくなったんだ。レベッカは婚約者を放って畑仕事をしているお前なんかよりもずっと俺のことを考えてくれるし、色白の美人で色気がある。俺にはレベッカのような大人の女性が相応しいんだ」
その言葉にレベッカは勝ち誇ったように嘲笑う。
アベルはリーズに掴まれた腕を振り払うと、代わりにレベッカを大事そうに抱きしめた。
リーズは二人の世界に浸っている彼等を見てアベルに対する情がすーっと冷めていくのが分かった。
(他に好きな女が出来たから婚約破棄したいなんて•••貴族とは思えない程身勝手ね。 しかも自分の都合が良いようにロートレック公爵夫妻の外出時を狙って私だけを呼び出すなんて卑怯なやり方。 今までこんな人と婚約してたなんて•••)
「———わかりました。つまり私と婚約解消してレベッカ様と婚約したいのですね。ですがそれによって生じる全てのことに、あなたは責任を持てるのですか?」
「はっ! 何言ってんだ。こちらには何の問題もないぞ!ベルジュ領がロートレック領の精霊の加護を受けられなくなるのは惜しいだろうがなぁ?」
「今まで大地の精霊に頼りきりだったから大変ねぇ。ちゃんと作物が育つと良いけれど、今まで通りにはいかないでしょうね。まあ、せいぜい頑張ってくださいね?」
婚約を解消するという事は、両家が仲違いすること。
即ち互いの精霊の加護を受けられなくなるのだ。
リーズはこの二人が全てを理解しているとは思えなかったが、ここまで馬鹿にされて引き下がるわけにはいかない。
「全て分かっているなら良いわ。生憎家紋を持ち合わせていないので、この書類は一旦預かって後日私の方から国に提出しても良いかしら?」
「そんな事言って提出せずにしらばっくれるつもりじゃないだろうな?」
「そんな事しないわ。それにちゃんと受理されたかどうかは自分で確認すれば分かることでしょう?」
貴族間の婚約は婚姻と同様、国へ届出が必要となっている。
それもそうかとアベルは納得し、自分のサインした書類をリーズへ渡す。
リーズはそのまま無言でロートレック公爵家を後にした。
お読みいただきありがとうございます。
後編は本日22時更新です。次回で完結です。