78 Trigger A Rush
ザックは礼を言ってから受話器を下ろした。後ろを振り返ると、シルヴェスターが電話の内容を尋ねるように目を細める。ゆるりと小さく頭を振る。
「……ホテルには戻ってないって」
昨日の朝、列車を巻き込んだ雪崩が起きた。クレアがラージュを出ると言った日と同日の事故で、犠牲者の殆どはまだ谷底で雪に埋もれており、生存者は発見されていない。
クレアがそれに巻き込まれた確証はなく、ザックは彼女が滞在中に使っていたホテルに電話をかけていたのだ。巻き込まれていないのなら一旦ホテルに戻っているかもしれないと踏んだのだが、それは叶わなかった。
「ってことは、あの駅員が見たっていう姉ちゃんの情報しかねえわけか」
ザックはホテルに電話をかける前、駅へ電話をしてくれていた。すると、駅員が昨朝一番の列車に乗り遅れた、大荷物を抱えた女を一人覚えていたのだ。彼女は暫く次の列車を待っていたが、雪崩が起きたと分かると町へ戻っていったらしい。ただ、その女がクレアかどうかは分からない。
「……その情報に賭けておく。駅近くのホテルを探したのかもしれないし」
「列車が動き出してすぐに乗りたいならそうするかもな。うん、きっとそうだ。それに、美人の姉ちゃんが朝一の列車に何人も乗るとは思えねえしな」
ザックのもどかしい気持ちを支えるように、シルヴェスターは彼の肩を叩いた。そして、その手で背中を押し、階段へ足を向けさせる。
「姉ちゃんのことでやれることはやった。あとはテリーの帰りを待つだけさあ。ほうら、部屋で大人しく座ってな」
押されたザックが階段を上がり、奥の部屋へ入った。シルヴェスターもそれに続いた直後。
乱暴なノック。それも、何度も。
シルヴェスターは眉頭をぎゅっと寄せ、傷の入った唇を緊張に固くした。
「二階には誰もいない。俺は寝る間を惜しんで新メニューの開発をしてた。――いいな、音を立てるんじゃねえぞ」
ザックがゆっくりと頷いたのを確認し、シルヴェスターは踵を返して部屋から出た。
シルヴェスターはリズムの悪い足音で階段を降りながら「なあんだよう、準備中って看板が見えねえか! ったく、仮眠する間もねえのかよう!」とノックを続ける扉に向けて大声を返している。
ザックはそんな大きな声と足音がしているうちに、扉を横にして壁へ背中をつけた。
じっと息を潜めて耳を澄ます。
扉が開く音がして、若い男たちの声が一階を騒々しくさせ始めた。会話の内容までは聞こえないが、数人の声がひっきりなしに飛び交っている。
これ以上問題が起こってくれるなと願いながら、彼は立ったまま瞼を閉じる。深く息を吸い、胸にぶら下げた銀の懐中時計を服の上から掴んだ。
ザックが物音を立てずにいると、一階を騒がせていた男たちが出ていく音が聞こえてきた。それに遅れ、シルヴェスターが慌てて階段を上がってくる。
「――出られるか!」
「えっ、何があった?」
シルヴェスターの強張った表情にザックは気持ちを引き締める。ベレッタの存在を確かめるようにホルスターの上から撫で「出られる」と強く頷いた。
「落ち着いて聞けよう。――ボスがとうとうやりやがった。テリーが、ジョイントくらってぶっ飛んでる」
ザックが息を呑む。硬い唾液が、喉の奥へごろごろと転がり落ちていく。
「若い連中がとっくに引退してる俺に力を貸せって頼みに来た。――俺にまで声がかかるなんてよっぽどの状況だ」
晴れた日、冬にしては暖かい日。
それでもザックの体は急激に冷えていった。
「あんたに覚悟があるならテリーのところまで案内してやる! 他の連中はどうにかして周囲から消してやる! ――時間はねえ。行くか」
