94 Sham
クレアはズキズキと痛む頭に違和感を覚えながらも、持ち帰った資料を抱えて立っていた。
簡易的な事務机が四台。壁際の本棚には資料や本が詰まっているが、他には余計なものがない事務所だった。いや、事務所と言うには殺風景で、いつでも空っぽになれるような――。
「先程戻りました。……すみません。遅くなりました」
考えるのを拒否するように頭痛が酷く脈打ち、クレアは考えるのを止めて頭を下げた。
立派な机に地図を広げて睨めっこをしているノーマンは顔も上げない。
「おおよその資料は前回送りましたが、あれからまとめたものも持ってきました。不確かな要素が多い情報はこっちに」
頭の奥からくる鋭い痛みに、クレアは顔を歪めた。それでも言葉はするすると流れ出る。頭を押さえたくなるが体はそれに従わず、持っていた資料を山に分けて机に並べていく。
そのままクレアが説明を続けようとしたが、ノーマンは手で制した。挨拶以降閉ざされていた彼の口元にクレアは注視する。
「テレンスの話を聞かせろ。それと、パートナーの――ゼカリアか。その男もだ」
クレアは「はい」と返事をしようとしたが、そのたった一言は喉に引っかかって出てこなかった。脳を直接金槌で殴ってくるような痛みに、とうとう体が限界を越えて額を押さえる。
「ええと、テレンスさんは、その――」
頭痛が言葉の邪魔をする。言葉を発しようとすればするほど頭痛は強くなり、目の奥に針を突き刺すような痛みがびりびりと走った。
クレアは言葉が出てこない気持ち悪さと、言わなければいけない葛藤と、激しさが増す頭痛に意識を混濁させて目を閉じる。
違和感が軋む。
ズキ、ズキ。
「怪我、から……復帰、して――ギプスが、外れて。――ゼカリアさんは、ええと――」
「モニカ。深呼吸をしろ」
ノーマンの指示に、クレアの口から「はい」とすんなり出てきた。モニカと呼ばれたクレアは緩んだ頭痛を不思議に思いながらも、言われた通りにゆっくりと肺に息を詰め込み、それを時間をかけて吐き出す。
ノーマンは彼女の表情が少し落ち着いたのを見てから右手で頬杖を突いた。
「まさかとは思うが、そのテレンスとゼカリアとかいう奴らに情でも湧いたのか。お前が従うべきは誰だ? お前が得た情報は誰のためだ?」
クレアは「それはもちろん、ノーマンさんのために」と吐き出そうとして、太い針が突き刺さる痛みに小さく呻いた。吐き出すべき言葉が串刺しになり、血を流して崩れていく。頭痛の酷さに頭を抑えると、脇に挟んでいた残りの資料が足元へ散らばった。
ズキリ。
そして、痛みの合間に出てきたのは、用意された吐き出すべき回答ではなかった。
「……テリーを襲ったのって、ルースさん、ですか」
ズキリ、ズキリ。
血溜まりにぷくと沸いた言葉が、胃を逆流してクレアの口から溢れ出る。
「ネイサンさんがテリーのことを調べてたのって、ノーマンさんの指示なんですよね? リネアと手を組むってどういうことですか! また、テリーに何か――っ!」
突然クレアが言葉を詰まらせた。彼女の細い首をルースの影が締めて持ち上げたからだ。クレアは必死につま先を立てて体重を支えている。
「あーア! 完全にあっち側に傾いてるヨネ! ノーマン! モニカは使えないだろ! 殺しちゃおうヨ!」
ルースの酷く明るい声が酸欠の頭の中を走り回る。
「離してやれ。完全に支配が解けたわけじゃないし、話も聞かなければならないだろう」
「なアんだヨ! 面白くなーいノ!」
影が突然消え、クレアはバランスを崩して硬い床へ膝を突く。喉を広げ、咳と空気を何度も往復させた。
そうしている間にも、ノーマンの冷たく平らな声はするりと耳に入ってくる。
「しかし、反発出来るようになったのも事実だ。マーシー、頼めるか」
「はい、分かりましたわ……。モニカ、目を見てくださる?」
クレアの眼前にマーセイディズがゆったりとしゃがみこんだ。彼女の暗い瞳がこちらを覗いた瞬間、クレアは頭痛と違和感の正体を思い出した。
「嫌ッ!」
マーセイディズの真っ黒な瞳から逃げるように体を逸らした――はずだった。しかし、彼女の体はびくともしない。がっちりと噛み合ったまま、視線が外せない。
「やめて……」
ああ、そうだ。この人たちのために、ザックとテリーに、ずっと嘘をついてきたんだ。
気付くには手遅れだった違和感に、じわりと涙が浮かぶ。
