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 最初の事件が起こったとき真っ先に容疑者として挙がったのは被害者の妻である小林香帆。

 彼女の身体には何年もの間DVを受けていたであろう痕があったため、それから逃れるために夫を殺したという見立てが有力だった。

 しかし夫が死んだというのにどこか虚ろげな彼女に対して医師は『一種の洗脳状態にあった』との判断を下した。長年のDVによりとてもではないが逆らえる状況ではなかったと。

 今回の事件は防衛本能から起こる反射的な殺人ではない。背中、首をそれぞれ一突きずつ。急所を的確に狙った、明確な殺意を持って行われた犯行だ。それを可能にするほど洗脳を解く何かが近頃の小林香帆の身辺からは見付からず、洗脳は夫の死によって解けたと考えるしかなかった。

 同僚達はそれでもまだ小林香帆を疑っていたが私は容疑者は他にいると見て被害者と小林香帆共通の知り合いを当たることにした。小林香帆を助けるために殺人を犯した可能性を考えたためだった。

 共通の知り合いは意外と少なく、最近も会っている人物という条件をつけると三人しかいなかった。

 まず話を聞いたのは篠原という男だった。小心者なのか後ろめたいことがあるのか、警察という単語を出すとあからさまに狼狽えた。

「被害者を殺す動機を持った人物に心当たりはありますか?」

「……えっと……その、香帆先輩……小林先輩の奥さんは……」

「……それは彼女がDVを受けていたから?」

「DVっ!? いえっ、それは知らないっす……! 本当に……!」

「では、何故彼女がやったと?」

「あ……、えっと、なんとなく……です」

 何かを隠していることは分かったが追及しても無駄だろうと話を変えた。

 次に会ったのは天野という男。篠原と比べなくとも堂々としていて、それでいて朗らかな雰囲気のある人物だった。

 篠原の時と同じ質問をすると天野は数秒後に口を開いた。

「職場で嫌われてるとは本人から聞いてました。それが殺すほどのものなのかは分からないですけど……」

 殺されたのは就業時間内。社員は全員間違いなく職場にいたと証言があり、当日休みだった社員もアリバイが取れた。それを教えることはできないが。

「他に心当たりは?」

「……奥さんの香帆さんはアリバイがあるんですか?」

「何故奥さんだと?」

「いえ、特に理由は……」

 また『なんとなく』か。被害者と交流があったのだ。DVのことを知っているが刑事わたしの前だから知らないふりをしているだけか?

