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 狭い休憩所では約五十人の人間がパイプ椅子に座って社食の弁当に箸を伸ばしていた。活気が感じられないのは暖房器具がストーブ一台しかないことによる寒さのためか、そんな中で冷たくなった弁当を食べているからか。まぁ両方か。

 右前端に置かれた三十二インチの古いテレビ。その中で芸人が連続殺人事件の犯人に対して怒りの言葉を飛ばしている。

「お前も大変だったな、こんな事件の犯人なんかに疑われて」

 どこか慰めを感じさせる明るい口調で言ったのは隣に座っている年上の同僚だった。

「犯人というか犯人兼被害者候補みたいな扱いでしたけどね」

「まぁ昔つるんでた奴等が次々と……だもんなぁ。しかも一人はお前と会った後にだろ?」

 同僚はこちらを箸で指す。ゆらゆら揺れる先端を眺めながら僕は半笑いで頷いた。

「そのせいで疑われたみたいですけど元々月に一度や二度は飲みに行く仲だったんですよ」

「まぁ酒飲んで弱ってるところを狙ったんだろうな。確か最初の事件も三つ目の事件もそうだったろ?」

「みたいですね」

 空になった弁当箱に蓋をしながら答える。

「とりあえずお前も気を付けろよ。身に覚えがなくても恨みなんかどこで買ってるか分かったもんじゃねぇからな。特にお前は今は独り暮らしだし……」

「実は当時の友達……後輩なんですけど、今夜会う約束をしてるんです。向こうは精神的に大分参ってるみたいで、しばらく僕の家に来たいって言うんでその相談のために」

「おぉ、そりゃいいな。……後輩って女か?」

「男ですよ」

 笑いながら答えると同僚は同じように笑った。

「なんだそうか。お前は若いんだからそろそろ次の相手探せよ。子供のこととか色々あるだろうけど」

「こんな状況じゃとても」

「それもそうだな。警察に言っとけよ。早く解決してくれないと婚活もできねぇって」

 もう一度笑い合ってから立ち上がり、空の弁当箱を前方のテーブルに置かれている番重の中に入れる。

 すぐ横のテレビからは怨恨を疑うコメンテーターの声が聞こえてきた。

『当然ですが殺人は肯定しません。でも被害者達は当時未成年にも関わらず深夜に駅前や公園に集まってたんでしょう? 何か恨みを買うようなことをしていたんじゃないですか?』

『いやいや、別に深夜に集まってるからって必ずしも悪いことしてるわけじゃないですよ。僕なんかもちょっと反抗期というか、家に居づらくて夜遅くまで友達と遊んだりもしてましたけどーーーー』

 深夜に集まっているからといって悪いことをしているとは限らない。

 それはそうだ。そもそも深夜に外出することが『悪いこと』に当たるかは別として。

 しかし確実に言えることは、夜という時間帯はその境目を曖昧にしてしまうということ。

 子供の時に家の窓から見ていた静かな夜など存在しないということ。

 僕がそれを知ったのは高校一年の頃だった。




 最初は僕と宮長の二人だけだった。きっかけはよく覚えていない。特に理由を気にすることもなかった。今にして思えば僕は反抗期を拗らせて、宮長は親の再婚でそれぞれ家に居たくなかっただけだったのかもしれない。

 そのうち人が増えた。

 僕の幼馴染みの天野、一つ歳下の篠原、二つ歳上の小林先輩とその彼女で一つ歳上の飯田先輩。

 この六人で毎日のように集まって話をしたりゲームをしたりして朝まで過ごした。




 駅前で僕を待っていた篠原は見るからに落ち着かない様子で煙草を吸っていた。助手席の窓を開けるとこちらに気付き、煙草を捨ててから小走りで駆け寄ってくる。

「っす。お久し振りです」

 頭をペコペコ下げながら助手席に乗り込む様子が昔と何一つ変わってなくて思わず笑った。

「中村先輩、余裕っすね。俺なんか小林先輩と天野先輩が殺されてから怖くてヤバいっすよ。しかも宮長先輩まで殺されるし……あ、俺実は小林先輩が殺されてその後に天野先輩が殺された時は香帆先輩がやったんじゃないかって思ってて……」

