81話 プレッシャー
十分ほど経った。別室でソレイユが目を覚ました。
「ダク様......!」
「大丈夫?」
彼女の第一声は岩となった彼の名前だった。ソレイユは俺の顔を見て今の状況を思い出し、浮かない顔で俯いた。
「いえ......大丈夫です」
その言葉に安堵して良いものかどうか分からない。彼女の顔は血の気が引いていて、明らかに大丈夫そうではなかった。
「あの......!」
「?」
「ダク様の顔を拝見してもよろしいでしょうか......?」
そう言われて断れるわけがない。横に持って来ていた石像に被せていた布を取る。
彼女はダク君の顔に指先で触れると、ポロポロと涙を流した。
「また、ですか?」
ソレイユはぽつりと言葉をこぼす。
「またあなたは岩になってしまったのですか......? いつかまた戻ってきてくれるのですか? それとももう戻らないのですか? あなたがもしも、もしも生き返らなかったら、私はこれからどうしていけば良いのですか......」
励ましの言葉をかけてあげたくなるけれど、その言葉が喉の奥からつっかえて出てこない。
今の彼女に何を言っても励ましにならないことを知っている。
唯一、彼女を励ますことが出来るものがあるとすれば──
「答えて下さい......ダク様......」
彼の言葉だけだろう。
それは叶わないけれど。
ソレイユはひとしきり彼に縋って、しばらくして涙を拭いた。
「ありがとうございました。ここまで彼を連れてきてくれて。もう一度、交渉をしましょう。なんとしても私達がダク様を手に入れなければなりません」
ソレイユがスッと立ち上がる。
その姿は傷だらけに見えた。
「痛々しい。そう思いますか?」
「君は......?」
「聖女のお世話をさせてもらっています。ラスコと言います」
「聖女のお世話......? つまり君は『お世話様』か?」
「ご存じですか」
「俺も昔はこの辺りで育ったからね。ここら一帯で育った人間で君の家系を知らない人間は居ないよ」
「僕もちらりと聞きました。あなたのことを。あなたがダクさんが話がしたいと言っていたハタヤさんですよね」
俺はその言葉にドキッとして彼の方を向いた。まさか彼が自分のことを知っているとは思わなかった。
「......あなたはソレイユさんの仲間ですか?」
「それは......」
「彼女は今、必死にダクさんの代わりを務めようとしています。慣れないことを行うために相当なプレッシャーを背負っている。ダクさんが戻ってくるまで、彼女は『レジスタンスを潰すわけにはいかない』と気を張り続けることになるにちがいありません。それがいつまでなのか分かりもしないのに」
それは自分も分かっている。
あんなに気が張っているソレイユを見るのは初めてだ。ここに来てから彼女の笑顔を見ていない。
「僕も話し合いに参加して力になってあげたいけれど、もしも自分の力が活かせる場があるとするならばそれは今じゃない。でもその時が来たら僕は何だってするつもりです。」
その言葉に俺は妙な違和感を感じた。まるで何かを予期しているかのようなセリフだった。
ラスコがじっと目を見つめてくる。
「あなたは彼女の味方ですか? 力を貸してあげられる人ですか?」
『一度裏切ったあなたは──』
そんな言葉が聞こえてくるようだった。
一度レジスタンスを離れた俺にこの言葉を言う資格があるのか?
そうも思ったが、ここで求められているのは立場やこれまでの行動を加味した発言ではない。これからどうしたいかという意思だ。
「俺は......レジスタンスのために最善を尽くすよ。もうそれしか俺に出来ることは無いからね」
そのつもりでここに来た。
それだけが正しい。
後悔か、罪悪感か、切羽詰まっているからか、そのすべてか。どんな後ろ暗い理由だったとしても、レジスタンスのためになる選択がしたい。それは本心だ。
そしてタイムリミットはすぐそこまで来ている。
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「すみません。お待たせしました」
「いえいえ。身近な人がああなってしまったところを見れば誰だって気も落としますよ」
ソレイユの謝罪に教帝が胡散臭そうにニコニコとした表情でそう言った。
「にしても昨日出会った人間がこのような姿になってしまうとは、何が起こるか分からないものですね。この死にざまはまるで唯一王の兄、ダクのようだ」
ピリッと空気が張り詰める。
まさか気づかれたか? 唯一王の兄が生き返ったことを知っているのはレジスタンスの面々、唯一王に指近衛。骨組の限られた人間。あとは沼ノ守とリブリースぐらいのものだが......
