51話 宝具の神髄
黒い巨塊が雪崩のように近づく。あまりにも巨大すぎて近づいているのかすら判別しにくいが、その速さは人間の足で逃げられるものではない。
このままでは全て無に帰す。
「俺が止めてやる」
そう、俺が。誰かじゃなくて、俺がここで止める。
それが俺の正しいと思うことで、俺が行わなければならない使命。
真っ黒な塊の中にぽつんと白い点が一つ。能面が不気味な笑みを浮かべる。嘲笑うかのようにこちらを見て、いたぶるように命を飲み込む。
あれを壊す。
「アメハバキ、力を貰うぞ」
ドクンとアメハバキが呼応する。アメハバキはその鋼の刀身を輝かせ、黄金色の装飾に命を宿していた。槍と呼ぶには柄が短く剣と呼ぶには刃が短いその外見も、その使い方が頭に流れ込んできた瞬間にその外見の意味を理解した。
「あれは......」
「ほう、祝福の減衰した指近衛でもあれぐらいは出られたか」
ダクとリブリースがこちらに気づく。どちらもすでに這う這うの体だ。いつ倒れてもおかしくないほど憔悴しきっている。
彼らの視線が痛い。彼らに俺は侮られている。
当然だ。
これまで戦う理由を考えることも無く、ただ盲目的に幼いころから抱いていた漠然とした正義を掲げて、力を奮って来た。誰も自分を止められないせいで、自分自身を見つめ直す機会すらなかった。そんな幼い暴力に振り回されて来た方はいい迷惑だろう。
彼らに負けてからは俺は力も覚悟も中途半端な能無しになってしまった。だからここでこの脅威を止めてくれるだろうと期待もされない。力が無いと侮られている。
俺に期待をしろなんて、都合の良いことは言えない。侮られているのを怒って訂正する気も無い。それらは全て「何を為したか」で判断されることであって、言葉で訂正することではない。それが今になってようやく分かった。
だから今はただ──
「そこで見ていろ」
ダクがきょとんとした顔でこちらを眺め、憔悴しきった顔で何かに気が付く。おそらくおれがアメハバキを持っていることに気が付いたのだろう。
一目で気が付かなかったのは、祝福が外にほとんど漏れ出ていないからだ。中に圧縮されていて、きちんと形を保っているからこそ、外からこの宝具に眠る祝福を観察することは出来ない。これまで祝福が感じられなかったのもそのせいだろう。
この宝具はいわば『封具』なのだ。御屋形様の祝福を封じ込めるための器に過ぎず、それの役割は封じられた祝福を用いて保有者に力を与えることだ。それ自身が攻撃能力を有しているわけではないからこそ、保有者が自分の封を解くべき相手かどうかを見定めている。
息を吸う。
言葉を発するために。
発する言葉は宝具が教えてくれる。
「『我が完全をここに現せ。我は責を負いし者、汝と交わした契りを果たす者』」
「あれは、祝詞術!? バカな──」
「『我が手に責を持って、ここに刻む。闇を払う力を与えたまえ』」
吐いた息がバチバチと揺れる。
空間全体が祝福を閉じ込める器となって、光を帯び始める。
「『陣影・忌火護』」
「!?」
俺は地面にアメハバキを突き刺した。
アメハバキから祝福の枝が四方に伸びた。伸びた金色の枝は、柱となり、壁となり、棚となった。そして中央にあるアメハバキを囲うように扉が出来、アメハバキはその中に吸い込まれて見えなくなってしまった。
それは光り輝く神殿となった。
光が俺の体を包み込んだ。
光は服を作り出した。それは白衣となり、袴となった。手には白い稲妻の形をした紙が垂れた棒──大幣を握っていた。まるで祭事でもするかのような身なりになっていた。
続けて言い放つ。
「『掛けまくも畏き岩の継ぎ手よ。世に蔓延る諸々の禍事・罪穢有あらむをば、祓ひ給へ清め給へともおすを、かしこみかしこみもおす』」
手に持った大幣を空に掲げると、境内から流れ出た黄金色の胞子が宙を舞った。それは大きな大幣を形作った。それは黒い波を見下ろすほどに高く、この世の何物もそれにまさる大きさはないと思わせるほどにただひたすらに巨大であった。
「は、はは」
リブリースが笑う。その光景にくぎ付けになっていた。
「これが真の祝詞術だった、というわけか」
「『発影・雨葉佩』」
大幣を一振りする。
それはまるで道端に転がる落ち葉を掃くように黒い塊を一掃した。棒から垂れた紙垂はその巨大な祝福で触れた場所をかたっぱしから浄化していく。スレイブの群れが触れたところからたちどころに蒸気となって消え、スレイブの中に隠れていた能面をあぶりだした。
「~゛~゛~゛~゛!! ~゛~゛~゛~゛~゛~゛~゛~゛゛゛!!!!」
悲鳴とも怒声ともつかない音の塊を吐き出して、能面はその顔をじりじりと蒸気に変える。その顔は苦痛に歪んでいるようにも見えたが、振り払った大幣と共にカスのようになって消えたため、表情を詳しく読み取ることは出来なかった。
ルーターが消えた時、もうそこには何も無くなっていた。
俺は息を吸う。
わずか、息を吐いて吸う、数十秒での出来事だった。
俺は牙の跡から向きを変え、その少年のほうを向いた。
「さて、次はお前だ。ダク」
ダクは呆けた目で俺を見つめていた。その目が何を見つめているのか俺には判断できなかったが、その目は俺が思っていた彼の目とは少し違っていた。
「ラン......お前、」
ダクはおぼろげに口を動かす。
「俺と一緒にこの世界を変えないか」
その言葉を聞いて、俺は目を丸くした。
しかし、その男の目は本気で、どことなく御屋形様と近いものが感じられた。
宝具
黄泉の塔の宝物庫にあるとされている武具。その武具には唯一王の祝福が込められており、それを振るえば何者もかなわぬ力を手にすることが出来るとされている。宝具は全部で十個あるとされているが、限られたものしか宝物庫に入ることは叶わないため詳細は分からない。
ある男の手記より




