43話 月光のデート
「あの......今から、デート、しないか?」
「あ......ふぇ!?」
不安に塗りつぶされていたソレイユの表情が、一瞬で真っ赤に塗り替えられる。想像していたのよりも数倍激しい反応にダクは変な事でも言ってしまっただろうかと首を傾げる。
「いや、あの──、はい。分かりました......」
ソレイユはもじもじとしながら首を縦に振る。その様子を見てダクは疑念を脳の隅っこにおいやり歩き出した。
別に行きたい場所があるわけではなかったので、ダクはおもむろに屋敷の外に出る。綺麗に区画された田んぼの畦道を踏みしめながら歩いた。強い風に揺られて稲穂が倒れそうに軋む。
ダクはどう話を切り出そうか迷った。この心にあるもやもやした感情をさらけ出して良いものか迷った。さらけ出してしまったら、ソレイユが幻滅してしまうのではないかと思った。
「あのさ」
「はい?」
「君は、俺のことを、その、普通の人間じゃないって思ったことはあるか?」
ダクは結局、もやもやした感情に勝つことは出来なかった。人間になるか王様になるか迷っていると話すことが出来なかった。もはや迷うこと自体が王様らしくない気がして、口から弱音が出てこない。そしてそんな感情すら振り払うことができなくて、行動が鈍る自分に嫌気がさす。
こんな感情に振り回されるのは初めてだった。そして返答に悩むソレイユの顔を見て、反応を気にしてしまう。
「そうですね......うん。ダク様は普通の人間とは違いますね。だから私はあの時、着いて行こうって思ったんです」
「そうか。やっぱりそうだよな......」
ソレイユの反応を聞いてダクの心がズキンと痛む。やはり彼女はダクという存在が王様だから着いてきたのだ。自分の迷わず正しい判断が出来る『理性ある狂人』の部分に彼女は惹かれたのだ。
ならば揺らいでいる部分なんて見せられない。
ソレイユはダクをじっと見つめていた。軽く唇を噛んで足元に目線を落とすダクの顔をじっと見つめていた。
「ダク様は、他の人とは違います」
「?」
ソレイユはぽつりと話し始めた。ダクはソレイユが何を話そうとしているのか分からず彼女の顔を見つめた。ソレイユは揺れる稲穂を見つめていた。
「多分、だれだって正しいことをしたいと考えているんです。でもどこかでみんな諦めてしまうんです。小さなことを見なかったふりしたり、自分にはどうしようもないと放り投げてしまったり、自分には関係ないと言い訳をしたり......私もそんな一人でした。困っている人をこの世界で見すぎてしまって、見ないふりをしてしまいました」
ソレイユのその物悲し気な横顔に吸い寄せられるように、ダクは見つめていた。
「そんな中、ダク様は現れたんです。苦しんでいる人に迷わず手を差し伸べてあげられる、子供のように純真で、定規のように正しくて、手袋のように優しい、羅針盤のようなダク様に私は着いて行こうと決めたんです」
ソレイユがにこりと笑う。優しい笑顔にダクの心のもやもやが暴れ出す。ダクがならなければいけない王様像とソレイユの見つめる自分の姿が違うような気がした。
王様になることを選べば、非情な人間になってしまうような気がする。しかし人間になることを選べば、何も変えられない気がする。
そんなどうしようもない二者択一を彼女はまだ理解していないような気がした。ダクはもやもやが紡ぐ言葉をソレイユにぶつけた。
「例えば、」
「?」
「例えば、100人の人間が居たとする。そこで30人の人間が70人の人間を殺そうとしていたとする。何もしなければ70人の人間が死んでしまう。でも俺が30人殺せば70人生き残れるだろう。その時、俺は30人殺すことが正しいと考えるだろう。多分やりたくないと思っても、30人殺してしまうんだ。そうやって俺は王様であることを肯定しながら優しさを失ってしまうんだ」
あぁ、言ってしまった、と思った。
弱音がこぼれて、ソレイユの理想の人ではなくなってしまった。どんよりとした雲が月を隠して辺りを真っ暗な闇が支配する。
