42話 ナキと牙
夕暮れ時、ダクは廊下を歩きながらリブリースに言われたことを考えていた。
『君がもしも本当の王様になることを決意するのであれば、君の決断に従おう。でも君が人間のように振舞おうとするなら、私は君をここに留まらせる』
王様になることを選べば、非情な人間になってしまうような気がする。
しかし人間になることを選べば、何も変えられない気がする。
どうすればよいのだろう。
その時、バンと扉が開き、ダクの目の前でナキが尻もちをついた。どうやら部屋から誰かに追い出されたようだった。
ナキは部屋の中を睨みつけながら怒声を浴びせる。
「──ですから姉さん! ダクはなんとしても必要なんです!」
「知らん、知らん! 行けるかどうかは彼次第だ! いくらナキちゃんの言葉とはいえこればっかりは聞き入れられないね!」
バタンと扉が勢いよく閉じられる。
ナキがダクに気づく。
「す、すまない」
「良い。姉妹喧嘩ぐらいよくあることだから」
ダクは見てはいけないものを見てしまったような気まずさに目を逸らした。ナキはホコリを払って立ち上がる。
「少し話せるか」
ナキの提案にダクは頷く。普段無口なナキが自分から話を持ち掛けたことにダクは内心驚いていた。
ナキはある部屋にダクを案内する。その部屋はこぢんまりしていて、どことなく落ち着く感じがした。なぜそんな感じがするのかダクは考えた。
小物が多く、生活感があるのだ。この洋館の部屋はほとんどが無機質で機能的だが、この部屋はどことなく優しい感じがする。ダクの緊張がほどけていく。
「ここは昔、私が使っていた部屋だ。今はもう使ってないけど」
「あぁ、そうなのか......」
ここがナキの部屋だと聞いてダクは少し驚いた。ナキはリブリースとは違って優しい部屋の使い方をするらしい。ナキは無口なので、どちらかと言えばリブリース寄りの部屋の使い方をする人間だと思っていた。
ナキは窓から夕焼け色の外を眺める。ダクもつられて外を見る。
その畑では多くの人が働いていた。農作物に水をやり、肥料をまき、枯葉を焼いている。腰を曲げながら重たそうに堆肥の乗った猫車を押している。その中にはここに来て出迎えてくれたメイドの人も居た。
「彼らの多くは20年前の『牙』との戦いで近親者を亡くした者ばかりだ。フェル......ここのメイド長もその一人だよ」
「牙......」
牙、その言葉をたびたび聞くことがある。鬼殺しの沼は牙によって国の中に攻め入った魔獣の死体から出来ていると聞いた。確か300年前と言っていた気がする。
ダクが生きていた頃にはそんな言葉はなかった。国境付近での戦いは毎日小競り合いのように起き、戦力をじりじりと目減りさせていたと聞く。こんな風に魔獣が徒党を組んで聖なる大地に踏み込んでくることはなかった。
「20年前にも起きたのか?」
「あれは牙の中でも小規模なものだったとされているが......私たちにとってはとてつもないものだった。沢山の人が命を落とした。本当にたくさんの人がな」
陽が沈む。
リブリースは暗くなる外を見つめて遠い目をしている。ダクはその目の先にある惨劇の跡を黙って見ていた。
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真夜中、ろくに見えない道の上を私達はただひたすらに走った。
「来るっ! 来るぅっ!」
「逃げなきゃ!」
「だめだ! どこにも逃げられない! こんな!? 嘘だろ!? 何でここで牙が!?」
兵士はすでにやられていた。黒い塊が大波になって押し寄せてくる。土に触れた場所がドロドロに溶けて、その上を踏みつけて魔獣が近づいてくる。いくらいるかなんて数えられない。魔獣の牙がそこまで迫っている。
父はうろたえながら走って逃げている。私や姉にはわき目も振らずに。
もっと私のことを気にしてくれると思っていた。別に愛のない父ではなかった。他の親と同じように子供を第一に考える人だったと思う。この時は突然のことで気が動転していたんだろう。だから冷静に判断できなかった。それは後になって理解したことだった。
