20話 奪われ続けた少女
ダクが刀を曲げたのを見て、表情は驚きから殺意に変わる。おもむろに振り下ろされた剣はダクの横を掠りはらりと髪の毛を斬り落とした。振り下ろされた剣を元に戻すより速く相手の手首をつかみ呪いを送り込む。あっという間に祝福を食い破り、腕をふるふると震わせて剣を地面に落とす。
その無駄のない動きに端の男は剣を振り下ろしかけたまま呆然と立っていた。その目にはダクに対する恐怖のようなものが見て取れた。
「どうする、お前は」
「お、おおおおおぉぉぉ!!」
半ばやけっぱちに振り回された刃からはあまり祝福の力も感じられなかった。どうやらこの男は強身持ちではないようだった。ひらりと刃を躱し、腹に掌底を当てて呪いを送り込む。
倒れる若い男を尻目に周りをチラリと見る。こちらに向かってくる人影も見えるがまだ遠い。ところどころ弓のようなものを構える者もいた。
「一旦中に入ろう。中ももう安全じゃないが、外よりはマシなはずだ」
アスターは三人の男女に追い詰められていた状況からの緊張が解けたようで、胸を大きく上下させて息をしながら呆然とその場に座り込んでいた。ダクは震えるアスターの手を握り、無理やりに引っ張ってオルファネージの中へと入る。
「ダク君」
扉の脇に居たハタヤが小さな声でダクへと呼びかける。ダクはその注意を促すような視線に警戒を強めた。裏口のドアをゆっくりと閉め、ダクは姿勢を低くし部屋の隅へと移動する。
「もう中に数人入ってきてる。今は子供たちを逃がした部屋の前あたりをうろうろしてる。倒そうと思えば倒せるが、騒がれたら一気に大勢が入ってくる可能性がある。さすがに俺達だけで何十人も相手にすることは出来ない」
どうやら状況はダクの想像以上に悪くなっているようだった。まさかオルファネージの中にまで入られているとは思わず、ダクは苦い表情をした。
アスターの方をちらりと見る。オルファネージの中に敵が入ってきたことに怖気づいているのかと思っていたが、その表情からは恐怖よりもむしろ諦めに近いような感情が読み取れた。
「しかし、まさかこんなに近くまで敵がやってきていたのに気づけなかったなんて」
「まぁ、それがここの立地の長所でもあり短所でもあるんだよね」
ハタヤは頭を掻きながらやれやれといった様子でそう言った。その言葉にダクは疑問符を浮かべる。ハタヤはその表情を見てあぁ、と付け加える。
「ここは300年前の魔獣抗戦、つまり魔獣との大規模な戦いによってできた沼なんだ。それが僕らが敵に気づけなかった原因だよ」
「魔獣か......」
そう口から言葉を漏らしてダクは軽く唇を噛む。
魔獣は昔、王国が崩壊した一つの遠因でもある。王国の境界線で魔獣と人間はその土地をめぐって一進一退の攻防をしてきた。王国は魔獣の侵略を防ぐため軍備を整えた。しかし、それを十分にするためには大きな対価が必要だった。王国は国民から血税を巻き上げ、国民から反感を買った王国は崩壊した。
「でもこんなところまでどうして魔獣がやって来れた? 母なる大地には魔獣を浄化する作用があったはずだろう?」
「あぁ......昔はそれで済んでたのか。その時にはまだなかったかもしれないけど、魔獣は数十年に一度、徒党を組んで王国内に侵略してくるようになったんだ。体が浄化されるよりも早く、味方の死体を踏みつけて何万匹もの魔獣が王国内に食い込む。俺達はその現象のことを『牙』って呼んでる」
想像しただけでおぞましい光景にダクは身震いした。
「それはさておき、この沼はそんな牙の終着点でとても多い量の魔獣の死体が積み重なって出来た物なんだ。魔獣は呪いを持っているからそれによってできた沼にも呪いが多く宿っている。そしてその沼に囲まれたここではルーザーでなくとも常に軽く呪いがかかっているような状態になる。いつもより目も見えないし耳も聞こえなくなる。僕らルーザーにとっては慣れたことだからあまり影響は感じにくいけれど、こういう風にいつもは気づくことの出来ていた気配に気づけなくなったりする。だからこそいつも祝福で守られてるギフテッドにとっては俺達よりもやりにくい場所だろうね」
