95 Join Hands
「これで三日」
ザックが瓶の蓋をひねると、プシッと炭酸が抜ける音がした。
テーブルに突っ伏してうたた寝していたテリーが「あ?」と寝ぼけた声と共に顔を上げると、ザックは肩をすくめた。
「俺への視線が消えて三日。リネアの襲撃もなし。――こっちもそろそろ動こうか。とりあえず準備出来ることはしたし」
リネアへの宣戦布告から二晩が過ぎた。その間に手持ちの武器や銃弾の用意を済ませ、何かあった時の行動パターンを幾つか用意し、何度も確認を重ねた。また、自分たちとよく関わっていた人間には暫くこちらに近づくなと連絡も回してある。
ハロルドと連絡を取った時、彼はトバイアスに絡みついていたネイサンの姿が見えなくなったと配達屋に教えてくれた。トバイアスは晴れて日常を送れるようになり、今まで通りギャングのテリトリーにも近づかずパン屋でせっせと働いているようだ。ズワルト孤児院に配達するパン屋も古くからの店に戻り、マーサもトバイアスと会う機会がなくなったらしい。
トバイアスの周囲はこれでとりあえず元通りかとザックは安堵したのだが、テリーは鼻を鳴らしただけで表情を一つも動かさなかった。
双子の弟の状況には興味を示さなかったテリーだが、ザックの話には眠そうな瞬きを添えながらも乗っかる。
「動くってェ? セミチェルキオ?」
テリーのあくび混じりの声にザックが頷く。
「味方にしたいとは言わなくても、リネア対策はしておかないと」
ザックは炭酸水で喉を潤してから、頬杖を突いた。
「……ねえ、テリー」
右手の甲で頬を支え、少し顔を傾ける。
「クレアがキスタドール――ノーマンの元へ戻ったと仮定して、ノーマンは俺のことをどこまで知ってると思う?」
テリーは完全に体を起こし、椅子に深くもたれかかった。
「そりゃァ……、ルースをぶっ飛ばした上にアランのことを知ってる僕、の相棒――ってだけじゃねェの。馬鹿女が何もぴんと来てねェんだし、分かってること以上の報告は出来ねェだろ」
テリーは片足を椅子に乗せ、履き潰したブーツの靴紐を結び直す。
「あいつがアランの墓に気付いてんなら、とっくに僕ん前に現れてるぜ」
「それもそうか……。ノーマンなら即行で墓暴きに来そうだ」
靴紐を硬く結んだテリーが腰を上げ、サイズの大きなトレーナーとその下に着込んでいた丸首のシャツを脱ぐ。冷たい空気にさらされた裸の脇腹には黒々としたタトゥがあり、ザックは未だに見慣れないそれに顔をしかめる。
「僕はそのノーマンってやつは知らねェし、分かんねェけど。――キスタドールはなんでリネアと手を組もうとしてんだと思う? 僕対策にしちゃァやりすぎじゃねェの」
「君対策はネイサンが中心で、キスタドール本体が動いてるわけじゃないと思う」
くしゃみをしたテリーが黒のシャツを手に取り、肌着もなしにそのまま羽織った。
ザックは彼に渡すベルトとニットを手に持ったまま、窓の外へ目を向ける。
「ノーマンのことだ。リネアのハートルーザーが目当てなんだと思う。あんなにハートルーザーがいる組織は珍しいんだ。……もちろん、セミチェルキオも」
テリーは曖昧な相槌を打ち、ザックからベルトを奪い取る。がちゃがちゃとベルトを締めなら、ザックと同じ方向へ顔を向けた。
空は青く、遠くの山は白い。空気はきんと冷えているが、雪はちらとも舞っていない。
「リネアから、結構引き抜いてたみてェじゃねェの。まだ足りねェのかよ」
「見つけた獲物は血の最後の一滴まで飲み干す男さ」
シルヴェスターが酔っぱらい構成員からの情報を横流ししてくれたのは昨夜だ。
ネイサンを始めとする行方不明になっていたハートルーザーの殆どはクレアを介してキスタドール側へついていたらしい。そして、リネアはネイサンを見つけ出し、そこから芋づる式に裏切り者を引っこ抜いたそうだ。収穫された芋は元リネアの者が多く、僅かな元セミチェルキオはその場で処分されたとかなんとか。
シルヴェスターは最後にと前置きして、リネアとキスタドールが手を組むらしいという噂話を教えてくれた。電話越しの声は渋い色になっていた。
キスタドールに構成員を何人も引き抜かれた事実があってなお、ライラは手を組むことを選んだ。一体ライラが何を企み、何をしでかすのか、検討もつかないとシルヴェスターが電話の向こう側で唸っていたのはザックの耳によく残っていた。
「リネアに手を貸して、セミチェルキオを弱らせる。そこで、ノーマンは牙を立てる。そうすればリネアもセミチェルキオも両方のハートルーザーが手に入る」
シャツの上にニットを着たテリーが腕まくりをし、右腕のテーピングの調子を見るように動かした。問題がないことを確認してから、慣れた手つきでバンテージを巻き始める。