誰も助けてなんかくれないんだと思った。
誰もこれを止められないし、私や姉を助けてなんかくれない。みんな死ぬ。
そう思った。
父がこけた。
口をパクパクとさせながら飲み込まれた。
私達は走った。
じりじりと距離が縮まる。
建物が飲み込まれる。家畜が飲み込まれる。知り合いが飲み込まれる。
誰も助けてくれない。
走ってもどうにもならないんだと、そう思った。
誰も助けてくれないからこれも止まらない。
「こ、これを」
一人の男性が前方で倒れていた。足を怪我したようだった。カゴを掲げていた。私はそれをひったくるように受け取った。男性はすぐに牙に食われてしまった。悲鳴を上げる暇さえなかったみたいだった。
中には赤ちゃんが居た。
男の子なのかも女の子なのかも分からない小さな子供だった。
手を離せばもっと速く走れる。
離せ、
なかった。
私たちも死ぬのに、なぜ離せないのか分からなかった。
誰も助けてくれない。
でも助かりたい。
せめて姉とこの子だけでも。
もしもそれで自分が死ぬのであれば。
死んだってかまわない。
バチンと脳内に稲妻が走った。
「『手足を縛りしその枷を外せ。心を繋ぎしその楔を抜け』」
「え?」
姉が振り向く。
「『我は罪を負いし者、汝から奪いし不完全を呪縛に変えて生きる者。古き罪は我が背に、新しき罰は彼の者の背に』」
「それは、まさかっ! ナキちゃんッ!? やめてっ!!」
魔獣の押し寄せる轟音が止めることを許さない。
「『罪を許し、自由を奪う闇を払う力を彼の者に与えたまえ』!!!」
「ナキちゃん!」
「ねえさ......おねがい」
姉さんはぐっと歯を噛み締めていた。視界がぐわんと歪む。どうやら私はここで終わりらしい。
姉さんが後ろを向き、魔獣と相対する。
ぶつぶつと何かを言っているのがかすかに聞こえた。
カッと光った。
真昼のような明るさが群れを喰らう。
姿を喰らい、音を喰らい、気を喰らった。目を閉じていても分かる。もうそこに牙はない。
誰かが頬を撫でる。
温かい。
「私は、この世から、いつか、必ず、悲劇を消しさってみせるよ。ナキちゃん」
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「目を覚ましたのはかなり時間が経ってからだった。けれど姉さんはその間もずっと私のことを見ていたらしい」
ナキの話は小一時間にわたって行われた。その間、ナキの話のトーンは暗くなる一方だった。おそらく呪いの影響だろう。
「それから姉さんはずっと魔獣を倒すために研究している。副産物として得られたお金でまた研究。さらに孤児たちや未亡人を雇うためにここの畑を作った。姉さんは研究目的だということにしているけどね」
「強いな、お前たちは」
「姉さんが強いだけよ」
「いや、ナキも強いよ。それに比べて俺は」
ダクは拳を握る。ダクの覚悟は揺らぎかけていた。
「......姉さんもお前には言い過ぎたと言っていた。私もあんな姉を見たのは初めてだった。あんなに感情的になった姉を見るのは......お前は良い意味でも悪い意味でもいろいろな影響を人に与えている。もちろん私にも......」
ナキはそのまま寝てしまった。
ダクはナキを寝床に寝かせて部屋を出た。
「影響......か」
何が出来る。何者にもなれない自分に何が......
「ダク様......」
廊下の向こうからソレイユが心配そうにこちらを見つめていた。
ダクは目を逸らそうかと思ったがやめた。もしかしたら、自分が悩む前に持っていた気持ちを持ち続けている彼女なら何かヒントをくれるかもしれない。
「あの......今から、デート、しないか?」
「あ......ふぇ!?」
魔獣の牙
聖なる大地は長らく魔獣の進行を阻んできた。しかし魔獣は滅されることを恐れず、死屍累々を重ねながら王国を侵略せんとする。その侵略の跡はまるで大きなの噛み痕のようであり、人はそれを『牙』と呼んだ。彼らがなぜそこまでして人を殺そうとするのかは分からない。
ある男の手記より