ダクはなるほど、と頷く。
「それでどうするつもりだ」
どこから声が聞こえたのかと思ってダクはきょろきょろと視線を動かす。すると天井から逆さになってこちらを覗いてくるナキの姿があり、思わず声を上げそうになる。どうやら天井裏にもスペースがあるらしい。
「この状況から逃れられる術があるとするなら、骨組を出来るだけ倒さないようにしつつ気づかれないようにここから逃げることだね。さすがに俺達の力だけでは骨組のザコだったとしても全員は倒せない。眼帯も居るなら尚更だ。気づかれずレジスタンス全員がここから出なくちゃならないだろう」
「ならここに残されたオルファネージの子たちはどうなる?」
ハタヤは目を逸らしながら言う。
「......腐っても不可侵条約は不可侵条約だ。俺たちが居なくなればここに攻め入る理由は消えるはずだし、さすがに帰るだろう」
「この場所はそんな生半可な覚悟で攻め入って良い場所だったのか? 宵橋教会の時とは話が違うだろ」
「でもそれしか方法がない」
ハタヤが苦し紛れに出した楽観的な意見をダクは切って捨てる。
沈黙が流れる。
アスターの顔を覗き見る。表情は諦めから意外なほど変わっていなかった。最初からこうなることが分かっていたのか、それともこの状況が飲み込めていないのか。こちらの心配が杞憂だったのかと思ってしまうほどにその表情は動かなかった。
ダクと目が合い、ぼそりと言葉をこぼす。
「分かっているんだ。別に奪われることには慣れているんだ。産みの親とか、ここに来る前とか、いろんなものを奪われてここに拾われたから。ルーザーはいっつも奪われる側の存在で、相手は自分達から何かを奪ったとは思ってない」
ダクはその言葉を聞いて、はっとさせられる。奪われることに慣れると、こんな理不尽なことにでも耐えられるものなのかと驚くと共にむなしい気持ちが胸の中に立ち込める。
アスターが不意に悲し気な表情になる。でも、と付け加えた。
「でも、何で生きることさえ出来ないんだろう。別に奪われることは構わないけれど、生きていたって良いじゃないか」
違う。
ダクは今までの考えを否定した。
彼女は慣れてしまっただけで、悲しんでいないわけではない。耐えられるようになったのではなく、抵抗することを止めただけなのだ。ただ悔しさを感じることすら疲れてしまっただけなのだ。
「やろう」
「え?」
ダクはアスターの目をしっかりと見る。彼女は目線を上げて困惑した顔でダクを見た。
「力を合わせて、ここに居る全員で、骨組を全員倒す。そしてオルファネージも守って、君たちの自由を勝ち取る」
「え、え?」
アスターはダクとハタヤを見比べる。ハタヤもダクが言い出したことに耳を疑ったようだった。ナキはそのバカげた話にクスッと笑いをこぼす。
「奪われてばかりで良いのか? ずっと力を持つ者に振り回されてばかりで、それで良いのか?」
「それは......」
「良いのか?」
「......嫌、だけど......」
「ならやるしかない。やらなきゃいけないんだ! 今! ここで!!」
ダクはアスターを煽った後、にっと笑った。その笑いにつられたアスターは諦めたような表情からようやく笑みをこぼした。
鬼殺しの沼
300年前の魔獣抗戦、その圧倒的な物量の差に人間は窮地に陥っていた。王都南西、中腹まで魔獣が攻め入った際、人類と魔獣は全てを賭けて決戦を行った。死屍累々に出来上がった沼は獣も人も全てを食らい、いつしかその沼は呪いを放ち、異形の者でさえもその牙の糧にするようになったと言う。
ある男の手記より