97 Never Forgive
先日から煙草屋を再開したリンジーは大きな抗争が起きそうだと噂話を持ってきた常連客の背中を見送った。
武器が売れ、ギャングのテリトリーの中心に近い店は明るい内にシャッターを下ろしていく。ここはテリトリーから離れているので普段通り日が沈む直前まで営業するが、セミチェルキオのテリトリー内にあるハロルドの武器屋は早くに閉めているようだ。
そのハロルドには抗争が始まるという情報がいち早く入っていて、リンジーにはもちろんザックやテリーにもその話は伝わっている。
「物騒なもんだよ、まったく」
リネアと敵対関係になったザックとテリーも状況によってはセミチェルキオに手を貸さなければならない。ザックが「その時はすぐに店を閉めて帰ってくれる?」と頼んできたことを思い出し、リンジーは鼻をフンと鳴らした。
商売上がったりだよ、と胸中でも顔をしかめて頬杖を突く。
と、その視線の端に移った人影にぎょっとして曲がり気味の背中を伸ばした。
「――お前さん、どうして」
「クレアが?」
「そうなんだよ。どうしたんだって聞いたって、これを渡してほしいって言うだけでね。――ああもうまったく、どうしてお前さんはこうもタイミングが悪いのかねえ!」
ザックとテリーが家へ戻ってきて、リンジーはすぐにザックを捕まえていた。
そのリンジーの手にはクレアが滞在中に使っていた手帳があった。「中身は見てないよ」と差し出したそれをザックが受け取り、裏と表をひっくり返して見る。汚れも付いていたし角はぼろぼろになっていて、クレアが毎日持ち歩いていたものに違いない。
中身を見たいような見たくないような、混在する反対の欲望が泡のようにぷつぷつと沸いては弾ける。
そんな泡まみれの思考に、テリーが隣にいなくて良かったと浮かぶ。
このことを彼が知ったら、クレアを探し出して、もしかしたら――と、嫌なことを想像してしまったザックが小さく頭を振った。
リンジーは彼がそんな不穏なことを考えていることも知らず、話を続けている。
「思い詰めた顔をしてたんでお前さんを待ってるよう何度も言ったんだ。暇なら一緒に店番をしておくれって。――それなのに、何も言わないで行っちまったんだよ」
「……彼女、どっちへ?」
ザックが手帳から視線を外し、窓の外へ顔を向ける。
「それがね、あっちなんだよ。前のホテルの方向でもないし、駅に行くにしてもこっちの道だろう。――この町を離れたって聞いて日もそんなに経ってないし、どういうことだか。何か悪いことが起きてるじゃないかと心配でねえ」
リンジーが大きなため息をつく。「まったくどうしてお前さんがいない時に限って」とぶつける場所のない文句を地面に向けた。
ザックが手帳をめくることも出来ずにいると、ふと視線を感じた。後ろを振り返ると、怖いほど静かなテリーがいつの間にか立っていた。彼は何も言わず、腕を組んで壁にもたれかかっている。
「……聞いてた?」
恐る恐るザックが尋ねると、テリーは右手を肩まで上げ、ぐ、ぱ、と握っては開くを繰り返した。肯定の意に、分かりやすくザックの表情が強張る。
テリーはその様子をただただまっすぐ、凍った月のような瞳で見ていた。
ザックはそんな月から逃げるように顔を背け、リンジーがテリーを巻き込んで話を続ける前に「これ、ありがとう。中を見てみる」と一方的に話を締めて煙草屋から出た。
「ええと……。とりあえず、二階で話をしようか」
そう言い終わるよりも早く、テリーは静かに二階へ向かっていく。あの硬いブーツでどうやって足音を消しているのか、ザックは疑問に思いながらその後をすぐに追った。
ザックがリビングに辿り着くと、テリーに手帳をひったくられた。彼は不機嫌そうな表情をぴくりとも動かさず、それを開く。何も書いていないページを次々とめくり、真ん中辺りに来たところで手を止めた。しかめっ面を近づけて読んだかと思えば、それをザックに投げつけた。
