15話 不安
ソレイユはダクの寝顔にそろそろと触れる。無機物のような冷たさと生き物特有の暖かさが交わったようななんともいえない生ぬるさが指に伝わってくる。
「まるで死んでるみたい」
ぴくりとも動かないダクを見て小声でぼそりと呟いた。初めて会った時よりも伸びた黒い前髪を指先で丁寧に耳にかける。
「眠れないのか?」
「わ! お、起きてたんですか!?」
先ほどまで寝ていたドレイクが話しかける。ドレイクは自分の体に目をやった。左腕で右腕が着いていたはずの場所を触る。痛みと右腕を失ったショックに目を伏せる。
「宝具はどうなった?」
「......持ってこれませんでした。宝物庫を壊すための爆弾を塔にしかけたので」
「そうか......」
ドレイクはダクと周りの仲間をちらりと見る。傷ついた仲間が疲れ切って眠っている姿はドレイクには痛々しく見えた。
「当初の目的は達成できず、唯一王の兄はいつ起きるか分からない。俺は腕を失った。失った物は腕だけじゃない。また資金集めもしなければならない」
ドレイクは事実を告げた。その事実を告げる言葉の裏には、はたしてこの作戦に意味があったのか、という問いが隠されているような気がした。ソレイユはその事実に語られていない事実を上乗せする。
「宝物庫から宝具を取ってくることよりも、唯一王の心を揺さぶることができたことの方が重要なんじゃないですか? ダク様が直接唯一王と話せただけでも今回の作戦は成功だったと思います」
「唯一王の心が揺らいだかどうかは分からないぞ」
ドレイクがちらりとソレイユを見る。試すような視線。ソレイユは隣で眠る少年を見て、死んだような少年をどこまで信じられるかを自分に問いかける。その言葉の答えは宵橋教会を抜けた時から決まっていた。もっと言えば、初めて会った時に自分が出来なかった目の前の人間を助けるという行動を何も考えずに実行した時から決まっていたのかもしれない。
「ダク様なら動かせたと思います。あの唯一王の心だって」
「そうか」
ソレイユの楽観的とも言える答えにドレイクはフッと笑った。ダクがまともに王と話せたのかも分からないのに寝ているダクから話を聞いたように物を言う少女にドレイクは自分の不安が杞憂だというふうに言われた気がした。安心してまた眠りにつく。
ソレイユはしばらくドレイクの寝姿を見つめて、寝たことを確認する。そして動かない少年の肩に自分の頭を預ける。冷たい肌の温度が黄金色の髪越しに伝わってくる。ほの暗い朝方、一日で最も音のない時間の中でただ動き続ける馬車の音に、楽観的な理屈を押しのけて漠然とした不安が押し寄せる。
「これからどうなるんだろう」
ソレイユはチラリと外を見た。周りの景色も田畑が目立つようになり、王都とは一変した景色となった。あれからどれぐらい走ったか分からない。もう夜明けが近づいているところを見ると馬車に乗ってからおそらく5時間はたったのだろう。拠点まで馬で走ったことも考えるとおそらく50kmは移動しているのではないだろうか。そんなことをソレイユはとりとめもなく考えていた。
ソレイユは新たな日々の訪れを感じていた。いつもなら今頃、宵橋教会に駆けこんできたルーザーに与えるための朝食を作り始めている頃だろう。でもこれからはそうではない。その事実がソレイユに与えるのは希望だけではなかった。
「あなたが目覚めなかったら私は一体......」
ダクに魅せられてここまで来たが、もしもこれでダクが目覚めなければ自分は一体これからどうしていけばいいのか。勢いでここまで来てしまったのでそんなことを考えていなかった。果たしてダクが居なくなったこの場所でやりたいことの出来る人間になれるのだろうか。そんな自分が想像できない。
団長を助けようと言ったあの時の自分は確かに自分のやりたいことが出来ていた。しかしそれはダクの背中がそうさせてくれたのであって自分がそうしたわけではない。今になってそう思えてきた。
「早く起きて――」
ソレイユはダクの腕を見つめる。いつの間にか黒い変色が消えていた。肌にそっと触れて指を這わせる。きちんと柔らかく温かい。好奇心に突き動かされて脇腹をつんつんとつつくとダクの体がびくっと動いた。ソレイユは驚いて肩に乗せていた頭を起き上がらせる。
ダクがちらりと片目を開けた。
「すまない......起きてた」
ソレイユの顔がかぁっと赤くなる。目を見開いて驚きと嬉しさとほんの少しの怒りが交じり合って口をパクパクさせている。
「起きるタイミングを逃した......」
「いやー、僕はもうちょっと見ていたかったんだけど、何でそこで起きちゃうかなぁ」
「......早く寝ろ」
ナキとハタヤが反応する。ソレイユは二人を交互に見る。
「みんな起きてるじゃないですか!! なんで起きてるなら起きてるって言ってくれないんですか!!」
「いや~、ねぇ?」
「うん......」
「もう! 怒りますよ!」
ソレイユがぷんすかと腹を立てているのを見ながらハタヤはクスクスと笑う。ナキは目を逸らしながらも肩を震わせて笑いをこらえているようだった。そんな中、ダクは肩を落としていた。
「ひどく心配をかけたみたいで本当に申し訳ない。どうも呪いのコントロールが難しくて......今回は岩がこれまでよりも大きかったんだ。それに俺にもっと力があればもっと被害を抑えることも出来たかもしれない」
目を伏せたまま拳を握ったり開いたりしているダクを見て、ソレイユの中にあった怒りはすぐにどこかに行ってしまった。
「いえ、目覚めてくれて本当によかったです。ダク様は十分頑張っていました」
ソレイユがにっこりと笑うとその眩しさについダクも顔がほころぶ。
きらりと朝日が馬車に差し込んだ。
そしてはるか先に紫色の何かが見えた。
「見えてきたね。あれが次の目的地、『鬼殺しの沼』だ」
その不穏なネーミングとは裏腹にソレイユの心はドキドキとしていた。新たなる生活が始まる。そして今日は昨日よりももっと良くなる。そんな気がしていた。
創世記 序章 二
鋼の一族は完璧であった。あらゆることに関して完全無欠であり死ぬこともなかった。岩は自分の体の不自由を嘆いていた。動くことも出来ずただ風化していく体を憂うことしかできなかった。霧はただ漂うのみでそこに意志も命も存在しなかった。
大地経典より