98 Cherish You
「どこか、出かけるの?」
開いた扉にもたれかかったザックが尋ねると、防寒着を着込んだテリーが振り返った。
「そんな怖ェ顔すんなよ。ちょっと墓参りィ」
夜にも関わらずサングラスをかけたテリーはポケットに両手を突っ込んで肩をすくめる。
「別に明日を待たねェで乗り込もうってわけじゃねェし、寒ィし、大人しくお留守番してろよ、相棒ちゃん。ベッドでおねんねする前には戻って子守唄くらい歌ってやるぜ」
「……一緒に行くって言っても、駄目?」
答えは想像がついている声だった。だから、テリーはその期待に応える。
「だァめ。墓ん前で泣くとこ見られんなんて恥ずかしいだろ、ボケ」
けらけらと笑ったテリーがザックの横をするりと通り抜けて廊下へ出た。真っ赤なマフラーを口元まで持ち上げ、階段を降りていく。
ザックは納得がいかない表情でそれについていき、裏口から出る一歩前で立ち止まった。外へ一歩踏み出したテリーが彼を振り仰ぐ。
「すぐ戻るから」
「……どうしてこんな時間に?」
ザックの質問に、テリーは空を見上げた。
夜空にはまん丸の月が浮かんでいる。
「んァー……。――月が、好きだからァ?」
そして、ひらりと手を振って彼は夜道へ消えていく。
闇に揺れる赤いマフラーが消えるのを見送ったザックは扉を閉め、ため息を一つ。
「質問に疑問を返さないで――」
「はーァ、寒ィ」
真っ白な息を吐いたテリーは一つの墓石の前に立っていた。
「よーォ、コード兄。久しぶりィ。花なんてねェけど、ま、別にいいだろ」
テリーは乱暴な手つきで雪を払い、墓石の名前を親指でなぞる。
コーディ。
享年と共に書かれた日付は四年前の春だった。抗争で亡くなった彼は当時テリーが一番慕っていた兄貴分で、セミチェルキオに入った時期の近いテリーを随分と可愛がっていた。
あの日、セドリックが胸を撃たれた日。テリーが守れなかった一人は冷たい墓石になって雪の中に立っていた。
「タトゥ入れたら絶対に見せろっつってただろ。僕とおんなじの入れるんだって気持ち悪ィこと言ってたの覚えてるぜ」
一人でくつくつと笑ったテリーがコートの前を開けた。服の下に手を入れ、墓石をなぞった冷たい指先を左脇腹へ這わせる。
「ここじゃ脱げねェけど――僕、ここにボスのゲートとおんなじ柄入れたんだぜ。見せに来んのが遅くなって悪ィ」
しゃがみこんだテリーは腹の体温で温まった指先を握り込み、墓石に押し付けた。
「そのボスも死んじまってドグ兄がボスだぜ、あのドグ兄が。……それに、コード兄とおんなじ名前のが側近になりやがるし――はーァ。変わっちまったぜ、こっちも」
目線の高さになった名前を、ぼんやりとした視界で見つめる。
「あァ。……花もねェし、コード兄に愚痴言っても届かねェか」
花の香りは言葉を包み、死者のたまり場に運んでくれる。
そんな言葉は欠片も信じていなかったが、まだセミチェルキオにいた頃はロドニーにしつこく言われて何度も花を供えていた。
花の香りは言葉など運ばないと思っていても、あの匂いだけは嫌いではなかったことを思い出す。
花屋の表に並んだ、値下げされた花。
「僕、セミチェルキオ抜けて配達屋やってんの。ザックと。ボスん代わりにはなってくれねェし、愛してもくれねェけど……」
目を閉じて最後に花を供えた日を思い出す。あれはセドリックからセミチェルキオを抜けるよう最後の命令をされた日だったか、とテリーは唇を僅かに噛んだ。
端が茶色くなった花を叩きつけるように置いたあの日。
「――いや。……分かってんの、とっくに」
拳でぐっと墓石を押してから、立ち上がる。
「これは愛じゃねェってこと」
真っ赤なマフラーの隙間から、真白な息が漏れては消えていく。
それじゃ、とテリーは冷たくなった拳を開いて、ひらりと振った。
「コード兄。ボスによろしく。――僕はまだまだそっちに逝かねェぜ」
僕は花を運ぶ側だ。
今度は花の香もちゃんと届けよう、とテリーは背中を向けた。
変わらない速度で動く時計を何度となく見上げ、ザックはため息をついた。
テリーが出て行って時間はそんなに経っていないし、ここと共同墓地を往復するにしてももう少し時間がかかる。
