98話 霧の中
俺の目の前は突然真っ白な霧に覆われた。
「目くらましかぁ? また変な技使いやがって」
「ただの目くらましじゃないぞ」
隣を誰かが駆けていく音がした。おそらくベンとかいうあの男だろう。みすみす逃すまいと手を伸ばすが、どこに行ったのかさっぱりわからない。
「あのガキ......」
あのガキへの腹立たしさがふつふつとこみあげてくる。
ダク、唯一王の兄。唯一王と対になる呪いを持っており、その出自からルーザーの期待の星として崇められている。
そんなやつが、俺の生きている時代に生き返り、現在はレジスタンスを引き連れて行動していると聞いた時、俺は運命めいた何かを感じたのを覚えている。
こいつは使える。こいつさえ居れば世界は俺のものに出来る。そう確信した。
今は殺意しかないが。
どこに行ったか、俺の祝福があっても判別できない。
この霧は普通の霧ではない。
「小細工しやがって──ッ!?」
なんだ!? 立てない!!
足に切り傷がある!? だが治らない!
周りに目を凝らして後ろに立っていた男に気が付く。
「お前。聖女の──ッ!!」
「おとなしくしておいてください......足の腱を切りました。痛みは感じないと思いますが、動かすと最悪の場合、足が千切れます。そうすると激しい痛みが伴います。千切って治しても良いですが、治りきる前にまた切ります。僕個人としては、あまりそういうのはしたくないので......」
それだけ言うと聖女の世話係はまたぬるりと霧の中に潜っていった。
「霧、霧ね......」
怒りで頬が引き攣る。
だが怒りがこみ上げるのと同時にとある昔の言い伝えが脳裏によぎった。どうすれば効率よく祝福を生み出すことができるのか、昔の文献を読み漁っていたころに見つけた言い伝えだ。
「『大地に風が吹いた時、そこには鋼の一族と岩と霧があった。鋼の一族はあらゆるものに命を吹き込むことが出来た。鋼は霧に触れ、霧をあらゆる生き物の形に変えた。鋼の一族は無限に有り余る暇をつぶすために多種多様な生き物を作った。大地は生命に満たされた』......霧は『岩』を除く生物、植物、鉱物全ての原初......ってことかぁ?」
「物知りだな」
「つまりその技は周りにある物を原初に戻す技ってことだろ?」
「そこまで考えて使ったわけではないがそういうことになるだろうな」
「なるほどね」
でたらめだ。いや超常現象の塊みたいなガキの前で理論を説くのはあんまり得策じゃねーか。
だが、呪いが原因で引き起こされるなら──
「これが一番よく効くんじゃね~のかぁ!?」
石畳を踏み抜く。
そこにはとある仕掛けを施していた。特定の位置の石畳を足で壊すと発動する仕掛けだ。こんなこともあろうかと用意していたものだった。
バカッと天井が空き、粉塵が部屋の中を満たした。それに触れた霧はぴりりっと光を発して姿を消した。
霧が晴れる。
「そぉらっ!」
拳に力を入れて振り回す。
グオォと空気が裂けて、一振りで世話係を吹き飛ばした。
「うわぁッ!」
世話係は数m吹き飛んでよろめきながら体勢を立て直していた。
「霧が晴れるなんて聞いていないですよ!」
「何を使った?」
「祝福を宿した人間の体の一部を粉にして天井から降らせているだけだ。懐剣のやつらが使う煙幕爆弾と同じ仕組み。中身は全部俺の体だよ。首が飛んでも生きていられるって分かったのは大きな収穫だったなぁ。首から下だけでもわりと生きていられるって分かったし」
「イカレてる......!」
ダクが眉間にしわを寄せている。
あぁ、ゾクゾクする。その顔が見られただけでもこの仕掛けを起動したかいがあった。
そして数瞬ののちにダクはもっと表情をゆがめた。
あぁ、気が付いちまうよなぁ。お前みたいな論理的で賢くて、常識のネジが緩くなってるやつはよぉ。
「祝福の仕掛けがあるってことは呪いの仕掛けも同様にあるだろ。もしかしてそれにはあのルーザーたちを使っているんじゃないのか」
思わずニヤける。
「大正解だよ」
「このド外道が」
お前も思いついたくせに何が外道だ。思いついても使わないのが偉いとでもいうのか? それはとんだ腰抜けどもの考え方だぜ?
大体、倫理観やら道徳を説く人間は、やったら心が痛むからやらないわけじゃない。現実的にそれを実行する方法が思い浮かばないからやらないんだ。そういう社会的にあまりふさわしくないとされる行為にはそれを咎めるための仕組みがセットで存在する。その仕組みをかいくぐる方法を思いつかないから実行しない。そして実行できない理由を自分の能力不足だと認めたくないから、道徳的にダメだとか、常識的でないとかいう言葉で否定する。
金貸しをしているとき、債権者どもはいつも俺を否定してきた。でも俺からしてみれば、そいつらの方が道徳的にダメな行為をしているように思える。人から金を借りていて返すこともせず、努力もせず、能力がないことを認めようともせず、人のせいにしてばかり。周りの人を喜ばせるために何かすることもできないのは、道徳的に良い行いをしていないということになるのではないか。それでいて自分のことを道徳的に良い人間であると心の底から思っている。救えないクズどもだ。
もしも人に何かを恵んであげた対価として受け取っているのがお金だとしたら、目に見える形で一番感謝されているのは俺だ。そして感謝されていないのは債権者たちだ。
俺が一番偉い。
「お前がやってきた行為は外道じゃねーのか? 今、お前のせいで民衆は食べ物が無くなって困ってるんだぞ? それに対して何の責任も感じねーのかよ」
「全部俺が引き起こしてきたことだ。俺が決めて行ったことだ。この件に限らず、これまで行ってきたこと全て、俺が決断して行ってきたことだ。でも同時に全ての問題に俺以外の人間もかかわっている。この国のすべての人間がこの問題の当事者で、全員で向き合わないといけないことなんだ」
「なんだ? 責任逃れか?」
「違う。だから俺と世界でこの責任を背負って生きていくんだ」
昔、唯一王に謁見したことがある。なんの交渉だったか、する必要があった。
一目見て、これが王なのだと分かった。その目を見れば、王がどれだけのものを背負っているかが分かった。
似ている。
こいつの目がその時の王に。
「お前......王にでもなる気か?」
「それが王という形かどうかは分からないが、この国を率いるのは俺だ」
あぁ──っ、、、、、! 腹立つ!
無性に腹が立ってきた。
なんなんだこの苛立ちは!
自分よりも大局的に物事を見つめていると大見得を切られたことによる屈辱感か!?
拳に力が入る。
「ぶっ殺してやる」
そう呟いた時、俺は気づいた。
足元に霧が再び充満している。天井を見るともうすでに粉が切れていた。
かなりあったはずだぞ? 中和しきれなかったのか?
ダクが短剣を懐から出す。
「お前は俺に勝てない。お前がどれだけ祝福を手に入れようと、祝福はお前に応えない。お前には呪いと祝福を扱うために必要な根本的なものが欠けているからだ」
額に青筋が浮き上がる。
誰に何が欠けているだって?
創世記 序章 三
鋼の一族はあらゆるものに命を吹き込むことが出来た。鋼は霧に触れ、霧をあらゆる生き物の形に変えた。鋼の一族は無限に有り余る暇をつぶすために多種多様な生き物を作った。大地は生命に満たされた。
大地経典より




