81 The Root Of Dread
五年前。雪が降る日も殆どなくなり、積もった雪も溶け始めた頃だった。
セミチェルキオとリネアの抗争が激化していたある日。テリーもウォリアーとして、セミチェルキオが持つ最大の脅威として、セドリックの側についていた。
テリトリーには幾つか拠点があり、車を襲撃された彼らはその一つへ足で向かっていた。セドリックを守るように周囲を固め、足早に。
そうして目標の拠点に辿り着いた時。
向かいのアパートから銃声が一つ。
背後を気にしていたテリーが視線を向けた時には、胸を撃たれたセドリックが地面に沈んでいた。テリーは呆然とする間もなく、ドゥーガルが銃口を向けた方向へ駆け出した。
結末は、上から放たれた銃弾は運良く銀の懐中時計に命中。セドリックは衝撃で気を失った上に胸に傷を受けたが、命に別状はなかった。狙撃手の女は二発目を撃つ隙も逃げる間も与えられず、死亡。周囲に潜んでいたリネアの構成員も同様に、半数以上が死亡。対して、セミチェルキオの被害は最小に抑えられた。
この結末を迎えられたのはテリーの活躍が大きかったと、セミチェルキオの窮地を救ったのだと、ファミリーの面々に彼は賞賛された。しかし、彼の記憶にはその賞賛など残らなかった。残ったのは、セドリックが撃たれたという事実だけ。
自分がいたのにボスが撃たれた、事実。
盾になり損なった、記憶。
テリーは声にならない悲鳴を上げて目を覚ました。背中が汗で濡れている。
「――あァ、くそッ」
自身にへばりつく血の匂いを肺に押し込む。その鉄臭さにザックの匂いが混ざっていることに気付き、どうにかそこに意識を集中させて気持ちを落ち着かせていく。
「テリー?」
「ちっくしょう。ボスは、もういねェのに……。まだ、夢に出やがる……!」
テリーは胸元を探って銀の懐中時計を掴もうとしたが、その指先に触れるのはマーサからのタグだった。懐中時計をザックへ渡したことを思い出し、タグを握りしめる。
「忘れちまえばいいのに、くそったれ……」
ザックの呼びかけに反応する余裕もなく、テリーは両手で顔を覆う。暫くじっと動きを止めると、胸の奥から吐き気が迫り上がってきた。我慢できずにえずくと、ザックが慣れた様子でバケツを差し出してくる。
飲まず食わずで眠っていたからか、バケツに落ちたのは濁った胃液と涙だけだ。内蔵に鉛でも入っているような異物感に、テリーが何度も繰り返して胃を引きつらせる。
ザックはテリーの背をさすりながら、水が入っている瓶を引き寄せた。
「大丈夫? 水は飲めそう? 吐いてばっかりだ、水分だけでも――」
「……僕、何回か吐いてんの?」
胃液と唾液が混ざった粘つきを唇に垂らしたテリーがバケツから顔を上げる。
「覚えてない? 起きては吐くを繰り返してる」
全く記憶にないことにテリーが首を傾げた。聞こえてはいけない銃声が耳の奥で駆け回り、見えるはずのない光景が目の端で踊る中、テリーはまっすぐにザックを見上げる。
ザックは背中をさすり続けながら金色の瞳を覗き返す。
「どうかした? 大丈夫?」
朝日の欠片が小さな窓から入っているものの、倉庫の中は薄暗い。多少眩しそうにはしているが、それでもテリーはサングラス無しに目を開けていられる。
「僕、ジョイント、飲まされて……」
「うん」
光の破片が明るい虹彩を静かに飾っていた。
「すっげェ、すっきりして。気分、良くって」
「うん」
瞬きで金色を点滅させ、彼は瞳と同様に感情を乗せない声で淡々と続ける。
「だけど、今は気分悪ィの。てめェを殴りてェ。殴ったら――気持ちいいから」
ザックは相槌をやめ、テリーの手元へ視線をちらりと動かした。彼はまだ拳を握っていない。その開いた手が伸びてきてザックの服を掴んだ。そこへ彼が顔を埋める。
「てめェに、こんなとこ、見られたくねェ……」
胃液の刺す匂いがザックの内側に傷をつける。ナイフのような痛みにザックは目を細め、ポケットからピルケースを取り出した。そこから半分になった錠剤を取り出す。
「テリー。顔を上げて」
テリーの頬に触れると、彼は嫌がるように身をよじるものの、素直に顔を上げる。半開きになった口に錠剤を落とすと、彼は顔を伏せてそれを吐き捨てた。
苦い唾液をまとったそれを一瞥し、ザックはテリーを横から覗き込む。
「テリー。飲んで」
手を離したテリーが両耳を塞いだ。膝を体に引き寄せ、額を押し当てる。
「いらねェ……。飲んだら、動けなくなる……」
「そのための薬だろ。無理しないで。……辛いんじゃない?」
ザックが困ったようにテリーの背中に手を置くと、彼は勢いよく顔を上げた。突然のことにザックは動けず、テリーに強く突き飛ばされて尻もちをつく。
勢いのまま立ち上がったテリーが赤く充血した目でザックを睨みつけていた。
「うるっせェ! 動けねェ時に何かあったらどォすんだよォ! 僕は――ッ! 僕にどォやっててめェを守れっつうんだよォ!」
悲鳴のような声を上げたテリーが両手で顔を覆う。自身の顔に爪を立て、何かから逃げるように何度も身をよじる。
「僕が、僕がいるんだから、僕が――! どうして、なんでェ! 僕が、僕がいたのに、なんでェ! 銃声が! どォして、ボスが、撃たれて――! もう、嫌だ……。嫌だ、僕のせいで――ッ!」
ザックが慌てて立ち上がり、テリーの名前を呼びながら両手首を掴んで顔から引き剥がす。言っていることがごちゃごちゃになっているテリーは、目を閉じたまま「今度はちゃんと守らねェとォ!」と声を裏返しにして叫んだ。
「テリー! 落ち着いて! 静かにしないと……!」
そう言うザックも、テリーの悲鳴につられて声が大きくなっていた。なんとか落ち着かせようとするが、暴れようとする彼の手首を握って押さえるのに必死である。
どうしよう、とザックが顔を歪めていると倉庫の扉が開いた。ぎょっとして振り返ると、シルヴェスターが渋い顔をして立っていた。
「テリーには悪いけども、寝てもらうぜ」
シルヴェスターの足元に滲んだ影が、しゅるりとテリーの背後に背を伸ばした。そして、影が強くテリーの頭を叩いた。影に気付かなかったのか、彼は頭を揺らして崩れるようにザックへ倒れ込む。
ザックがなんとかテリーを受け止めると、彼は気絶して目を閉じていた。
「ふう。ようやくテリーに一勝だあ。負けは数えてねえけど。――突然悪かった。誰かに聞かれちゃあ困ると思ってよう」
ザックはテリーを地面へそっと寝かせてから、シルヴェスターに改めて礼を言った。疲れた息を吐き、困ったように微笑む。
「ありがとう。……はあ。――誰なら、彼を落ち着かせられるんだろ」
【銃声】




