30話 楔
闇を掻き分けて光の中へと踏み出した。
そこには地面に突っ伏すドレイクと腹を抑えてうずくまる沼ノ守。そして大地に君臨する鬼神。
沼の上から目の前で燦然と輝く敵の姿を見定める。敵はダクの姿を見ると目を丸くして口を半開きにさせた。
「はぁ!? 一体どうなってる!? 腹の傷は......」
その問いにダクは何も返さなかった。この場ではその問いがさして重要ではないことを知っていたからである。ダクの迷いのない目から闘志を感じ取ったランは槍を構えて吐き捨てる。
「......化け物が!」
ランが槍を地面と平行に掲げ勢いよく息を吸う。酸素を体に滾らせて全身の筋肉に吹き込みエネルギーに変える。
二、三歩。重い踏み込み。大地が地響きで呼応する。
しなる筋肉から槍にエネルギーが蓄えられていく。手のひらの中でトップスピードに達し、フシッと息を吐く音と共に閃光が繰り出された。
ダクは胸元に黒いつららを構える。つららと閃光がかち合い真っ赤な火花が飛び散った。ジリジリと響く重い衝撃。ダクはつららを握る手に力を籠める。
ドクンと、手のひらから波動が伝わってくる。ダクはそれが槍が発したものではなく、つららが発したものなのだと直感的に理解する。
その瞬間──
バチバチと散った火花が、
放たれている黄金色が、
エネルギーの塊が、
つららの中に吸い込まれた。
まるで植物の根が水や栄養を根こそぎ地面から吸い上げているようだった。槍は黄金色の輝きを失い、弾かれて地面に転がった。
「何だ? その手に持っているものはどういう......」
ランは自分のやり投げが止められたことに驚いた。しかしその驚きよりも今目の前で何が起こっているのかという疑問の方が大きかった。この状況を正しく理解しなければならないと思った。なぜそう思ったのかはラン自身にも理解できなかった。
ランは思考を巡らす。一体何が起こっているのか。
何かこれまでの出来事にそれを示唆するヒントは無かっただろうか。
『もしかしたら王政を覆す切り札になってしまうかもしれませぬ』
眼帯のにやりと笑った嫌気の差す顔と同時にその言葉を思い出す。
それはここに来る前の話。骨組が自分と行動を共にすることになった話し合いの際に持ち出された話だった。
ランは呪いの持影が宿り続けている棒を見せられた。ダクが骨組からルーザーを守った時に出来たものらしいが、持影が物に残り続けることはあり得ない。しかし例外がいくつか存在する。そのうちの一つはこの王政を維持する一つの礎となっている。
唯一王の生み出した宝具。
もしもこの土壇場で偶然にもそれと似たような物を生み出してしまったのだとしたら......
「ありえんな」
ランはかぶりを振る。
そんなことがあり得るはずがない。
しかし、全力を出さなければいけない。今の状況を正しく理解し、対処しなければならない。万に一つもあり得るはずのない可能性を消すために。
冷や汗が垂れる。
なぜ垂れる?
「今、ここで息の根を止める! 『発影、幽世陽炎朧灯篭』!!」
ランは足を引き、腕を構える。持っている自分の核を最大限に開放し、空間に黄金色を充満させる。
それぞれの黄金色は槍を形作った。光の塊が空間に無数に浮かび、まるで太陽が複数あると錯覚させる。
「食らえぇ!!」
腕を振るえば槍が呼応する。加速する太陽がダクに向けて降り注ぐ。
つららが一蹴した。
ダクが手のひらの黒を振るうと光が一瞬で瓦解する。まるで風が壁に逆らえないように、雨が傘に逆らえないように、一瞬で周りのエネルギーが消え失せた。全力を嘲笑うように吸い取った。
「何......だと?」
じりりじりりとダクがにじり寄る。
つららを握る手に力を籠めて頭にやるべきことを思い浮かべると、おぼろげに頭に言葉が浮かぶ。その言葉は次第に強く頭に現れ、やがて口から漏れ出る。
「手足を縛りしその枷を外せ。心を繋ぎしその楔を抜け」
空気が変わる。
沼が震える。
大地が怯える。
霧が辺りにじわりとにじむ。
何かが起こる。
ランはその気配にぞくっと身の毛がよだつのを感じた。
冷や汗が落ちる。
おぼろげに脳裏に浮かぶ二文字。それを感情が拒否している。受け入れがたい。ルーザーに真っ向勝負で負けることはあり得ない。
「『発影・焔神突』!!」
炎天が弾け飛ぶ。
放たれる前に霧散する。
これが宝具の力か?
『たとえルーザーが呪いの宝具を生み出したところで、扱う人間がルーザーであればどうせ大したことはない』
自分が言った言葉を思い出す。
ダクが近づくごとにランの体から祝福が奪われていく。
体に纏う祝福が、生命力が、無くなっていく。
「我は罪を負いし者、汝から奪いし不完全を呪縛に変えて生きる者」
大地が枯れる。
生きとし生けるものが枯れていく。
「古き罪は我が背に、呪縛は器の中に」
空間が壊れる死の香り。
鈍色の楔がダクの手の中で存在を強める。
ランは拳を握る。
祝福すら宿らないその拳。しかしルーザーを殴るだけならこの拳でも事足りる。奴らは祝福で強化されているギフテッドとは違う。呪いで体をまとい祝福の力を弱めることができてもその力を弱めることが出来るわけではない。
そんなルーザーごときに負けるわけがない。
「うおぉぉぉぉおおおおおおお!!!」
ランは冷や汗をだらだらと流しながら、その躊躇を叫びで断ち切り拳を振るう。
ダクがぎりりと睨む。
体が動かない。
まるで目の前のものに体が拒否反応を起こしているかのようだった。
恐怖。
その身を縛っていたのは恐怖だった。
恐怖に身を任せて一歩じりりと下がった時、懐で布がこすれる音がした。ランは縋るような気持ちでそれに手を伸ばした。
「『絶影』っ......!!」
きめ細かな布は黄金を纏い、外界を隔絶する壁となってダクの目の前に立ちはだかる。
「罪を許し、凄すさまじき者を無に帰せ」
「なっ......!?」
ぶつん、と音がした。絶影に穴が開いている。
黄金は吸われて気力を無くし、布は繊維を剝き出しにする。ただの布に鋭い凶器を防ぐ力は存在しない。
「『発影、夢霧』」
光を封じる楔がランの胸を貫く。
「あ、ぐ......」
ドサリとランが倒れる。
ダクはつららを引き抜いた。そしてつららを首元に向ける。もう光を出させないために。
「待った」
後ろから服の袖を掴まれる。ダクはギロリと後ろを睨んだ。
「降参だ。和解をしよう」
そこにはふらふらと片手を上げる眼帯が居た。
一の呪い 不明
内容も発現する条件も全て不明である。
著:リブリース=ウルライト『持影大全』より




