【ノクターンと学校の怪談】
「俺は、【高木優弥 Takagi Yuuya】“ゆーや”でいいわよん♪」
「俺は、翔平!よろしくね!」
「なんか翔平って…豆柴みたいで可愛いわねん♡」
「ハハハ…よく言われるよ。」
「つぶらなレンズで“くぅ~ん”って鳴き声が聞こえてくるようだワンッ♡」
―この子、大丈夫かしらん?―
少し長めの茶髪に、カチューシャで前髪を上げた色素の薄い、後ろの席の悪そうなヤツは大体フレンドリー優弥が、なんだろうな?初対面からなんだかずっとナメたおネエ口調なんだよな。まぁ色んなヤツがいるわけだし、悪気のなさそうな笑顔が、男の俺でも嫌な感じはしないから、女子にモテそうだな。直感で悪いヤツではなさそうだと思ったものの、表の道歩いてきた翔平は、ひとまず豆柴スマイルでかわした。
翔平は高校にあがる時、父【佐伯雅和 Saiki Masakazu】の仕事の都合でこの田舎町に引っ越して来た。
長らく単身赴任だった父親の仕事がまた転勤となり、
「わりと近いから。…お父さん、浮気できなくなっちゃって可哀相。」と冗談で泣くそぶりをして笑う母【朱美 Akemi】に、「人聞きの悪いことを言うもんじゃありませんよ。自分、不器用なんで。」キリッと言う父に、疑いの目が集中砲火のように浴びせられ、弟の【純平 Junpei】も中学校にあがるタイミングが重なったということもあり、「丁度良いでしょ」と仲良く家族4人で越してきた。とくに行きたい高校があるわけでもなかった翔平は、その地元の高校へと進学した。
のどかな田園風景広がる~…ほどの田舎ではなく、
「これ…またあのスーパーの肉?味がないんだよね。肉に味がないって逆にすごくない?」
「獣臭がするよりマシでしょ?しょーがないじゃない、家から1番近いスーパーなんだからぁ~!文句言うなら、お食べいただかなくて結構!」
「いやぁ~今日もアケミンの手料理はサイコーだな!翔平、純平!」
食卓の会話を彩るほどでもないが、買い物がすごく大変とかでもない。
「お父さんは?」
「パチンコ。」
「翔平は?」
「カラオケ。」
庶民の大きな憩いの娯楽が、それなりにあるという“そこそこ便利”さもある。
「急に出てこいとか言われても無理だから!」
「え?なんで?車で15分の隣町じゃん!?」
「電車が30分に1本なのよ…。おまけに、うちから駅まで徒歩りで20分かかるし。」
「うちんとこは、5分に1本電車来るよ…?(どんだけ田舎だよ)」
一家に一台どころか、ひとり一台は車持ちくらいの“中途半端に不便”という“ほどよさ”がこの町にはあった。
佐伯一家の親戚や知り合いすらいない田舎町。
「とりあえず高校だけは行っとけ」と、とくに目指すものがない中学生は、この地元の高校に「なんとなくそんなもんか」と無為にあがってきた子供がほとんどだった。「そんなもん」と身を委ねるのが、人の良いところなのか悪いところなのかも不思議なところではあるけども。
ともあれ高校なのに転校生扱いの翔平だったが、持ち前の人懐っこい性格の良さと、柔らかい豆柴スマイルで、クラスメイトともすぐに打ち解けた。
翔平が通うその高校は、何人もの生徒を有名大学に輩出した!とかはなく、地域の名の市立普通高校・普通科。
「とくにやりたいこともない」「よくわかんないけど親に言われたから」という一般常識で入学してきた新入生たちは、1学年に8クラスあり、ビーエーケーエー校とまではいかないが、優秀な生徒がうちのクラスに何人も!いるはずもなく、スポーツに力を入れてる!なんてことも特にない。
特徴のない地元高校の歴史を感じさせる、古びた校舎がしみじみとした趣を感じさせる…ほどでもなかった。
