105話 がんばれ
あの歓迎会の日の翌日。俺は金帝が雇っていた傭兵の人たちや、解放された子供たちを集めた。つまりはこれから何もすることが無い人たちだ。彼らが集まった時のなんとも言えないどんよりとした空気が、彼らの未来が決して明るいものではないことを物語る。
重く暗い空気の中、箱で作った即席の壇が一つ。リブリースは小さな体を器用に使い、よいしょと壇の上に登る。傭兵たちの怪訝そうな視線が少女に集まる。
これから彼女が行うこと。それが彼女にしてもらいたかったことだ。俺はそのために彼女をここに呼んだ。
彼女はすぅっと息を吸った。
「おはよう諸君。私の名前はリブリース=ウルライト。この世界で一番の研究者だ。私は君たちの──この国の問題を解決するためにここにやってきた」
周囲がざわつく。リブリース=ウルライトなんて聞いたことがない。あんな小さい女の子が研究者?女の子が何か言ってる。
ざわ、ざわ、ひしめきあう声。
パン
と、リブリースの拍手が鳴り響く。
「この国が抱えている目下の課題は食糧問題だ。金帝が死んだことによりこの国の食糧問題が浮き彫りになった。私たちはそれを解決しなければならない」
どうやって。なんで俺らが。あんな女の子に従えと。早く食料を出せ。貴族どもが上から目線で。どうしようもないだろう。
またざわざわ声が聞こえる。
リブリースは気にすることなく話し続ける。
「私たちはこれから、自分たちの食べるものを自分たちで作っていかなければならない。祝福に頼らずにな。私は君たちに私の研究成果の一つである農業を教える。これを計画的に行うことが出来れば、三か月後にはこれまで通りか、もしくはそれ以上の食糧を生み出すことが出来るだろう」
三か月後???
一瞬、場が静まり返り──
そして紛糾した。
「おい! 三か月後なんて待ってられないぞ!!」
「祝福が無いところで食いモンなんて作れるわけ無いやろが!!」
「無茶言うなや!!」
「聖女がおらへんのに生きられるわけないやろ!!」
正直、この反応は予想通りだった。
リブリースにはこの地の食糧問題を解決してもらうためにここに来た。実は聖女を助けたあの時からこうしようと考えていて、もっと言えばリブリース邸を訪れた時に、周辺で整備されている畑を見た時からこの方法で食糧問題を解決することが出来るのではないかと考えていたのである。
でもその設備を整えるためには膨大な人と決して短くはない時間が必要になる。それは農業のことを知らない一般人がちらりと情報の一端を聞くだけでも容易に想像がつくことだ。
だからこの反応は想定通りだった。
「はぁ」
リブリースがため息を吐く。
ぞっとするほど低い声で。
身が凍るような冷たい視線を相手に向けながら。
「君たちは、何から何まで他人任せだな」
びくっと、緊張が走った。
批判の声が上がるのは想定通りだった。
だから彼女を登壇させた。
彼女の人心掌握力、その絶大さを俺は身をもって知っている。
彼女ならこの場を仕切ることができる。
「君たちはこれまでに、自分の人生を自分の思い通りに出来ると思ったことがあるか?」
ぼそぼそと声が聞こえる。
反抗するほどの気力のない非難の声。
「君たちはなりたくて傭兵になったのか? 大半の者が違うだろう。君たちは流されて、それしかなるものが無くなってしまったから傭兵になったんだ。金帝に傭兵にさせられたと言い換えてもいい。なぜだか分かるか? 自分の人生を自分で支えて、自分の生きる道を自分で決めていこうという当事者意識が無かったからだ」
「お、俺は、こうするしかなかったんだ!! いくら頑張ってもこうなるしかなかったんだ!!」
「うるさい。言い訳をするな」
「なんだと!?」
リブリースは冷たく言い放つ。
「良いか? お前がまっとうに自分の力でこの現状を変えようとしているのであれば、この場所に来ていない。ここにきている時点でお前は、雇い主である金帝が死んだにもかかわらず、何をしようか決めあぐねていて、生き延びるための食糧が目の前で着々となくなっているのに、新しく何かを始めようとしない人間であるということが証明されているんだ。このままでは死ぬとおぼろげに知りながら何もしない。そんなやつが自分の人生に当事者意識があると思うか? あるわけないだろうが」
