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97話 堕落と衝動

 俺の名前はベン。昔は等価商会が運営する卸売市場で働いていた。

 しかし、金帝が運営する卸売市場に食料等のシェアを奪われて流通量が激減した際に、リストラされてしまった。

 自分で商売を始めようとするも、商才はなかった。借金に手を出したが、闇金の元締めが金帝だったことが運の尽き。

 妻子は金帝に借金のカタとして取られた。


『俺が代わりになったる! せやからどうか妻子には手を出さんとってくれ!!』

『お前は必要とされてへん。やから金が稼げへん。金を生み出さへん男に価値ないねん』


 ぐぅの音も出なかった。

 この世界は金を稼げない人間に厳しい。市場で働いてた頃からずっと分かっていた。

 だから妻子が生き地獄に送られると知っていながら見逃すことしかできなかった。


 金帝のことを恨んでばかりだった毎日。

 死にもの狂いでゴミを漁ってなんとか生き延びてきた。

 だが今回の食糧難で廃棄される食料すらどこにもない状態になってしまった。

 そしてそんな時、目についたのが傭兵募集の張り紙。

 死にたくないがために、死ぬほど行きたくなかったこいつの元へと足を運んだ。


『エサはやる。死ぬまで働け』


 どうやら俺たちは骨の髄までこいつに捧げることになるらしい。


 そう思っていた。

 なぜか傭兵たちが反乱を起こして、町はすでに大混乱。

 人々の喧騒でごった返す光景を見た瞬間、天啓のように俺の脳裏に一つの考えが降りてきた。


「今だ!」


 俺は手元にあった支給品の切れ味の悪い剣を握りしめて、金帝の館へ走った。

 今ならやつを殺せるかもしれない!


 パキン


「で?」

「嘘──っ!?」


 俺はまっすぐ金帝に剣を振り下ろした。金帝はそれを受け止めることすらしなかった。

 金帝の体に当たった剣は粉々に砕け散った。

 そんな馬鹿な......!?


 金帝は俺の首をぎゅむっとつかんでそのまま持ち上げる。

 息、息がっ!


「外で何が起こったの? 見張りがお前を素通りさせるの、おかしいでしょ?」


「はんっ、はんらんが」


「なるほど~???」


 金帝は俺を床に放り投げる。痛いっ!


「情報伝達ありがとね~」


 なんてやつだ......

 俺が刃物で切ろうとしたことをなんとも思ってない。こんな、こんなのって......


「ん? なんで泣いてんの? ばっちぃからやめろよ~。殺すよ~」


「お前っ、お前さえいなければ! 家族も今も幸せで......平和に......」


「......お前、名前は?」


 金帝がしゃがんで俺の顔を覗き見る。あ、圧迫感がすごい......