「その話は移動してからにしない? 適当に飲み屋でいいだろ?」

「あ、それなら俺の後輩が働いてるところあるんでそこにしませんか。後輩に頼めば駐車場に車置いといてもらえるし駅も近いんで」

 頷き、道案内を頼みながら発進する。篠原の指示通りに進みながらたまにバックミラーを見ると見知った顔が付いてきていた。

「そんなに怯えなくても平気だよ」

 相変わらず落ち着かない様子の篠原に声をかける。

「俺、刑事の一人に何故かまだ疑われててさ、今も尾行されてるから。護衛だと思えばこんなに安心なことはないだろ」

「マジっすか!?」

 予想通り後ろを見ようとした篠原の頭の動きを予め伸ばしていた左手で止める。

「見るなよ。バレたって気付いたら尾行止めちまうかもしれないから」

「あ、うっす。あーちょっと安心してきた」

 胸に手を当てる篠原を見てから前に向き直る。午後七時過ぎ。ところどころ混雑している大通りを避けて裏道を通りながら目的地へと向かった。





 そうなったのはいつからだったろう。

 いや、いつの間にかだった。少なくとも最初の場に僕はいなかった。あるいはいなかったからそうなったのかもしれない。

「宮長が強い酒持ってきて、それ飲んでたら酔っ払った先輩達がヤり始めて……、俺らは見て見ぬフリというか見てるだけだったんだけど、先輩が『お前らもヤっていいぞ』って言って、俺は最初断ったんだけど宮長とか篠原がヤってたからつい……」

