17話 呪われし者ども
孤児たちが朝食を食べ終え次々に孤児たちが席を立つ。ある子は木の板と炭を持って読み書きの教えを請い、ある子は木の棒を素振りする。孤児の純粋で輝いた目を見ながらダクは口の端を緩めた。やっていることは別々でもその目は将来なりたい自分の姿を見つめているように見えた。
そこに漂ってきた臭いにダクは臭いの元を振り向いた。その臭いは呪いの臭いだった。呪い自体は鬼殺しの沼のものが色濃く漂っているが、それとはわずかに違う呪いが漂った気がした。臭いの元に辿り着き、ダクは唖然とする。そこは入ってはいけないと言われた扉の場所だった。
ガチャリと扉が開く。ダクは二歩下がって扉から目を逸らす。
出てきたのは赤毛の長い髪の女の子だった。年は10代前半、おそらくこの孤児院でも年齢の高い方だろう。目を逸らしたダクを見つめる彼女の目にはほのかにクマのようなものが出来ていた。
「お客さんは入っちゃダメだよ」
「その......中で何をしてたんだ?」
疑問がつい口をついて出る。彼女はしばし返答を考えた。あの男に口止めされているのかとも考えたが、彼女は口を開いたのでそうではないらしい。
「お母さんにお祈りしてたんだ」
「お母さん? 君のお母さん......なのか?」
ダクはその言葉に首を傾げた。お母さんに祈りをささげるという意味はまだ分かるにしても、孤児である彼らにとっての母は言葉通りの意味で受け取っても良い物か。それがダクには疑問だった。赤毛の女の子はダクの疑問に笑って返した。
「あぁ、そういう意味でのお母さんではないよ。でもどういう意味かって言われたらちょっとこまるな」
女の子は自分の言葉を噛み締めて考え込む。とりあえず生みの親という意味ではないらしい。
「自分たちにとってのお父さんはあの人だから、お母さんはこの場所そのものって感じなのかな。ごめん。言葉ではうまく表現できない。これまでそういうものだという風にしか考えていなかったんだ」
「そうか......」
ダクは頭の中でその言葉の意味を半分ほど理解できた気がした。お母さんと言うのは人ではなくても良いのかもしれない。育ての親が居るように育ての場所、いわゆる母なる大地という考え方があっても良いのかもしれないとダクは思った。
彼女がすれ違った時、ふわりと呪いの臭いがした。扉の中から漂ってきたものと同じだった。ダクはその臭いに目を見開いて納得しかけた心を元の位置に戻す。振り返って彼女の背中に言葉を投げかける。
「あの......」
口を開いたは良いが何を聞くかを迷った。
「名前は?」
「? アスター。それがどうかした?」
「いや......」
ダクの視界から彼女がいなくなり、ダクは視線を扉へと移す。少し小さめのその扉からはもう呪いの臭いは感じられなかった。
「その中に何があるか知りたいか?」
声の方を見るとドレイクが片目を開けてこちらを見ていた。
「知っているのか?」
「俺も当事者の一人だ。俺から話すことが出来る内容は少ないかもしれないがな」
そう言ってドレイクが取り出したのは一本のペンだった。そのペンもまた彼には少し小さすぎた。
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意識が戻ったのは攻撃を喰らって数時間した後だった。あの唯一王の兄を名乗る少年のパンチ。その拳から伝わった持影が神経と脊髄を伝い、体全体を支配した。これまで感じたことのない感覚だった。
意識が戻っても体が思うように動かない。かろうじて目を動かし自分の体を見ると体が黒く変色しているのが分かった。体の芯から祝福を伝わせると、肉が解凍されるように変色が元に戻り体が動くようになる。
「やっと起きたか。ラン」
「アブダ......」
そこに立っていたのは太り気味の男──アブダだった。アブダは待ちくたびれたというようにこれ見よがしにため息を吐いた。
「ラン、お前にはあの反逆者どもを亡き者にしてきてもらう」
「彼らの居場所は......?」
「聞かなくても分かるだろ。あいつらにとっての逃げ場所なんてあそこしかない」
「鬼殺しの沼......」
その言葉を発した自分の声が少し震えてしまった。あそこには沼ノ守が居る。あの反逆者どもだけならどうにでもなるだろうが、あの男を相手にすることが出来るだろうか。
「これはお前の失態が招いたことだ。拒否権はない」
「......御意」
太り気味の中年の声は威圧的なプレッシャーを放っていた。相当苛立っているらしい。有無を言わさぬその声に背中を弾かれて城の門をくぐった。
「ルーザーごときがてこずらせやがって......」
ランは槍を背中に背負い直して愚痴をこぼす。
その時、ピリリと何かを感じた。
不意に視線を感じたランは槍に手をかけて視線を感じた方向を見る。そこにあったのは浮いた眼球だった。眼球はこちらを見た後、自分を先導するように前を行く。こんな芸当が出来る人間がこの世に何人もいるはずがない。少し歩いて建物に入ったランは、自分を導いた眼球の主の姿を目にしてやはりと納得する。
「ようこそ。わが骨組管理支部へ」
そこに居たのは予想通り眼帯の男──バードンだった。バードンは眼球を掴むと眼帯を押し上げて瞼の内側に入れた。ぎょろりと回転した目は次の瞬間には彼の目玉になっていた。
「鋭敏の祝福もここまで来ると軽業だな」
「お褒めに預かり至極恐縮」
にやりとバードンは笑う。その顔があまり気持ちの良いものではなかったので、ふつりと心の中で目の前の男への反感が沸いた。
「それで? 俺は忙しいんだがな。何か用事でもあるのか?」
「いや、指近衛のあなたに見て欲しいものがあるのですよ」
男が含みを持たせた言い方で笑いながら言った。そして彼のデスクの中を漁る。引き出しを開けた瞬間に、この場に似つかわしくない吐き気を催す臭いが漂った。俺は嫌悪感を体に入れないように腕で鼻を抑えた。
取り出したものは一本の棒だった。棒の先には少し溶けたような跡がある。そしてその棒から漂ってくるのは濃厚な呪いの臭いだった。
「これはもともとうちの部下が持っていたものでして、唯一王の兄にやられてこうなってしまったというわけですな」
バードンは棒をこちらに手渡してくる。あまり触れたくはなかったが、せっかくここまで来たのだからという思いが自分に手を伸ばさせた。
棒を掴んだ瞬間にその違和感に気が付いた。持影を扱うことができるものならすぐにきがつくことが出来るだろう。
「バカな......そんなこと、いや、あり得るのか?」
「やはり、気づかれましたか。さすが指近衛は違う」
バードンはさらに笑みを深くした。クククと笑いをこらえている。この男の思った通りに驚いてしまっていることに少しの屈辱を感じたが、そんなことはこの事実の目の前では取るに足らないことだった。地味ではあるが、無視してはいけない現実。
「この棒──」
「えぇ。その棒、持影が残ってるんですよ。恐ろしいことですが」
持影の持続時間について
持影は通常、物に宿り続けることはない。強い持影であるほど持続することは難しく、温度の高いお湯が常温に近づくのは速く、ぬるま湯は長い時間をかけて常温に戻るように、高い持影係数の持影はその高さを保つのが難しい。例外として石神、母なる大地、鬼殺しの沼、唯一王の宝物庫の宝具が挙げられる。
著:リブリース=ウルライト『持影大全』より