83 Fortunately
ハロルドが店番をしながら電話をかけたのは配達屋だった。しかし、呼び出し音が続くばかりで繋がらない。
「帰ってない、か……」
諦めて受話器を置いたハロルドは椅子の背もたれに手を突いて、座面にため息を命中させた。
昨日、トバイアスがネイサンに絡まれているのを見てから、ハロルドは何度も配達屋に電話をかけていた。昼も夕方も夜も、深夜にだって鳴らしたが一度も繋がらない。
おかげで寝不足になってしまったハロルドは細い目をぎゅっと閉じた。目の奥がじんわりと重い。
「ザックさんが追われてるくらい、兄さんがなんとかしちまうだろうけど……」
預かっていたベレッタを返し、グロックの調整をしてから二日が経つ。あっという間にことを片付けてしまうと思っていたが、そうはいかなかったらしい。
「トビーが絡まれてるのと別件でありますよーに」
ぶつぶつしながら、ハロルドは目を開けて電話帳をめくった。リンジーの家の番号を見つけ、書いてある番号を押す。
「――あ、おはようございます。武器屋のハロルドです。朝早くからすんません。リンジーさんに代わってもらえます?」
リンジーの息子か、男は暫く待つように告げてから電話口から離れた。リビングに電話があるのか、孫息子たちの朝とは思えない騒々しい声が僅かに滑り込んでくる。その騒々しさに負けない大声で「電話だよ、静かにしな!」とリンジーが怒鳴ったのが聞こえてきて、ハロルドは思わず吹き出した。
ハロルドがどうにか笑いを収める頃、リンジーが電話口に出た。軽い挨拶と会話を交わし、すぐに本題に入る。
「まだ配達屋からは連絡はないです? 店、ザックさんに言われて閉めてるんでしょ」
リンジーが連絡のないことに加えて商売が出来ない愚痴も吐き出し始めたため、ハロルドは慌ててその隙間に割り込む。
「昨日、丸一日帰ってないみたいで。――はい、兄さんのことで耳に入れたいことがあって。もしかしたらリンジーさんならいつ戻るか知ってるかと思ったんですけど……」
ハロルドが困ったように頬をかく。次はマーサへ聞いてみようかと電話帳をめくっていると、リンジーの言葉がどろりと耳に入ってきた。
「――は? え、今、なんて言いました? 兄さんがリネアで?」
リンジーは詳しいことは分からないと前置きした後、昨日テリーがリネアで大暴れをしたことやリネアの構成員が彼を探しているらしいことを簡単に話した。リネアのテリトリー近くに住む常連客が彼女を心配して知らせてくれたらしい。
もしかしたら煙草屋にも構成員が張っているかもしれないとリンジーが苛立ちの息をつき、ハロルドにも気をつけるよう忠告する。セミチェルキオのテリトリー内にある武器屋には手を出せないだろうが、用心しておくことに越したことはない。
そのまま何度か配達屋を心配する言葉を交わし、ハロルドは静かに電話を切った。
秒針がかちこちと幾つも動いてから、彼はぱっと動き出した。店の奥で時計の修理をしている父親へ声をかける。
「親父! 俺、ちょっと出てくるから!」
そして、父親の戸惑った制止を振り切って、彼は最低限の荷物だけが詰まった鞄を引っ掴んで外へ走り出した。
「まさかあんたがテリーの女だとはなぁ――」「ちょっと待って――」「――テリーの女なんだろ?」「ちょうどいい、計画が――」「計画って――?」「誤魔化さなくたって――」「待って、私、本当に何のことだか――」
ハロルドは途切れ途切れに聞こえてくる話し声に耳を澄ませていたが、話が一定以上進まないことが分かって深く息を吸い込んだ。曲がり角の奥へ届くよう、しかし自身の姿は見られないよう顔を引っ込めたまま息を声に変える。
「お姉さん! ガーディアンを呼んだからもう大丈夫! ――あ、こっちこっち! ガーディアンのお兄さん!」
必死さを演出して叫びながら大げさな足踏みをすると、先程までいた複数の男たちは舌打ちを残して去っていく。理不尽な罵声も遠のいたところで、ハロルドはちらと角から顔を出した。
「――ハルくん……!」
「どうも。変なのに絡まれてたんで、つい。知り合いでした?」
男たちがいつ戻ってくるか分からないので、ハロルドは場所を移動しようと手招く。
「……ありがとう。ええと、ガーディアンは?」
「あはは、嘘です。それににしてもびっくりですよ。列車と一緒に崖に落ちちまったんじゃないかって心配してたんですから。ね、クレアさん」
歩き出したハロルドの隣に並んだのは、一昨日の朝、列車に乗ると連絡をしていたクレアだった。
そのクレアが男と知り合いかどうかという問を流したことをハロルドは心の隅にメモをしておく。
「実は寝坊して列車に乗り遅れたの。そしたら、運良く助かって。――昨日、お店の方に電話して伝言をお願いしたんだけど、何も聞いてない?」
「ええっ、そうだったんですか! すんません、親父の野郎……忘れてたな……」
今も店先で時計の修理をしているはずの父親を思い出し、顔をしかめる。
「それじゃあ今は前のホテルに? 美人さんがこんな場所うろうろしてたら危ないですよ。送っていきましょうか」
クレアが特に予定なく彷徨っているならズワルト孤児院へ誘う提案を用意しつつ、ハロルドは大通りの方を指差す。
トバイアスが持っていた写真にはクレアの顔もあった。彼がリネアの構成員に絡まれていたことを考えると、ハロルド自身もクレアもリネア関係の問題に巻き込まれている可能性がある。ギャングが手を出させないズワルト孤児院は、ハロルドが考える一番安全な場所だ。
「ホテルに戻っても良かったんだけど、列車が動くまでの短期間なら是非ってマーサちゃんが孤児院に泊めてくれてるの。ホテル代もかかるでしょうって」
そして、クレアは薄い手袋に包まれた指を絡めて苦笑いを浮かべる。
「食費だけ渡してるんだけど、申し訳ないからお手伝いをすることにしてて……。でも、その、ちょうど今迷ってて……。ここのお店って、どこにあるの?」
マーサから預かったという紙を開き、ハロルドに差し出す。ハロルドは店名と簡易な地図を見て「もう二本向こうの通りです。あっち」と指差した方向へ歩き出した。
「え、案内までしてくれるの? 何か用事があったんじゃ」
「俺もちょうど孤児院に行くつもりだったんです。ぱぱっと終わらせて一緒に行きましょう」
ハロルドの案内があると安心したのか、クレアがほっと胸を撫で下ろす。
「ごめんね、手伝わせちゃって。この辺り、何回通っても覚えられなくて……」
「気にしないでください。美人さんの隣を歩けるならお手伝いくらい幾らでも」
調子よくハロルドが笑うので、クレアは「美人さんだなんて、やめて」と恥ずかしそうに少しだけ俯いた。
【運の良い人】