なんだか、ずっと失礼よね。←あなたがね
そんな平々凡々普通の高校で、新入生たちも学校生活に慣れ始めた7月のある昼休み。
クラスメイトの優弥が、「期末テストで珍回答しやがって」の件で職員室に呼び出されたと、
「つきあってん?」
「なんで俺も!?ಠ_ಠ」
豆柴のリ―ドを強引に引っ張られ、なぜか知らんが翔平もつきあわされた。
「おまえねぇ…!」
世界史の担任の黒田先生が、黒マニョン人の末裔みたいなお顔で、呆れを通り越した低いダミ声を吐いて、
優弥の答案用紙を指で、ビシンバシンと強いタッチで奏でる。もちろん愛を持って【黒マニ】と裏で親しまれていることを先生も薄ら知っている。
「“歴史上の人物書け”って問題読んでるのかよぉ?答えは織田信長だろ?なんだよ、この:Aトノ …ってぇ。フィギュアスケートか。Qイスラム教の創始者:Aイス・ラムだっちゃ …ってぇ。ふざけすぎだろぉ~。」
「え!?違うの!?」
「はぁああ!?違くねぇし!みんな大好きに決まってんだろぉ!らむちゃ…」
「教科書読んで勉強しろよ。」
おもわず翔平は、黒田先生のうるせぇ話をそんなにソワソワしないでと遮って、優弥の脳ミソを疑った。
「おぉ、佐伯ぃ~。」
「え?あ、はい。」
「丁度良かった。コレ理科室に持ってといてくれなぁ~。」
「えっ!?(;・∀・)」
―なぜ俺が!?ಠ_ಠ―
抜け感満載の豆柴翔平が名前を呼ばれて振り向くと、使い込んだグレーのイスの背もたれに、ギィッと後ろを覗くように翔平を見る理科のガリレオじいちゃん先生が、次の授業で使う資料やらを運ぶように翔平に呼びかけた。
もちろん、ガリレオのように目立つデコッパチがまず目に飛び込むから【ガリレオ】と影で呼ばれていることを先生は子供の頃から知っている。
「おい、優弥ぁ~半分ずつ持っ…」
「僕は今、黒マニ先生と真面目なアニメ話をしとりますんで。」
「おま、今なんて言っ…」
「おーい、ふざけんなよぉ~…!」
ゆるゆるな話し方のじいちゃん先生に、なんだか断れずに“優弥のやつ急にかしこまりやがって裏切り者。なんつぅお優しいご友人をお持ちなのかね、豆柴様は”と、“たまたまガリレオの近くにいてしまった俺の引きの良さ…”を重たい資料に乗せて、しぶしぶ理科室へと向かった。
―地球は青いっすねぇ~ガガーさん。―
穏やかに晴れ渡る青空が、校舎の窓ミドリの上吸い込まれる向こうにリンリン広がり眠気を誘う昼休み。
―笑い声とバカ笑いの飽和した昼で。―
生徒たちがピンボールのようにガヤガヤとハシャぐ声が遠くへ離れていくのを聞きながら。
―歴史は勝者によって塗り替えられてきた。―
数多のパイセンたちが、退屈な心を刺激求めて大げさに築き上げてきた…というほどでもない廊下や壁にボロsa…趣が覗く校内を孤独レンズに浮かべ、寂しく大あくびこきながらヒタヒタと歩いていた。
おざき。←Congratulations
翔平くんの脳ミソも心配だわ。←あなたもです
理科室に近づくに連れ、ん?何やらピアノの音がうっすら聴こえてきた。
それは、昼休み時間に誰もいないはずの、突き当りの音楽室から聴こえている。
―げっ。学校の怪談かよ…?―
どうする?俺、七不思議体験しちゃった的な…?怖いけど興味。
翔平は、抱えた資料を理科室に入ってすぐの、大きな机の上にドサッと置くと、プリントの重みで少し赤くなった両手を、太ももの地味な制服のズボンでパパッと払った。そして、ササッと理科室の扉を静かに閉める。
理科室から2つ挟んだその音楽室。扉を閉めた右手を残しつつ、音楽室にレンズのピントをあわせると、上履きの足音をたてないように、慎重に大股でゆっくりと近づいた。
誰だろ?何してんだろ?音楽室の古びた木の扉の薄汚れた小窓から、恐る恐る中を覗きこむ。
