84 Entangle
クレアとハロルドがズワルト孤児院へ着くと、マーサが出迎えてくれた。マーサは突然やってきたハロルドに驚いたが、大事な話があると言うと普段は使われていない空き教室を用意してくれた。
「お待たせしました。ようやく一段落しました」
マーサは急ぎの仕事だけを終わらせ、二人が待つ教室へやってきた。彼女は冷えて赤くなった指先をこすり合わせながらクレアの隣に座った。
「それで、大事な話って?」
ハロルドはクレアとの雑談を終わらせ、姿勢を正す。
「ちょっとその前に。――さっき、俺がクレアさんを見つけた時、面倒な奴らに絡まれてましたよね。あれ、誰だか知ってます?」
クレアは急にこちらへ向かってきた質問に「えっ」と戸惑った声を出した。視線を斜め上にして考え、ゆっくりと首を傾げる。
「ええと、確か、ギャング、だよね。場所的にセミチェルキオ? ハートルーザーだって聞いたことがあるけど、誰だっけ……。写真を見たことはあるんだけど……」
答えが出て来るまでの時間やクレアの動作を見ながら、ハロルドは小さく頷いた。
「惜しいです。場所はセミチェルキオでしたけど、相手はリネアです。リネアで有名なウォリアーで――マーサは分かると思うけど――、ネイサンです」
「ネイサンが? セミチェルキオのテリトリーに?」
マーサが訝しげに眉を寄せた。ネイサンはズワルト孤児院の見回りにも来たことがあり、見たこともあれば話したこともある。自信家で自分を大きく見せたがるところはあるが、平時に敵地へ踏み込むほどリスクを背負う人間でないことも知っていた。
「そう、ネイサンが。……恐れのハートルーザーで、影の使い方が上手くて面倒だって兄さんが言ってました。兄さんが名前を覚えるくらい強い人です」
マーサが心配そうにクレアを見た。道で絡まれたことやハロルドに助けられたとは説明されていたが、ネイサンの名前は今初めて聞いたのだ。
「ネイサンに絡まれていたなんて。大丈夫ですか? つきまとわれるようなら、わたしからテリーに一言頼んで――」
「その兄さんの関係で、こんなことになってるかもしれないよ」
マーサの言葉を遮ったハロルドは少し考えるように視線を横へ流す。
「どういうこと、ハル」
「まだ事実確認は出来てないけど、リンジーさんから聞いた。――兄さんがリネアに狙われてるかもしれないって」
躊躇うように小さくなったハロルドの言葉でもマーサの耳にははっきりと届いていた。顔色がさっと青くなり、化粧っ気のない頬から赤みが抜け落ちる。
「ハル、どういうこと」
先程と殆ど変わらない言葉だったが、声の硬度は全く異なった。
「昨日、兄さんがリネアで暴れて、それでリネアが兄さんを捕まえようとしてるみたいなんだ。――兄さんはこんな大事になるまで暴れるような人じゃないし、そもそもこんなことになる前にザックさんが止めるはず」
クレアは隣にいるマーサと正面のハロルドを交互に見やる。その様子にハロルドがゆるりと首を振る。
「個人で兄さんに喧嘩を売る人はいても、リネアが組織立って兄さんを狙うのは初めてなんです。これが本当ならかなりまずい状況に……」
「……じゃあさっきネイサンがクレアさんに絡んだって――」
マーサは瞬き一つせず、ハロルドを見ている。
「兄さんが狙いかも……。クレアさんが配達屋に出入りしてるのは調べればすぐ分かるし、もしかしたら人質にして、なんてことも……」
ハロルドが言葉を濁してから、眉を寄せた。
「そう仮定して、最悪の事態を話すんだけど。――リネアが兄さんを狙っていることと、クレアさんがネイサンに絡まれたことと、もう一つ気になることがあって」
考えを組み立てながら視線を動かし、ハロルドは乾いた唇を舐める。
「クレアさん、トビーは知ってます?」
「トバイアスくんだっけ。テリーの弟でしょ。知ってはいるけど……」
それがどうしたのかとクレアが首を傾げる。
「トビーがネイサンに絡まれてるところも見たんです。いや、絡まれてるどころか、何かやらされてるんじゃないかって俺は思ってて」
ハロルドは先日出会ったトバイアスがクレアやマーサたちの写真を持っていたことや、ネイサンがやけに馴れ馴れしかった様子をかいつまんで説明した。話の締めに「まだ俺の推測って段階だけど、気を付けて」と一言添えるのとほぼ同時に、クレアの椅子がかたんと揺れた。横を見ると同じ長椅子に腰掛けていたマーサが立ち上がっている。
「テリーに知らせなきゃ――」
「マーサ、その兄さんが帰ってないんだってば! ザックさんも誰かに狙われてるとか言ってたし、もしかしたら一旦身を隠しに来てるかと思ったんだけど……」
「え? ザックも?」
クレアがぎょっとして声を上げる隣で、マーサが「私も聞いてません」とおろおろしながらもう一度座った。
「流石にそっちはリネア絡みじゃないと信じたいんですけど……。どこかのグループにザックさんが付け回されてるみたいで、兄さんもぴりぴりしてました。こんな状況でリネアも動き出すなんて……」
ハロルドがまるで自身に降りかかったトラブルであるかのような重い息をつく。
ため息に空気が支配される中、クレアがおずおずと右手を上げた。
「あの……、黙っててって言われたんだけど、私、この間トバイアスくんに声かけられて、テリーのこと話しちゃった……」
マーサとハロルドが同時に腰を上げた。
「クレアさん、それっていつです?」
「トビー、なんて言ってましたか!」
クレアはせーので合わせたように同時に言われて混乱したが、どうにか二人分の音声を脳内で分ける。
「列車が動かなかった日だったから、えっと、ザックと飲んだ日の翌日で――五日前、かな」
指を折りながら日にちを数えた後、クレアが眼鏡の位置を正した。
「テリーは元気かって聞かれたから、元気って答えたんだけど……まずかった、かな? 特に変なところもなかったし、テリーが怪我したのをどこかで聞いたのかと思って……」
あの時はテリーを心配して声をかけてきたのだと思っていたが、別の可能性が浮上してきてクレアは段々と声を小さくして俯いてしまった。マーサの冷たい手が彼女の背中をさする。
「クレアさんが気に病む必要はないですから。……それにしても、トビーがテリーのことを口に出すとなると」
マーサが言葉の苦味に顔を歪めると、ハロルドがその言葉の後を継いだ。
「完全に兄さん絡みで何か巻き込まれてるね……」
二人の間に漂う空気がずんと重くなり、クレアは慌てて顔を上げてひらひらと手を振る。笑顔を作ったが、少しぎこちない。
「ほ、本当にテリーのことを心配してただけかもしれないし……」
クレアは極力明るく言いながら、写真やネイサンの件があってはトバイアスが無関係だと主張するには無理があることは分かっていた。
その理解の背中を押すように、マーサがゆるゆると頭を振った。そして、いろんなものを吹っ切るように、眉を下げた笑みを浮かべた。
「……昔だったら心配もしたでしょうけど。今は――」
【絡まる】