「昨日、名前を聞いた時から思っていたんだよ。彼は唯一王の兄ではないかと。生き返るなんてもはやおとぎ話の話だが、それなら彼の強さにも納得がいく。そしてそれが正しいなら、その石像はまた生き返る可能性がある。違います? お嬢さん」
そういってソレイユに語り掛ける。
そう言えばレジスタンスと教帝は昨日出会っていたのか。その時にどんな会話をしたか聞き出しておけばよかった。
「確かに。何度かこの状態から息を吹き返したことはあります。ですが今回もそうなるかは分かりません」
その返答を聞いて、教帝が目をきらりと輝かせた。
「あぁ......すごい。良いですね。ルーザーでありながら、国の民のために王を作り出し命を落とした利他的な精神。まさに大地教の教えにふさわしい......」
ぼうっとどこかを見つめるような視線。
そこに胡散臭さを感じるのは自分だけだろうか。
「良いでしょう。私は聖女を諦めます。その唯一王の兄を頂けるのであれば」
思っても居ない条件の提示。その要求にびくんと空間が揺れた。
「ちょっと待て! お前、大地教にとって、ルーザーは信仰の対象でも何でもないやろが! 何、都合のええ時だけ大地教の名前を使おうとしとんねん! そこの宵橋教会の嬢ちゃんが言い出すんならまだ分かるわ!」
「私からも同意見です。唯一王の兄を手に入れることが大地教にとって大きなメリットになるとは思えません。それでも手に入れたいのであれば、そこに作為的な何かを感じます」
「作為? 作為って何?」
商会の人たちの言葉責めに教帝がすっとぼける。何が目的でそんなことをするのかは分からないが、何かよからぬことを企んでいるには違いない。
張り詰めた場でソレイユが手を挙げた。
「大地教がダク様を手に入れても、ダク様が生き返るかどうかは分かりません。でも私がダク様と行動を共にすれば、生き返る可能性はあります」
的外れに思える発言に教帝が眉を顰めた。
「......何? どうしてそうなるの?」
「ダク様は、私が祈っている最中に目を覚ましました。これまで何度か眠りにつくことがありましたが、ある時は私の腕の中で、ある時は私の看病中に目を覚ましています。私と行動を共にすればきっとまた目を覚ますはずです」
「それ、願望じゃない? キスしたら目覚めるとか、そんな幼稚な話、聞いてられないよ」
ソレイユが唇をぎゅっと噛む。
だが思わぬ人がその言葉を肯定した。
「いや、一理あるぞ。嬢ちゃん。俺たちがそいつを手に入れてもどうにかできる自信はねぇ」
「えぇ。もしも金帝がこの場の誰かにそれを授けても良いと思っているのであればそれは彼女に授けるべきでしょうね」
「金帝の立場からすれば、手放したくはないでしょうが、金帝が手に入れていてもしゃあないと思いますよ」
商会の人たちだ。
おそらく大地教がダク君を手に入れるのと、レジスタンスが手に入れるのではレジスタンスの方が自分たちに有利だと踏んだのだろう。
「正気ですか、あんたら。そんなことしてレジスタンスがまた再起したら一体どんな被害が生まれるか想像がつかないんですか? それだったら金帝が持っていた方がまだマシですよ」
「それは大地教の面々も同じやろが。それに金帝に渡しても何が起こるか分からんで。あいつはそういうのを使うのが上手すぎる」
睨み合う両者に割って入るように部屋の扉が開かれた。
何事かと思ってそちらを見る。プレーズが強い口調で扉を開けた人物に言う。
「今は交渉の最中です。途中で開けるのは厳禁ですよ」
「しかし、金帝の傭兵がもう一度やってきてですね......『ハタヤはここか』と......」
しまった......
タイムリミットだ。
無題
聖女をお世話するお世話様っておるやろ?
ほんとあいつには感謝してるで。
あいつが居なけりゃ、今頃聖女のお世話をしたがる人で養豚場がごった返してるやろな!
それに聖女を傷つける罪悪感に打ちひしがれる姿を人々に見せるからこそ、聖女の求心力も高まるってモンよ。
ほんと、ほんと。ホントに感謝してるんやで?
貴族領領主邸宅の一角にある日記より




