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シルヴェスターの話によると、リネアがどこかと手を組むかもしれないという噂は数日前から輪郭を少しずつはっきりさせてきているようだ。しかし、手を組もうとしている組織がどこなのかまでは彼の耳にも入っていなかった。
そんな情報を受け取ったザックとテリーがいるのはシルヴェスターが経営するバーの二階で、普段は売春宿として使われている部屋の一つだ。店の主シルヴェスターは一階へ降りて席を外している中、二人は極力声を落として言い合いを続けていた。
「何言ってるか分かってる? あの条件を出したのがリネアなら目的は君だろ!」
「だァから行くんだよ、バァカ。僕を殺すつもりがねェなら安全じゃねェの」
一人で眠るには大きいベッドからテリーが起き上がった。右手を服の中に突っ込んで、ぶら下がる銀の懐中時計を掴んだ。力を込めてチェーンを引き千切り、ザックに放る。
「おら、てめェにやる。――牽制に行くだけで別に殴りかかるわけじゃねェ。そんな顔すんな」
ザックは受け取った銀の懐中時計とテリーとを交互に見、眉尻を下げる。
今までテリーが肌身離さず持っていた、傷だらけで蓋も開かない懐中時計だ。彼の精神的な支えにもなっているそれを、ザックはぎゅっと握りしめる。
「どういうこと? これは、君の――」
「そ。僕の、あの日の感情。それをてめェにやる」
にいっと右頬を吊り上げて笑ったテリーはベッドから立ち上がり、ワークキャップを頭に乗せた。
「……君が大事にしてるものだろ。どうして」
「んァー。錨みてェなもん。僕がどっかに流れちまわないよう、てめェに錨を下ろすの。僕が絶対にてめェから離れられないように。――なァんてな」
べえっと舌を出したテリーがコートを羽織った。ザックが何か言おうとするのを、ひらりと手を振って制する。
「冗談。ただのお守りだぜ。……セドリックさんを守った銀時計だ。てめェもきっと守ってくれる。それに、僕は絶対にそれを見失わねェ。――じゃァな、大人しく待ってろよ、相棒ちゃん」
ザックは落ち着かず、靴の中で足の指をもぞもぞと動かした。冷えた指先が緩慢に動く。灯りもつけずカーテンを閉めた薄暗い部屋で、ベッドの端に座って背中を丸める。太ももに肘を突き、額を押さえて深い息を吐く。
テリーが出て行ってからあまり時間は経っていないはずだが、何時間も同じ格好で座っているような気がしてならなかった。
粘度の高い時間をただただ泳いでいると、ノックが聞こえた。ザックの返事を待たずに扉が開き、シルヴェスターが顔を覗かせる。
「テリーが行っちまって暇してるんじゃねえかと思ってよう」
普段なら家へ帰って夜の開店に備えて眠るシルヴェスターだが、今日はこのまま店にいてくれるようだ。
「味見、してくれねえかな」
その彼が持っている皿にはチーズや何かのソースが乗ったクラッカーが並んでいる。
「酒のつまみを考えててよ。ほら、これなんて――って、あんまり乗り気じゃねえなあ」
俯いたまま動かないザックの隣に、シルヴェスターが「よっこいしょ」と腰掛けた。ベッドの真ん中に皿が浮かぶ。
「待ってんのは苦手かい」
シルヴェスターの問に、ザックは小さく頷いた。
「そうかもしれない。――だけど、今はそれ以上に、怖くて」
曖昧に相槌をしたシルヴェスターは背中側に手を突き、天井を見上げた。雨染みが顔に見えてきて、その視線をザックの横顔へ移す。
どうしてテリーはこいつを選んだんだろうなあ。
そんな疑問が浮かぶが、答えは分からない。テリーがザックを選んだ理由も、今は亡きセドリックがテリーを手放した理由も。
「怖い、ねえ。俺はその感情を殺しちまったから分かんねえけどなあ。――怖いなら戦わなきゃならねえよ」
シルヴェスターの言葉に、ザックが顔を上げた。彼が首を傾げると、滑らかな黒の髪が背中を滑る。
「怖いなら、戦う?」
「おうよ。怖いから戦うんだって、誰かさんの相棒が昔言ってたぜ」
「ほらよう。これしかなかったんだけど、いいかい」
ザックはシルヴェスターに近くの雑貨屋へお使いを頼んでいた。そして買ってきてもらった太めのチェーン二本を受け取る。
「一体、二本も何を通すんだよう」
シルヴェスターの問に、ザックは銀の懐中時計を揺らして笑う。シルヴェスターが「なんだそのおんぼろ」と顔をしかめたが、気にせずチェーンの輪を一旦外した。
「テリーが錨を落とすなら、ちゃんと鎖で繋いでおかないとさ」
「うん? 錨? 懐中時計だろ」
「……うん。あの日が流れて消えてしまわないようテリーがずっと持っていた怒り。俺にくれるんだって。お守り代わりに」
ザックのよく分からない説明にシルヴェスターははてなマークを頭上に浮かべて「お守りかあ」と最後の言葉だけに納得する。
「でも、なんで二本もいるんだよ。首にかけるんなら一本で十分だろう」
その疑問にはザックは肩をすくめるだけだった。二本のチェーンを通した懐中時計を首からかけ、服の下へ滑り込ませる。氷のように冷たいそれが肌に触れた。
シルヴェスターは幾ら待ってもザックが答えないので、気にしないことにして隣に腰掛けた。ザックは先程よりは落ち着いた様子で、しかしそれでも落ち着かなさそうに指先をくるくると動かしている。
そんな中で気を紛らわせるように会話を続けていると、ふとクレアの話になった。シルヴェスターも配達屋に出入りする女がいることは耳にしていたらしい。
「昨日の列車? ――おいおい、それ、本当の話か?」
クレアが昨日の列車で町を出たことを話すと、シルヴェスターの顔色が変わった。ザックは彼の険しい表情に体を引く。
「……どうかした?」
「そのクレアとかいうの、朝一の列車に乗ったわけじゃねえよな?」
「さ、さあ? 家に一旦戻った時にはリンジーさんがもう列車に乗っただろうって。それが午前中で……」
シルヴェスターが戸惑ったように目を泳がせた後、ザックを覗き込む。不安をかき立てる視線に、ザックは目を瞬かせた。
「……まだ確定じゃねえから慌てるなよ。――ここ最近、暖かかったろう。んで、この町を列車で出るには山越えがあるのも分かってるよな」
「うん。それが?」
「昨日の朝、雪崩が起きた。線路を塞いじまうような大きな、な。列車は昨日も今日も動いちゃいねえんだよう」
じゃあクレアはまだ町に残っているかもしれない。
そう思いかけたザックだが、シルヴェスターの表情が強張っているのを見て考えを取り消す。まだこの町にいるんじゃねえか、と言い出す顔ではない。
「……まさか」
「そのまさかだよ。――朝一の列車が巻き込まれて、谷底へどーん、だ」
【いかり】




