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107話 対峙

 鬼殺しの沼が近づいてきて、ソレイユがしかめっ面をしていることに気が付いた。 


「どうかしたのか?」


「いや、臭いにおいがしないなと思って」


「確かに......言われてみればそんな気もする。よく気が付いたな」


「ダク様がルーザーだから気が付かないだけなんじゃないですか? まぁ、よく気が付くとは言われてましたけど......」


 ソレイユが自分の頬を指でぷにぷにいじりながら考えているのを横目に見ながら、俺は別のことを考えていた。

 鼻が曲がるほど臭かったあの沼が今は臭いすらしなくなっているなんて──

 一体何があったんだ?


 そうこうしているうちにオルファネージが見えてきた。

 オルファネージを見て、一行はそろって息を吞む。

 ひと月ほど前に建てられた新オルファネージは見るも無残な姿になっており、窓ガラスは割れ、外壁にはヒビが入っていた。

 そして鬼殺しの沼は乾燥してカピカピに干からびていた。


「一体、何がどうなって......」


 近づくにつれ、外に人影が居ることに気が付いた。

 三......四人? その影がだんだんくっきりと見えてくる。

 そして俺はいつの間にか牙に手を添えていた。


 そこには沼ノ守、指近衛が二人、そしてセイが居た。

 ついにこの時がしてしまった。

 震える唇を噛んで、すぅっと息を吸った。


「セイ!!!!」


 叫ぶ。

 祝福の胞子が荒々しく揺れた。


―――――――――――――――――――――――――――――――


 唯一王はふわりと感じたその気配に、何やら強烈な忌避感を覚えた。

 まさか、彼が来てしまったのではないか、と。

 時が経つにつれ、その予感は確信に変わる。


 呪いの臭いがはっきりとわかるほどに強まり、ハートとキッドもその気配に気が付く。

 ハートは唯一王に尋ねる。


「敵、ですか?」


 どう、答えよう。

 どう答えれば良い。


 自分の中の唯一王は、「敵ではない。敵とする理由が無い。話を聞き、自分の方に向かってくる理由を聞くべきだ」と言っている。

 でも、自分の中の僕は......


「セイ!!!!」


 びりりと空気が震える。

 縮まる距離が決断を急かす。

 ハートが言いにくそうに口を開いた。


「御館様、恐れながら申し上げます。あれはこの国の反乱分子、加えて強大な力を持とうとしている者たちでございます。唯一王としてそれを見過ごされるのはどうかと思います」


 唯一王はそれを聞き、自分に問う。

 自分の中の唯一王がかろうじてこくりと頷いた。


「あれは敵だ」


「承知いたしました」


 ハートが剣を抜く。


―――――――――――――――――――――――――――――


 黄金色が煌めいた。

 閃光がまばゆく散って、馬車の前に躍り出る。


「我が名はハート! 唯一王の(めい)を受け、この場にて貴様らを斬る者である! 反論があるならその馬車を止め、その場に降りよ! 馬車を進ませ続けるのであれば直ちに斬る!」


 御者が涙目でこちらを見る。


 ここで止まるべきだろうか。

 遥か彼方にいる、セイを見た。彼は微動だにしていない。

 本当に俺たちを心の底から排除したいのであれば、セイは自ら出向いてくるはずである。

 セイは迷っている。

 たどり着きさえすれば、話はしてくれるに違いない。

 だがこの状況では......

 

 迷う俺を見てニックが悪態をついた。


「要は降りれば的が止まって斬りやすい。止まらへんかったら話し合う必要が無く楽って話やろが。選択肢なんてあらへんやろが、バカが!」


 御者はどうにでもなれという風に馬にムチを振るう。

 アリーシャは血を馬の体に塗った。


「その選択、潔し! 胸が躍る!!」


 その刀身はおよそ人の半身にも及ぶ刃渡りで、人が抱えるにはあまりに大きく、それゆえに構えた姿は女の身にはあまりに不釣り合いだった。

 しかし、それゆえに常軌を逸した構えは鮮烈で、刀のまばゆい光とともに脳裏に焼き付く。

 そして使い手は目を爛々とさせた。

 刀身はぱちぱちと火の粉を発す。

 燃え盛るように煌めき、空間を捻じ曲げる。


「行くぞ! 『発影・火──」


「させるか!!」


 ハートの口上を遮って叫ぶ。振り下ろされるより数瞬速い。

 俺は馬車の荷台に触れ、車輪を通じて呪いを通す。

 地面がどくんと脈動して、ハートの足場をかき乱す。


「くっ!」


 ハートがよろけた! 今ならいける!

 馬車はよろけた体を躱す。


 躍るような鼓動が聞こえた。


「『発影──」


 ハートは地面に足を食い込ませたまま、胞子を身にまとう。

 笑っていた。


「伏せろ!」


「『火愚槌(カグツチ)』!!!」


 頭上が炎に裂かれる。幌馬車の屋根が飛ぶ。

 皆の状態を確認、幸い全員伏せている。

 しかし切り口は燃え、今にも馬車を焼き尽くさんとしている。


「まだ走れそうか──」


 御者の方を見ると、伏せた御者の頭越しに馬の姿が見えた。

 首から上のない馬の姿が。

 慣性に任せて動いていた四本の足が、膝から崩れ落ちる。

 迷っている暇はない!


「降りるぞ!!!」


 掛け声とともに馬車を飛び降りる。馬車を挟んで真横に大剣の女。

 降りてきたソレイユを後ろに立たせる。


「塔の上ぶりだな。お兄さん」


「あんたにお兄さんと呼ばれる筋合いはないんだがね」


「ふふ。軽口をたたく余裕があるとは......いざ尋常に、勝負!」


 両手で剣を構える。

 堂々として綺麗な構えだ。

 真正面から殺してやるという強い意志を感じる。


 俺は牙を握りしめ、腰を落として鋭く構える。

 そして両手を短剣に触れて仰々しく地面に突き立てる。


 呪いが地面をほとばしる。

 相手がにやりと笑う。

 両者同時に、すぅっと息を吸った。


「『発──」


「今だ!!」


 ハートの後ろに足音を立てず忍び寄っていた一人の影。

 ラスコが足の健を裂く。


「うぉあっ!?」


 ソレイユが同時に俺を担いでセイの元へ走り始めた。

 追いかけようと立ち上がろうとするが、治らない傷に体をよろけさせてへたり込む。


「卑怯だぞ!!!」


「勝ち目の無い戦いはしない!!! これが俺たちの戦い方だ!!!」


 ハートはぐぬぬと歯ぎしりをする。その姿は徐々に遠ざかり、代わりに近づいてくる影があった。

 その影は未だ微動だにせず、こちらを見つめていた。


 そしてソレイユは俺の体を下した。


「とうとうこの時が来てしまったのですね」


「セイ......」


 二人が対峙する。

 唯一王


 この国において500年もの間、君臨し続けた王。彼はいつも正しいがゆえに正しくない道は選ばず、選択肢のない一本道を選び続けた。民はその道を着いて歩くがその道は決して良いものではなかった。全て悪い道でもその中からマシな道を選ばなければならなかったからである。彼は民から後ろ指をさされるも、それが全て自分の責任であることを知っていた。


 ある男の手記より

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