分かってはいても、ザックは落ち着かずに再び時計へ目を向けた。手にはウィスキーが入ったグラスがあったが、液面が穏やかに波立つだけで量は一向に減らない。
「一人で飲むなんて、いつぶりだろう」
琥珀を持ち上げ、映った自分と目を合わせた。
酔いは来ない。
「一人は、寂しくて、嫌いだし」
もとより酒には強いが、酔ったことがないわけではない。感情はよく動くようになり、ただでさえ甘い状況判断もさらに甘くなる。
それでも顔色は変わらないし、まっすぐに歩けて、次の日には何も残らない。
「寂しい、か。……それは本物?」
自問し、そのまま目を閉じる。
答えは自分の中にはない。ただ、それでもその感情は確かに胸の中で動いているはずだ。寂しいから寂しいと思って、寂しさは時の流れをどうしようもなく遅くする。
何度か深呼吸をしたザックが目を開けた。グラスを置き、手を後頭部へ持っていく。
「そういえば」
黒髪をまとめるリボンをするりと外す。
「もう何年も酔ってないな……」
背中に黒が波打ち、そのまま染み込むように消えた。
顔が赤くなり、千鳥足になって、次の日までテーブルで寝てしまうような酔いはいつから消えたのか。
唯一酔わせてくれる気の置けない友人を思い出し、頭を振る。
「――墓暴きか。ノーマンも物騒なことをしてくれる」
短くなった髪をかき混ぜ、ザックが立ち上がる。
リボンが足元へ落ちた。
「いや、墓はもう暴かれたのかな。……はあ。嫌になる。こんな時、クレア――君が居てくれればよかったのに」
そしたら寂しくないだろ、と自嘲気味に笑ったザックは足元のリボンを踏みつける。
彼の長く艶やかな黒は、もうどこにもなかった。
コツンと窓に何か当たる音がして、マーサは立ちあがった。梳いていた髪から手を離し、カーテンを開いて外の闇へ目を凝らす。
窓の下へ目を向けると、鍵のかかった門を無視して侵入してきたテリーがいた。
「……今度来る時は門からって言ったのに」
ひらひらと彼が手を振るので窓を開けて身を引く。すると、彼が器用に壁を蹴って窓枠を掴んだ。そのまま体を持ち上げて窓枠に腰掛けた彼はサングラスを外し、コートのポケットに押し込んだ。室内にある卓上ランプの明るさに目を細める。
「あ、ごめんなさい。すぐに消すから――」
「マティ。いいから」
マーサがランプに向かうのをテリーが声だけで制した。彼はふるふると頭を振って、滲むような笑顔で両手を広げる。
「テリー?」
普段と違う調子を感じ取ったマーサは彼の腕に吸い込まれるように収まり、不安そうにその背中に手を回した。
じんわりと体温が交わっていく。外気で冷えたテリーの体が温まり、湯で温まったマーサの体が冷えていく。
「寒くない? 部屋に入らなくていいの?」
「――マティ」
ぎゅっとテリーが腕に力をこめ、彼女の首元へ顔を埋めた。
「一回しか言わねェからな」
マーサがよく分からないまま「うん」と頷き、背中へ回した手に力をこめ返す。
「もう、一生言わねェからな――」
テリーはそんなマーサを軽く押して離す。そして、彼女の頬を両手で優しく挟んで、自分の方へ傾けた。
薄いガラスの膜に触れるようなキスをし、そのまますぐ近くで――僅かに触れ合ったままの唇を動かす。
「マティ、愛してる」
唇を離し、そのまま体も離れていくテリーを追って、マーサが踵を上げた。彼の頬に走る傷口に唇を押し当て、強いキスを返す。
「わたしも、――わたしも愛してる。これからも、ずっと。ずっとだよ、テリー!」
泣き出しそうなマーサを引き剥がし、テリーはもう一度だけ触れるだけのキスをした。
マーサのかさついた指先が彼の頬をなぞる。
「――テリー、泣いて。もっと、泣いて……!」
「バァカ。泣いてねェよ」
今度こそ完全に離れたテリーは別れの挨拶もなく、背中へ体重をかけた。
窓から落ちるようにして消えた彼にマーサは手を伸ばすことも出来ず、視線で追うことも出来ず、両手で顔を覆う。
軽い着地音がし、足音もなく彼が去っていく。
マーサが濡れた両手を顔から離した時には、彼の姿はなかった。窓を閉め、そこへ背中を預ける。
「わたしは君をずっと愛してるから――」
彼女の背中は、金色の月が照らしていた。
【愛してる】