シルヴェスターの聞いたことのない強く張った声に、ザックは即座に頷いた。
「連れて行って」
シルヴェスターはぎっと顔を歪め、頷き返す。
「分かった。――殺されるんじゃねえぞ」
シルヴェスターが一時撤退の指示を出して動き回ってくれたおかげで、周囲には殆ど人がいなかった。もうファミリーではない彼の言葉に従う者が多いのはバーという身近な存在で構成員からも信頼されていることに加え、彼が現役時代に何度もテリーと手を合わせているからだ。
作られた時間は僅か。シルヴェスターが一度引かせたリネアのウォリアーを集め、指示を出して再び放つまでだ。
ザックは血の跡を辿って角を曲がる。
テリーと出会って何年も経っていたが、彼が一番酷く荒れていた時期をザックは知らない。
噂は何度も聞いていたし、彼をセミチェルキオから引き抜く際にセドリックからも散々脅された話だ。今でこそ多少のジョイントでは不安定になる程度のテリーだが、禁断症状に苦しんでいた頃は敵味方関係なく暴れることも珍しくなかったらしい。
「……テリー」
辿り着いた袋小路。
ザックに背を向け、立つ姿が一つ。
真っ赤に染まったバンテージが誰かの頭を掴んでいた。
「テ、リー」
一番酷かった頃。テリーは幼い手でセミチェルキオの同士を殺している。彼の中で暴力と快感が繋がっているのか、ジョイントなしに得られない快感を暴力という手段で強引に得ようとした結果だ。
シルヴェスターの「殺されるな」という言葉が腹の中でずるりと蠢く。
今のテリーは普段は絶対に繋がってはいけない快感への回路が、半端なジョイントのせいで繋がってしまっているはずだ。
そうでなければ、バンテージから血は滴らない。
「テリー」
しっかりと、呼びかける。
その声に反応したテリーが、緩慢な動きで振り返った。サングラスはどこかに落としてきたか、彼は目を閉じたままにんまりと口元を緩めている。
彼の手から、気を失った頭が、ごとりと落ちた。
ザックの手が、使いたくもない愛銃を抜く。
へらりと笑ったテリーが首を傾げた。
「――あァ! サンドバッグ、見ィっけェ!」
「テリー!」
名前を呼ぶ。
その時にはテリーが眼前に迫っていた。ザックは悲鳴を上げながら後ろへ跳ぶが、テリーの方が速い。思い切り振られた彼の拳が、どうにか反応して上げた腕にぶつかった。そのまま後ろへ倒れ、背中が溶けかけの雪でぐちゃぐちゃになる。そして、腕の痛みに声を上げる間もなくテリーが馬乗りになってきた。
テリーが笑いながら拳を振り上げるのが見え、ザックは慌てて横へ逃げようと体を傾ける。しかし、胴をしっかりと挟み込んだ彼の膝がそれを妨げる。
「あはは! 殴らせろよォ! 気持ちよくなろォぜェ?」
拳が何の躊躇いも持たず、打ち下ろされる。
ザックが恐怖に引きつった表情で、銃口をテリーに向けた。安全装置を外していないことに気付いたのは、テリーの拳がベレッタを弾き飛ばしてからだった。
ただ、それで生まれた拳一発分の猶予で、ザックはテリーの名前を叫んだ。
「テリーッ!」
「ああああァ! うるっせェ! うるせェうるせェうるせェ! 聞こえてんだよォ、くそったれェ! そのお喋りな口から潰さねェとなァッ!」
テリーの右手がザックの首を掴んで、顎を固定した。彼の左拳がぐっと弓を引く。
ザックは首を締めている彼の右腕を引き剥がそうと掴む。しかし、呼吸を確保するよりも、彼が矢を放つ方が速い。
どうすることも出来ず、酸素の足りない中で、ザックはぎゅっと目を閉じた。
【快感】