―しかし汚ねぇ窓!―
顔が一歩のけぞる。クリアに見えない四角いガラスを、思わず擦って拭きたくなる衝動を抑えながら、
扉の向こう側に目を凝らす。そこで1人の生徒がピアノを前に座っているのが目に入った。
―女の子だ。なんでピアノ弾いてるんだろ?―
音楽室に入ってすぐのところにある、学校創設以来受け継がれてきた黒いグランドピアノは、右側に教室の扉、左側に生徒たちの木の机と椅子、大きな窓の方に向けて置かれていた。
ピアノの黒い長椅子に、浅く座る制服の女の子の姿を、翔平は隠れるように目を見開いて、少しだけ顔を覗かせる。
―なんで俺、隠れんの。これじゃ覗きやん。―
「キャー!やっぱりTaiちゃんは見事な滑りっぷりねぇ~!惚れ惚れしちゃう♡」
翔平の母・朱美がフィギュアスケート好きで、テレビで一緒に観ていたのを、ふと思い出した。
「なぁ~にが“Taiちゃん惚れ惚れしちゃうぅ”だよぉ。ババアが虜にされちゃってぇ。」
「なんだと、じじい?もういっぺん言ってみな?」
「まぁまぁまぁまぁ。俺はやっぱりSaoちゃんだなぁ~。滑らかな滑りでさぁ~。やっぱ大スターだよね。」
「あら、翔平はSaoちゃん推しだったのね。確かにSaoちゃんの『ノクターン』うっとりしちゃうわよねぇ~。」
「Saoちゃんの『ノクターン』?」
「そんなことも知らずに観てたの?演技の前にタイトルが出るでしょ?見てないの?」
「見てなかった。エセだし。」
「まぁ、お母さんもエセだけど。」
「お父さんもエセだけどさぁ、やっぱKimiちゃんだなぁ。あの勝ち気な女王様に…ムフ。たまらんよなぁ。」
「それはエセじゃなくて、エロ。引くわ。」
「親子で仲良くハモるな。」
―他人には聞かせられないバカぽい会話だな。―
お恥ずかしい家族の団らんだわ。それにしても、扉がなんとなくバリケードのような気がしちゃうのはなんでだ。
ドア越しに伝ってくるその曲が『ショパンの曲』であることをうろっと覚えていた。美しい旋律『ノクターン2番』だ。
合唱コンクールとかの練習か?クラシックなどとは縁のない翔平にとって、音楽の授業や学校行事以外で、ピアノを弾いている誰かの姿をまじまじと見るのは初めてだった。
なんか、霞んだ窓越しに見る音楽室の雰囲気が随分違って見える。オーラといえば簡単なのか、“音楽室でピアノを弾く少女”という感じでは到底なく、フェルメールの絵画はどうやったら光って見えるんかね?不思議だわぁ~と、魔術のように静かな輝きを放っているかのようだった。
―なんだ、この感覚!!―
耳元で囁くような、ほんわかする日向ぼっこのような陽だまり?それとも全然違うような。
あぁ…ヤバイ。なんだか強張った筋肉がほぐされていくようだ。おぉ…どうしよ。心までほぐされていくぅ~。
「自然体でいていいんだよ」と言われているような、なんという脱力感。頭をそっと撫でられているかのような感触さえある。ドアがなくて直に聴いていたら漏らしてしまっていたかもしれない。
あぁ…なんだ、このまま夢の中へ落ちてゆきたい…。と、同時に暖かいのに冷たい、寒いのに暖かい。相反する無機質な感情がコロコロと心を右往左往する忙しい感情に、寂しい?怖い?魔術?なんなんだよ?少し複雑な感情が入り交じる悲喜交交をなんと表せるか翔平にはわからなかった。
“包まれているようで、吸いつくされそう”という矛盾した感触。目の前で奏でられるその光景に、翔平は全身に鳥肌がたつほどの衝撃的な安堵と敗北感を感じていた。
心が震えるほど美しくて、意識が飛び、泣いて昇天してしまいそう。