「もう、嘘、つきたくない――」
マーセイディズの瞳の奥、影が揺らいだ。
床に倒れたモニカの周囲には資料と写真が散らばっていた。その中で彼女の手帳に挟まっていた写真も端を見せている。
ルースがそれに気付いてぴょこんとしゃがみこんだ。一枚の写真を摘み上げ、にんまりと口を歪める。
「アハハハ! テレンス見イーっけ!」
手狭なキッチン、窓の奥は暗く、天気が良さそうには見えない。特別な瞬間というよりは日常を切り取ったそこには、笑ったザックとテリーが写っていた。
「あれエ?」
クレアが撮った、たった一枚だけの、配達屋の写真。
「――ノーマン! アルだ! アルがいるヨ! アル!」
ルースの歓声と悲鳴を混ぜた大声が響く。
あまりの声量にモニカが意識を戻し、倒れた時に外れたらしい眼鏡を掴んだ。しかし、かけ直さず、明瞭な視界でルースを見上げる。
慌てたせいで写真を取り落としかけたルースが手をばたつかせてから、机に写真を叩きつけた。ルースの指がテリーの隣を指差していた。
「これ、アルだヨネ? ……ん? こんなに髪長かったっけ? まアいいや! ノーマン、こっちがテレンスだヨ! ――アルが死んだなんて、やっぱり嘘だったんだヨ!」
ノーマンの視線がルースの指す顔を見て、釘付けになる。瞼が持ち上がる。
テリーに向かって微笑んでいる、斜め後ろからの顔は見間違うがはずがなかった。ずっと自身の隣にいて、良きパートナーだった年下の友人の顔だ。
ただ、短髪だったはずの彼がこの数年で伸びたとは思えない長髪を背中に流している。
「アル……?」
それなのに、顔はどこからどう見ても古くから知ってる顔だった。
亡くなった感情が疼いた気がして、ノーマンは心臓を上から押さえつけた。しかし、思わぬ発見に衝撃はあれど、そこに欲しい感情は湧き上がってこない。事実としか認識できない発見を、ぐっと握りしめる。
「一緒に写っているのがテレンスだな、ルース」
「そオだヨ! テレンスの相棒はゼカリアじゃないのかヨ! ――モニカ! そんなところで寝てないでなんとか言えってノ!」
ルースはようやく体を起こしたモニカの首根っこを掴み、引っ張り立たせた。
モニカはふるふると頭を振ってから写真を見る。
「その人は、ゼカリアさんです」
レンズを握ってしまった眼鏡をズボンの後ろポケットへ押し込む。
「テレンスさんの相棒で、配達屋をやっています。拳銃を所持、使用しているところは確認済み。対キスタドール戦の際、国軍に雇われた傭兵の一人だと本人が」
先程とは異なって、するすると言葉が出てきて、モニカは僅かに顔を歪める。奥深くの意思は弱い頭痛となって悲鳴を上げているが、気に留めるものではなくなっていた。真っ黒な影でがんじがらめになった意思はマーセイディズが――ノーマンが求める回答だけを導き出す。
「モニカ、お前も同じくその傭兵だったんだ。その中にゼカリアという男はいたのか」
「雇われた傭兵は多く、あまり交流もなかったため――記憶にありません」
質問に答えた後、モニカはふと首を傾げた。
「……たぶん、ですけど、ゼカリアさんはアランさんではないと思います」
ぱちぱりと瞬きをすると、モニカの脳裏にザックの顔が浮かぶ。笑った顔、悲しそうな顔、そして怒った顔。
ノーマンとルースの視線が集中する中、彼女は少し考え、確信をこめてはっきりと頷いた。
「ゼカリアさんは怒ります。怒るととても怖いのは、経験済みです。……アランさんなら、怒りのハートルーザーで――怒れないんじゃ?」
モニカの言葉に、ノーマンとルースが怪訝な表情を見合わせた。
「そうだ。先の条件はもういいって言ったんだ」
受話器を握ったライラの茶の瞳は、視界に入るもの全てを焼き尽くしそうなほど熱を持って赤く燃え上がっていた。
正面の扉が燃え尽きるのも時間の問題か、とラモーナは想像の世界を閉ざすように瞼を下ろした。
「手を組もうじゃないか。ただし、配達屋とセミチェルキオを落とすことに協力しな。そうすれば予定通り、リネアが抱えるハートルーザーを何人か貸してあげるわ」
ライラが後ろを振り返ると、瞳を閉じたラモーナと緊張した顔をしているジェフリーが立っていた。二人の間から見える空は青く、遠くの白い山がよく見えていた。
「――ああ、そうだねぇ。ここへ来な。ふふ、心配せずとも丁重に出迎えてやるよ」
【嘘つき】