ソレイユを恐る恐る見る。ソレイユは揺れる稲穂を見ながら歩き続けていた。
まっすぐ。とてもまっすぐ。
「──普通の人なら、30人の人を殺すことをためらってしまいます。それは優しいけれど、臆病とも言えます。70人の人は死んでしまいます。自分の手を汚さないで生きることが正しいなんて、こんな残酷な世の中で思える人は少ないでしょう。それに比べて30人殺すことは、とても正しい選択です。おそらくみんなそれが正しいって言ってくれるでしょう。その責任と重圧を背負いながら生きる。本当に辛いことで、そんなことが出来るのは王様ぐらいかもしれません。優しさはないかもしれません」
その通りだ。
俺は、後者になることを恐れている。
その時、月明りがソレイユを照らした。
雲の裂け目から降り注ぐように月光が彼女を照らしている。
きらりと光った。
「でも、ダク様なら100人生かすことを選ぶと思います。他の人は多分、それをきれいごとだって言ったり諦めろって言ったりするんです。でもダク様はそれをやり遂げてしまう。諦めないから見つけられたダク様にしかできないやり方で100人救うんです。そんなダク様に、私は着いて行こうと決めたんです」
その言葉には迷いが無かった。
ばかげていることを言ったとも思っていないみたいで、彼女は確信を持ってその言葉を言っているようだった。
月光に照らされた黄金色の髪が眩しい。
ダクはその眩しさから目を逸らす。
「買いかぶりすぎだよ。俺は思われているほど、強くないんだ。これまで強いように見えたのは、物事を知らなかったからだ。何も知らないから、なりふり構わず行きたい道を行けたんだ。国を変えるためには色々なことを知らなきゃいけなくて、知れば知るほど俺は雁字搦めになってしまうんだ。何かを得るために何かを捨てるしかなくなるんだ」
目を逸らしたダクの手をソレイユが握った。
ハッとしてダクはソレイユを見る。
月の光が広がっていく。
「それはダク様がまだ未熟だからです。王様としても、人間としてもまだまだ未熟で、それができるビジョンが見えてないだけなんです。きっといずれ誰にも見えない道がダク様に見えるようになって、沢山の人がダク様の後ろを着いて行くようになります。どちらかなんて選ばなくていいんです。どちらも求められるのがダク様なんです」
月明りが一面を照らした。
ダクの瞳がきらりと光る。
その言葉に心のひっかかりが取れて、もやもやが消え去るのを感じた。
黄金色の稲穂がたわわに実を実らせて、風になびいていた。
ダクの瞳を見て笑ったソレイユの笑顔が、月の光に照らされた。その綺麗さにダクも思わず笑みをこぼす。
「できるかな」
「もちろん!」
ダクはぎゅっと手を握り返す。ソレイユの確信がダクの心を引っ張って月明りに導いた。
ダクはへへと笑いながらぽろりと言葉をこぼした。
「やっぱりデートして良かったな。本当に、良かった」
ソレイユは再び、顔を真っ赤にする。
「あ、あの、デートの意味、分かってます?」
「あぁ。二人で同じ場所に行き、同じ体験をして、心を通わせるってことだろ?」
リブリースに言われたことをそのまま復唱する。ソレイユはもじもじしながらそれはそうなんですけど......と言葉を濁した。ダクはその反応に嫌な感じを感じながら怪訝そうにその意味を訊ねた。
ソレイユは言いにくそうに答える。
「デートって、普通は恋人同士がするものなんですよ......ダク様の時代だと......逢引とかが正しいのかも」
ダクはその言葉の意味を考えて、数瞬遅れて顔を赤く染める。顔を片手で覆いながら頭を抱えた。
「リブリースのやつ......後で文句を言っておかないとな」
その様子を見てソレイユが笑みをこぼす。つられてダクも馬鹿らしくなり笑ってしまった。
唯一王
この世界を武力で平伏させた最低の王だ。誰もが唯一王に逆らえずにいる。唯一王はこの状況を変えてくれる誰かの存在を待っているのかもしれない。
ある男の手記