ザックは胸にぶつかったそれを落とさないように手を慌てさせていると、その間にテリーが眼前に迫っていた。
「わっ!」
驚いて上体を反らしたザックを呼ぶように、テリーは右手の中指をくいと曲げた。表情が読めないテリーに少々恐れを交えて「な、何?」と体を傾ける。
テリーの右手がぱっと閃き、ザックの服を掴んだ。服ごと、銀の懐中時計が握られる。
「――馬鹿女が来たって聞いて、僕に伝えんの躊躇っただろ」
図星を突かれ、ザックは体を硬直させた。
分かりやすすぎる反応に、テリーは呆れた調子で「あーァ、やんなっちゃうぜ」と大げさなため息をつく。
「この錨と鎖はただの飾りかァ? 違ェだろ、ボケ。……てめェが自分で黒だっつったんだ。決めた後にふらふらしてると溝に落っこちるぜ」
「……ごめん。頭では、分かってる、つもり」
渋い顔で謝ったザックが手帳を開く。
手帳は彼女が滞在中に書き込んでいたはずの部分は破られていた。残り僅かになった白紙の間に、一文だけが書かれている。
「これ、ノーマンの字だ」
癖のある数字を目でなぞり、ザックはゆっくりと頭を振って手帳を閉じた。
「僕とアランに、招待状。てめェの名前はねェ。――どうする」
「どうするって……ここで留守番でもしてろって言うつもり?」
ザックは冗談交じりにそう返したが、テリーの表情は動かなかった。口角も下がったまま上昇する気配がない。
「……君一人で行くなんて、言い出さない、だろ?」
恐る恐る尋ねるがテリーは首を縦にも横にも振らなかった。固い唇だけが僅かに開く。
「アランを殺した時――てめェを生かした時、僕が責任を取るっつったの、覚えてるか」
テリーの言葉にザックは血の気がさっと引くのを感じた。過去のやり取りが記憶の奥底から引っ張り出される。
「そんなこと! やめて、俺はそんなこと望んだことない!」
「望んでねェ?」
テリーが右の口角だけをあげ、歪な笑みを顔面に貼り付ける。
「はッ! それなら余計にやめられねェなァ!」
ザックを突き飛ばしたテリーは頭の中だけで響く銃声に顔をしかめ、右耳を押さえる。
「そんなことを利用して、てめェは僕をボスから引き剥がしたくせに! ――僕はてめェを絶対に許さねェ! だから、僕は! 僕は、てめェが嫌だっつうことを幾らでもやってやる! てめェが好きなもんだって、いっくらでも壊してやる!」
銃声に脳を叩かれながら、テリーはサングラスの奥で目を見開く。ぼやけた視界の中で、そこにいないはずの姿をはっきりと捉える。
ザックはテリーが現実ではないものに焦点を合わせていることに気付いた。先程まで自分を見ていた金色の瞳が、左端に固定されている。
「テリー! 俺を見て!」
テリーの肩を掴み、一度だけ強く揺らした。想像以上に力の入っていないテリーの足元がふらつく。慌てて支えようと腕へ手を伸ばすが、その手は空を掴んだ。
どさりとテリーが尻餅をつく。
「てめェが嫌なこと、幾らでも代わりにしてやるから。てめェが好きで手も出せねェようなもんだって、いっくらでも代わりに殴ってやるから!」
金色の月がザックを見上げた。
「だから! てめェを、まだ、許さねェから! 僕の側にいてェ! 僕ん前から、いなくならないでェッ!」
悲鳴のような高い声を出し始めたテリーの前に、ザックが膝を突く。落ち着かせようと背中へ手を回そうとして。
テリーの目が、自分を見ていることと、自分を見ていないことに気付いた。
「アラン、ごめん――」
ザックが逡巡した瞬間、まるで体当たりのような勢いでテリーが胸へ飛び込んできた。今度はザックが尻餅をつく。
テリーはザックの胸に額を押し付け、背中を丸めて両耳を塞いで肩を震わせていた。
「……テリー」
ザックは小さく名前を呼ぶ以外に出来ず、胸にある灰色の髪を静かに撫でた。
【許さない】