「ベン......」


「ベン、ベン......あーもしかしてあいつの親か?」


 金帝が手元にあった鐘をシャラランと鳴らす。


「べネ! 来い!」


 呼ばれた名前に驚く。その名前は──


「お呼びでしょうか。金帝どの」


 その顔は凛々しく、強く、それでいて昔の面影も残していて──


「ベネ!!」


 ベネはこちらを見たが、怪訝そうに眉をひそめただけった。まぁそれもそうか。別れさせられたのはお前がまだ幼いころだったもんな。


「俺はお前の──」


「はいそこまで~~~感動の対面終わり~~~長い長い」


 金帝はベネにすっと近寄ると首に手を添えた。

 俺は背筋が凍り、冷や汗が体中からどばっと出る感覚に襲われる。


「惜しいな~。こいつは優秀でまだまだ使えると思ってたのに」


「ま、まま、待ってくれ! 殺さんといてくれ! お願い、お願いやから!!!」


 俺は床に頭をこすりつけた。これでもかというぐらいこすりつけた。プライドが一瞬で吹き飛ぶ音がした。

 息子のためならなんだって出来る。今の俺には息子しか居ない。

 過去の恨み、金帝への裏切り行為、ここまでに行ってきたすべての行為が愚かだったと猛省した。


「じゃあ祈れよ。自分が死んでも良いと思いながら祈れ」


「はい」


 べとつくような後悔と、まだ許されるかもしれないという安心感が胸の中を満たした。


 弱いなぁ、俺。


 商才もなく、自分で稼いでいける方法もなく、全部奪われた。

 恨んだ。必死で恨んだ。でも自分の能力を高めることは諦めていた。逃げたんだ。

 せめてそのまま逃げ来れたらまだよかった。食料が無くなって死ぬかもしれないと思ったら、あんなに恨んでいた金帝に頭を下げることだって不思議と出来た。

 今回の傭兵の暴動に加わったのだって、半ば流されているだけだった。もう失うものなんて何もなくなってしまったと思ったら、死んでも良いと思えた。せめて一太刀浴びせて、ちょっとだけでも金帝に傷をつけられて、それで「イテッ」て言ってくれれば、それだけで俺の生きてきたことに意味が出来ると思ったんだ。

 でも息子が出てきて、失うものを意識した瞬間に、急に生きてきたことの価値とか、それまでの恨みとかがどうでもよくなった。俺のすべての行為や思いも今の状況を見ればマイナスだったとはっきり言える。

 俺の行動に価値はない。考えてきたことに信念もない。

 ゆらゆらと、流されて、まだ死んでいない。


 弱いよ。


「『手足を、縛りし』」


 ぽつりぽつりと頭に言葉が浮かんできた。

 最後の最後だから、少しぐらい役に立ちたい。

 そう思ったら不思議と口ずさんでいた。

 死ねる。ようやく死ねる。

 これを言ったら俺は用済みになってきっと殺されてしまう。

 それで良いじゃないか。


「本当にそれで良いのか?」


 頭上から声がした。

 若い......男の子の声?


「自分の命より大切なものを、信用ならないものに預けて、それで笑って死ねるのか?」


 頭を上げる。

 黒髪の少年が立っていた。

 独特な雰囲気とえも言われぬ威圧感に、俺は口をぱくぱくとさせた。


「ダ~~~ク~~~~~~~~??????」


 金帝が額に青筋を立てていた。

 やばい!

 でも頭にはそれ以上の言葉が出てこなかった。あのセリフの続きを思い出せない!


「良いところだったのに邪魔しやがって。外の反乱とやらもお前がやったことか~~????」


「そうだ。お前を殺すために俺が起こした」


「一度やられておきながらえらそ~~に~~。よく言えるようなそんなことがよぉ!」


 金帝はそばにあった椅子を蹴る。蹴られたそれは一瞬で塵と化した。


「あぁ。この前の俺とは違う。今度は負けない」


 そんな無茶な......

 だって相手は剣も通らないような体をしているんだぞ?


 彼は胸元のネックレスに手をかける。そして床にネックレスを置いた。そして手をかざして──


「『陣影(じんえい)世見逆原(よみのさかはら)』」


 彼がそう言った瞬間、辺り一面が真っ白になった。

 なんだこれは!? 霧???

 一切、前が見えない!


「目くらましかぁ? また変な技使いやがって」


「ただの目くらましじゃないぞ」


 状況が理解できないままそれを聞いていることしかできない。


 肩をポンポンと叩かれる。

 気が付けば隣に彼が居た。


「お前はあの子を連れてここから逃げろ」


「そんなことを言ったって──」


「大丈夫。霧はずっとそこにあったものだ。俺が見えるようにしただけだ」


 そう言って彼は俺の目に手をかざした。

 どういうことだ?


 彼が目隠しをやめると、そこに霧はなく、まっすぐ前に狼狽えている息子が見えた。


 気が付けば走っていた。

 恐怖に突き動かされたのか、それともこれまでと同じ衝動なのか。

 でも今はそれを気にする必要はない。


 今出来ることをしなければ。


「ありがとう!!」


 手を振る彼にお礼を言った。

 抱きかかえた息子の体は昔とは比べ物にならないほど重くなっていた。

創世記 序章 一


大地に風が吹いた時、そこには鋼の一族と岩と霧があった。


大地経典より

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