 お前彼女いるだろ、という僕の言葉に対する天野の答えがそれだった。

 一度外れたタガは元には戻らない。

 その時から、酒が入っているか否かは関係なしに友人達は行為を始めるようになった。

 飯田先輩も嫌がっているようには見えなかった。

 当時はそう見えていた。

 今は、いくら考えても答えは出なかった。




「先輩、結婚して子供もいるんすよね? 今更ですけど今日大丈夫でしたか?」

 注文を終えると篠原が唐突にそう尋ねてきた。

「離婚したよ。一年くらい前かな。子供の親権は向こうだから身軽なもんだよ」

「あ、そうなんすか。ずっと付き合ってて結婚までいったのにそういうこともあるんすね……」

「あるんだよ。別れたいって言われた時は俺も驚いたけど」

『結婚しても、あの子が産まれてもあなたは何も変わらない』

 ちゃんと付き合うようになって十数年、それ以前も数えるなら二十年以上の付き合いだった妻が別れを切り出した時の表情、言葉を今でもふと思い出す時がある。

『昔はそんなあなたが好きだったけど今はもう受け入れられない』

 その時は理解できなかったけど時が経てば自分なりの答えは見つかるものだ。

 変わらない、と言われることは多かった。仕事を始めてから学生時代の知り合いに会うと必ず言われる言葉だった。それが外見のことなのか中身のことなのかは分からない。

 でもきっと僕は変わらなかったんじゃない。

 停まってしまったのだ。

 誰と何をしていても彼女のことを考えてしまうようになった時から。




 色んなタイミングが重なって飯田先輩と二人きりになることが数回あった。そういう時は決まって、並んで置かれている二人掛けのベンチにそれぞれ座った。

 元々小林先輩を挟まずに話をすることはあまりなく、僕も話上手ではないのでたまに会話をしては途切れて静寂になった。

「……彼女、大切なんだ」

 ある時飯田先輩がそう言った。

「ほら、中村君誘われても断るし、今みたいに二人になってもなにもしないから……」

「まぁ彼女は大切ですけど、それとこれとは関係ないような気が……」

「そっか。そうだよね」

 嫌なんですか、という問いが喉の真ん中くらいまで来ていた。

「彼女幼馴染みなんでしょ? 小学校から?」

 質問を飲み込んでから首を横に振る。

「幼稚園です」

「えぇ、すっご!」

 飯田先輩は驚いたように跳ね上げた足をパタパタと動かした。

「じゃあ十年も一緒にいるんだ。付き合い始めたのはいつからだったの? いつから好きだったの?」

「付き合い始めたのは中三の時です。いつから好きだったかは……分かりません。小学校低学年の頃には好き同士だってお互い思ってましたし、それを恥ずかしく……というか照れ臭く感じるようになるまでは交換日記とかやってましたよ」

「なにそれカワイー! 私交換日記ってやったことないなぁ。どんなこと書いてたの?」

「いや、本当に……。他愛もないことだったと思いますよ。内容は覚えてないですけど」

「まぁああいうのってーーメールとかもそうだけど、内容よりもそういうことをしてるってことが大切なんだよね」

「そういうもんですか?」

「だってそもそも好き同士じゃなきゃやらないことじゃん。好きって気持ちを交換したり送ったりして確認してるってことだよ。今はメールだよね? ちゃんと返信してる?」

「まぁ、そりゃあ……」

「へぇーへぇー」

 飯田先輩は興奮からか先程よりも早く足をパタパタと動かす。膝丈のスカートが大きくめくれて白い太股が見えた。

 照れ臭く笑うふりをして顔を逸らす。

 彼女のことは確かに好きだ。

 でも彼女と一緒にいても、キスをしても、セックスをしても。

 今ほど心臓が激しく脈打つことなどなかった。




 泥酔した篠原の右腕を肩に掛けて身体を支えながら駅を出る。

 午後十時前。無人駅には誰もおらず電車を降りたのも僕達だけ。見渡しても人影はなかった。

 高校時代のことをなんとなく思い出しながら右を見る。

 二つ並んだベンチ。屋根のある休憩スペース。

 篠原を支え直して前に向き直る。駅を出てT字路に突き当たった。左右を見るがやはり人影はない。

「篠原、どっち?」

「ひだりです」

「指してる方は右だけど」

「こっちです」

「右な」

 まだまだ分かれ道はある筈だが大丈夫だろうかと考えながら歩く。

 今度は交差点で止まった。信号は赤。向かいでは信号待ちをしてる小柄な人影があった。

「篠原、交差点」

「んー」

 身体を揺らすがなかなか目を覚まさない。信号が青になった。こちらへ歩き始めた人影を見てとりあえず僕も渡ってしまおうかと考えたとき、ようやく篠原が顔を上げてゆっくりと目を開いた。

「あれ」

 ちょうどすれ違った小柄な人影ーーーー女性の横顔を見て振り返る。

「かほせんーーーーあ? いたっ……」

 その視線は正面から下へ。自身の背中へと、そこに突き刺さったナイフへと向けられた。

 篠原より早く僕は視線を上げて彼女の顔を見た。

 篠原の身体から力が抜けて崩れても視線を逸らすことはできなかった。

 彼女ーー飯田先輩は記憶の中のままの顔で笑った。街灯に照らされて鈍く光るナイフを持って、それを篠原の首へ振り降ろしながら。

 ぬちゃ、という音と共に篠原の首からナイフが抜かれた。流れる血が少しずつ地面に広がっていく。

 飯田先輩はしゃがんだ状態のまま僕を見上げた。

「久し振りだね、中村君」

「次は僕の番だと思ってました」

「うん、まぁーーーー」

「動くな!」

 声の方を見ると中年の刑事が立っていた。拳銃でも構えているのかと思ったが持ってないのか刺激しないためか使う様子はない。

 それでも警察だ。ナイフを持っているとはいえ小柄な女性一人を取り押さえるくらいできるだろう。



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