彼女の正論はいつだって正しく、それを直視することが辛いものにとってとげのように刺さり、そのとげには返しが付いていて、否定すればするほど傷口を傷つけ、簡単には抜けないようになっている。
リブリースはまぁ、と付け加えた。
「まぁ自分の人生を自分で変えようと思っている人間なんて一握りだ。そうでなければ、聖女という名の一人の女の子に頼りきった社会構造になるわけがない。この食糧問題は誰かの手によって起こされた人災のように見えるかもしれないが、実のところ、私たちが私たちの怠慢によって先延ばしにしてきた問題が露出しただけにすぎないのだ」
しん、と静まり返る。
誰も何も反論を言うことができない。
「安心しろ。今ならまだ間に合う。三か月分の食糧であれば私の私有地の分で何とか足りるだろう。私はこういうことが起こるかもしれないと思って備えていたからね」
ざわざわとどよめきだす。
だがこれまでのような批判の声は上がってこない。信じて良いのか、どうするべきか、周りに相談したいけれど出来ない。
そんな雰囲気だ。
そんな中である一人の傭兵が手を挙げた。
「一つ、答えてくれ」
「どうした?」
「あんたがここでやろうとしていることは良く分かった。でも俺にはそれがお前に成し遂げられるようには思えない。もしも生活に少しでも余裕ができたら、商人は好き放題するだろうし、俺たち傭兵だって何をするか分からない。あんたがしようとしているのはこの国全体の食糧問題の解決かもしれないが、俺たちにとって必要なのは俺たちの食糧だ。お前を襲った方が手っ取り早いかもしれない。これまではそんな俺たちをいい意味でも悪い意味でも抑えつけていた金帝が居た。でももう居ない。統治者の居ないここ場所でそんな大きなことが成し遂げられるとは思えないんだ」
「あぁ、それなら──」
リブリースが俺に目配せをした。
その問題はかねてより考えていた。金帝を殺した後、この土地をどうしていくかについてずっと考えていた。俺はその役目に適任な人物を知っている。
「ハタヤ。お前が統治者になれ」
「......はぁ!?!?!?!?!? ちょっとダク君!?!? 冗談だろ!?!? そんな話、俺一言も聞いてないよ!?!?」
「今言った」
「大体僕より適任が居るでしょ!! ダク君はやりたいことがあるからできないとしても......ほらニックとか......」
ハタヤが唇を噛みながら苦い顔をする。
「いや、お前が一番向いている」
「どうして──!?」
俺はハタヤの方を見つめて言った。
「俺が金帝にやられたとき、お前は俺をあの場所から連れだした。自分の身も顧みずこれから先の未来を変えられる方を取った。お前は窮地に陥った時、未来のことを考えて動ける人間だ。それに自分のことを参謀としても近衛としても中途半端な器用貧乏と思っているみたいだが、それは違う。お前は倫理的で正しい判断をするために、合理的で攻撃的な判断を選ばないだけだ。俺はこの領地を率いるならそういう考えができる人間の方がいいと思う」
「それは......」
「ほら早く行け」
ハタヤを登壇させる。
彼は戸惑った表情で傭兵たちを見た。
傭兵たちもまた戸惑っていた。彼らの視線がハタヤに突き刺さる。
彼は戸惑った表情の彼らを見て、ぐっと表情に力を入れた。
「私が金帝の跡を継ぐハタヤです! あの、不慣れなところもあると思いますが、どうかよろしくお願いします!!」
彼は頭を下げた。
それを見た民衆の表情は人それぞれだった。好感触ばかりではなかったが、思ったほど批判の声も上がらなかった。
ちらほらと拍手が上がった。商会の人間をサクラとして忍ばせておいたからだった。その拍手に呼応してやがて大半の人間が拍手をした。
彼はまだ領主の器ではないかもしれない。でもそこにいる民衆の戸惑った視線が彼に救いを求めるなら、彼は持てる全てを尽くして解決策を練ろうとするだろう。
ハタヤはもっと成長できる。立場が彼を成長させていくに違いない。俺はそう信じている。
「がんばれ」
俺はそう言ってここを去ることに決めた。
以前の金帝のおひざ元
金帝が現れるまで、金帝のおひざ元は活気にあふれた場所ではなかった。大きな動乱が起こることもなく、旧貴族が牙を食い止めるために小さな都市を形成するのみだった。
ある男の手記より




