70 Line Of Sight
電話が鳴ってすぐに出たリンジーはクレアの声にため息を返した。
「悪いねえ。ここ何日、まともに帰って来ちゃいないのさ。昨日も丸一日いなかったし、今日だってあたしが来た時にゃもう出た後でね」
三日前のお使いで配達屋が帰ってきたのはリンジーが帰宅した後だった。その翌朝も配達屋は煙草ツーカートンと紙幣、シルヴェスターの伝言をリンジーに渡してすぐに仕事に出て行ってしまった。その時にクレアから話があることだけは一言伝えてあるので、時間さえ出来れば連絡するのだろうが、どうもその時間がないらしい。
ここ暫く配達屋の顔をまともに見ていないリンジーはもどかしげに煙を吐いた。
「ああそうかい。今日から動くのかい。随分早かったねえ。向こうでも元気にやるんだよ。――ああ、配達屋にはちゃんと伝えておくさ。余程忙しいんだろうねえ」
あまりに二人と時間が合わないので、リンジーは昨日の帰宅前にクレアのことをメモにしてキッチンに置いたのだが、彼らが見た形跡はなかった。
リンジーは一言二言とクレアと別れを交わし、そっと受話器を置いた。
「まったく、こんな時にどこで何をしてるんだか……」
窓口から見える空は、青い。冬だというのに雪はあの日から殆ど降っていなかった。
「テリー? どうした?」
隣を歩くテリーがちらと後ろを振り返ったので、ザックも同じ方向へ目を向けた。二人が並んで通ってきた道があるだけだで、特に問題は見えない。
「誰かつけてる。気持ち悪ィ」
テリーが首の後ろを撫で、小首を傾げる。
「……見える距離には誰も」
「てめェの勘は頼りにしてねェよ、くそったれ」
連日の晴れ間で水っぽくなった雪を、二人はじゃくじゃくと踏みつけて歩いて行く。
「仕掛けてくるわけでもねェな……」
テリーがあまりに不快そうな顔をするので、ザックはもう一度後ろを振り返った。しかし、そこには誰の姿もなかったし、気配も分からなかった。
ザックは可能な限りの速度を維持しながら、目標地点に向かってひたすら走っていた。後ろを振り返ると、テリーが相手をしていたはずの女が自分を追ってきている。
「――嘘、だろ」
一仕事を終えて家へ戻ろうとした時、つけていた誰かが行動を起こしたのだ。
テリーが足止めをしていたはずが、その女は真後ろにいる。彼から逃げられる人間はそういない。最悪の事態が脳裏に浮かび、ザックは顔を引きつらせながらホルスターから銃を抜いた。総合的に撃ちやすい銃ではあれど、武器屋に預けている愛銃の慣れた感触でないのが心をざわつかせる。
走りながら、しかも振り返りざまに撃って当てる自信はない。それでも威嚇になればと引き金に指をかけた時だった。
「ザック! 悪ィ、逃げられた!」
目の前に飛び出してきたテリーが叫んだ。息が弾んでいるのが見て取れる。
姿を見せた相棒に安堵しかけ、ザックはすぐに気を引き締める。
「怪我は!」
「ねェ! それより、あいつ、ハートルーザー!」
先導するように走り出したテリーに、ザックはすぐに追いついた。テリーは右腕が振れないからか普段通りの速度でないし、ベッド上での生活で体が鈍っているのか真っ白な息をひっきりなしに浮かべて呼吸が慌ただしい。
「狙いが、僕じゃねェ! すぐにてめェに向かった!」
走りながら喋るため、テリーの速度が少し落ちる。辛そうな表情はまだ出ていないが、普段の余裕は隠れてしまっていた。
ザックが再び背中を振り返る。テリーに合わせてスピードを落としたため、女は徐々に距離を詰めてきていた。このままでは追いつかれるとザックは彼へ手を伸ばす。
「逃げきれない! どこの誰か、吐かせる。――頼んだ、テリー!」
ワークキャップをとんと叩かれ、テリーは急ブレーキをかけて百八十度方向を変えた。
「ハートルーザー相手にどんだけ出来るか知らねェぜ! サポートしろよ、相棒ちゃん!」
「もちろん!」
ザックもテリーほど急ではないが立ち止まる。銃をテリーが向かう奥へ向けた。
女が走りながらべえっと舌を出すと、そこにあるゲートから細い影がしゅるりと伸びた。テリーと交戦する気はないらしく、影を踏み台に彼を飛び越えようとする。しかし、テリーは反射的に彼女へ手を伸ばし、なんとか腕を掴んでいた。
彼女がテリーを振り返り、そこへザックが照準を合わせて引き金を引く。軽い銃弾が地面を弾く。結果にザックが顔を歪め、直ぐにもう一度指に力を込めた。次の銃弾は女の膝下を穿ち、一拍の間を置いてから彼女が悲鳴を上げた。しかし、彼女はかろうじて維持した影をテリーへ向ける。
ザックが「テリー!」と叫ぶのと、テリーが掴んでいた腕をへし折ったのは同時だった。連続した激痛に意識が持っていかれ、影が溶けるように消える。
「こいつ、徹底的に僕とはやり合わねェな。逆にやりやすいぜ」
息を上げたテリーが跪いた彼女の背中を蹴り、地面に伏せさせる。もう片手の手首を足先で踏みつけ、もう片足は後頭部に添えた。
「影出したら、折れるどころじゃ済まねェぞ」
そう脅したテリーが手首へ体重をかけた。女の熱い血と息で雪が溶けていく。
優位に立ったと判断したザックが近づき、見下ろした。
「死にたいなら口をつぐめばいい。――朝からつけていたのは君?」
女はふうふうと苦しそうな息を吐くだけで声は零さない。
ザックは銃口を彼女のもう片足に向け、引き金を引いた。路地裏に再び悲鳴が咲く。
「朝からつけていたのは、君?」
同じ質問を繰り返すと、女は顔を横に向けてザックを睨みつけながら一つ頷いた。痛みの涙が雪を溶かす。
「僕らを狙った理由はァ?」
テリーが頭部に置いた足にぐっと体重を乗せていく。
女の頬が潰れて歪むが、彼女は口を開かない。仕方ないといった様子でザックが再び銃口を向けると、彼女は吹っ切れたように笑い声を上げた。ぎょろりとした目がテリーを見ようと端へ寄る。
「ハッ! お前に用なんてない! アタシを殺したって他の奴らがゼカリアを狙うだけだ! 精々生き残りやがれ!」
ザックが思わぬ言葉に驚いていると、テリーは彼の腕を掴んで彼女から離れた。
彼女の影が細く、槍のように尖り、そして、彼女自身を突き刺した。
「今の……」
テリーは手にぎゅっと力を込め、死体の言葉を脳内で繰り返す。
「テリー、痛い。離して」
「……ザックを狙う? 僕に用はねェ?」
ザックが手を引くが、テリーの手は離れない。
「テリー! 痛い!」
「んァ? あァ、悪ィ」
大声を上げたザックが腕を振り、ようやくテリーが手を離した。
「――面倒なことになってんな、これ」
そうぼやいたテリーが振り返る。首の後ろに、粘ついた視線が再びつきまとっていた。
【視線】