催眠術?睡眠薬?なんとも表現できない“ふわぁ~”と力の抜ける感覚は、砂浜にスローモーションでゆっったりと寝そべり、大の字になって満点の星空から浴びせられる流星群を眺めるような開放感。それなのに貧血でグランとめまいのするような感じにも似ている。血が足りないような。
それはクラシックがわからなくても、近寄れないくらいの気迫のようでもあった。
俺『猫ふんじゃった』みたいなガチャガチャしたのしかまともに聴いたことないのかもな。力の入らないフワフワした弾き方や、間違えて「あっ。あれっ。」ぎこちなく止まってしまったり。そんな“おままごと”みたいな乏しい音しか知らなくて、翔平は思わず釘付けになっていた。
―なんだかわからんが、全然違う。―
すましたマネキンのように整った顔立ち、前髪を左から右に流した黒髪ロングのストレートヘアの彼女は、
こんなにも安らげる音色を全身に感じ、コクリ…コクリ…と気持ち良く船をこぎたくなる名曲の中の名曲を、
大きくも小さくもないアーモンド型の二重で、25度上の虚空を見つめ奏でている。とても冷えた無表情で、上履きがペダルを踏んでいる。
白くて綺麗な顔。綺麗な髪。…なのに、なんだろ?なんか寂しそう。真顔だからかな…?
冷えた無表情は、どこか悲しげな幸の薄い印象を与える。
半袖のYシャツから伸びる、華奢な指から弾かれるメロディは、優しいのに怖いと感じるほどの強さが秘められているようにすら響く。
だけど、なぜだかわからん、“寂しそうなのに笑って見える”矛盾した神々しい光景に、みるみる引き込まれていく。
まるで熱がないのにうなされるような火照てり。生まれてはじめて味わう摩訶不思議な現象に翔平は戸惑う。
見れば見るほど、彼女の無表情はまるで氷の彫刻のようで、
色素…?温度…体温…?ぬくもり…?あのほっぺに触ったらひんやり冷たそうだな。
“人の手で触れたら溶けてしまう粉の雪”のようで、夏なのに背中に冷気があたっている気がした。
それは、儚い。←チョイチョイ出てこないで
途中、視線に気づいたのか彼女は手を止め右を向き、2人の視線は薄汚れたガラス越しにバチッと合った。
1分もない間に全身に鳥肌を立てて凝視していた翔平は、ただ彼女を見つめたまま、忠犬・豆柴銅像のように、長四角のガラスの中に、顔だけ覗かせ硬まってしまっていた。
その翔平とは対照的に、彼女は冷えた無表情ひとつ変えずに、視線をピアノに戻すと素早くピアノのフタを閉じ、床に置かれた自分のスクールバッグを拾い上げ、さっさと立ち去ろうとしていた。
ハッとした翔平は、教室の扉をガラッとスライドさせて開けると、
「弾けるのスゴイね!」
嬉しそうに、しっぽフリフリ懐いたワンちゃんのような表情で話しかけた。
―やべぇ、今のバカっぽい。―
緊張の糸が溶けたように、いきなり馴れ馴れしかったかな?チョット気まずいか。なんて思う翔平に彼女は目線を合わせることもなく、冷えた無表情のまま翔平の右横を通り過ぎた。
推定155cm。自分の母親とおよそおなじくらいの身長差を測る。
小さな花びらが平行を描く、どちらかといえば乾いた唇はピクリとも動かない。
え、なんで?無視?もしもーし?…え?俺電波悪い?
豆柴様のおかけになった生徒番号は現在電波の届かな…
「生演奏で初めて聴いた!『ノクターン』?」
去りゆく彼女の背中に、また懐っこい明るい豆柴スマイルで、少し大きめの声をにこやかにかけたが、彼女は振り返らずに行ってしまった。
―やっぱり幽霊だったりして。―
怪談話がよく似合う、夏休みがもうすぐそこまで見えてきた高校1年生、背筋がひんやりとする、色んな意味で衝撃の出会いとなった。
酷暑の候、ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。