「は、欲張りな奴だな。だけど、リネアからは引き抜けてもセミチェルキオから抜ける奴は早々いねェぜ」
現にセミチェルキオからはキスタドール側についたハートルーザーは殆どいない。その分、死亡した構成員が多いのだが。
「そのセミチェルキオのハートルーザーの方が狙いじゃないかな……。忠誠心が強い人ほど、マーシーから抜け出せない。だから、セミチェルキオに集まる人の方がノーマン好み」
苦笑したザックがテーブルにあった愛銃ベレッタをホルスターに仕舞い、コートスタンドのコートを羽織る。
「――いざという時に組織を裏切る、俺みたいな人は頼りにならないのさ」
「どうも、お久しぶりです。時間を取らせてすみません」
「こちらも聞きたいことがあったので構わない」
ザックとテリーが頭を下げた先にはドゥーガルが座っていた。彼の後ろにはいつもの顔をしたケントと、まだ側近という立場に慣れずに緊張した面持ちのコーディが立っている。
コーディ。愛称、コード。
癖の強い茶色の短髪を強引に後ろへ流している彼は、大きな茶の瞳でまっすぐにザックを見ている。ザックとテリーのちょうど間の年頃か、まだまだ熟成が先の若い瞳は鋭く、茶の髪に混ざった赤毛には炎を思わせる熱さがあった。
コーディは隣のケントに促され「どうぞ、おかけください」と執務室にあるソファを手の平で指す。
ドゥーガルはザックとテリーが着席したのを見てから、二人が座ったソファの向かいに座った。ケントが彼の後ろを陣取り、コーディは配達屋の真後ろに立つ。
背中に銃口を向けられている気分になりながら、ザックがため息を堪える。
「こちらも呼び出そうかと思っていたところだ。――ゼカリア、リネアで良い武器を見せつけたそうだな」
ドゥーガルが何を言っているのかは、すぐに見当がついた。
ザックがリネアで使った影の話はあっという間に広まり、彼がハートルーザーであることは知ろうと思えば誰でも知れる状態だった。
「何を亡くした」
「さあ。大したものではないです」
ドゥーガルは回答を濁したザックに「まあ、いい」とそれ以上触れることなく、両指を絡ませて膝の上に置いた。
「まずはそちらの用件から聞こう。私たちと協力関係になりたいとのことだったか」
「はい。今後、配達屋はリネアの仕事を請け負いません。理由はリネアが俺たちに刺客を放ち、警告後もそれを引き上げなかったからです」
ザックが普段以上に背筋を伸ばしている隣で、テリーは緊張感の欠片もなく背もたれに体を預けている。
「前から僕に喧嘩売ってくる奴はいたけど、ライラの命令でもねェし個人的なもんってことで目をつぶってた。――だけど、リネアが組織として狙うなら寝たふりしてやるつもりはねェ」
話相手が誰だかまるで分かっていないようなテリーの態度に、ザックは頭を抱えたくなる。しかし、そんなことを気にしているのはザックと、あまりテリーのことを知らないらしいコーディくらいだ。ドゥーガルもケントも平然と話を続ける。
「それで、今後はセミチェルキオとの関係をより強固にしたい、ということか」
ドゥーガルが口の端をほんの少し吊り上げた。眼鏡の奥にある鋭い視線は、口元とは相反してぴくりとも動かない。
「あくまで俺たちは中立です。俺たちは俺たちのために戦うだけで、セミチェルキオのために戦うわけではありません。――ただ、同じ敵を持つのなら、その件に関しては互いに手を貸せないか、ということです」
ザックが滲む汗を手の平に隠す。と、ドゥーガルが椅子から腰を上げた。
「願ってもいないことだ。これからもよろしく頼む」
差し出された右手に、ザックが慌てて立ち上がって右手を重ねた。
二人が堅い握手を交わしているのをよそに、テリーは視線を動かして部屋を見渡した。葉巻を吸わないドゥーガルのせいで、セドリックを象徴する葉巻の匂いはすっかり薄くなっていた。物の配置も変わり、見慣れたはずの部屋には大量の違和感が居座っている。
「……あァ、そォか。違和感だ」
噛めばもろく崩れそうな呟きがぽそり。
それを発したテリーに、ザックとドゥーガルの視線が重なった。
左端へ金色の瞳を固定したテリーは「さよなら、ボス」とぼろぼろに崩れた言葉をゆっくりと嚥下した。瞼を下ろし、次に上げた時、見えていたはずのセドリックの影は跡形もなく消えていた。
「テリー? 大丈夫?」
「……へェき。――で、この後どうすんの」
テリーは視線を正面に戻した後、隣のザックを見上げた。ザックはその視線を受け、微笑む。
「もう少し待って。――ドグさん、まずはお互いが持っている情報を交換しませんか」
ザックはテリーの中で何かが一つずつ消化されているのを理解しながら、自身の中にある消化しきれない何かから目を逸らした。
【手を組む】