 三人目の宮長とのやり取りも殆ど同じものだった。ただ一つ違ったのは、

「奥さんの他に思い当たる人物は?」

 という問いに対して新たな人物を挙げたことだった。

「中村和人のことは何か調べたりしてるんですか?」

「なかむらかずとさん?」

「高校の頃、小林先輩とかと一緒に遊んでた奴です。途中から殆ど遊ばなくなったけど……」

「最近小林さんと会った人にその中村さんの名前はありませんでしたが、何故彼がやったかもしれないと?」

「あ、いや、それは……」

 なんとなく、か。溜め息を吐きたくなる気持ちを抑えて中村和人の連絡先を聞いたが、返ってきた答えは『自分は知らない。多分天野なら知ってる』だった。

 宮長への聞き込みが終わると日はすっかり暮れていた。

 今から天野に連絡をしたところで中村に会えるのは早くても明日になるだろう。

 そう考えて帰宅した翌日の早朝、天野は死体となって発見された。

 小林香帆には自宅前で刑事が張り込みをしていたため完全なアリバイがある。

 天野が殺される前に一緒に酒を飲んでいた人物は中村和人。

 重要参考人として取調室へ連れて来られても不安な表情、仕草一つ見せない、心が見えない男だった。

 こいつだ、と刑事の勘が告げていた。

「中村さん。あなたは天野さんとどんなことを話しましたか?」

「普段通り職場の話とか、天野の家族の話とか……でも今はやっぱり小林さんの殺人事件の話が主でしたね」

「どんな内容ですか? 詳しく教えてください」

「強盗でもないならやっぱり恨みなのか、とか、小林先輩なら不思議でもないけど、とか話してました」

「具体的に怪しい人なんかは?」

「いえ。そもそも僕は最近の先輩の周りのことなんか全然知りませんし、天野も無闇に人を疑うような奴じゃありませんでしたから」

「……天野さんとは小学校からの付き合いで、今でも月に何度か飲みに行かれるほどの仲だったとか」

「はい」

「失礼を承知で言いますが、その割には……こう、少し落ち着きすぎていらっしゃいますように見えますが……」

「……死ぬかも、とは言ってたんです。正確には『次は俺が狙われるかもしれない。それは仕方ない。でも俺にも家族がいるし死ぬわけにはいかない』です」

「よく覚えていらっしゃいますね」

 メモをしながら言うと中村は影のある笑みを見せた。

「そりゃ覚えてますよ。酔っていたとはいえ幼馴染みが真剣な顔で急にこんなこと言い出したら」

「その、狙われるかもしれない理由については?」

「聞きませんでした。自分から言わないなら聞いても言わないだろうと」

「そうですか……。ちなみに中村さん、今回の事件……ここだけの話、私達警察は連続殺人として追ってるのですが、犯人に心当たりは?」

「ありません。さっきも言ったでしょう。ずっと会ってないんです。小林さんの周囲のことは全然分からない」

「……飯田香帆さんとはお知り合いですよね?」

 あえて旧姓で言った甲斐があったろうか。

 ピクリ、と。

 真顔も笑顔も、どんな顔も嘘臭かった男の表情から一瞬だけ本質が漏れたように思えた。

「懐かしい名前ですね。今は小林香帆さんですよね」

 嘘の笑顔を張り付けて彼は言う。

「やっぱり飯田先輩が疑われてるんですか? あの人は違うと思いますよ。僕の知ってる限りだと引くほど小林さんに従順でしたし、天野に関しては殺す理由がそもそもない」

 急によく喋る。そして結婚してることを知っているにもかかわらず『飯田先輩』という呼び方。

 こいつは殺す。小林香帆を守るために。

「中村さんは香帆さんが旦那さんからDVを受けていたことはご存知ですか?」

 知らない、という嘘を見抜くつもりの問いだった。

 だが彼の見開かれた瞳から感じられたのは本当の驚愕、そして後から沸き上がる怒り。

「……初耳です」

「天野さんからも聞かなかった」

「天野は知っていたんですか?」

「流石に私には話してくれませんでしたが、おそらく知っていただろうと考えています」

 だから殺したんじゃないのか? だが彼の表情に嘘はない。先ほどまでの顔が、それこそ嘘のように驚き、怒っている。

 その事実を知らないのなら彼が小林と天野を殺す動機はない。

 ……宮長だ。中村の名前を出した彼なら、私の知らない動機を知っている可能性が高い。

 その日の晩に昨日と同じ店で宮長と会った。昨日の無愛想な様子とは打って変わってまるで篠原のように落ち着きがなくなっていた。

 証言通り中村が容疑者として上がっていること、だが動機が分からないことを説明したのち、

「何かまだ話してないことがあるのなら教えていただけませんか」

 と言うと、宮長は一分近く口をもごもご動かしてからようやく喋り始めた。

 高校生の時、中村以外のメンバーで深夜に遊んでいた際に起こったことを。

「完全に同意の上だったんですけど、あれから中村ちょっとおかしかったし、しばらくしたら殆ど来なくなったし、もしかしたら香帆先輩のことが好きで……」

「それにしたって今更だと思いますがね」

 宮長はビクリと身体を震わせた。

「正直それじゃあ殺人の動機にはなり得ませんよ。例えばーーそうですね。あなたが同意の上だと言った行為。その最初の一回だけは必ずしもそうとは言い切れない状況だった。そのことをどこかで彼が知ってあなた達に罰を与えようとしている。これならまだ有り得ます」

 宮長は小刻みに震えながら私の顔をじっと見た後、青白い顔で小さく頷いた。

「でも同意はあったんです。本当に」

「その状況を正直に中村さんに伝えて彼が納得するのならそうなのかもしれませんね」

 宮長の震えが大きくなる。そして懇願するように私を見た。

「これで中村を逮捕してくれるんですよね?」

「条件を一つ満たしたのは確かです」

 千円札を置いて席を立つ。ご協力ありがとうございした、とは口が裂けても言いたくはなかった。

 傘を持って店を出る寸前に宮長が不安を掻き消すためか大声でビールを注文しているのが聞こえた。

 その日、雨が本降りになったとされる深夜に宮長は殺害された。

 中村の自宅には刑事が張り込んでいた。

 出来すぎだろう。

 呆気なく中村を容疑者から外す上司や同僚を見ながらそう思った。




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